第35話 お手並み拝見
会場に着くまでに、川島さんにあれこれと誤解を解くのに苦労した。
途中、イノシシ野郎が横槍で入ってくることも多かったが……何とか耐えたぜ畜生。
とりあえず、開始時間も間近ということもあり、幸いにも人混みには揉まれずに済んだことだけは御の字と言った所だろうか。
もうこれ以上、災難な事態は起きないと願いたいが……。
最近の俺の日常を振り返って見ても、悪い未来しか見えない。
それもこれも、全部自身の責任ではないはずなんだが……。
如何せん、今日という一日をやり過ごすためには、何かしらの覚悟がいるということだろう。
俺と和也の関係は切っても切れない関係であることは間違いない。
実際に俺が芸能事務所に所属していた時はかなりお世話になったというのも事実だからだ。
日頃のストレス発散に付き合わさせられたりもしたが、あの頃はあの頃でお互いに良い友人関係を築いていたように思える。
まあ。今となっては流石に憎き相手に変わってしまったけれど……。
一先ず、大人しく奴に付いていって、隙が出来たらそれとなく逃げることにしよう。
逃亡ルートは既にマップで把握済みだ。
これでも一応、逃げ足だけは速い男として人生を駆け抜けてきたからな。
自分にとって、不測の事態が起きればすぐに逃げるコマンドを選択する。
周りの人もぜひ真似してみてほしい。
これは、何も恥ずかしいことではない。
ちゃんとした誠意ある対応でもあり、逃げ続けることも人生の内の一つ。
だからこそ、俺はこの選択を取ることを躊躇せずに決断するのだ――。
「大介君。今逃げようかなって思ってたでしょ」
「ん? そ、そんなことは一ミリもないぞ」
「本当かなあ。君、何かとそういう節が昔からあったから、ちょっと心配なんだよね」
そう言い、受付の最後尾近くで長蛇の列に紛れ込みながら、疑わしい表情で和也がこちらを見る。
対し、俺は冷や汗を流しながらも冷静に取り繕う対応をした。
心の中ではめっちゃ動揺してるけど……。
ここで俺が考えていることをばらしてしまえば、後々何が起こるか分からないからな。
しっかりと仮面を被り続けることを意識せねば。
く、しかし。
こいつとは長い付き合いだからか、流石に誤魔化せんか。
ま、まあ。
俺は絶対に諦めないけどな。
あの小悪魔の演技を見て、用事を済ませば即帰宅だ。
それ以上の面倒なことは一切しない。
隣に居る川島さんは、先ほど購入した飴玉に夢中になっているし……。
「川島さん。その飴、そんなに美味いのか?」
「は、はいっ! リンゴの味がしっかりしてて、とても美味しいです! 斎藤さんも、一口だけ食べてみますか……?」
「い、いや。遠慮しておく。でも、その気持ちだけで嬉しいよ。ありがとな」
「はぅっ!? い、いえいえ!! そんなお礼を言われるようなことは一つも……」
そんなこんなで、少し頬を赤らめる彼女。
うん。まるでマスコットキャラみたいだ。
もういっそ、ぬいぐるみのように頭を撫でたいぐらい天使なのだが……。
まあ、そんなことをすればすぐ隣に居る和也にジト目で見られる可能性が高くなるので辞めておこう。うん。
「それはそうと……」
この劇団も、全く興味が無いと言えば嘘にはなるが。
そこまでの欲が無いというのも事実ではある。
だって、もう芸能界にはこりごりだし。
過去に、水瀬のマネージャーをやってた時に散々こういう代物はたくさん見てきたからな。
飽きると言ってしまえば簡単だが、俺にはもう関係のない世界だ。
だが、そんな世界でも。
金と欲にまみれたあの中でも、己の努力と才能でトップまで登り続ける人も居た。
特に、水瀬彩夏は誰よりも努力していたことは事実だった。
俺が一番長く、そして近い距離で見てきたから。
だからといって、アイツのことを理解しているかと言われれば、自信は無いのだが。
それでも、芸能界に対するそのストイックな姿勢に、一時期惚れていた時もあった。
まあ、今となってはもう関わりたくないというのが現状ではあるんだけども。
って、いかんいかん。
過去のことは考えないって前に決めたはずだろ俺。
何今になって、水瀬の事を……。
く。そんなことよりも、未来のことを考えよう。
自分の為にも。周りの為にも。
その方が良い。絶対に。
「水瀬さん、心配してたよ。大介君のこと」
「うっせ。アイツが俺の事をそんな風に思ってるはずが無いだろ。嘘も大概にしろ」
「いや、君が居なくなってから明らかに元気が無いことは事実だよ。彼女も彼女で、素直になれない部分があるだろうし」
「んなことは分かってる。でも、さっきも言っただろ。俺はもうクビになったんだよ」
ちなみに、今までの事の経緯は和也にはもう説明してある。
俺が『ダイヤモンド・プレッツェル』の社長から強制的にされたこと。
芸能事務所内であった、表には絶対に出てこない陰湿な暴力と裏金の支出。
そして、井上という悪の存在がどれほどの物なのかということも。
膨大な権力と抗い続ける忍耐力がなければ、今の自分は居なかっただろう。
もちろん、和也も大方の推測は付いていたはずだ。
俺が芸能界に戻ってこないのは、なぜなのかということも。
六年という短いようで、長い期間。
親友として、傍で見てきたからこそ、感じるものもあったのかもしれない。
「大介君。一つだけ、お願いがあるんだけどさ」
「言っとくが、俺は何でも屋じゃないぞ」
「うん。それは知ってるよ。でも、彼女に一回だけ会ってほしいんだ」
江本和也の頼み事。
それは、誰がとは言うまでもない。
水瀬彩夏ともう一度会って、しっかりと話せということだろう。
だが、そんなことをして、今までのお互いの蟠りが解けるのだろうか。
否。そんなことは絶対にあり得ない。
なぜならば、アイツにも理不尽なことで散々要求されてきたからな。
いくらマネージャーだからとはいえ、俺も人間だ。
感情くらいは吐き出さないと、仕事が続かない時だってある。
だが、『あの時』から明確に関係が変化したことがあった。
それは、自分でも何が原因かは分からないけれど……それでも、好きか嫌いかを判別できないような曖昧な感情を持っていた時期が確かにあった。
決して、持ってはいけない気持ちが存在していたことは事実だった。
「水瀬さんのこと、本当は気になってるんじゃないの?」
「全然。お前は何かを勘違いしているようだが、俺は昔も今も変わらんぞ」
「僕から見ると、そうは思えないんだけどね」
「おいイノシシ。さっきから何が言いたいんだ」
不穏な空気が流れる。
少し前にあった、ギスギスした雰囲気とはまた質の異なる空気感だ。
「素直になりなよ。本当は会おうと思えば会えたはずだ」
「会いたくないから会ってないんだよ。第一、もうマネージャーでなくなった俺が国民的芸能人と密会するだなんて、面倒事しか起きないだろ」
「僕に話を通してくれれば、場所だけは上手くセッティングしてあげるよ?」
「その時点で嫌な予感しか起きないからやめてくれ。ていうか、お前が俺と水瀬の仲を取り持つ権利なんてあるのか?」
「ふっ。そんなの決まってるじゃないか。二人の共通の友達だからこそ、僕にしか出来ないことがあるんだから」
「またふざけたことを……」
そう会話しながら、受け取った入場券を手にし、会場の席まで歩く。
数千人規模といった人数が既に座っていたため、俺たちは最後の方だからだろうか。
少し目立ってはいたが、それほどの影響は無いように見える。
ちなみに、天使の川島さんは今か今かと待ち詫びたように目を輝かせながらステージ上を見つめているようだ。
まあ、普段こういうのを経験していない人は、気持ちも分からなくも無いが。
とりあえず、そこそこ楽しめれば、それで御の字といった所だろう。
後輩でもある影山の演技にも注目したいしな。
さっきまで色々あったけど。
ここは一先ず、お手並み拝見と行くか。うん。




