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1、朝食

 

 ここからはメインのお話の後日談になります*


 

 

 朝の気配がカーテンの隙間でほんのり輝いている。

 心地良い眠りの世界から天井を見上げた月乃は、小鳥のさえずりを遠くに聞きながらゆっくり我に返った。

(あら・・・)

 なんだか随分長く眠っていたような気がした月乃は、長い美脚を温かい布団の中でにょーんと伸ばし、昨日の出来事を振り返った。確かに月乃は昨日、学園の神様との交渉に成功して戒律を廃し、おまけに日奈様に告白されるというとんでもない一日を過ごしたのだが、なんだか月乃にとって都合がいい事ばかりで話が出来すぎている気がしてきた。

(夢・・・でしたの・・・?)

 そうに違いない。月乃は喪失感に浸る準備をするため、寝返りを打って窓に背を向けた。

「ひ!!」

「おはようございます♪」

 月乃は布団をふっ飛ばず勢いで飛び跳ねた。

「素敵な朝ですよ、月乃様♪」

 エプロン姿の日奈様が、ベッドに両ひじをついて月乃を見つめていたのだ。

「な、なんでお姉様がここに!?」

「お呼びしに来たんです。朝ごはんが待ってますよ♪」

「ひぃ!!」

 日奈様が開けるカーテンのレールの音が月乃の頭上を横切って、部屋に朝日が差し込んだ。まぶしい日奈様の笑顔を見て、月乃は全てが夢でなかった事を悟ったのだった。



 月乃が泊まったのは三番街の巨大寮、マドレーヌハウスの最上階にある小さな空き部屋だった。昨夜は月乃様&日奈様というミラクルカップルの誕生と、新たな時代の幕開けを祝うドンチャン騒ぎが、ここマドレーヌ寮周辺でリリーさん主催で行われたのだ。

「おはようございます月乃様!」

「おはようございまぁす!!」

 マドレーヌハウスの赤いじゅうたんを鮮やかに照らす朝の温もりを履き慣れないスリッパ越しに感じながら、月乃は少女たちの元気な挨拶のアーチをくぐった。

「お、おはようございますわ・・・」

 日奈様と結ばれてしまった事への現実感をまだあまり持っていない月乃は、少女たちにどんな顔を見せていいか少し迷ったが、一応いつも通りクールな表情で挨拶しておいた。もう月乃が日奈様と両想いであったことは全校生徒にバレているのだ。


 大勢の少女が待っていた一階の食堂がとても華やかで賑わって感じられたのは、彼女たちの制服が白いせいかも知れない。果たして月乃は明るい学園の雰囲気に馴染むことが出来るだろうか。

「おはようございます、月乃様ッ!」

 人懐っこい笑顔の桜ちゃんがやってきた。

「あら、おはようございますわ」

 さすがの月乃も桜ちゃんの前では緊張がほぐれる。

 桜ちゃんも日奈様と同じ桃色のエプロンを身に着けており、月乃の前で子リスのようにぴょこぴょこ跳ねている。ご機嫌らしい。

「月乃様のお席はこちらですよ!」

「あら、ありがとう」

 月乃は桜ちゃんに促された席に腰かけた。広い食堂の真ん中の席で、白い梅の花が刺繍された上品なテーブルクロスが掛けられた席だった。

 しかし驚いてはいけない。このように気合の入った席に出てくる料理が必ずしも立派なものとは限らないのだ。

「はい、どうぞ! 月乃様」

 桜ちゃんが代表して持ってきてくれた朝食のトレーには、食パンが一切れ乗っているだけだった。

「あはは・・・その、日奈様が焼いて下さったトーストです。実はこれ以外にも何品かご用意していたのですが、完成しなくて・・・」

 申し訳なさそうに苦笑いする桜ちゃんの周りで、数人のエプロン姿の子たちも恥ずかしそうにうつむいた。美味しくない料理が登場するならまだしも、完成しないというのは珍しいパターンである。

「も、もう、しょうがないですわね。でも、朝食を皆さんで準備して下さったのは感謝してますわ。頂きますの」

 桜ちゃんたちの様子を見届けた日奈様はにこにこしながらキッチンへ入っていった。たぶん後片付けが大変なのだろう。

(美味しそうですわ・・・)

 月乃は空腹を覚えた。お皿の上のトーストは月乃好みの浅い焼き加減で、バターのいい香りが月乃の鼻をくすぐってくる。さすがは日奈様が焼いたパンである。

「頂きますわ」

 と言って月乃がトーストに手を伸ばすと、脇から大きな白いUFOがヌッと登場した。

「お待ちください」

「ひ!」

 よく見るとそれは空飛ぶ円盤ではなく林檎さんの帽子である。神様の魔法によって真っ白にチェンジしているので見慣れないとすぐには分からないのだ。

「トーストしたのは姉小路様らしいですが、表面に調味料を塗ったのはどなたです?」

「あ、私ですけど・・・」

 桜ちゃんが恥ずかしそうに小さく手を上げた。

「月乃様の新たな毎日のスタートだというのに、変なものを塗ってないでしょうね? これ、どうせマーガリンでしょう」

 林檎さんがトーストを覗き込んだ。白い帽子がとても綺麗である。

「え? マーガリンじゃダメなんですか?」

「人工のトランス脂肪酸なんてお嬢様が摂取すべきじゃありませんし、何より風味が劣ります。これはマーガリンなのですか?」

「ち、違いますよぉ。バターです」

「ではこれは? 随分毒々しい色のジャムですね」

「イチゴジャムです。イチゴの味がします」

「味は知ってます。これもどうせ怪しい着色料を使用しているのでしょう」

「そ、そんな事ないですよぉ」

 なんだか話が長くなりそうである。お腹が空いている月乃は林檎さんが目を離した隙にトーストに手を伸ばす事にした。

「ならば毒見が必要ですね。こんな文房具みたいな色をした食べ物を月乃様にお召し上がり頂くわけにいかない」

 月乃は手を引っ込めた。

「月乃様、失礼します」

「どうぞ・・・」

 林檎さんはトーストを少しちぎって食べた。

「んー、悪くないですね」

「そうでしょう?」

「桜も食べなさい」

「え?」

 林檎さんはトーストをまた少しちぎって、それを桜の口の前に持っていった。

「ほら」

「え・・・」

「口を開けなさい」

「うん・・・」

 桜ちゃんはほっぺを赤くしながらパンを食べた。林檎さんがロワール会にいた頃だったら絶対に出来ない仲良し姉妹のコミュニケーションである。

「無事ですか。それにしても少し味が濃いように感じますね」

「おいひいです!」

「バターにムラがあるか、ジャムの塗りすぎでしょう。この辺りなんか酷そうです」

 林檎さんは更にトーストをちぎって食べた。

「桜もチェックしなさい」

「はい!」

「後学のためです。調味料のバランスは大事ですから」

 若山姉妹はそのまま月乃の前で熱心に毒見を続けた。



「面目次第もございません!!」

「すみません!!!」

 双子の姉妹が空っぽのお皿の向こうで頭を深く下げている。

「べ、別にいいですわよ。・・・お腹空いてませんでしたのよ」

 経緯を見ていただけに月乃は叱る気にもなれない。林檎さんは顔には出していないが妹と一緒に生活できる喜びで若干浮かれており、いつもよりポンコツになっているようである。

「ハーイ! 皆さんおはようございますわぁ♪」

 さあ、次の場面に移りますわよとでも言いたげに、騒がしい金髪お姉さんが食堂にやってきた。月乃はまだ朝ご飯を食べていないというのに空気の読めない女である。

「月乃様~、ご気分はいかがですか?」

「なんだか急に悪くなってきましたわ」

「もう♪ ご冗談をっ」

 白い制服に身を包むリリーさんの美しい髪は、雪山の日の出みたいに眩しかった。

「それより月乃様。生徒会長の日奈様にアドバイスがあるんじゃありません?」

「アドバイス?」

「今日からベルフォール女学院の生徒会長は姉小路日奈様お一人です。学園の見回りは日奈様のお仕事になりますわ♪」

 月乃がやっていた仕事は全て日奈様が引き継ぐ事になるのだ。

「日奈様はまだ新米なので、月乃様の手ほどき、お願いしますわね♪」

 月乃が返事をするより先にキッチンのドアが開いて日奈様が顔を出した。

「あれ、リリー様、おはようございます」

「おはよう♪ いいタイミングですわ」

「いいタイミング?」

 優しく微笑んで首を傾げる日奈様と目が合ってしまった月乃は思わず下を向いた。日奈様の瞳はこの世界で一番美しい。



「どんな場所を見回るべきなんでしょうか」

 そう尋ねて振り返った日奈様の笑顔の向こうに、大聖堂の薔薇窓が輝いていた。

「え、ええと・・・」

 恋心のせいで月乃の頭の中は散らかってしまい、カッコイイ台詞の一つも言えない。

「まあ、図書館のそばとか、ですかね・・・」

「わかりました」

 異常に恥ずかしがっている月乃の気持ちを察してか、日奈様はわざと月乃と距離を空けて前方を歩いてくれているようだった。ほんのり香る日奈様の髪の匂いに、月乃は頭がくらくらした。

「あ、月乃様ぁ! 日奈様ぁ~!」

「素敵ー!!」

「お幸せにぃー!!」

 裏道を選んだいうのに月乃たちを祝福する声があちこちから飛んできた。白い制服たちはタンポポの綿毛のようにどんな場所にもふんわり漂っているから逃げようとしても無駄である。彼女たちへの対応は苦笑いしながら手を振り返す日奈様に任せ、月乃は俯いて歩くことにした。すぐ横の小川を滑っていくゴンドラにも生徒が乗っているので、下を向くにしてもカッコイイ表情を作っておく必要はある。



 徐々に、月乃は今自分が置かれている状況を実感してきた。

 いま月乃の前を歩いている宇宙一の美少女は月乃の恋人であり、本当なら手を握ったって良い関係なのである。

『愛しています・・・月乃様・・・』

「ひっ!」

 日奈様の昨日のセリフを思い出した月乃はしゃっくりみたいな声を出して転びかけた。日奈様の熱いまなざし、愛の告白、そして・・・優しいキス。

「はぁ・・・うぅ・・・」

 月乃は両手で顔を隠して石像のように立ち尽くしてしまった。恥ずかしくって歩けたものではない。

 日奈様がくれた口づけは、思い出すだけで全身が茹でダコになり、腰から崩れ落ちてしまいそうな幸福な脱力感に襲われる。今日はラッキーな事に日奈様からキスは貰っていないが、油断していると幸せ過ぎて死んでしまうので警戒は必要だ。

「大丈夫ですか? 月乃様」

「ひ!!」

 いつの間にか優しい笑顔の日奈様に覗き込まれていた。

「大丈夫?」

「わ、わ! う・・・大丈夫ですっ!」

 まるで小桃ちゃんと接する時のようなお姉様ボイスで尋ねられて、月乃はゾクゾクしてしまった。月乃は高校生のカッコイイお嬢様なのだから、もっとしっかりしなければいけない。



 図書館周辺は月乃の羞恥心をくすぐる少女たちの声援以外、特に気になる点はなかった。

「見回りってこんな感じでオッケーですか?」

「ま、まあ、上出来ですのよ・・・」

 日奈様と目を合わせないようにしながら、月乃が自分の髪をサッと撫でて格好をつけると、全然関係ない路地裏やカフェテラスから歓声が上がった。二人を陰からこっそり見ている少女たちの存在が窺える。


「なんだかいい匂いがしますね」

「え!?」

 日奈様の香りにクラクラしている事がバレたのかと月乃はドキッとしたが、どうやら日奈様が言っているのは北大通りのレストランから漂ってくるオムライスみたいな香りの事らしい。

 ちなみに月乃は朝食のトーストを一口も食べていない事を日奈様に言い出せていない。幼い頃からお嬢様教育を受けてきた月乃にとって、空腹アピールほどカッコ悪いものは無いわけである。

「そろそろお昼ですし、どこか寄っていきましょうか!」

「お、お昼ですの? まあ、日奈様がそうおっしゃるなら行ってあげなくもないですわ」

 日奈様と一緒に食べるランチがどれほど緊張するものなのか分かっていないマヌケな月乃は、喜びを隠してクールにそう返事した。とにかく月乃は何か食べたいのだ。

 が、ここでもちょっとした邪魔が入るのである。

「月乃様、月乃様」

「わぁ!」

 脇から白い土星が現れた。よく見るとただの大きな帽子なのだが、見慣れないうちはもうしばらく幻覚に悩まされそうである。

「林檎様・・・どうしましたの」

「お探ししました。月乃様」

 桜ちゃんと一緒ではないらしい。

「お約束した通り、私とお茶をしませんか」

「え・・・」

「リリアーネたちと一緒に月乃様の晩ご飯の食材を探しに出て来たのですが、どうもアイツと一緒にいるとストレスが溜まって仕方ないです。息抜きも大事ですから、ぜひ、お茶にお付き合いください」

 朝食のお詫びに晩ご飯を作ってくれるらしいのだが、月乃はどちらかと言えばさっさとお昼ご飯が食べたい。

「姉小路様、少し月乃様をお借りしますね」

「は、はい、どうぞ」

 日奈様はなんでもオッケーしちゃう女の子である。月乃はしぶしぶ林檎さんの可愛い背中についていった。



「お・・・美味しいですわ・・・!」

 月乃はティーカップに揺れるキツネ色を見つめながら仰天した。

「月乃様のためにご用意した最高級のアールグレイです。麓のデパートまで出かけたのですよ」

「口いっぱいに香りが広がりますわ・・・!」

 本当に美味しい紅茶だった。

 ロワール会の最後のメンバーとして二人で仲良くお茶会をする事は約束していた通りだったが、まさかこんなに良い紅茶を林檎さんが用意してくれているとは思わず、月乃はビックリした。

 風は賑やかな少女たちの笑い声と花の香りを乗せて静かに大聖堂広場のテラスに吹いている。確かに昨日までとは学園の雰囲気が違うようで、月乃が慣れ親しんだ硬派な世界ではなくなってしまったが、これで良かったと月乃は思った。笑顔はきっと幸せのおすそ分けなのだ。


 ところで、当然のことながらストレートの紅茶は0キロカロリーである。



「月乃様ぁ! もうすぐ晩ご飯が出来ますからね!」

 すっかり日の暮れたマドレーヌハウスのロビーに、エプロンをカラフルに汚した桜ちゃんがやってきた。朝から形あるものを何も口に入れていない月乃は空腹でぶっ倒れる寸前なのだが、ソファーに腰かけたまま警察犬のような誇り高い表情をしてうなずいておいた。武士は食わねど高楊枝というやつである。

「月乃様のお部屋ですが、来週にはちゃんとしたお部屋がご用意できるはずです。もうしばらくこの寮でお泊り下さい」

 一番街のヴェルサイユハウスの寮長を務める前髪パッツンの少女が、月乃の正式なお部屋を準備してくれているらしい。彼女は候補になる部屋の間取り図などを並べてくれているが、月乃はお腹が空いていて頭が全然働かない。

「別に・・・今まで通りロワールハウスでもいいですわよ」

「いえ、せっかくなので新しいお部屋にしましょう。広い空き部屋がたくさんありますから」

「お任せしますわ」

 まさか、気を利かせた生徒たちにより日奈様と同じ部屋にされるだなんて、この時の月乃は夢にも思っていないのだった。



「ど、どうぞ・・・! 月乃様!」

 肩で息をする桜ちゃんが持ってきてくれたのは、ビスケットくらいのサイズになったトーストのかけらだった。

「毒見は・・・完璧です・・・うぅ」

 よく見ると林檎さんと桜ちゃんはしくしく泣いており、食堂に集まった少女たちも申し訳なさそうに俯いている。月乃のために美味しい晩ご飯を作るべく色々挑戦してくれたようだが、実は結ばなかったらしい。

 月乃は困った。

 こんな晩ご飯になって申し訳ありません、と言った苦々しい雰囲気に食堂は包まれているが、どうしても月乃にはこのトーストが美味しそうに見えてならなかったのである。

「い、頂きますわ・・・」

 パンのミミは月乃好みのもちもちで、鼻先をくすぐる香ばしいバターの香りや、シャンデリアを眩しく反射するルビーのようなイチゴジャムが、月乃の五感に目の覚めるような美味を訴えかけてくる。

 祈るような気持ちで見守る少女たちの前で、月乃はトーストを口に運んだ。

「お、おいひいですわぁー・・・!!」

 涙が出るほどおいひかった。

「ほ、本当ですか!!」

「月乃様ぁ!!!」

「月乃様、ありがとうございます・・・!! なんてお優しいぃ!!」

 月乃が慈悲の精神で美味しいと言ってくれたと勘違いしている生徒がたくさんいるが、月乃は素の反応を見せただけである。空腹は最高の調味料なのだ。

(良かったぁ。月乃様、馴染んでくれてる)

 キッチンから女神様のような顔で月乃を見守っているのは日奈様だった。明日からの朝食はぜひ日奈様が全て作って欲しいところである。

 人前で喜怒哀楽を表現してはならない・・・そんな戒律がつい昨日まで存在していたとは思えない、ハートフルな食卓の風景となった。セーヌ会による新時代が訪れた、最初の夜の出来事である。

 

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