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10 犬ですが何か?

 マルデラの西門が見える場所まで来ると、その場所にリリとアネッサ、アルゴを残してアルガン一人が門に向かう。ミリーにリリの無事を知らせ、ギルドで捜索依頼を取り下げる。その後ミリーをリリの所まで送り、直ぐに取って返してジェイクとクライブが居る救護所に向かう予定であった。


 一方アルガンの背中を見送ったリリは、アネッサとアルゴと共に街道の端に腰を下ろしていた。アルゴがしきりにリリの匂いを嗅いでいる。今更ながらリリは自分が大変な事をやらかしたのだと思い至った。母は物凄く怒っているに違いない。もしかしたらぶたれるかも。ダドリーが死んで悲しいのは自分だけではない。昨日はそんな当たり前の事にも気付かなかった。どんな顔をして母に会えば良いのだろう? 母は許してくれるだろうか?


 そんな風に悶々としていると、西門から男女が走って来た。ミリーとアルガンだ。アルガンは直ぐに町へ引き返していった。リリは立ち上がったが、母の顔を見ることが出来ない。


「お母さん……ごめんなさ――」

「リリ! ああリリ……無事で良かった!」


 ミリーは娘の姿を見た途端、地面に膝を突いて涙を流しながらリリを抱きしめた。


「リリ、ごめんね……お母さんを許して!」

「なんでお母さんが謝るの……私の方こそ心配掛けてごめんなさい」


 ミリーは激しく後悔していた。ダドリーの死があまりにも衝撃的で、リリへの伝え方を全く配慮していなかった。時間を掛けて、自分の気持ちが少しでも落ち着いてから娘に伝えるべきだった。もっと言い方を考えて、娘のショックが少しでも和らぐように伝えなければならなかった。その上、出て行くリリを追い掛ける事もしなかった。


 ダドリーを失った悲しみの大きさは、きっと娘も同じかそれ以上だったに違いない。自分はリリを守るべき立場なのに、悲しみに呆然として娘を危険に晒したのだ。

 もしリリまで失ったら……そんな事には耐えられそうになかった。リリは二度と帰って来ないかも知れない、そう考えたら気が狂いそうだった。


 リリは自分の支えだし、リリの事も自分が支えなければならない。家族として支え合っていかなければならないのだ。


 リリを抱きしめながら泣きじゃくる母に身を任せ、リリも顔をくしゃくしゃにして泣いた。母娘の様子を見てアネッサも涙を流す。


 一頻り泣いてすっきりした後、ミリーが当然の疑問を口にした。


「リリ。この大きな狼は何なの?」

「…………アルゴっていうの。おっきなわんちゃんだよ」

「わふっ!」

「わんちゃん……?」


 リリ、渾身の策である。マルデラの町でも、犬を飼っている人はそれなりに居る。狼だから怖がられるのであって、犬なら皆見慣れている筈だ。馬のように大きな犬は誰も見た事がないだろうが、少々育ち過ぎた犬が居てもおかしくないではないか。


「森で会って、私を守ってくれたの。きっとお父さんの代わりだと思うんだ」


 ミリーはその言葉を聞いて全てを察した。


「そう……娘を守ってくれてありがとう、アルゴ。これだけ大きければ泥棒も絶対うちには入らないわね」

「でしょでしょ!? すっごく頼りになるんだよ!」

「そうね。うちの()()として、リリのお友達として、これからよろしくね、アルゴ」

「わふぅ!」


 二人と一頭の会話を聞きながら、アネッサは(犬で通す気なんだ……)と思った。


「お母さん、ミルケは?」

「ああ、ここへ来る途中にジェイクとクライブに預けてきたの」

「そっかぁ。じゃあ迎えに行こう?」

「そうね、行きましょうか」


 アネッサは思った。犬と言い張れば門を通れるのだろうか、と。やがて西門に着くと、及び腰の門兵から尋ねられる。


「や、やあリリ。無事で良かった。ところでそのでかい狼は――」

「犬よ。うちで飼う事にしたの」

「い、犬? いや、どう見ても――」

「犬だよ? ほら見て」


 リリがアルゴに「おすわり!」と言えば、アルゴは「わふ!」と鳴きながらきちんとお座りした。座っても大人の身長くらいあるが。


「ね?」

「いやいやいやいや」

「アルゴ、伏せ!」

「わぅ」


 すかさずリリがアルゴに指示を出し、アルゴはちゃんと伏せをする。


「ほら、どこからどう見ても賢い『犬』じゃない」

「え? いや……え?」


 ミリーから強く言われると、だんだん犬に見えてきた……ような気がする門兵。


「撫でてごらんなさいな」

「いや、それは」


 尻込みする門兵に向かって、アルゴが「きゅ~ん」と鳴く。それでも撫でようとしないので、自ら門兵の足に頭を擦り付けた。「ひぃ」と小さな悲鳴を漏らした門兵だが、覚悟を決めたように首の辺りを撫で始める。


「うわぁ……ふわっふわだぁ……あったけぇ……」


 門兵が陥落した。勿論、これらはアルゴの演技である。フェンリル(神獣)であるアルゴの知能は人間を凌駕し人語も理解する。マルデラの町くらいなら滅ぼすのに二分と掛からない戦闘力を持つ。本来誇り高いフェンリルが人間に従順な訳がない。そんな素振りをする必要もないのである。

 だが主たる神の命により、アルゴは一人の少女の命ある限り、その少女を仮の主と定めた。少女を探すのに八年も掛かってしまったが、ひと目見てアルゴはその少女を気に入った。悲しみに打ちひしがれ、途方に暮れて森を彷徨う少女は神が言った通り途方もない素質を内に秘めていた。今はまだ本人も気付いていないが、やがてこの世界を照らす光に成り得る。アルゴにとってリリと共にある為なら、自分の誇りなど些末な物だった。犬と言われれば犬のふりを全力でするくらいに。


「うん、見た事がないくらいデカいが、犬……かな?」


 かくして、アルガンがジェイクとクライブと一緒にアルゴを町へ入れる為に頭を悩ませている間に、ミリーとリリ、そしてアルゴの見事な演技によって、巨大な「犬」はマルデラの町に迎え入れられたのであった。





 救護所に向かうリリ一行を見て、彼女の無事を知った町の人々はほっとするが、一緒に居る巨大な狼を見て一様にぎょっとした。


(大丈夫、みんな見慣れてないだけ、見慣れたら大丈夫……)


 リリは心の中で念仏のように唱えていた。みんな早く見慣れてくれ、と。そして救護所に到着し、アルゴには外で待っていてもらう。救護所の入り口の横に伏せ、目を閉じてリリが戻るのを待つ。その付近を通る住民はアルゴに気付くと驚き、態々大回りして救護所を避けた。


「リリ……無事で良かった」

「ああ、本当に」


 ベッドの上で半身を起こしたジェイクとクライブがリリの無事を喜んだ。クライブに抱かれて眠っていたミルケは、もうミリーの腕の中だ。


「リリ、アルゴはどうしたんだい?」

「ん? 外にいるよ?」

「……西門の外?」

「ううん、ここの、救護所の外」

「「「はぁっ!?」」」


 どうやって巨大な狼を町に入れたのか? その問いにはミリーが答えた。ちょっと大きな()一頭で騒ぎ過ぎよ、と。


「い、犬って……ミリーさん、それはあまりにも無理があるんじゃ」


 アルガンの指摘には、ミリーの射殺すような鋭い視線が返ってくる。アルガンはそれ以上何も言わなかった。


「俺達の方で、後々問題にならねぇ方法を考えとく。ミリー、リリ、それで良いな?」

「うん」

「お願いするわ」


 ジェイクとクライブも大怪我を負ったが、起き上がれるまでに回復しているようでリリも安心した。この世界の治癒魔法すごい、と素直に感心した。二人に心配を掛けた事を詫び、無理せず養生するように伝えて家に帰る。

 救護所の入り口に寝そべっていたアルゴは、リリの気配に体を起こしてゆらゆらと尻尾を揺らす。リリを認めると尻尾を振る速度が上がった。


「アルゴ、おうちに案内するね」

「わふっ!」


 「鷹の嘴亭」までの道中、アルゴを見て道の端に身を寄せる人、多数。なるべくアルゴと目を合わせないようにしている人々を見て、とても居た堪れない気持ちになるリリである。


「ここがおうちだけど……アルゴ、入れる?」


 二階へと続く扉は、そもそも馬サイズの何かが通るようには作られていない。アルゴは扉とリリを交互に見て、ふぅ、と動物らしからぬ溜息を洩らした。そして全身を小刻みに震わせると、その姿が二回り程小さくなった。小型の馬程度である。


「ア、アルゴ!? ちっちゃくなれるの!?」

「…………アルゴ、町の中ではその姿でいてもらえる?」


 もう犬でない事は誰の目にも明らかだ。狼ですらない。ミリーは軽い戦慄を覚えた。体の大きさを変えられる魔物なんて見た事も聞いた事もない。普通の魔物ではない事がはっきりしてしまった。


「アルゴ、すごいね!」

「わふぅ!」


 ミリーの懸念をよそに、リリはキラキラした笑顔でアルゴを称賛し、アルゴの方はリリに褒められて大層嬉しそうである。そんな様子を見て、ミリーは気にしない事に決めた。大きさが変わっても害はないし、むしろ威圧感が多少薄まるというもの。それでも犬としては規格外の大きさではあるが。何にせよ、リリが喜んでいるのだ。ミリーにとって、今はそれ以上に大切な事などなかった。


 二回り小さくなったアルゴは、ぎりぎりで階段を通れた。壁や踏板がぎしぎしと悲鳴を上げていたので、そのうち補強の必要があるかも知れない。二階の居住部分はアルゴにとっては狭いだろうが、それでも窮屈という程ではない。きょろきょろと部屋の中を見回し、あちこちの匂いを嗅いだ後、階段の踊り場付近に体を落ち着けた。


 アルゴが問題なさそうなので、リリは父の最後について母に伝えようと話を始めた。


「あの、瘴魔鬼っていう奴? あれにお父さんが取り込まれてたの」

「……何てこと」


 あの男が家に侵入した夜、リリには瘴魔の頭部に白い球がぼんやりと見えた事、それを撃ち抜くと瘴魔が消えた事から説明する。そして、意識が完全に無くなってしまう前に、取り込まれた自分ごと瘴魔鬼を倒して欲しいと父から頼まれた事。


 母に話しながら、リリは泣いていた。そんな事はしたくなかった、だけどするしかなかった。お母さん、ごめんなさい。私がお父さんを殺したの。


 震えながら泣いているリリを抱きしめて、ミリーははっきりと告げる。


「リリが殺したんじゃない。悪いのは瘴魔鬼なの。あなたは何も悪い事をしていないわ。あなたはお父さんの願いを叶えたのよ。本当に偉かったね。お母さんはリリを誇りに思うわ」


 母と娘は抱き合い、涙を流す。リリは自分の罪悪感を吐き出し、ミリーはリリがダドリーを救ったのだと説いた。その二人の様子を静かに見聞きしていたアルゴは全てを理解した上で、リリの悲しみを癒し、守って行こうと決意を新たにするのだった。

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