第34話 憎たらしい友人
江本和也という男は非常に気の回る男だ。
良い意味でも悪い意味でも、多くの人に影響を与える人物とは正にこのことだと思う。
まだ俺と出会った頃は駆け出しの時で、俳優としてはそこまで有名では無かった。
イケメンで頭脳明晰という能力を持ちながら、必ずしも上に上がれるとは限らない。
それが芸能界の現実でもあった。
だが、普段から真面目で着々と稽古に励み、養成所から這い上がってきた者としては噂になる程だったため、自分がマネージャーをやっていた頃は当然耳にしていた。
中には親のコネだとかによって勝手に繰り上がる奴もいるが、そういう人は大抵長続きしない。
その反面、コツコツと努力して土台を身に付けた彼にとって、あの職業は向いていたのだろう。
あくまでも俺は傍観者として、外側から観察することしかできない身であったため、詳しい事はあまり知ることはなかったが。
ただ、それでも。
単純に、「頑張ってるんだな。あの人」という素朴な感想で片づけられるぐらい、自分にとってそこまで印象深い人間では無かった。
事務所ももちろん違ったし、マネージャーという業務をこなしている以上、他の女優や俳優との接触は限られている。
仕事で絡みが全く無いと言えば嘘になるが、水瀬彩夏という国民的芸能人のマネージャーをやっていれば分かってくれるだろう。
しかしながら、ある関係者の紹介で偶然にも一緒になった時期があった。
アレは確か、『ダイヤモンド・プレッツェル』に務めてから四年目の頃——。
ちょうど、帰りに水瀬を家まで送っている最中の出来事だった。
「そういえば貴方。この後何か用事があるらしいけれど……どこか行く予定でもあるの?」
「ああ。今日撮影した映画の監督さん居ただろ? さっき、あの人に飲みに行かないかって誘われたんだよ」
「ふーん、珍しいわね。今井監督は滅多にお酒飲まないって聞いたけれど。まさかサシ飲み?」
「いやいや、流石に俺だけじゃないぞ。他の人も呼ぶって話だし。まあ、詳細はよく分からないんだけどな」
映画撮影の終了後、皆が解散した時に俺の方に近寄ってきた今井監督。
よく昔からの知り合いだったため、抵抗は無かったが、直接飲みに誘われることは珍しかった。
今日撮影した中での役者達を呼んでいるのか、または別の仲間に声をかけているかは定かではないが、いずれにせよ断るわけにはいかないと思った。
この芸能という世界に入って四年目。
良い部分も悪い部分もそれぞれ目にしてきたが、こういう飲み会にはしっかりと出た方が良いだろうと感じていた。
「結局、大介は行くことにしたんだ? その飲み会」
「おう。今井監督にはいつも世話になってるし、断りを入れるのはちょっと失礼かなと思ってな」
「でも、明日も早朝から仕事が入っているんでしょ? もう夜も遅いし……辞めておいた方が良いんじゃない?」
「安心しろ。俺は朝も夜も強いから大丈夫だ。それに、水瀬も俺の体が頑丈なのは誰よりも知ってるだろ?」
「そ、それはそうだけれど……。だからといって、過信しすぎるといつか危ない目に合うわ。貴方はいつも無茶ばかりするんだから」
そう言って、後部座席の方でどこか納得のいかない……不満気な表情を浮かべている彼女がルームミラーから映し出されたので、少々困惑した。
今から思えば、三年目ぐらいからだろうか。
こうして水瀬が俺に対して、色々とプライベートのことを聞いてくるようになったのは。
この他にも、「休みの日はどこに行ってるの」とか、「夜中に町中で出歩いたりしていないでしょうね」とか。
後は、頻繁に女性関連のことだろうか。
他の女優さんやマネージャーさんとは仕事の関係で一緒になることが多いのだが、そういう日はなぜか機嫌が悪い。
こうなる原因は長い時間考えても思いつかなかったので流石に諦めたが、きっと彼女も日頃のストレスが溜まってきているのだろうと勝手に解釈していた。
一晩ぐっすり眠れば、おのずと疲労は軽減されるだろうと。
だが――。
「お、おい。水瀬。もう家に着いたぞ? 降りないのか?」
「ねえ。私もその飲み会、行っても良いわよね」
「え? いや、だってお前。監督に誘われていないし……。明日も仕事があるだろ?」
「そうね。でも、他の偉い方も来るかもしれないのでしょう? だったら、私も挨拶しなくちゃ」
「い、いやいや。水瀬、よく聞け。確かにその心意気は素晴らしいが、もうこんな遅い時間帯だ。女優であるお前が睡眠不足で倒れたら元も子もないだろ」
「それはこっちのセリフよ。貴方こそ、もっと休息を取るべきだわ。それとも何。私が付いていくと何か都合の悪い事でもあるの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
そうして、荷物を置いてくるからちょっと待ってて、と言われたため致し方なく待機する羽目になった。
このようなことは何も初めてではない。
この前のCM撮影の時の帰りにも、用事があるからタクシーを使って帰宅するようにとお願いしたのだが、それを拒否されるケースがあったのだ。
俺のことを放っておけないのか。
あるいは、ただ単に信用されていないのか。
数年の付き合いで、お互いのことはかなり理解できるようになったつもりが、ここら辺の女心というものはいまいちよく分からなかった。
しかし、年を重ねるにつれて、アイツの本音を知ることがいつかきっと来るだろうと感じていたため、敢えてそこの部分は踏み込まないようにした。
ただ、あくまでも彼女と俺は女優とマネージャー。
仕事上の関係性で成り立っている訳で、それ以上の物は何も求めないというのは至極当然のこと。
そこに私情や恋愛感情を持ち込むのは禁忌に等しい。
だからこそ、対等な関係で。対等な距離間で。
適切な関係性を保つ必要性がある。
そう結論づけていた。
飲み屋は深夜でもやっているBarの雰囲気に似たお店だった。
水瀬と共に中に入ると、既に人が集まっており、誘ってくれた今井監督や今日の撮影でお世話になったカメラマン、演技指導してくれた先生達等、様々だった。
誘っていなかった彼女も来たため、今井監督は少し驚いた表情をしていたが、すぐに歓迎のムードで迎えてくれたためホッとした。
だが、その時に「やっぱり斎藤君はすごいなぁ」とか、「ま、まさかあの二人……。く、解せぬ」なんてセリフが聞こえ、何を意味していたのかはよく理解できなかったが。
水瀬は水瀬で周囲から……とくに他の女優達に根掘り葉掘り尋問されていたらしいが、内容までは知らない。
後から彼女にそれとなく聞いてみようと思ったのだが、向こうから無言の圧力で睨みつけられたのでやめておいた。
俺、何かやらかしたかな……と感じながら、渋々と角っこの椅子に座ってちびちびとオレンジジュースを飲む。
運転している身であるため、アルコールを含んだ飲料水を飲めないことは残念だが、今回は水瀬が付いてきたため致し方が無い。
そんなこんなで飲み会が始まってから少し経ち——。
「こんばんは。隣……良いかな?」
男性にしては声が高く、何よりも爽やか系といった所だろうか。
容姿はとても優れていて、女性にモテやすい人物であることが想像できる。
しかし、なぜこの人がここに居るのかは未だに理解できない。
これはさっき聞いた話だが、今井監督から「どうしても君に会いたいって人がいてね」という事を言われたため、誰かと尋ねてみたら……。
今回の映画撮影とは全く関係ない、別の事務所に所属している新人俳優『江本和也』という男だった。
前々から噂として認知していたため、写真でも顔は知っていたが。
どうもきな臭い話だ。
なぜ俺みたいなモブ男に用があるのか。
本当の目的は一体何なのか。
ここは一段階警戒レベルを上げる必要があった。
「あ、どうぞどうぞ。というか、何かすみません。マネージャーでしかない自分がこんな集団に混ざるだなんて……お邪魔虫ですよね」
「あははっ! そんなことは全然無いよ! それに、君のことを呼んだのは僕だからね」
それからお互いに挨拶をして、名刺交換をした。
彼は『イムノ・スパークル』という事務所に所属しており、そこそこ大きい組織だ。
芸歴はまだ三年目の二十二歳。今は駆け出しから少し抜け出した位置にいるらしい。
「それで。今井監督とはどういった関係で?」
「自分の父と仲が良くてね。幼少期からの知り合いなのさ」
「そうなんですか。父親も江本さんと同じく俳優をやられたんですか?」
「いや、うちの親父は自営業さ。あの監督とは単に高校時代の友達ってだけなんだけど……。交友関係が思ったよりも長く続いちゃってね。今でも月一でお互いに近況報告するくらい仲が良いんだ」
そう呆れながら言いつつ、彼はノンアルコールのカクテルを口に含む。
なるほど。あの今井監督とは親繋がりということか。
まあ、世間ではよくある話だから、そこまで驚くほどのことではないが。
ちょっと意外だったな。
「僕からも一つ質問良いかな?」
「どうぞ」
「君にとって、これからの芸能界の未来はどうなるか。予想できる?」
「腐った権力者によって、どんどん腐敗していくでしょうね」
「おっ。中々答えにくい問いかけをしたつもりなんだけど……随分と核心を突いた物言いだね」
「江本さんもそっち側なんじゃないんですか」
「あはは。僕はそんな大それたことを言えるタイプじゃないよ」
「では、なぜ急にこんなことを?」
会話しつつ、真意を読み取らせない。
この技術は鍛えたからとはいえ、実践では中々出来るものではない。
だが、この短い会話で一つだけ確信したことがある。
彼、江本和也は俺を試しているのだということを――。
「君はなんでだと思う?」
「さあ、俺にはさっぱり分かりませんね」
「あの水瀬さんのマネージャー君が僕の本当の狙いが分からないと?」
「どこで評価を聞いたのかは分かりませんが、自分はただのしがないマネージャーですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」
まるで最初からこの展開を分かっていたかのような感覚。
俺がここで正直に答えることは百パーセント無いと踏んでいたはずだ。
なのに、敢えて無意味な時間をとって、無意味な会話を続けることに何の意義があるのだろうか。
この江本和也という人間の底知れなさがここで生まれる。
「ふむ。そういうことか……なるほどね」
「なにを勝手に一人で納得しているんですか。俺は何も答えてませんよ?」
「いや、ごめんごめん。でも、今の数分で大体分かったから良いよ。どうしてあの水瀬さんが君の事を好いているのかも何となく知ることが出来たしね」
「アイツが俺の事を好きになるなんて、それこそありえない話ですよ」
「そうかな? でも彼女。先ほどから君のことを心配そうな様子で見つめているけど」
「あれは単純に俺が何かをやらかさないか、監視しているだけです」
そう言って、俺はオレンジジュースの一杯目を最後の一滴も残さずに飲み切った。
この男が言う通り、先ほどから水瀬がこちらに視線を送っていることは確かだ。
あまり俺の事は気にせず、楽しくやってもらいたい所だが……。
こちらが目を合わせると、ぷいっと視線を逸らされるしな。
何が理由かは分からないが。帰りにでもそれとなく聞いておくことにしよう。
だが、ここで一つ懸念点として挙げるのであれば、江本和也の本音がまだ分からないことだ。
お互いの読み合いが互角であれば良いのだが、ここまでくると少し不安にもなってくる。
それは、本当の目的は俺ではなく、あの水瀬とお近づきになりたいからではないかと考えてしまうからだ。
彼はまだ新人俳優。
だからこそ、ここで大人気女優とも仲良くなっておけば後々自分にも得が返ってくる。
そのためには、まずは彼女と関わりの深い人間と縁を繋いでおく必要がある。
その第一歩として、水瀬のマネージャーである俺を引き合いに出して、交渉材料として話に持って行くことは容易いだろう。
実際に、そういう思考回路に至るのはごく自然のことだ。
だが、この男の真意が見えない以上、断定することは出来ない。
もし勝手にそうと決めつけてしまえば、相手に失礼だからな。
それに、俺はただのマネージャーだ。
何の権力も持たない自分にとって、今更どうこうしようとも思わない。
しかし、水瀬がこの男と付き合いたいというのであれば快く検討するが、そうでなければ彼女を守るために何かしらの対応を打たなくてはならない。
あくまでも、マネージャーとしての範囲内でしか出来ないためやれることは限られてはいるのだが……。
「ああ、先に言っておくけど。僕、水瀬さんには興味ないからそこは安心して良いよ」
「それはあんまり信用できませんね。仮に信用したとしても……この俺にどうしろと?」
「あはは。確かにそうなるのも無理はないよ。でも、本当のことなんだ。もちろん、これで僕の事を信じてもらえるかなんて一ミリも思っちゃいないけどね」
「俺に会いたかったというのは口実で、本当の狙いは水瀬に近づきたいからじゃないんですか」
「まあ、彼女がどういった人間なのかも少し興味はあるのはもちろんだけど。それよりも、君のことが知りたいというのが本音かな」
「江本さんのことがよく分からなくなってきました。どうやら俺とは馬が合わないようですね」
「そうかい? 僕は君とならこれから先、仲良くなれそうな気がするんだけど」
「俺は全然仲良くなる気は無いのですが」
「まあまあ。そんなつれないこと言わないでくれよ。今日出会ったばかりなのに、最初からフラれるなんてあまりにも悲しいじゃないか」
そう言って、今度はにやりと不敵な笑みを浮かべながら、こちらを意味深な表情で見つめる彼。
この時点で、自分が苦手なタイプの人だなと感じた。
だからこそ、もう今後出会わないように気を付けようと思っていたのだが――。
この始まりを機に、彼との親密度が徐々に上がっていったのは言うまでもない。
お互いの相性が良かったのか。
あるいは単に腹の内を話せる仲だったからなのか。
いずれにせよ、ここであの江本和也という男と知り合ってどういう相乗効果が生まれたのかは今になっても分からない。
ただ、この人がどういう思考を持って日々生きているのか。
その部分は微々たるものだが、興味を持ち始めたキッカケになったのは確かだった。
★★★★★
延々と走り続ける車。
猛天下の中、クーラーの効いた涼しい空間で快適に過ごす。
だが、一人だけ汗だくになっている例外がいることを忘れてはならない。
そう。その例外とは、もちろん俺のことだ。
先程、よく分からんSPに取り押さえられて、暴れたせいで無駄な体力を消耗してしまったのだ。
なぜこうなったのかという経緯についてはもう説明する気もないので割愛させていただくが。
なんたって、こっちは今日散々な目にしか合ってないんだからな。
このぐらいは許されるだろう。きっと。
「あ、あの……。それで、お二人は昔からの知り合いということで宜しいのでしょうか?」
誰も声を発さない中。
そうして呟いたのは女神の声だった。
この人の名前は『川島絵梨』と言うらしい。
おそらく過去に会ったことがある人物ではあるのだが、あの時は名前までは聞かなかったため、ここでは初めて知ることになる。
まあ、彼女との出会いはちょっと特殊なものだったから、あまり思い出としては良いものではないのだが……。
いや。それでも今回に関しては、この女性に助けられたのは間違いない。
危うくこっちは死ぬところだったからな。
おまけに、俺の好みのタイプ……ゆるふわ系で少々おっちょこちょいだし。
だが、可愛らしいとはまさにこの事なのではないかと思う。
いや、実際にそうだろう。異論は絶対に認めん。
誰がなんと言おうとこの女性は女神なのだ。前世でもそうだったに違いない。
「あ、あの……。斎藤さん?」
「ん? なんだ、女神よ」
「ふぇ? め、女神……? そ、そうじゃなくて。そんなに無言でじっと拝まれても困るといいますか……うぅ」
おっと。少し困らせたようだ。
いかんいかん。俺の悪い癖だ。
きっと、今ので彼女の俺に対する好感度はマイナス百ぐらいになっただろう。
ここはしっかりと軌道修正していかねば。
「ごめん川島さん。ちょっとからかいすぎたよ」
「い、いえ! わ、私は別に嬉しかったというか――って。いやっ。そ、それよりもっ。さっきの質問のことなんですけど……」
「ああ。今運転しているイノシシ野郎との関係についてだろ? 安心してくれ。アイツとは知り合いでもなんでもないから」
「ちょっと待ってくれ大介君。君と僕は一心同体のはずだろう? 急に裏切るなんて酷いじゃないか」
そうして俺と川島さんの会話に突如として切り込んでくる男。
コイツの名前は江本和也。
俺がまだ芸能界で働いていた頃、仲が良かった友達の内の一人だ。
まあ、馬が合わないのは今でも同じであるため、あの頃はしょっちゅう口喧嘩ばかりしていたが。
今となっては悪くない思い出だ。
だが、憎たらしい友人であることは間違いない。
ここで細かいことを言うのは敢えて控えるが、人の考えを先の先まで読みやがる性格の悪い男だ。
どこまで未来が見えているのかは定かではないが、いずれにせよコイツと話す時は気を付けた方が良い。
まじで足元掬われるからな。
「うるせえ。元はと言えばお前が悪いんだぞ、このイノシシめ」
「あははっ! 久しぶりだけど、相変わらずだねぇ大介君。そういう所、僕は嫌いじゃないよ。うんうん」
く、まじでうぜえ。
しかし、今日は何でこうも面倒くさい人間が次々と現れるんだ。
朝の運勢。絶対におかしいだろ。
何回もチェックしたはずなのに。
牡牛座二位だったんだぞ。二位。
最近の朝占い……外れすぎじゃないのか。
って、川島さん。
なんか俺と和也の方を交互に見て……あたふたしている?
しかも、微妙に顔を赤らめてるし。
一体、どうしたっていうんだ。
いや、もしかして。
俺とアイツがそういう関係だと勘違いして――。
「や、やっぱりお二人は仲が良い……。ということは、お二人の関係は……はわわわわ」
うん。これは……後でしっかりと説明しないといけないようだな。
お互いに。




