107 ワイバーンの魔石
アルゴとアネッサの探知とリリの索敵マップを駆使して、戦闘を避けながら大きく回り込むようにして階段の近くに着いた。まだ敵の姿は見えないが、壁を擦る音、歩き回る音、ゴロゴロという雷鳴のような音が響いてくる。
「さて、どうするかな……」
「とにかく隙を作って階段を上るのは?」
「ああ、あの巨体じゃ階段は上れないよね」
「だが六体だろ? 隙を作るのも簡単じゃねぇ」
「俺が囮になろう」
「クライブ、それは駄目だよ」
「金色の鷹」が頭を寄せて作戦を立てようとするが、良い案が浮かばない。
『アルゴ、どうしたらいい?』
『雷球か爆発球、レッサーならどちらでも倒せるだろう』
ワイバーン種は火の属性を持ち、火炎を吐くらしい。火属性持ちは火に耐性があるが、リリの爆発球はレッサーワイバーンの耐性なら攻撃が通ると言う。アルゴが言うならその通りだと思うが、こんな場面で試すつもりはない。ここは雷球一択だ。
「みんな、ちょっといい?」
リリが小声で話し掛けると、七人と一体の目が一斉に向けられた。
「雷球っていう魔法を使えるの。それならレッサーワイバーンを倒せると思う」
この時「金色の鷹」の五人は、リリは「一体」のレッサーワイバーンを倒せると解した。一体でも倒せれば隙を突けるかも知れない、と。
シャリーとアリシアーナの二人とアルゴは、レッサーワイバーンを「殲滅する」のだと理解した。さすが姉御、さすがリリ、と思ったとか思わなかったとか。
当のリリは、一発の雷球で六体倒すのは無理だろうと思っていた。翼を含めずに十メートルある巨体。それがうまい具合に一塊に纏まってはいないだろう。こちらに気付けば一直線になって迫って来る可能性はあるが……。
ん? 一直線? だったら、槍みたいに雷を放出すれば一気に貫ける……?
いや、ダメだ。使ったことのない魔法をぶっつけ本番で使うわけにはいかない。発動しない可能性があるし、発動しても思ったような威力にならないかも知れない。ここはやはり雷球を複数でいこう。
リリとアルゴだけで行く、と言っても残りのメンバーは聞き入れなかった。それで、八人と一体は忍び足で階段前に向かう。角を右に曲がって五十メートル行けば階段という場所で一度止まり、リリは索敵マップを注視した。
階段の前に二体。その前の広い通路をウロウロしているのが二体。あと二体は六階層を歩き回っている。二体のワイバーンは広場から動いていない。
「雷球!」
リリは角から出て、階段前の二体に向けて雷球を放った。手前の一体に直撃した直後、無属性のドームで二体を覆う。眩い閃光がドームの中で荒れ狂う。異変に気付いた通路の二体は、そこから離れるような動きを見せた。
「くっ、眩しい……リリ、あれはどれくらい続くんだ!?」
角から身を乗り出して様子を窺っていたジェイクが、自分の目を覆いながら尋ねる。
「えーと、五分くらい、かな?」
「五分!?」
隙を突いて階段を上るつもりだったジェイクたちだが、あの眩しさではまともに目を開けられない。
「後ろから来るわ!」
階段前の通路をウロウロしていた二体と、六階層を歩き回っていた二体がこちらに向かっていた。二体はすぐ先の丁字路から、もう二体はそれぞれ少し離れた角から現れそうだ。索敵マップを見ると、リザード系の魔物もレッサーワイバーンに追われるようにこちらに向かっている。その数は百以上。
「みんな集まって! 電撃領域!」
リリを中心に青白いドームが形成された。いち早く到達したリザードたちは、ドームに触れた瞬間「バシュッ」という音と共に弾き飛ばされる。黒焦げになったそれは数秒ピクピクと痙攣して動かなくなった。
やべ。これだと強過ぎなのか。人に使う前に試せて良かったよ。
ドームの周りにリザードの死骸が積み上がる頃、レッサーワイバーンが到達する。死骸を踏みつぶしながら猛烈な勢いでこちらに迫って来た。この辺りの通路は横幅が八メートルほど、二体並ぶとかなり窮屈そうだ。それでも鋭い鉤爪の付いた前足をドームに振り下ろすが、バチッと弾かれて二体とも仰向けに倒れた。後ろ足と尻尾がピクピクしている。
「やったか!?」
ジェイクが綺麗なフラグを立てた。
「気絶してるだけ! あと二体来るよ!」
後から来た二体は、群れの仲間が仰向けに倒れているのを見て戸惑っているように見えた。しかも倒れた二体が邪魔でこちらに来れない。マップを確認すると、背後の角の向こう側に赤い点は見えない。
「電撃領域を解除するから、みんな角の向こうへ!」
全員が階段へ通じる通路に移動したのを確認し、リリは四体のレッサーワイバーンに雷球を放って自分も角を曲がった。背後から眩い光が迸り、足の裏に振動が伝わる。その頃には階段前の雷球は消えていた。
「おいおいおい……」
階段の前に大きなクレーターがぽっかりと口を開けている。幸い階段自体は数段なくなっただけで無事であった。しかし、階段に手を掛けるための床がない。
「オレに任せろ! 岩杭!」
シャリーが床に手を着き魔法を発動すると、岩で出来た数十の尖った杭が出現する。
「次は私ですわ! 風刃!」
アリシアーナの放った風刃が、絶妙な角度で杭の上部を切り取っていく。それは階段まで続くしっかりとした足場に変わった。
「二人ともでかした! 行くぞ!」
岩の杭で出来た足場を慎重に上って行く。アネッサ、シャリー、アリシアーナ、アルガン、ラーラ、クライブと続く。リリは索敵マップを見た。
「マズい、いつの間に」
「リリ、どうし――」
――UROROROOOONNN!
咆哮が圧力を伴って全身を打つ。階段から真っ直ぐ伸びる広い通路の先。そこに、レッサーワイバーンの二倍はある巨躯が鎮座していた。
黒光りする鱗。金色の眼球に蛇のような赤い光彩。馬を一飲みにしそうな口を開き、そこからチロチロと炎が噴き出している。ワイバーンがブレスを吐く直前だった。
「くそっ!」
ジェイクはリリを庇うように覆い被さった。リリはジェイクの肩越しにワイバーンをしっかりと見据え、右手を伸ばす。
「水球!」
ワイバーンの頭部を直径五メートルの水球が覆う。突然大量の水で顔を覆われたワイバーンは、ブレスを吐こうとしていた口を思わず閉じた。
「からの雷球!」
続けざまに放った雷球は水球に吸い込まれる。リリはすぐに無属性の球でそれを覆った。水球の中で弾けた雷は、水の表面を網の目状に駆け巡る。
「おおぅ……あんな風になるのか。ジェイクおじちゃん、もう大丈夫だよ?」
リリはジェイクの背中をポンポンと優しく叩いた。固く強張っていた背中の筋肉が緊張を解き、ジェイクは恐る恐るリリを離してワイバーンを振り返る。その瞬間、ドォンと首から先を失ったワイバーンの体が横倒しになる。空中には激しく明滅を繰り返す球体がまだ浮かんでいた。
索敵マップを確認すると、もう一体のワイバーンは広場から動く気配がない。そちらとは戦わずに済みそうだ。
「倒した、のか?」
「たまたまだよ、たまたま」
『せっかくだから、奴の魔石を採っていくと良いぞ?』
「アルゴがワイバーンの魔石を採っていこうって」
「そ、そうだな」
階段の上から心配そうに覗き込む六人に「大丈夫だ」と伝え、ジェイクはワイバーンの死骸に近付く。
「いや、これ剣じゃ無理だろ……」
鱗が硬すぎて剣で切り裂けない。するとアルゴが風刃でその胴体を真っ二つにした。
「お、アルゴ。ありがとな」
『フン、構わん』
「アルゴがいいよって」
丁度魔石が露出するように両断されたので、ジェイクは力任せに体内から魔石を取り出した。それはリリの頭よりも大きく、透明度が非常に高い真っ赤な魔石だった。ジェイクは背負い袋から大きな布を取り出して丁寧に包み、袋に入れて背負い直した。
「ふぅ。とっとと帰るか」
「うん!」
皆と同じように足場を慎重に上り階段へ辿り着く。アルゴはひとっ飛びだ。リリとジェイクの無事な姿を見て、上で待っていた六人が一様にほっとした表情を浮かべた。
そこから一行は、最短距離で迷宮の出口を目指した。どんな魔物が出るか分かっているし、道も分かるので帰りは早い。転移魔法陣を使わなくて済んで、リリは心から安堵していた。
迷宮を出ると既に日が暮れかけていた。本来ならそこで野営するべきだが馬が心配だ。リリたち三人が問題なく動けることを確認してから、暗くなった林の中、馬たちを繋いだ場所に急ぐ。
ようやく辿り着いた時には太陽は完全に沈み、星明りの中で野営の準備を始めた。アルガンとリリが馬に水や飼い葉を与えながら首筋を撫でると、馬も嬉しそうに鼻面を擦り付けてくる。
ジェイクとクライブが天幕を張り、女性陣が料理の準備を行う。リリは馬の世話をアルガンに任せ、自分で出した水球で手を洗って料理を始めた。
迷宮の中では、少し立ち止まって干し肉と固いパンを齧り、水を飲む程度の食事しか摂っていない。だからみんな腹ペコだ。
「よし、残りの食材全部使って豪華にしよう!」
リリの宣言に全員が喜びの声を上げた。アルゴも尻尾をブンブン振っているので、風で焚き火が消えそうである。リリがそっとアルゴの尻尾を抑えた。
ボアの干し肉を茹でて戻し、ゆで汁に大きく切った野菜を投入。干し肉も大き目にカットして軽く炙ってから野菜と一緒に煮込む。作り置きのルーを入れて簡単なシチューにする。
下味をつけた鶏むね肉を塊のまま茹でて作って来た鶏ハム。それを厚切りにしてハーブ塩をまぶす。ニンニクを香りが立つまで炒めて一旦取り出し、ハムをフライパンで焼く。両面に焼き目を付けたらニンニクを再投入。
パンは固い黒パンだが、これを一度蒸してからフライパンで焼く。少し柔らかさが戻って香ばしいパンに仕上がった。
「さあ召し上がれ!」
シチューは人数分の深皿に、他は大皿に盛った。アルゴの分は別皿で大盛りにしてある。
「「「「「「「いただきます!」」」」」」」
「わふっ!」
みんながガツガツと美味しそうに食べる姿を見て、リリは幸せな気持ちになった。誰も怪我することなく、こうして一緒にご飯を食べられることが何より嬉しい。
一人ほっこりしていたリリだが、腹が満たされた「金色の鷹」から雷魔法について質問攻めにあった。ジェイク、アルガン、クライブにはどんな魔法を使えてどんな威力なのかを聞かれ、ラーラとアネッサにはどんなイメージをしたら雷になるのか根掘り葉掘り聞かれた。この世界には「電気」や「静電気」の概念がないので、そこから説明するのに骨が折れる。シャリーとアリシアーナも目をキラキラさせながらリリの話に耳を傾けていた。
雷魔法を私以外も使ったら目立たなくなるよね? そう考えたリリは自分の知識と経験をフル動員して伝えた。その結果、ラーラとアネッサ、シャリーとアリシアーナの四人に改めて雷魔法を教えることになった。
質問攻めが終わり、焚き火を囲んで紅茶を飲んでいると、ジェイクがワイバーンの魔石を取り出して全員に見せた。
「ジェイクさん? その冗談みたいにデカいのって、まさか魔石?」
「ああ。俺もこんなの初めて見るが、ワイバーンの魔石だ」
アルガンの問いにジェイクが答える。ワイバーン、とどこかから呟きが漏れ、マジかよ、という声が続く。ラーラとアネッサはうっとりした瞳で魔石を見つめていた。
「これって国宝級じゃ?」
「そんな気がするよな」
普通の魔物から採れる魔石は、せいぜい拳半分くらいの大きさで濁った色をしている。魔物の大きさや強さに応じて大きくなり透明度が上がるらしい。
「リリが倒したからリリのもんだぞ」
「要らない」
リリは速攻で拒否した。国宝級の魔石なんて面倒事の予感しかしない。
「みんなで迷宮に潜ったんだから、みんなのものだよ」
謙虚で殊勝な言葉に聞こえるが、リリは単に一人で面倒事を背負いたくないだけである。
「だがなぁ……」
「これは譲らない。儲けはみんなで分ける。ね?」
ジェイクとしては、本当ならこんな魔石はその辺に捨てたいくらいだった。「金色の鷹」はこのレベルの魔石を持つ魔物を倒せると思われたら、命がいくつあっても足りない。かと言って捨てた魔石を拾った奴が儲けるのは癪に障るし、リリたちに押し付けるのも論外だ。
『二体のワイバーンが殺し合ったと言えば良かろう』
アルゴが助け舟を出してくれた。
「ジェイクおじちゃん。アルゴが、ワイバーンが殺し合ってたって言えって」
「そんなこと……有り得ない話じゃねぇな」
迷宮内で縄張り争いが起こることはある。ワイバーンやレッサーワイバーンがいたことはギルドに報告せざるを得ないし、戦って負けたワイバーンから魔石だけ頂いたという話にすれば余計な勘繰りは避けられそうだ。
「よし、それでいこう。みんなもそれで口裏を合わせてくれ」
翌日、新たに出来た迷宮から帰還した「金色の鷹」は、冒険者ギルドに巨大な魔石を提出した。ギルドは上を下への大騒ぎとなった。ギルドマスターに呼ばれたジェイクは予め用意していた作り話を披露し、ワイバーンの魔石はギルド預かりで鑑定することになった。
後日、鑑定結果に基づいて提示された魔石の買い取り額は二千万スニード。日本円で約二十億円。迷宮に潜った八人で均等に分けるというジェイクの申し出により、一人二百五十万スニード(二億五千万円)がギルドの口座に振り込まれた。
ジェイクがそれをリリに伝え忘れたため、シャリーとアリシアーナが口座の大金に気付くのはずっと後の話である。リリは既に口座のお金を確認するのが怖くて見ないようになっていたので、更に後の話になるのであった。




