第84話 スキンシップ
翌日。エステルの兄を連れて俺とエステルはトリア村から帰還した。
村の人々には急にいなくなって心配をかけないように村長に断っておいたのだが、瞬間移動すると言ったら非常に驚かれた。
珍しいのは予想していたが、人体を転移できる魔法を使える者は上級治癒魔法を使える者より稀有で、しかも自分以外も転移できるというのは聞いたことがないという。書類程度ならば国中の町村に設置された魔法陣によって転送できるのだが。
なので、村長にはこのことは黙っておいて貰うことにした。
昨晩のうちに自分だけは一度リヴィオの屋敷に戻って事の次第を報告しておいたので、ラファエルたちはいなくなっていた。大会の間はコンスタンティアのシュタインバレイ家の屋敷に滞在するそうだ。
エステルは旅に出る前に兄と住んでいた貸家を引き払ってしまっていた為、菜結とともにリヴィオの家に住むことになった。
リヴィオは兄のエルトゥーリにも自分の家に住むよう勧めたのだが、エルトゥーリは昨今の国内外の不穏な動きを受け、この国の幼い姫君のことが気掛かりだと断った。彼はなるべく姫の近くにいられるよう、近衛兵宿舎にお世話になるという。
そうして俺たちに礼を言うと、エルトゥーリは去っていった。
エステルは兄とともに暮らせずにさぞ残念だろうと思いきや、それ程でもないらしい。
「生きていてくれれば、また会えるから。わたしたちの寿命は長いしね」
なんとなく、ずっと一緒に居たいってイメージがあったのだけど、そうではないんだな。
その後、菜結とルーシアとフリアデリケは夕飯の買い物に出かけ、俺とリヴィオとエステルは居間で寛いでいる。
そう思ったのだが、リヴィオだけは表情が曇っているように見えた。
「……なぁ、リヴィオ」
「ん……?」
「なんか今日、元気なくないか?」
「……ふふ、そう見えるか……?」
話を聞いてみると、彼女は菜結の可愛さに甚く心酔したそうで、一緒にお風呂に入りたかったのだが、小さい子のお世話が出来るか心配されたルーシアによって制止されてしまったそうだ。その挙句、フリアデリケを小さい子のお世話が出来るようになるようにと呼んで、3人でお風呂に入ったということだった。
「それで元気ないのか……。あの風呂、大人3人じゃ狭いからなぁ……」
「だが、フリアデリケに教えるのは今度でもよかったじゃないかっ」
「でもルーシアさんは闘技大会に出なきゃだし、不測の事態に備えてもうひとりのメイドに早く教えておきたかったんだろう」
「ううぅ……。本当にそうだろうか……」
若干、涙目になるリヴィオ。
「他に何かあるのか?」
「昨日はそれだけではなかったのだ……。一緒に寝ることも拒否されてしまったんだ……ナユちゃんに」
「菜結が? ん~、なんでだろ……。そんな人見知りでもないと思うんだけどなぁ……」
すると、エステルが小さく手を上げた。
「あー……。わたし、わかっちゃったかも」
「エ、エステル、どうしてだっ!?」
「あのね、ナユちゃんのお世話をしてたペネロペってお婆さん、スキンシップ過多だったのね、ナユちゃんに。リヴィオ、お風呂に入る前にナユちゃん構い過ぎたんじゃない?」
「う……。そ、そうかな……。でも本人に抱っこしていいかなどと確認してはいたのだが……。それで警戒されてしまったのか……」
あんまりしょんぼりしているからか、ぎゅっとリヴィオを抱きしめるエステル。
リヴィオは大きく目を見開いた後、エステルに寄りかかるとその長い耳に囁いた。
「ありがとう、エステル……。ところで、エステルも人形っぽくて可愛いと前から思っていたのだ……。愛でていいか?」
「えっ? ええ!?」
「ダメか……?」
「うっ、そんな瞳で……。い、いいけど、お手柔らかにね……」
暫くすると、エステルは全身を愛でつつ褒められる恥ずかしさに耐えきれなくなり逃げ出していた。……俺が見ていたせいもあったかも。
その夜。
「ナ、ナユちゃん、よよ、よければ今夜は一緒に寝ないか? か、過剰なスキンシップはしないとこの身に誓う!」
リヴィオがちょっと気持ち悪く菜結を誘った。あー、菜結ちょっと引いちゃってる。
「き、きょうはおにいちゃんとねるの」
「そ、そうかぁ……」
あからさまにしょげ返り、肩を落としたリヴィオがとぼとぼと居間から立ち去ろうとするのを見て、菜結もいたたまれなくなったのだろう、てけてけと追いかけるとリヴィオの服の裾に手を伸ばし、くいくいと引っ張った。
「え……?」
「あのね、おねえちゃんもいっしょにねる……?」
「えっ!?」
こちらを見たリヴィオと目が合った。リヴィオはみるみる顔を赤く染めていく。
「そ、それは……その……ロゴーと一緒の寝床で……?」
「うん。……おかお、あかいよ? おねつある……?」
「えっ、あ、あ~、そうかもな! きょ、今日はじゃあ、やめとこうかな……!」
「そっかー。おでこだして。おねつ、はかってあげる」
「え……。は、はい……」
しゃがみ込んだリヴィオは、菜結とおでこを合わせてこの上なく幸せそうにしていた。
次の日の早朝。
「ゴ、ゴロー。おはよ……」
「ああ、おはようエステル」
廊下でパジャマ姿のエステルと挨拶を交わした。フリルの多いパジャマを着ている。サイズが大きくダボダボなのだが、そこもまた可愛い。
「あ、こ、これ、リヴィオが貸してくれて……」
こういう可愛いのをリヴィオが着てるところは見たことないな。リヴィオのことだから、買ったはいいが恥ずかしくて着れないんだろうか。……俺がいるからか?
「ゴローっ!」
「わっ!? な、なんだ、急に大声出して……」
「あ、いやぁ、そのぅ……。今、ひま……?」
「まぁ、朝食まで暇だけど……」
「そ、そっか。じゃあ、こっち来て!」
腕を引っ張られて居間のソファに座らせられた。それから俺の左隣に腰掛けたエステルが、左腕にぎゅっと絡み付いてくる。
「え? えっ?」
なんだこれ、どういう状況?
「~~っ。ゴ、ゴロー……」
エステルは頬を染め、俯いている。
「えっと、エステル……? これって……」
「いや~、その……だ、抱きつきたく、なっちゃって……」
ぎゅうっと腕に絡む力が込められて、エステルは長い耳の先まで赤くしている。俺も自分の鼓動が早くなっているのがわかった。あ、耳の良いエステルには伝わってるかも知れない。そう思うと余計に恥ずかしくなってきた。
これってエステルが俺のこと好きってことなのか……?
いや待て、寝起きドッキリかも知れない。どこかで誰かがこっそり見てる? きょろきょろと見回してみるが、誰もいないようだ。あ、スマホのカメラで撮影してるとか……って、ポケットに入ってるな。
動揺する頭で考える。エステルのことも可愛いって思ってるけど、最近はリヴィオのことも意識してたし、ああ、俺はどうすればいいんだ。
そう思っていると、居間のドアが開いてフリアデリケが姿を見せた。
「あ……し、失礼しましたっ!」
「あ、ちょっ……」
慌ててドアを閉めるフリアデリケ。でも、去っていく音は聴こえない。よく見るとドアの隙間が開いている。
好奇心ある子だなぁって、思います。
「ひゃあっ!?」
そんなフリアデリケの声がドアの向こうから聴こえてきたかと思うと、バタバタと走り去っていく音がする。そして、開かれたドアからネグリジェ姿のリヴィオが現れた。
「さっそくだな……」
そう言って恥ずかしそうに俺たちを見るリヴィオ。
さっそくって何?
「リヴィオ、そっち空いてるよー」
「う……。ロ、ロゴー、いいか……?」
「え……? いいって……?」
「と、隣に座って、その、なんだ、エステルみたいに、その……」
後半はごにょごにょ喋っていて聞き取れない。
「いいよね、ゴロー」
了承を求めてくるエステルに「あ、ああ……」と俺は返した。するとリヴィオはファイティングポーズのような姿勢でじりじりと近付いてくる。
そこへ、ドアの前に姿を現した菜結の声が響いた。
「もーすぐごはんだってー。あっ、ふたりなかよしだー。なゆもー!」
一人称が私になりきらない菜結が、ばたばたと駆け寄ってきて空いていた俺の右側のスペースを占領しつつ、エステルのように俺の腕に絡み付いてきた。
「ああぁ……」
小さく声を上げたリヴィオはおかしな姿勢のまま、ぷるぷると震えている。
「ナ、ナユちゃん、そこ……」
「ぎゅー」
「…………」
笑顔の菜結に何も言えなくなったエステルはリヴィオを見る。リヴィオはゆっくりと首を振ると、朝日の差し込む窓際に行って遠い目をしていた。
この日の朝のような出来事はそれっきりで、それからエステルとリヴィオに抱き付かれるようなことはなかった。ふたりに尋ねてみても、今は忘れて欲しいと言って教えてくれない。
気になるけど闘技大会もあるし、今はそっちに集中しないとな。
やがて幾日か経って、闘技大会の予選が終了した。
何度か見学に赴いたが、見た分だけでも強敵揃いに思える。気を引き締めていかないとな。
本選はトーナメント方式だ。俺の出番はいきなりの第1試合だった。




