5、修学旅行(後編)
渡月橋は季節の匂いに掛かる大橋である。
ここ嵐山では、信号機に見張られた21世紀の街中で忘れがちな山と風の香りを全身で味わえるのだ。
「小桃ちゃーん! ねえ見てぇ!」
桂川のせせらぎの合間に聞こえる自分を呼ぶ声が耳にまぶしくて、月乃は少々恥ずかしかった。
「あ、ほら。お友達が呼んでるよ小桃ちゃん」
「わ、分かってますわ・・・」
保科先生にからかわれた幼い月乃はベンチから腰を上げ、河原の小石たちに小さな足を取られながら百合のもとへ向かった。
「なんですの?」
「ねえほら、見て!」
百合は松の木の根本に敷かれたノートくらいのサイズの平らな石の上を、ぴょんぴょん跳ねて渡り歩いてみせた。ちなみに百合は修学旅行二日目の今日もばっちりサングラスを掛けている。
「落ちたらワニが来るのね。3秒以内で上がったらセーフね」
「・・・え、これわたくしもやりますの?」
「木のとこからね」
保科先生や、周囲の同級生たちの視線を浴びながら、月乃は百合と一緒にぴょんぴょんした。恥ずかしくて顔から火が出そうである。
生徒たちの制服が純白にモデルチェンジしたため白衣が目立たず、全く存在感がないが、今回の修学旅行は保科先生も同行している。ベルフォール女学院の生徒は皆タンポポの綿毛みたいなゆったりした動きしかしないから滅多にケガをせず、戒律を破った天罰による頭痛やめまいも完全にゼロになったから、保科先生は旅行中も非常にヒマだ。
「保科先生っ」
「ん? なにかなー?」
渡月橋をバックに仲良く遊ぶ二人の小学生をぼんやり眺めていた先生のもとにカメラを持った生徒が寄ってきた。
「一緒に写真撮って下さい!」
「私もお願いします!」
「私もぉ!!」
実は結構モテる保科先生はいつの間にか生徒たちのキャーキャーいう声の真ん中にいた。先生は高校生モードの月乃ちゃんのクールな顔とリリアーネさんのセクシースマイルを融合させたようなオトナの愛嬌をカメラに振りまきながらピースしてあげた。美少女たちに密着されて保科先生はご機嫌である。
「保科先生」
「あ、林檎さん。なにかな?」
浮かれてベンチに戻った先生を待っていたのは林檎さんだった。
「もう少し教員らしくして下さらないと」
林檎さんは帽子の下から先生に鋭い視線を送ってきた。
「怒っちゃいますよ」
「ハ、ハイ・・・」
月乃が小学生モードの時、この学園の理性は林檎さんが支えている。
嵐山と名がつく駅は渡月橋付近に三つ四つあるが、路面電車が滑り込む嵐山駅が特に素敵であり、駅全体がかぐや姫のテーマパークみたいな和風の装いである。
日奈様に抹茶のソフトクリームを買ってもらった幼い月乃は、竹の柱のそばにある赤い長椅子に腰かけて恥ずかしそうにアイスをペロペロしていた。
「おいしい? 小桃ちゃん」
「ま、まあ・・・普通ですわね・・・」
林檎さんたちと時刻表などをチェックしている日奈様がふらっとそばにやってきた。日奈様の笑顔を直視すると月乃は石になってしまうのでここは必死にうつむくしかない。
(それはまあ・・・おいしいですけど・・・)
舌を癒すふんわり触感とはじける冷感、そして小さな口いっぱいに満ちる甘い味わいと豊かな抹茶の香りは、人形のような暮らしをしていた月乃にとっては夢のような感覚であったが、あんまり目を輝かせているとリリーさんあたりに馬鹿にされるので無表情を貫いている。
「小桃ちゃん!」
「な、なんですの」
隣りに腰かける百合が話しかけてきた。ちなみに百合が食べているソフトクリームは雪のように白いバニラ味である。
「小桃ちゃんはさ、好きな授業あるの?」
「なんでも好きですわ。わたくし、学校大好きですの」
学校を愛する事はお嬢様の基本である。
「私もね、学校好きだけどね、勉強はきらい」
「あら、そうですのね」
「でもね、友達と遊ぶの好きだからね、学校楽しい」
「そう」
自分の学校に帰れば百合にも友達がいるんだという事実に月乃はなぜかちょっと寂しくなった。片時も離れず一緒に京都観光してくれる百合に、月乃は保護者としての思いやりと少し違う、友情のようなものを感じていたのだ。
「あら、お友達とどんなことして遊びますの?」
月乃は少し大人びた口調でそう尋ねてみた。
「絵ぇ書いたりね、探検したりね、ゲームしたりね、おやつをあげたり貰ったりするの」
百合はそう言って足をぶらぶらさせながら自分のソフトクリームを見つめた。
「ねえ小桃ちゃん」
「何ですの」
「ちょっとだけさ、それちょうだい」
「あ」
百合は小さなお顔を月乃にそっと寄せて、抹茶のソフトクリームを一口パクッと食べたのだ。自分の手の中のソフトクリームを食べられるのは、路上で手を握られた時のような不思議な気恥ずかしさがある。
百合はご満悦な様子で「おいしい~」と言うと、代わりに自分のバニラソフトを月乃に差し出した。
「こっちも美味しいよ!」
おやつをあげたり貰ったりする・・・その行為が友情の証であることをたった今百合から聞いていた月乃は、この申し出をどうしても断りたくなかった。
(だ、誰にも見られてませんわよね・・・)
月乃はニワトリのように周囲をキョロキョロ見渡し、日奈様たちが近くにいない事を確認してから百合のアイスに唇を寄せた。恥ずかしくて頬が熱くなっていたので、舌先でとろけるバニラ味の冷たさが一層美味しく感じられた。二人はもうすっかり仲良しである。
(月乃様かわいい・・・!)
日奈様と桜ちゃんと林檎さんとリリーさんは、そんな月乃たちの様子を柱の陰からしっかり見守っていたのだった。月乃の可愛い仕草は全部バレバレである。
「抹茶ってさ、お茶なの?」
「まあ、そうですわよ。大人の味わいですの」
駅周辺のお土産売り場をうろつく百合は、先程月乃から一口貰ったアイスの味が忘れられず、抹茶味のクッキーの前で立ち止まった。
「そういえば百合、電話でご家族にお土産を買っていく約束をしてましたけど、ここで選んでいったらいかがですの? 明日はのんびりする時間がないかも知れませんし」
「おぉ!」
百合は予算1500円でお土産を選び始めた。
小学生の体で飛び込むお土産売り場の通路は、何もかもが大きく鮮やかに見える。月乃は自分が雛飾りに迷い込んだハムスターにでもなった気分で思わず当たりを見回し、平積みされた和菓子の箱の側面やきらびやかなキーホルダーが並ぶディスプレイスタンドの裏側、ついでに天井のまばゆい灯篭やちょっぴり埃がついたエアコンの吹き出し口まで、まじまじと眺めてしまった。手っ取り早く新鮮な体験がしたくば、とにかく巨大な構造物がある場所に飛び込むのがいいのかも知れない。
「決まりましたの?」
しばらくして月乃は百合と合流した。彼女は抹茶のお菓子の箱をぎゅっと抱えながら、京友禅の布が使われた丸っこいキツネのキーホルダーを見つめていた。小さな鈴が付いていてとても可愛い。
「シブいものに興味持ちますのね。それ京都の染め物ですのよ」
「染め物?」
「そうですわ。デザインは可愛いですけど、大人のお土産って感じですわね」
「おぉ・・・」
百合はキツネをいくつか光にかざしたりして見比べ、黒地に白い梅が咲いたちょっとカッコイイ模様の子を選んで微笑んだ。
「これ!」
そしてそのままお菓子とキツネを持ってレジに向かったのだった。お金が足りれば幸いである。
旅行に出かけた当事者が自分のために買う場合、お土産は食べ物だけでなくキーホルダーやストラップみたいな物もいいかも知れない。お菓子は食べたら消えてなくなってしまうが、友禅染のキツネはずっとお部屋の賑やかしになってくれるし、何年後かにおもちゃ箱で発見した時に旅行の思い出が一気に蘇ったりするわけである。写真も思い出の保存には適したツールだが、実物が持つ魅力はまた格別だ。
お菓子とキツネのキーホルダーをレジのおねえさんに綺麗に包装して貰った百合は、スキップしながら月乃のもとへ戻ってきた。
「買えた!」
「凄いですわね」
「お釣りもね、ちゃんと貰った」
「さすがですわ」
百合がご機嫌だと月乃も幸せな気持ちである。
「行こっ!」
「わっ」
百合は当たり前のように月乃の温かい手を握り、日奈様たちが待つ改札付近に駆け出したのだった。幼い頃から厳しいお嬢様教育を受け、小学生の時に育めなかった友情をちょっぴり味わえて、月乃はなぜか涙が出そうだった。小学生モードで修学旅行を楽しんだのは正解である。
旅館に戻って大広間で晩ご飯を食べていると、月乃と百合の背中を同時にむぎゅっと抱きしめる女が現れた。
「はぁ~い、可愛いウサギちゃんたちぃ♪」
リリーさんだった。月乃は自分の生八つ橋を奪われないようにお茶碗の裏に隠した。
「お二人ともぉ、このあとはどういうご予定かしら?」
「予定も何も、お風呂に入って眠るだけですわよ」
明日は午前中に京都駅の近くの東本願寺などを見学したら新幹線で学園に帰るだけだから、もうほとんど修学旅行は終わってしまったことになる。とても楽しかったのでちょっと寂しいが、こればっかりは仕方がない。
「実はあなたたち二人のために、姉小路様が素晴らしい計画を立てて下さったんです」
横から林檎さんがヌッと顔を出した。帽子のへりが月乃の頬にむにっと当たるのでもう少し距離感をわきまえて欲しいところである。
「このあと内緒で、お外行こうっ。灯篭のお祭やってるんだよ」
桜ちゃんも参戦してきた。ちなみに桜ちゃんは昼間に渡月橋付近の清流に足を突っ込んで遊んでいたら綺麗に転倒して水浸しになったため、それからずっとジャージで過ごしている。
「え! お祭やってるの? お姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん!? わぁぁ・・・!」
百合にお姉ちゃんと呼ばれてしまった桜ちゃんは恥ずかしくってくねくねした。双子の姉妹の妹である彼女はこんな風に呼ばれたことがなかったのだ。
「お祭とはちょっと違うけど、灯篭を並べて、いろんなお寺がライトアップをしてるみたいなの」
「すごいぃー」
日奈様の声はいつも月乃の耳をゾクゾクさせる。
お姉様たちが話しているこのイベントは、京都で年に二度くらい催されるようになったライトアップの祭典で、春は東山の寺社とその周辺の道に小さな灯篭がたくさん並べられるのだ。こっそり旅館を抜け出して見に行くだけの価値はありそうである。
「皆に内緒で、こっそり出掛けよ♪」
日奈様の無邪気なウインクを直視してしまった月乃は、反対意見を述べてみるほどの見栄も気力も奪われてしまった。日奈様の近くにいると世の中のすべてがポジティブで優しいものに変身する。
古都が灯し火でお化粧していた。
つややかな石畳の凹凸に流れた繊細な陰や、耳を澄ませば大昔の町娘たちの手鞠歌が聞こえてきそうな悠久のセンチメンタリティを灯す提灯たちに、月乃はすっかり心を奪われてしまった。燃えるような巨大な影を夜空に浮かべる八坂の塔は、恒星を見学しに太陽系へやってきた遠い星の宇宙船みたいに見える。
(綺麗ですわぁ・・・)
月乃は左手を日奈様と、右手を百合と繋いで歩いていた。
今夜の清水寺は昨日の午後に見たものとはもはや別物だった。ただでさえ美しくライトアップされて見違える光景になっているというのに、日奈様と手を繋いでいるのだから、そこはもう別天地である。
「うぅ・・・」
「小桃ちゃん、大丈夫?」
「だだ、大丈夫ですわ! ・・・あら」
月乃は慌てて日奈様にそう答えたが、彼女を気遣ってきたのは百合のほうだった。
「だ、大丈夫ですわよ、百合」
百合の笑顔と柔らかい髪に灯篭の光が星のようにはじけていた。
「そういえば百合」
「なぁに」
「夜ですし、サングラス外していいと思いますわよ」
清水寺たちが観光客の注意を引き付けてくれている今なら、百合ちゃんの可愛さも解放できるに違いない。
「わかった!」
百合はあっさりと星型サングラスを外した。
「おぉ・・・おぉ! すっごい! 綺麗!」
裸眼で辺りを見回し、そのまばゆさにはしゃぐ百合の横顔を見て、それはわたくしのセリフですわよと月乃は思った。
(まったく・・・どうしてわたくしの周りの美人は皆こんなに無邪気ですの・・・)
日奈様と百合ちゃん・・・完全無欠の女神様と可愛い天使に挟まれた月乃は、ちょっぴり呆れたようなため息をついて笑ってから、幻想の坂道を駆け上がったのだった。暗闇と明かりが織り成す錦の中の三人は今、色んな意味で素顔である。
「はいはーい、撮るよー」
観光客でごった返すライトアップされた清水の舞台で、月乃たちは記念写真を撮ることにした。カメラマンは、保護者としてこっそり後をつけてきた保科先生である。白衣が目立ちまくっていたのですぐに月乃に見つかったのだ。
「百合ちゃ~ん、小桃ちゃ~ん、あなたたちは真ん中よ♪」
先程合流したリリーさんと若山姉妹が、小学生の二人を中央に優しくエスコートした。リリーさんや桜ちゃんの服から綿あめの匂いがしたのでおそらく屋台で買い食いしていたに違いない。
「随分見られていますね・・・」
「大丈夫だよお姉ちゃん。サッと撮っちゃえば」
周囲の視線を気にする林檎さんと比べ、妹の桜ちゃんは案外堂々としている。桜ちゃんのジャージ姿が明らかに浮いているせいで回りの注目を集めているという事実に彼女は気づいていないのだ。
「百合ちゃん、小桃ちゃん」
「ひ!」
「ほら、カメラ見て笑ってね」
日奈様が月乃の背後に立った。中腰になった彼女の胸がふんわりと月乃の頭に当たっているので、早く撮影して貰わないと顔が真っ赤になってしまう。ちなみに日奈様は小学生モードの月乃と二人きりの時、わざとおっぱいを押し当ててきたりする小悪魔なところがあるのだが、この場合はわざとかどうか不明である。
「小桃ちゃんっ」
「な、なんですの」
清水の舞台の賑わいに踊るその可憐な声の主は、お隣りの百合であった。
「ねえ、これしよう! これ」
百合はたまごを握っているような緩いグーにした右手を月乃に差し出した。よく見ると親指だけはひらいており、月乃の左手を同じ形にしてくっつければハートマークになるわけである。
「え! な、なんですの!?」
「ハート」
「そ、それはちょっと・・・!」
現時点で大勢に見られている上に写真として永遠に残るこの場で、お手々を使って仲良くハートマークを作るなどというハッピーミラクルピュアキューティーな行為はさすがに出来ない。恋をした事がないであろう百合にとってハートマークは見た目が可愛いただの友情のサインだろうが、月乃にとってはなかなかハードルが高いジェスチャーである。
が、小学生として初めて出来た大切な友達である百合の誘いを断り、証明写真のような直立不動で撮ってしまったら一生後悔するような気もした。
(どどどうしましょう・・・)
慌てた月乃はドングリを失くしたシマリスのようにうろたえながら日奈様たちを振り返った。
(あ・・・)
改めて見てみると、ここにいるのは月乃の親友ばかりである。
日奈様も、林檎さんも、桜ちゃんも、リリーさんも、皆月乃と一緒に全身全霊をぶつけ合って青春の重大場面を駆け抜けてきた友であり、彼女たちの前でなら、月乃は恥ずかしい事もちょっぴり平気な気がしてきた。それはほとんど家族みたいな感覚であり、超硬派なお嬢様である彼女がこんなに他人に心を開いたのは初めてである。星空とまばゆい照明の間に広がるソメイヨシノの細枝にはまだ花がついていなかったが、この時の月乃はその枝に満開の華やかさと温かさを見たのだった。
「しょ、しょうがないですわね・・・」
月乃は幼い手をぎこちなくハートの片割れにして、百合の右手にゆっくりとくっつけてあげた。触れ合う指がとってもくすぐったくて、月乃は結局顔を赤くしてしまった。
「撮るよー! はい、チーズ!」
少女たちの思い出が永遠のものになった瞬間である。
「ねえ小桃ちゃん」
「はい」
「さっきのさ、チーズってどういう意味?」
賑やかな清水の舞台から離れるとすぐに百合が尋ねてきた。
「・・・キミたち最高の友達だね、っていう意味のフランス語ですわよ」
「おお!」
京都の夜空に春の満月が昇っていた。
青い空を泳ぐ白い雲のように、ゆったりとお別れの時がやってきた。
「どうも、妹の百合が大変お世話になりました」
妹を迎えに京都駅の新幹線ホームに姿を現した百合のお姉ちゃんは、月乃たちより年下の中学生くらいの女の子だった。百合にお金を渡して危険な一人旅に出させた黒幕であるが、京都まで来てくれるあたりは妹想いである。
「ご迷惑をお掛けしてしまったようで、私も深く反省しております・・・」
丁寧な物腰のこのお姉さんも当然のように星型サングラスを掛けていた。美人ゆえの悩みはあるのだろうが、姉妹そろってファンキーなサングラス姿ではさすがに怪しい。
「そんな、迷惑だなんて。私たちも百合ちゃんと一緒に旅行できてすごく楽しかったです」
優しい笑顔の日奈様の陰から顔を出し、月乃もうなずいた。百合のお陰で忘れられない修学旅行になった。
「小桃ちゃん、修学旅行楽しかったね!」
「・・・は、はい。楽しかったですわ。もう・・・遠足当日に風邪なんか引いちゃダメですわよ・・・」
手を握ってくれた百合のサングラス越しの瞳が眩しくて、月乃はうつむいてしまった。本当はとても寂しいが、ここは明るくお別れしなければならない。
「学校は違うけどさ、これからも私たちずっと友達ね」
「も、もちろんですわ! ずっと友達ですわ!」
月乃ははっきり答えた。
「もしかしたらさ、私が中学生になった時はさ、小桃ちゃんと同じ学校かも知れないね」
「同じ学校・・・?」
月乃はちょっと胸が痛くなった。
ソーダ水のように透き通って輝くピュアな心の持ち主を、自分は騙し続けたままお別れするのだろうか・・・そんなわだかまりが、月乃のハートに暗い陰を落としたのである。
「わ、わたくしは・・・」
本当は高校生なのだ。
真実を告げるべきか否か・・・告げたとしても信じてもらえるかどうか・・・月乃はすぐには答えが出せず、百合の手を両手でぎゅっと握ったまま顔を赤らめ、もじもじした。
日奈様はそんな月乃の様子を見逃さなかった。
日奈様が星に祈りを捧げるポーズをしたのに気付いた桜ちゃんは、慌てて百合のお姉さんの注意を逸らすことにした。
「あぁ! 百合ちゃんのお姉さん! 京都タワーが空に向かって飛び立ちました!」
「なんです!?」
「ロケットだったんですねえ!」
「そんな馬鹿な!」
百合にだけこっそり見せる形で、月乃は高校生に変身したのだ。
きらめく乙女座銀河のかけらに包まれた小桃ちゃんの姿がちょっぴり宙に浮いたかと思うと、次の瞬間目の前に長い髪の美しいお姉様が現れたから、百合は目を丸くしてしまった。小桃ちゃんと繋いでいたはずの自分の手は、いつの間にかそのお姉様の綺麗な手の中である。
「百合・・・実はわたくし」
「あっ・・・」
「実はわたくし・・・高校生ですのよ」
月乃は根性により変身後の睡眠タイムをスキップしたので意識を保つのに必死だったが、そのゆったりした声が逆に神々しい印象を百合に与えた。
「わたくしの正体は高校生ですのよ。小学生の小桃じゃなくて、高校生の細川月乃。ウソをついていてごめんなさい」
「月乃・・・ちゃん・・・」
百合はちょっぴり下にずれたサングラスから可愛い目を覗かせ、しばらく固まっていたが、やがて何かを思い出したようにリュックを下ろし、その中からお土産の袋をひとつ取り出した。
「あげる」
「え?」
それは百合が昨日買っていた友禅染のキーホルダーが入った袋だった。
「こ、これは百合が自分用に買ったキツネのはずですわよ。わたくしは頂けませんわ・・・」
目の前のお姉様が昨日一緒に嵐山のお土産売り場にいたという証拠の一言を聞いた百合は、少し間を置いてから首を横に振った。
「これね、月乃ちゃんに買ったの」
「わ、わたくしに!?」
「うん。渡したかった」
そう、百合はずっと月乃を探していたのだ。
「あの時・・・話しかけてくれて嬉しかった。ありがとう、月乃ちゃん」
たった一人で旅に出てしまった不安を抱えたまま新幹線のデッキに立ち尽くしていた自分に優しく声を掛けてくれた女神様のような女性を、百合は白い制服たちの中にずっと探していたのだ。ありがとうと一言言いたかったのである。
「こ、こちらこそ・・・」
月乃は声が震えてしまった。親切心と呼ぶにはあまりにささやかな自分の思いつきが、一人の少女の心を救っており、彼女がそのことにずーっと感謝していたという事実が、月乃に子供の心の繊細さと清らかさを教えてくれた。
「・・・こちらこそ、ありがとうございますわ、百合」
キツネちゃんを受け取りながら、月乃は百合のすべすべの髪を撫でてあげた。ホームを駆け抜ける爽やかな春の風が百合の髪をふんわり揺らし、その香りを月乃に優しく届けてくれた。
百合たちが乗る新幹線がホームにやってくると、百合は別れ際に月乃にぎゅうっと抱きついてからリュックを背負い、乗車口で振り返って飛びきりの笑顔を見せた。
「月乃ちゃーん! みんなー! またねえ!!」
目を赤くして涙をこらえながら微笑み、月乃は百合に手を振り返した。百合が見せてくれた子供の純粋な心が、どうか傷つけられませんように・・・百合の周りのみんながずっと笑顔でいられますように・・・そんな月乃の切ない祈りは、横目で月乃を見ていた日奈様たちをもらい泣きさせた。
(ありがとう百合・・・わたくしずっと、忘れませんわ・・・)
月乃はもうすっかりお姉さんである。




