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第二十二章 阿修羅の章6 勝ち取った出会い

 私とシッダールタはしばらく黙ったまま、物見岩から遠くで瞬く光を見つめていた。私は彼にどう声をかけるか思案した。聞くともなく聞いてしまったシッダールタとナダとの会話。おまえは今、ここに辿り着いてどう思っているのだ?


「シッダールタ」


 私は思い切って声を出した。こうして話ができるのも、最後かもしれない。そんな胸騒ぎに背中を押された。


「どうした。緊張しているのか? まさかな」


 奴は私の声がやや上ずっていたのに気が付いたのか、そう返してきた。


「いや、そうじゃない。教えて欲しい。おまえは私と出会ったことを後悔しているのか?」

「は?」


 私の問いに、シッダールタはあからさまに怪訝な顔をした。そしてまじまじと私の顔を見る。


「何を言い出すかと思ったら。ああ、わかった。おまえ、さっき私がナダと話していたの聞いていたな」


 私は頬が熱くなるのを感じた。別に盗み聞きしたわけではない。だが、なぜかそう指摘されると恥ずかしく感じた。ダイバダとの決戦を間近に控えて、こんな愚問もないものだ。


「後悔など、あろうはずがない。もしあるとしたら、おまえが城を出て行った後、すぐに追わなかったことぐらいかな」

「だが……」


 私が何か言おうとするのをシッダールタは唇に人差し指を押し当てて制した。


「ナダに言ったのは嘘じゃない。私はおまえを失いたくない。今でもそれは同じだ。だが、もし、もしおまえと出会わなかったなら、そう思うと私は恐ろしくなる」

「恐ろしくなる?」


 シッダールタはゆっくりと頷く。月明かりに映る彼の深い藍色の瞳は、私の瞳を捉えて離さない。私は引き込まれるようにその瞳をじっと見つめた。


「これほど満ち足り、これほど幸せな時を私は今、生きている。おまえと出会ったからこそ得たものだ。それを知らずにいる自分を私はもう想像できない。おまえのいない人生など、私には無いも同然だ。私は運命など信じないし、そんなものに縛られたくはない。だが、おまえと出会うのが運命だと言うのなら、私は喜んでその運命を受け入れるよ。ただ、私はおまえとの出会いは自分で勝ち取ったと信じている。あの日、法ではなく剣を取ったことで」


 法ではなく……、剣を取った。私は遠く砂漠の地で、おまえが挙兵し、戦に打って出たと聞いたのだ。あの時の血の騒ぎを私は信じて砂漠を出た。


「私も同じだ。私も自分の中の声を信じて、カピラに向かった」


 おまえと初めて出会った時の衝撃を今でもはっきりと思い出せる。おまえの語る野望もおまえの囁く愛の言葉も、私は戸惑いながらも信じてきた。カピラを後にした時ですら、心のどこかでおまえが追ってくるのを待っていた。


「阿修羅、私はおまえと共にいるためならば、何度でも戦う。相手が何者であろうとも。それが私の願いの全てだ。だから、何も心配するな」


 砂漠の夜は冷える。昼間の熱風が嘘のように、冷たい風が体から熱を奪っていく。だが、今の私はその風が心地よかった。それほどに体が熱く火照り、まるで火の衣を纏っているかのようだった。


 そうだな。シッダールタ。私もそうでありたいと思っている。何があっても、誰が邪魔しようとも、突き破って己の心を貫きたいと。


 だからこそ、私はおまえを守りたい。私はおまえを傷つけようとするものを決して許さない。そうだ、相手が何者であろうとも。私は地獄の王とでも戦える。


 私はおまえと共にありたい。たとえ、どんな形であっても。




 夜明けが近い。冷えた空気が砂原に幻想的な靄を運ぶ。その先に見えていた小さな灯りも今はもう消されている。私達は物見岩でその時を、息を潜めて待っていた。


「大丈夫だ。作戦通りやれば問題はない」


 緊張の面持ちで時を待つ、リュージュに声をかける。準備した弓矢と盾、その他もろもろの物を持ち、彼らは先に『砂の沼』に行き陣を張る。一応解毒剤なるものも用意している。コーサンビ村を去るときに、ヤーセナがナダ達に持たせてくれたものだ。同じ青い花の成分を利用して開発中のもので、口から毒を摂取したときにいくらか有効だという。つまり、傷口から入る矢からの毒には効き目がない。気休めだ。


「いいか、色の変わった砂に注意しろ。広大なうえにどこに穴があるかわからない。運が悪ければ抜けられない」


「わかった。おまえも気を付けろよ」


 いつもの軽口も鳴りを潜め、早口でそう言うと、ナダ達と共に物見岩を出立した。彼らと私達二人、合わせて七名がこちらの戦力だ。人数的には問題ないが、戦力としてはどうだろう。


「阿修羅、そろそろ我らも行こう。夜が明ける」


 シッダールタの声に促され、私は馬に足を掛ける。山あいの村で育ったからか、この馬は暑さに弱そうだ。だが、今日の大一番はこいつで凌ぐしかない。「頼んだぞ」と私は小声で呼びかけた。


「ん……?」


 私は空を見上げた。まだ陽が昇る前と言うのに、頭上には突き抜けるような青空。今日も砂漠は暑くなりそうだ。だが……。


 ――西の空が光った……? これも、シッダールタの力なのか?


「よし、行くぞ! 阿修羅? 何を見ている」


 前掛け型の鎧を身に着けたシッダールタが私に合図を送る。毒矢対策で出来るだけ肌を露出したくないが、暑さもある。薄い長袖のかたびらの上に、各々鎧と肩当て、籠手などを取り付けた。


「いや、何でもない。急ごう。奴らも動き出すだろう」


 私達は馬を駆り、昨夜ダイバダ達が夜営をしていた辺りに近づいていく。だんだんと連中の姿が輪郭を伴いはっきりと見えてくる。何人くらいいるだろう。ダイバダの凶行を免れることのできた奴ら。狂信していると思わなければなるまい。


 小さな水場には人は住んでいない。枯れない井戸を囲む小屋とその周りに若干の緑があるだけだ。砂漠の海の真ん中にある小さな岩場といった具合。それでも砂漠で生活する者にはなくてはならない場所だ。

 視線の先に動きがあった。突然起こった蹄の音に、人影が騒がしく動く様子が見て取れる。


「シッダールタ! これ以上は行くな!」


 近づきすぎるのは危険だ。私は馬を止める。シッダールタも馬の手綱を引いた。


 風が全くない夜明け。東から焼けるような太陽の光が照り付けてくる。その光にさらされた男たちが、武具を付けるのももどかしく馬に駆け寄っていた。十分な距離は取れている。こちらを指さす男、あれはダイバダか? 我々を標的と認識したな。


「今だ!」


 連中が手綱を引いたのを見計らうと、私たちは太陽に向かって走る。シッダールタの馬は我楽が見繕ってくれたのだろう。砂漠慣れして強い、いい馬だ。私は少し安心する。


「シッダールター! 逃げるなぁ!」


 背中からダイバダの怒号が追いかけてくる。振り向くと思った通り相当数の矢を携えていた。人数はざっと見て十数名。想像していたよりも多いな。


 遠目から見たダイバダは、玉座から逃げてきたにしては王族に相応しい鎧に肩当てを纏い、腰には立派な剣を帯同しているようだ。やはり、計画的に脱出を図ったのだなと思う。


 値踏みを終えた私は前を向き直すと、シッダールタとともに全速力で砂漠の砂を蹴散らし駆け抜けていく。ダイバダ達も必死の形相で追って来た。

 砂漠には砂と熱以外何もない。変わらぬ景色の中、自分の位置を見失ってしまうことは珍しくない。


「まだ遠いのか?!」


 シッダールタが風を切りながら叫ぶ。だが私は見失うことはない。砂の形は日々違うから、頼りになるのは季節とともに移り替わる太陽の位置だけだ。それを覚えていれば迷わない。


「あと少しだ! 気を抜くな。追い付かれたら矢が飛んでくる!」


 後を追うダイバダ達の騎馬は、なかなか私たちに追いつけない。だが、隠れようのない砂漠だからこそ、奴らは着実に追うことができる。


「いいか! 矢はまだ良い。無駄に射るな! 大丈夫だ。必ず追い付く」


 ダイバダが部下たちに叱咤する声が聞こえる。奴の執念深い性格は、我々の作戦にはうってつけのようだった。




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