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第十章 阿修羅の章2 高揚

 

 カピラ国につくとすぐ、兵士の募集をしていたある村に入った。途中、話には聞いていたが、身分、素性にこだわらず選抜試験を受けられるとは驚いた。あれほどがんじがらめになっているカースト制度を真っ向反発するとは只者ではない。

 指定の場所に白龍を繋げふと見上げると、北に天の山々が見えた。私は震えた。この感覚。そうだ、私が幼い時いつも見ていた景色だ。苦しい時も悲しい時も天の山は変わらずそこにあった。時には心を癒してくれ、時には私を拒絶した。


 やはり、私はカピラにいたのか?


「おい、まさかおまえが兵士になるってんじゃないだろうな」


 感傷にふけている私に声をかける男がいた。どうにもシケた面のしょぼくれた野郎だ。無視して歩くと手を掴もうとする。私はハエを追うように払った。なんか言っているが、面倒だ。私は軽く相手をしてやった。

 すると、このチンケな奴の仲間なのか、何人かが一斉に襲ってきた。全く、何だというのだ。私は仕方なく奴ら全員を叩きのめした。汗もかかない。準備運動にすらならんわ。


「口ほどにもないな」


 私が汚れた手をパタパタとはたいていたら、立派な鎧を付けた大男がやってきた。見上げると、筋骨隆々な肉体は誇らしげに強さを主張し、面構えもいい。


「なかなかの腕前だな。体にも似合わず」


 その男はナダ第一団隊長というやつだった。後で知ったのは、カピラ軍、五つの師団の中で最強最速の隊。ナダはその隊長であり、軍の上級幹部だった。


「決めた! おまえは俺の隊に来い」


 いきなりの提案に私は少なからずおどろいた。

 だが、確かにこいつは私の品定めをする目にも全く動じていなかった。こちらの殺気も受け流す。恐らく人の生き死にが日常化しているのだろう。私はこの男の所なら存分に力を出せるのではと思った。後はこいつが何をしているかだ。


「条件によっては考えてやってもいいがな。おまえの隊の仕事は?」


 私の威丈高(いたけだか)な問いにも余裕でかわし、男はにやりと笑った。

 

「俺は人の後ろに付くのが嫌いでな。先鋒隊を指揮している。おまえにはその最前線の場所をやろう」

 

 私は即答した。


「いいだろう。願ったりだ」





 思わぬことで私は入隊することができた。しかも自分を最も出せるところに。カピラ軍はその頃はまだ国境付近に侵略してくるコーサラやマガダの兵士と小競り合いをするぐらいだった。それでも、戦そのものを長い間避けてきた国だ。まずは小さな戦から勝利を重ねて自信を付けさせないといけない。


 私はナダ一隊長から千人の兵をもらった。彼らと共に勝利を重ねていく。最初は女みたいなチビの命令など聞けるかといった態度だったが、私の実力を見て何も言わなくなった。私は敢えて前線に出て、敵を粉砕した。正直コーサラもマガダもここに出てくるようなのは私の敵ではなかった。無傷で戦勝を積み重ねていくうちに兵士は私を信頼し、命令にも忠実になった。そんな時だ、もう一人の第一団隊の将と城を落とせと言われた。リュージュという男だ。

 

 私はこの男のことを知ってはいた。なかなか有能な戦士のようだし、二枚目でそっちの噂も耳にしていた。時々駐屯地で私を見ているのにも気が付いていた。


 国境にあるコーサラの城を落とすため、私は夜に紛れて急襲をかけることを提案した。その作戦にリュージュも参加するという。お手並み拝見だ。私は少し楽しみだった。


「リュージュだ。よろしく頼む」


 作戦実行の数刻前、リュージュは私のところにやってきた。長い黒髪を後ろでに束ね、肌は少し浅黒いが、彫の深い整った綺麗な顔をしていた。背も高いしナダのような大男ではないが、引き締まった筋肉が美しい。


 ふうん、と思った。なかなかやりそうだな。と。だが、どういうわけか知らないが、私の目を見てすぐに逸らした。私は少し挑発してやった。


「阿修羅だ。ナダからやると聞いている。失望はさせないで欲しいな」


 奴は私の顔を見直した。少しむっとしているかな。ふふ。単純な奴だな。益々楽しみな夜となった。


 だが、こいつは思った以上に仕事の出来る奴だった。精鋭十名ほどで闇に紛れて城へ入ったが、リュージュが最も役に立った。技量も度胸も予想よりもはるかに上だった。二人で正門を開けたと言っても過言ではない。


 夜が明けナダ達が雪崩のように城へ入った時には、私達は目で意思疎通ができるほどになっていた。私は自分の血がざわざわと音を立てて流れ出すのを聞いた。顔が熱で火照る。戦うことがこれほど楽しいと思ったことはない。


「さあ! コ-サラの兵どもよ、直ちに武器を捨てよ! 我が旗に下れ! 勝負は既に決した!」


 この城の城主の首を一騎打ちの末に刎ねた時、体中の血が沸き立った。私を非力と決めつけて、力任せにくる将の何と多い事か。その力を軽くいなし、そして利用して剣を振う。将の首は弧を描いて跳ね飛ぶ。ほとばしる血飛沫が綺麗な放物線を残す。


 何という高揚感! この場所こそ自分に相応しい場所だ。私はそう確信したのだ。





 興奮の一日を過ごした私は、翌日、奪い取った城の一室で惰眠を貪っていた。このところ戦続きでさすがに眠気が酷かった。


「おい! 阿修羅、起きろ!」


 ふいに私の体を揺する者がいる。いい気持ちで寝ていたというのに、私が嫌々まぶたを上げるとそこには彫りの深い、なかなかの二枚目(イケメン)の顔があった。


「よお、色男。なんだ、敵でも攻めてきたのか?」

「寝言言ってんじゃない。急いでこれを着ろ!」

「これ? 何だこれは、随分仰々しい衣だな」


 私を起こしにきたのはリュージュだった。近頃こいつとつるんでいることが多い。話も合うし、鍛錬にも滅多にいない使い手なのでちょうどいい。


「シッダールタ王子がもうすぐここに来られる。おまえに会いにだ」

「なに? シッダールタが!?」


 シッダールタが私に会いに来た? これほどに早く? いずれは会える機会もあろうかと思っていたが、こんなに早くその日が来るとは思ってもみなかった。私は突然のことに心臓が跳ねあがり、同時に体が熱くなった。あいつに会う。あの男に。どんな奴なんだろう。私はあの男に会うために砂漠を捨ててきたのだ。


 私は逸る気持ちにせかされ、渡された衣装を横目で見ながら上着を脱いだ。リュージュがいるというのに、なんの警戒もせず。一応胸を隠す帯は巻いていたのだが、目ざといあいつに指摘された。

 だが、私はそれどころでない。気もそぞろだ。思い付きで言い訳してみたが、うまく誤魔化せただろうか。


「ほお、さすがに美形の阿修羅だな」


 何を言ってるんだ、こいつは。まあいい、誤魔化せたようだ。


「何を馬鹿なことを」


 冷静なフリをして返し、私は廊下を出た。ゆっくりと歩いているつもりが自然と足が前へと進む。あいつの背の高さはどのくらいだ? 鍛えているのか? 髪の長さは? そんなバカげたことが私の脳を席捲する。ついにあいつに会える。母さん、この出会いは何かを変えるのか?





「ああ、顔を見せよ。軍神と称されるお前の顔を見にここまで来たのだ」

「光栄です」


 謁見の時。私は王子の御前にいた。心臓が(あお)って痛い。顔が上気して熱く火照る。

 それまで彼の気配を感じながらも、なかなか顔を上げることができなかった。だが、王子にそう請われ、私はゆっくりと声の方へと目を向けた。


 時が止まったような感覚。見上げた視線の先に、その男がいた。

 

 私は、いや、正確に言うと私たちはお互いの目を離せなかった。奴の濃い藍色の目の中には宇宙があった。広く、深く、私はその中へ誘われるように落ちていく。奴の揺蕩(たゆた)う豊かな黒髪に私は体ごと絡めとられていった。


「これは、驚いたな」


 奴の声がした。時が再び動く。私も自身に凍り付いたような体の縛りを解いた。久しぶりに息をしたようにふうっと吐く。王子は私に様々な質問をしてきた。歳は同い年。これは知っていた。


「おまえの凄まじいと言われる剣技は、誰かに師事をしたのか?」

「それは……。盗賊の我楽というものに。私はその者に命を救われ、生きる術を教わりました」


 私の答えに案の定、外野がざわついた。だが、奴は同調するどころか人払いを命じた。シッダールタは私と二人で話をしたいと言う。願ってもない申し出だ。私も確かめたい。この胸の高まりの意味するものは何かを。


 


 王子と二人きりの会談は、堅苦しく始まったものの、最後はお互いの望みを(さら)け出すこととなった。私が最も驚いたのは、彼の野望が私の抱いていた(くすぶ)りを綺麗さっぱり洗い流してくれたことだ。私もそのように生きたいと願っていたのだと、改めて知ることができた。


 私はこの直後、第一団隊から王子が隊長を務める第五団隊へ異動を命じられる。そこで副隊長を務めることとなったのだ。これは異例の昇進だ。私は実力で兵士たちの不満を一掃しなければならない。だが、心配はしていなかった。今は戦時だ。そんな機会は掃いて捨てるほどある。ナダの隊を離れることには、一抹の寂しさを感じてはいた。


 だが、それ以上に私は奮い立っている。私はあの会談の日、誓ったのだ。シッダールタに。


『私が真の聖王となるにはおまえの力が必要だ。私とともにこの天下、駆け抜けてみないか? 短い命の中でどこまでやれるか試してみようではないか。我等が思うまま生きてみようではないか』


 王子の言葉に、私は即答した。


『王子、私でお役に立てるなら』


 私の身体中の血が沸き上がった。全身に鳥肌が立つほど。あの瞬間を思い起こすだけで高揚してくる。この身を賭けて大地を走り抜けよう。どんな伝説の英雄も成し遂げなかった、この地の全てを平らげてくれよう。西も東も天の山の向こうも。おまえとなら出来る。きっと。


 あの時感じた胸の高まりは、今も強く私の体を満たし続けている。





 私達は手始めにコーサラを落とした。この国の王は最低な奴だった。国政も乱れっぱなしで軍も民も疲弊していた。挙句に最低の策、籠城を取った。


 私たちは、既にコーサラ王の頼みの綱、城下町を抑えていた。城にとって、城下町は貯蔵庫。籠城するに城下町を失っていては、戦うことは不可能、敗北は決まったも同然だ。そのうえでの籠城の判断は、自らの保身のみを考えた愚策。

 私は無駄な死人が出るのを嫌って、籠城の中へ踏み込むことにした。少ない人数でも十分に勝算ありと踏んだ。城の外では、籠城で空腹のコーサラ兵に打撃を与えるよう、シッダールタに焼肉の宴を催してもらった。


 案の定、なかは地獄だった。肉の焼ける匂いに目を血ばらした兵たちが、私達の姿を見て競って投降した。

 そして、玉座の間で目にしたのは、側近どもに討ち取られた王の首だった。奴らも自らの命欲しさに無能な王を殺したようだ。


「ふん。何と不義理な臣を持ったことだ。だが、それも王としての器がなかったと、そういうことだな」


 私は床に頭を擦り付けるように土下座をする側近たちを見下ろした。目にするのも汚らわしい。


「この者達を武器、防具全て取り払い城外へ放り出せ!もう、武将でも何でもない。その身を恥じ、生き永らえるがよい!」


 これを以って、マガダと並ぶ強国のコーサラは滅びた。あのような王の元で生きるのなら、カピラ国に属した方が民にとっては良いだろう。投降した兵に能力の高い奴がいるだろうか。私は久しぶりにいい気分だった。ところが……。



「おまえも城に入れ。部屋も用意しよう」


 シッダールタのその一言が、私を憂鬱にさせた。この地は雨季に入る。長い間乾季しかない砂漠にいた私にとって、それだけでも嫌な季節だった。肌は何もしなくてもじとじとしているし、髪の毛もまとまりにくい。気分も落ちてくる。こんな季節に戦をしないのがこの土地の常識らしい。王子はコーサラに駐屯する部隊を除いて、兵の帰還を決めた。


 カピラヴァストゥへの道すがら、シッダールタは私にも城へ入れと誘った。だが、私はそれを受け入れることはできなかった。なぜなら、私はまだ知らなかった。幼いころ私がなぜ殺されなければならなかったか。母はそれがわかるまで戻るなと言った。


 そうだ。私はカピラヴァストゥにいたのだ。砂漠を出て、最初にカピラの田舎町を訪れた時、それはわかっていたのだ。北に天の山をいただくこの地を、私は忘れるはずもなかった。哀れな親子を時にはあざ笑うように、時には慈しむように天を突く山々は私達を見下ろしていた。


「いや、私は城には行かない。カピラヴァストゥに行くのも今はやめておこう」


 都まで数日と迫った時、私は迫られてこう答えた。するとシッダールタは愚かにも自分も城に戻らないと言い出した。ルンピニーにある宮殿に私と共にいると。


「実は私も城に入りたくないのだ。父上が妃を(めと)れとうるさいのでな」


 何気なく語られた一言だった。だが、その一言に私は強く反応した。私の、この胸の中にある大切なものが。

 シッダールタは私が女だと知らない。時々私の体に触れてみたり、おかしな行動をするのだが、私はその都度烈火のごとく怒ってみせた。あいつの冗談にそんなに怒ることもないのだろうが、怖かった。触れられるのが怖かったのだ。


『妃を娶る』。私の胸を突いたこの一言は、シッダールタが触れた指と同じ種類のものだった。


「そうか、妃を持つ歳だものな」

 

 私は動揺を悟られないよう、からかう様に言った。


「冗談じゃない。父君の薦める相手など、みな貴族の世間知らずな娘ばかりだ」

「いいではないか。女など世間知らずの方が」

「本気で言ってるのか?」


 シッダールタはむっとしている。私の口はどうしてこうも思ってもいないことを、水が流れるように滑らかに動くのだろう。あいつが貴族の娘との婚姻を嫌がっていたことなど、知っていたのに。だが、私に何ができるというのだ。シッダールタはカピラの、いや、直に大国となるこの地の王となる男だ。貴族の娘を妃にするのは当たり前だろう。


 それなのに……。あいつは私の戸惑いを知りもせずに、こんなことを言う。


「私は妃など娶らん。思うままに生きる。私は……、おまえさえいればいい」


 そんな言葉を吐くおまえに、私は一体どう答えたらいいのだ? やっぱりおまえは苦労知らずのおぼっちゃまだな。それにしても、どうしてこんなに胸が苦しいのだ! 空気があるはずなのに肺に入ってこないのだ。うまく呼吸ができない。それを何事もないように涼しい顔をしている私の身にもなれ!


 私は苛立ちを押し付けるように、自分の生い立ちを話した。カピラで旅芸人の一座に寄生して生きていた、あの日々のことを。あいつはほとんど言葉を口にしなく、じっと聞いていた。私の泥にまみれた幼少の頃のことを。そして、カピラ軍に追われて砂漠へ向かった逃走の日々のことを。

 あいつはさすがに衝撃を受けた顔をしていたが……。本当のところどう思ったのだろうか。


 結局、私達はカピラヴァストゥには戻らなった。シッダールダの提案どおり、ルンピニーの宮殿に滞在することになった。この小さな、だが美しい庭園をもつ宮殿で少ない従者とおまえと私で……。私はなぜ、それを受け入れたのか。あらぬ疑念を持たれるのはわかっていたのに。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 阿修羅の章が始まりましたね。 ナダとの出会いやリュージュとのやりとり、それからシッダールタとの会話の裏で、阿修羅はこんなことを思っていたのですね。 阿修羅が城に戻らなかった理由には、こう…
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