141 忙しいから邪魔しないで!!
マデリン・フォン・アルストニア第三王女が国王に代わってリリに謝罪するため、わざわざサウステルまで来るという件については一時棚上げした。と言うか、考えても仕方ない問題である。
二日酔いから回復したジェイク、アルガン、アネッサの三人は、サウステルの冒険者ギルドで情報の共有と収集を行うと言って出掛けていった。クライブとラーラは「街を見てくる」と言って二人でお出掛けだ。
残されたのはリリ、アルゴ、シャリー、アリシアーナである。滞在している屋敷にいるとメイドからずっと見られているようで気が休まらない。実際は精一杯おもてなしをしようと張り切っているだけなのだが、慣れていないリリは居心地が悪いのだ。
「と言うわけで私たちも出掛けたいと思います!」
「何が『と言うわけで』なんだ?」
「細かいことはいいの! シャリーはどこか行きたい所ない?」
「美味しい屋台を探したいぞ!」
……朝ご飯、足りなかったのかな?
「アリシアは?」
「そうですわねぇ……私は、もう一度国境を見ておきたいですわ」
「国境?」
マデリン王女がそのうち視察に来るらしいという話は二人にも伝えてある。アリシアーナは、王女殿下がいらっしゃるなら、と前置きして言葉を続ける。
「魔物暴走で発生した大量の魔物が、こちら側に来ないと限りませんもの。それに、瘴魔の大氾濫についても」
「なるほど。安全かどうか確かめたいってことだね」
「そうですわ」
さすがはアリシアーナ。真面目である。
『アルゴは?』
『国境に行くなら周辺の地形を確かめておこう。しばらく離れても問題ないか?』
『うん、大丈夫。ありがとうね』
国境付近で魔物や瘴魔を迎え撃つことになった場合に備え、アルゴは戦いやすい場所を探してくれるそうだ。
「じゃあ……国境を見に行って、帰ってきたら屋台を探してみよっか」
「そうするぞ!」
「いいですわ!」
「わふ!」
メイドに行き先を伝えてから、リリたちは国境へ向かった。
メイドの一人は御者の心得があるとのことで、三人はリリのサスペンション付馬車で国境へ向かった。御者台でも乗り心地が格別だったようで、メイドも驚いていた。
「これはこれは、オルデン・ライダー準男爵様!」
昨日サウステルまで案内してくれた国境警備の上官らしき男性が、リリたちに目敏く気付いて出迎えてくれる。
「申し遅れました、私はドリフェル・ヤンドルです。警備兵長を務めております」
「ヤンドルさん? 代官様と縁戚でいらっしゃいますか?」
「代官のボメーラは私の兄です」
「そうなんですね」
兄の代官はぽっちゃり体型だが、弟のドリフェルは日に焼けた引き締まった体つきだ。顔も精悍だが、リリたちを見る目には敬意が浮かんでいた。
「それでどうなさいましたか?」
リリは帝国で魔物暴走が起きていること、そしてそれが瘴魔の大氾濫に繋がる恐れがあることを伝えた。この話は機密でも何でもない。むしろ多くの人に知って欲しいことだ。
大丈夫だとは思うが、こちらまで魔物や瘴魔が押し寄せた場合、国境で防げるか見に来たと正直に話す。
「近々マデリン王女殿下がいらっしゃるようなので」
「お、王女殿下がっ!? ……なるほど、それでは存分にご覧いただいて、お気付きの点がございましたらぜひお聞かせください」
ドリフェル兵長は話の分かる人物のようだ。許可も得られたので、国境警備門を越えて周辺の様子を検分する。南西の国境は深い渓谷に橋を渡したものだった。こちらは幅の広い川が流れ、そこに巨大な橋が懸かっている。魔物などが攻めて来たからと言って軽々しく落とせるような橋ではない。いや、リリやアルゴの魔法なら物理的に落とすことは可能だが、王国と帝国の流通や人の流れなど、経済に与える影響が大きそうで抵抗がある。
リリたちは徒歩で橋の中央辺りまで進む。
「まぁ帝国側でも警備してるし、そう簡単にこっちまでは――」
――ぎゃぁあああー!
リリの言葉を遮って遠くから悲鳴が聞こえた。帝国側だ。リリはシャリー、アリシアーナと思わず目を合わせた。
『アルゴ、何が起きたか分かる?』
『少し大きな飛びトカゲが三体ほどいるようだな』
少し大きな飛びトカゲ……どこかで聞いたような……。
『えっ、それってレッサーワイバーンでは!?』
『そうとも言うな』
えーと、お父さんの話では「戦った時は死ぬかと思った」って言ってたよね……え、Sランク冒険者パーティがそうなるってかなりヤバいじゃん!?
「姉御?」
「リリ?」
「帝国側の国境にレッサーワイバーンが三体いるって!」
「おおっ!? 魔法ぶっ放せるな!」
「通用するか試してみたいですわ!」
おぉぅ……二人ともやる気、いや殺る気満々だね……。
「姉御、一体は残してくれよ!?」
「私にもお願いしますわ!」
「あ、はい」
残り半分の道程を帝国側に向けて走る。アルゴは気を遣ってリリたちに合わせてくれた。国境警備の門に近付くと、悲鳴や怒号、魔物の咆哮が聞こえ、足の裏に振動も伝わってきた。
門の向こうは控えめに言って滅茶苦茶な有様だ。警備兵の詰所は吹き飛ばされ、何人も地面に倒れている。レッサーワイバーンは全身を鋼鉄のような鱗で覆われ、体高は十メートル。翼長は軽く二十メートルを超える。警備兵は槍や剣を構えて必死に応戦しているが、魔物には傷一つ付いていないようだ。
「助太刀します!」
リリが大声を上げるのと同時に、アルゴが風魔法で三体を川と反対側に押し退ける。そこは国境の手前に作られた開けた場所で、幸いなことに誰もいない。
「右行くぞ! 獄雷炎!」
「左行きますわ! 嵐刃!」
人が密集している場所から距離が空いたので、シャリーとアリシアーナが雷の融合魔法を放った。
アルゴの風爆を食らったレッサーワイバーンは意表を突かれてふらついており、絶好の的だ。
シャリーの獄雷炎は獲物の頭部を的確に捉える。超高温の炎に加え、雷撃のダメージまで食らったレッサーワイバーンは悲鳴を上げる間もなく地面に横倒しとなった。
アリシアーナが狙った左側の獲物は、咄嗟に上空へ逃れようと翼を広げた。雷を纏った風の刃が両翼を切り裂く。飛べなくなったレッサーワイバーンは怒り心頭でアリシアーナに突進するが、数十の嵐刃が続けざまに直撃し、雷撃で筋肉が硬直して動きを止めた。そこに再びシャリーの獄雷炎が飛ぶ。一体目と同じく、首から上が黒焦げになったレッサーワイバーンが倒れ伏した。
残り一体はアルゴが適当に牽制し、逃がさず殺さずその場に留めている。
二人がレッサーワイバーンに攻撃を加えている間、リリは警備兵たちに治癒を掛けていく。さしものリリでも複数人を一度に治療することは出来ない。魔力量でゴリ押しして連続で治癒を使うスタイルだ。重傷者から先に一人数秒で外傷を治し、動ける者が動けない者を安全な場所に移す。
「姉御、あと一体だぞ!」
「私たちで倒してもよろしくて?」
「ああ、二人に任せ――」
――ゴルォオオオオオン!
間近に雷が落ちたような轟音が耳をつんざく。残されたレッサーワイバーンの怒りの咆哮だ。
「うるさいっ!」
リリは反射的に雷球を放った。それは弾丸のような速度で咆哮の主に直撃する。
シャリーとアリシアーナはサッと背中を向けて耳を覆った。直後に辺り一帯が眩しい閃光に満たされ、僅かに遅れて轟音と振動が届く。アルゴがこちら側を守るように風の障壁を張った。
「「「「「「へ?」」」」」」
眩しさに目をやられなかった警備兵が呆けた声を出す。それもそのはずで、先程まで怒り狂うレッサーワイバーンがいた場所には半球状のクレーターが出現し、魔物は跡形もなく消し飛んでいた。
「あ……」
ちょっとイラッとしたからやり過ぎちゃった……。だって怪我人を治療してる途中だったんだもん! あんな大きな声で吠えられたらイラッとするよね!?
『うむうむ! 魔力量が増えて威力も上がったな!』
アルゴが、それは嬉しそうに念話を飛ばしてきた。
「姉御……オレたちが倒したヤツまで消えちゃったぞ?」
「リリ……貴女、加減というものを覚えた方がよろしいと思いますわ」
「ご、ごめんね?」
最後の一人に治癒を掛けながら、リリは呆れ声の二人に謝った。周りを見渡すと、無事だった警備兵が微妙な顔をしている。レッサーワイバーンを倒し、怪我の治療までしてくれたリリに感謝すべきか、それとも一撃で強大な魔物を屠る少女を恐れるべきか。
「……国境警備の責任者、モルガン・ソバットと言う。レッサーワイバーンを倒した上、治療までしてもらって感謝の言葉もない」
微妙な空気の中、四十歳前後と思われる男性が歩み出てリリに頭を下げた。
「……スナイデル公国で準男爵位を賜っております、リリアージュ・オルデン・ライダーと申します」
「なんと……貴族でいらっしゃいますか」
「まぁ……成り行きで」
最初、名乗るつもりはなかったのだが考え直した。これは魔物暴走や瘴魔の大氾濫に対して危機感を持ってもらう良い機会では? それで、リリはここ数日で食い止めた魔物暴走と、それが大氾濫の予兆である可能性について話した。
「なんと……縁もゆかりもない帝国民を救ってくださったのですか……」
「あ、そんな大層なことは考えていませんから! もしさっきのことで恩を感じてくださるのでしたら、出来るだけ多くの人に今の話を伝えてもらえませんか?」
「もちろんです。国に働きかけましょう」
「え? 国に……?」
「私の叔父はランディス・ソバット伯爵、ここソバット領の領主なのですよ」
「おお! それは素晴らしいです。ぜひ、ソバット伯爵にこの危機を伝えてください」
「命に代えましても」
いや重いですよ、モルガンさん……。そのソバット伯爵が動いてくれるのか、また仮に動いたとしても国が腰を上げるかどうかは分からない。でも、何もしないよりはずっと良いはずだ。
『リリ、我はこの辺りを少し見て回る。三人で大丈夫か?』
『うん。気を付けてね』
『フフッ。では行って参る』
アルゴは風のように走って行った。
「さて。私たちも戻ろうか」
「そうだな!」
「ええ」
モルガンに挨拶をして立ち去ろうとすると、警備兵たちから続々と感謝を告げられた。温かい気持ちになりながら、王国側に向かって橋の上を歩く。
「レッサーワイバーン級の魔物が大群で来たらマズいですわね」
「まぁ、滅多に出る魔物じゃないと思うんだけど……ドリフェル警備兵長に言ったらどんな顔するかなぁ」
間違いなく困り顔だよねぇ。でも言わないわけにもいかないし。
「マデリン殿下も護衛はたくさん連れて来られるでしょうし、リリがいればレッサーではないワイバーンでも対処出来るでしょう」
「……出来るっちゃ出来るけど。私たちがずっといるわけじゃないからね」
「その王女様に、もっと兵隊を送れって言えばいいんじゃないか?」
「うん。それが一番手っ取り早そうだね」
「それより、早く屋台を探すんだぞ!」
「はいはい」
シャリーの切り替えの早さが羨ましくなるリリ。だが、ここでリリたちが悩んでいても仕方ない。昨日アリシアーナが言っていたように、王国の民を守るのは王国の務めなのだから。
王国側の国境警備門で、ドリフェルに「向こうにレッサーワイバーンが来てましたよ」と軽い調子で伝えると、彼は真っ青な顔になってどこかへ走って行った。リリたちは待ってくれていた馬車に乗りサウステルの街に戻る。メイドに屋台が多く集まる場所を教えてもらい、三人でそこへ向かった。
夕方には全員が屋敷に帰って来た。アルゴはとっくに戻って来ており、リリたちと合流して屋台巡りを楽しんだ。また美味しい夕食を頂いた後、ジェイクが話を切り出す。
「帝国は魔物暴走について把握してるって話だった」
「そうなの!? それは……良いことだよね?」
「そうだな。警戒しないよりずっとマシだろう」
リリたちの心配をよそに、帝国も魔物暴走について把握していたようだ。リリたちは知る由もないが、実はビーストテラン侯爵領をはじめ複数の領にある冒険者ギルドが国に警告を発していた。それを受けて帝国は各冒険者ギルドに迷宮の調査を依頼した。調査結果が出るにはもう少し時間がかかるかも知れないが、瘴魔の大量発生(大氾濫)が現実味を帯びていると、少なくとも警戒には繋がるだろう。
「だったら、昨日話した作戦は……どうしよう?」
防衛力に不安がある町や村近くの魔物暴走は未然に防ぎ、大きな街は暴走が起こった後で必要に応じて支援するという作戦。それはそもそも帝国に危機感を抱かせることが目的だった。
「そう難しく考えることはないんじゃねぇか?」
「うん?」
「帝国から協力を求められたら協力する。そうじゃなくても防げる犠牲は防ぐ。臨機応変に動けばいい」
「確かに」
全ての魔物暴走をリリたちが防ぐ義務はない。本来ここへやって来たのは、近いうちに起こる瘴魔の大氾濫に対処するためだ。その準備を怠るのは本末転倒である。
「そうだね。出来ることを出来るだけしよう」
自分たちが出来ることを、後悔のないよう精一杯やればいい。帝国に自覚があることを知って、リリは肩の力を抜いたのだった。




