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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第23話 協定締結

 同時期、オラニア海、アルビオニウス海峡


 西方諸国の特徴を強く持つ12艘の巨大な5段櫂船が2列で航行しているのを、島影に潜む島のオラン人達はじっと待ち構えていた。

 彼らが狙うのは黄色く塗られ、大きな目玉を船首に描かれたエリアス通商会議の戦艦隊である。

戦艦隊はしかし長期航行に備えて大量の物資を積載しており、吃水が随分と下がっており、それに見合って速度も遅くなっていた。


 オラン人の船は舷側が低く、5段櫂船に比べれば艤装も貧弱で船体も小さい。


 しかし小回りや秘匿性においては数段勝っている。


 そして乗り組んでいるのは海上での戦いの経験を十分以上に積んだ島に住まうオラン人の海賊達。

 それに相手方の吃水が下がっているのも乗り移っての戦闘が得意な彼らには有利な要素となる。

 彼らはひたすら待っていた。

 海峡の最も狭い場所を艦隊が通過するのをである。





「提督、どうかねこの辺の海は?」

「波が荒くてやり辛いですな……まあ戦闘にそう支障はありませんでしょうが、貨物船は頑丈な物を使いませんと難破してしまうかも知れません。後は未開の地だけにいやらしい物陰が多いですな」


 似合わない革の鎧兜を装備しているティモレオニスに声を掛けられた、東征艦隊提督のキアネスは周囲を見回してから答えた。

 そしてアルビオニウス海峡の狭隘部分を指で示して口を開く。


「特にあの島影がいけませんね、もう待ち伏せの臭いがぷんぷんします……戦闘準備!」


 いきなり鋭い号令を飛ばし、ティモレオニスを驚かせるキアネス。

 戦闘準備を示す旗が揚げられ、麾下の戦艦が慌ただしく戦闘準備を始めた。

 舷側に設置された弩砲に大矢が装填され、船と同じような色合いの軽い革の鎧に兜を身に着けた海軍兵士達が槍と弩を装備して甲板へと続々と上がってくる。


「交互戦列!帆を畳めっ、櫂を出せっ」


 続いての号令は2列縦隊の戦艦の位置をずらし、斜線を被らないようにする為の措置である。

 また火矢攻撃を防ぐ為に燃えやすい帆を畳み、動力源を帆から取り回しの効く櫂に変えたのだ。


「……少し船同士が離れてしまっているが、構わないのかね?」

「ええ、どうせ相手は舷側の低い蛮船ですからな、こちらからは乗り移れません。だったら近づかれる前に沈めてしまいましょう。どうせ蛮船、船板の厚みはこちらの弩砲の威力に耐えられる程もありませんでしょう」


 ティモレオニスの質問にキアネスが答えている間に、艦隊は狭隘部分に差し掛かる。

 と思った瞬間、島影からわらわらと小型の船舶が現れ始めた。

 そして剣や槍を天に衝き上げ、気勢を一斉に上げて威嚇してきた。


「ほうら、海賊共が来なさったぞ……射程に入り次第号令をかける!遠慮は要らん、全部沈めてしまえ!」


キアネスの号令で弩砲の発条が巻き上げられ、弩に矢が装填される。

 そして海軍兵士達は舷側に寄りかかって一斉に狙いを定めた。

 次第に近寄ってくる海賊船。


「撃てえええ!」


 距離を量っていたキアネスが、気合いの入った号令を下すと、12艘の5段櫂船から一斉に矢や大矢が放たれた。








1週間後、オスティウム



ロッセ達を都市建造予定場所に連れ出し、移住を勧める一方ハルはハレミア人の好む武器以外の物を大量に与えて帰した。

 それ以降、水道の水源を探索したり、公会堂と行政庁舎の建設に着手するなど慌ただしく過ごしたのである。

 そして、沖合にエリアス通商会議の戦艦隊が姿を現したの発見した見張りの兵士が報告にやって来た事から、ハル達はティモレオニスを出迎えるべく準備に入った。


カンディが設営したあった簡易桟橋に横付けする旗艦。

 他の戦艦は周囲の警戒を兼ねて少し沖合に碇を下ろす。

 やがて西方諸国風の特徴ある貫頭衣に楕円長衣を身に着けた一行が下船してきた。

 青いマントを潮風にはためかせ、完全装備の北方軍団兵が剣を抜き捧げるようにして礼を送る中、エリアス通商会議のティモレオニスを先頭にした西方諸都市国家群を代表する使節団が進む。


「始めまして、西方帝国北方辺境担当辺境護民官のハル・アキルシウスです」

「ご丁寧な出迎えご苦労様です。エリアス通商会議会頭、エリアス市評議長のティモレオニスです」


 始めた向き合った2人はガッチリ互いの手を握り合い、笑みを浮かべるのだった。






ハルの使用する空き兵舎に案内されたティモレオニス達は、儀礼的な贈答品の遣り取りを終えた後、早速本題に入る。


「……では資金は供出して頂けるのですね?」

「供出ではありません。あくまで将来の利益に対する投資と考えて欲しい。そして投資は確実に回収しなければならないのです」


 ハルの言葉にティモレオニスは窘めるような口調で言う。


「この都市が安定して発展し、シレンティウムと我が西方諸国とを結ぶ要となる事が保証されるのであれば、資金は幾らでも引き出せましょう」

「……ご存じの通り、ハレミア人は私たちが北へ追いやりました。周辺のオラン人やクリフォナム人は私たちに協力的です」

「確かに、都市の建設現場を見れば様々な族民達が働いていますな。諍いも無く、互いの事を尊重して作業に勤しんでいるのがよく分かります」


 ティモレオニスはハルの答えに肯定的な返事をする。


「では?」


 期待を込めて資金提供の回答を得ようとしたハルだったが、ティモレオニスに押し止められた。


「まだ話しは終わっておりません……安全、それだけでは困ります。万が一投資した資金が回収出来ないようなことになれば我々は資金のみならず信用まで失ってしまう。これは非常に困る事態です」

「……保証ですか?」

「そう、保証です」

「分かりました……あれを持ってきてくれ」


 ハルはルーダにシレンティウムから持参した品を持ってくるよう命じる。

 その隣ではオルキウスがニコニコと笑みを浮かべており、ハルはその表情を見て苦笑した。

 黙って一礼を残しルーダが部屋から出ると、程なくしてルーダ指揮の元に数個の大きな木箱が運ばれてきた。


「これは?」

「開けてみましょう」


 ハルはそう言いつつ箱を1つ机の上に置かせると、兵士が持ってきた鉄梃子で釘を引き抜きその箱を開いた。


「これは……!」


 箱の中には奉玄黄が東照から持ち込んだ陶器や磁器の皿、什器、宝飾品が粘土と麦藁にくるまれてぎっしり詰められていたのだ。

 西方諸国に東照の産品はほとんど伝わらない。

 これは途中のシルーハや西方帝国で概ね消費されてしまうからであるが、その分希少価値が非常に高く、王侯貴族に類する彼らすらこれ程大量の東照の物品を見た事は無かったのだ。

 それ以外にも絹布や東照紙が取り出され、ティモレオニスらはその余りの光景に生唾を飲み込む者もいた程である。

 それを見てオルキウスが得意気に言う。


「どうですか?今日は交易品としてこれを全て無償で差し上げますぞ!」

「無償!?」


 西方諸国において壺1個、皿1枚で大判金貨10枚以上の値が付く物ばかりであるが、手土産代わりというのだろう。

 驚くティモレオニス達を余所に、ハルは言葉を発した。


「はい、投資に対する対価……とでも言いましょうか。他にも北の産品として砂糖、乳製品、銀、琥珀、香木、北方紙が提供出来ますよ」

「……なるほど、これほどはっきりした保証は無いですな。しかしこれ程の物を如何にして?」


 ティモレオニスの疑問に、ハルはエレール川を指さして一言だけ告げた。


「川です」

「なるほど、河川航路を開通させたのですか……それならば納得です」


 次々と持ち込まれる種類豊富な大量の交易品を見てティモレオニスは感心して頷くと、後で控えていたキアネスに声を掛ける。


「提督、こちらの手土産も用意してくれるか?」

「承知しました……おい、持って来い」


 キアネスの命令に兵士が駆けていく。


「では、ここでは少し手狭ですので外へどうぞ」

「そうですか?」


 それを見送ってからティモレオニスはハル達を外へと誘った。





 しばらくして砂浜に到着したハル達は、そこにある光景に驚かされる。

 ずらりと縄を打たれた蛮族が並べられていたのだ。


「これは……海賊ですか?」

「はい、途中航路の探査がてら周辺の島のオラン人海賊を壊滅させておきました」

「こんなに……」


 絶句するハルにティモレオニスはにこやかに言う。


「航路の安全は我々が自力である程度確保しますのでご安心を。ただ彼らの行く先が無いので受け入れをお願いしたいのです」

「分かりました」


しばらくは手枷足枷を付けたまま都市建設の労働力として使い、その後しかるべき措置を取る必要があるだろう。

 改心するなら移動制限付きの市民としてオスティウムに住むことを許し、それが認められないのであれば処刑するか奴隷として売り払う事を決めたハル。

 兵士達に命じて海賊達を引き取らせる。


「では、交渉成立ですな?」

「はい」


 ハルが答えると、オルキウスが元気良く言葉を発した。


「では書面を用意しましょうか!」






 この交渉で決定した事項については


 シレンティウム同盟とユリアス通商会議を窓口とする西方諸都市は以下の件について合意するものとする

1 オスティウム市の建設費用はエリアス通商会議が提供する。

2 オスティウム市の執政権はシレンティウム同盟が保持する。

3 オスティウム市においては双方に関税をかけない。

4 通商に関する道路税、入港税は双方において免除する。

5 他の勢力に対しては共通税を課す。

5 航路の治安はエリアス通商会議が確保するが、オスティウム市の艦隊はシレンティウム同盟に属するものとする。

6 オスティウム市には双方の政務代表を置く。

7 寄港地に対する便宜供与依頼は双方から働きかけてこれを求める。


というものであった。

 

 ティモレオニスは戦艦に積載してきた大判金貨を都市建設費用としてオルキウスに引き渡し、オルキウスはオスティウム駐在の政務代表としてしばらく都市造営と商業官吏に専念することとなったのである。




 オスティウム沖、ユリアス通商会議旗艦上



 碇を上げ、帆を上げ終えた艦隊は一路西方を目指す。

 捕らえた海賊達をシレンティウム側に引き渡し、それ以上の海賊を溺死させたエリアス通商会議艦隊は、帰路も島のオラン人を掃討する予定だ。

 その為の水や食糧もたっぷり積み込んでおり、先頃の勝利もあって兵の士気は非常に高い。

滑るように動き出した戦艦の艦橋で潮風に吹かれていたティモレオニスに、キアネス提督が笑みを僅かに浮かべて声を掛けた。


「会頭、辺境護民官は如何でしたか?」

「……提督はどう見たかな?」

「侮り難し、と言った所ですかな」

「そうか……私は少し違う」

「ほう?」


 興味深そうにキアネスが言うと、ティモレオニスはゆっくりと言葉を発し始めた。


「味方に付ければあれ程頼もしく、信用出来る相手は他にいないだろうが……一度敵に回れば最後まで正々堂々と立ち向かってくる厄介さを持っている……そう思った」

「なるほど、確かに、真っ直ぐな厄介さを感じはしましたな」

「真っ直ぐな厄介さか、正にそのとおりだね提督」


 キアネスの言葉に笑みを浮かべて応じるティモレオニス。


「しかしながら今回は味方となりました。心配ないのではありませんか?」

「ははは、確かに……自分達よりも、彼の敵になる者達に同情したい気分だよ。いずれにせよ、彼の者成れば我がエリアス通商会議の不利に動くことはあるまいし、裏切ることも無いだろう」

「全くそれは心配要りませんでしょうな」


 キアネスは真面目な顔でティモレオニスの言葉に深く頷くのだった。







シレンティウム郊外、野戦訓練場



「違う!そうじゃない、槍は盾の隙間と上から平行にするんだ!」


 クイントゥスの叱責する声が響く。

 シレンティウム郊外に設けられた野戦訓練場で、北方軍団兵と補助軍槍兵がクイントゥスの指揮の元厳しい訓練を積んでいた。

 初めての実戦とも言うべき北の戦いで蛮族相手には十分以上の成果を上げた北方軍団兵達であったが、騎兵に対する防御や攻撃方法に問題があることと、突発的な事態への対処がいささか遅いという弱点が見つかった。

 騎兵に対する方法は投射兵器の大量発射で対処するのが西方帝国風の戦法であるが、ハルは西方帝国本土と異なり自由自在に矢玉が補給出来るわけでは無い北方辺境においてそれだけでは不十分と考えたのである。


 ハルは軍団の補助に槍装備の部隊を付け、また北方軍団兵に長槍の訓練を施すと共に一部の北方軍団兵の装備を槍へと変えることにした。

 今後騎兵主体のシルーハと戦う事を想定しての訓練で、これで無様に騎兵部隊にしてやられることは無くなるはずである。

 加えて騎兵部隊の充実も図ることにした。

今まではクリフォナムの部族戦士達で馬に乗る事が得意な者達だけを軽装騎兵として雇っていたが、帝国風の重装騎兵を備えることにしたのである。


 もちろん、基本となるのは北方軍団兵で、新設された騎兵隊の訓練はハルが専従して行っていた。

 ハルはシレンティウムにおける軍団に新兵科を加えることにしたのである。

更に、ハルはクリフォナム人の東部諸族に属するサウラ族から同盟部族騎兵を導入した。

 サウラ族は未だシレンティウム同盟に参加した訳では無いが、フリンク族との国境紛争を抱えている為に敵の敵は味方と言った論理で協力を申し出たのである。

 クリフォナム人の戦士達は概ね歩兵戦士が基本で余り馬に乗るのは上手くない。

戦士の嗜みとして乗ることは出来るが、騎馬戦は森林地帯に暮すクリフォナム人にとって余りなじみの無いものであり、移動手段としては兎も角、騎馬戦士はあまりいない。


 ただサウラ族も属するクリフォナム人でも森林地帯から草原地帯に変わる地域に住み暮す東部諸族だけは別で、隣接する遊牧騎馬民族であるフィン人との交流や戦争を経験し、その戦士達は騎馬戦闘を身に付けている。

 フィン人の戦士は騎乗弓射を得意とする軽装騎馬戦士であるが、クリフォナム人は比較的重装備を身に付けた両手持ちの槍を装備した騎馬戦士が主体で突破力に優れる。

 ハルはこの騎馬戦士を得るべく、サウラ族の協力を得て東部諸族へ同盟参加を呼びかけると共に自由戦士を積極的に雇用したのであった。



 現在シレンティウムには、西方帝国の正規軍として

第21軍団、第22軍団、第23軍団

がおり、この内第22軍団は西方帝国出身の帝国人主体、第23軍団はオラン人主体である。

 またこの他に補助軍団として

第24軍団、第25軍団、第26軍団

の編制が行われている最中である。

 因みに第24軍団と第25軍団はクリフォナム人主体、第26軍団はオラン人主体の部隊となっている。

 この他に現在ハルが訓練を繰返し行っている

第1騎兵団

シレンティウムに拠点を置く、西方帝国出身者主体の

重兵器軍団

がある。

 また第21軍団と第22軍団、第23軍団は西方帝国からの給付金と兵士で多くを賄っているのは以前と変わらない。

 また重兵器軍団は、西方帝国の熟練退役兵で構成されている。





「突撃開始!」


 クイントゥスの号令で歓声と土煙を上げて槍を前に突き出し、苛烈に突撃する騎兵達。

 東部諸族の戦士を主体とする重装騎兵と同盟部族騎兵の一斉突撃は相当な迫力と威力があり、訓練を担当したハルを最初から満足させるものであった。

 帝国風の鉄製鎧兜を身に付けている所は西方帝国の重装騎兵と共通であるが、シレンティウムで編制されたクリフォナム人による重装騎兵達は片手持ちの槍にクリフォナム伝来の丸い盾を持っている。

 盾は北方軍団兵の持つ大楯と同じように、青色にシレンティウムの都市紋章が描かれたものである。

 当初は騎乗での取り回しが不便であるので騎兵用の長方形の盾を西方帝国から取り寄せようとしたが、時間も費用もかかり過ぎるので頭を悩ましていた所、ベリウスの発案でクリフォナムの盾に彩色を施したものを使用することにしたのである。

 ちなみに西方帝国で騎兵部隊は積極的に活用されておらず、騎兵装備も高価で品薄。

 それ故に直ぐに揃えることが出来なかったのだ。

 しかし怪我の功名とも言うべきか、そのお陰でベリウスの提案が通り、結果騎兵達はより軽くて取り回しの良い、そして使い慣れた装備を手にすることが出来た。

 数度の突撃で号令とのタイミングや各部隊との連携を確認しつつ、隊列の幅や斜線突撃や包囲攻撃について訓練する騎兵達。


「訓練終了!」


 昼もずいぶんすぎた時間になり、訓練がようやく終了した。

 クイントゥスの号令でそれまで厳しい表情だった騎兵達の顔に笑顔が登る。

 シレンティウム騎兵団の誕生は間もなくである。







 ハル帰還直後、シレンティウム市大通り

 

 昼下がり、快晴のシレンティウム。

 水道橋を流れる清らかな水音、白壁に映える街路樹の緑、瑞々しい草葉の香りと土の匂いをほのかに含む風が、元気な人の声が響く夏の大通りを吹き抜ける。

 入植や、家屋の建築、街路の整備も一段落し、シレンティウムは正に繁栄の時を謳歌していた。

 あちこちで物を売り買いする威勢の良い声が、知人とおしゃべりする賑やかな声が、家族連れの朗らかな声が、恋人同士の楽しげな声が、あらゆる場所から聞こえてくる。

 その中を、白い貫頭衣に青い楕円長衣という、一際目立つ格好をした帝国人が楽しいそうにあちこちを見ながら歩いていた。


「あ、こんにちはアルトリウスさん」

『おう』

「アルトリウスさん、どうも」

『うむ、大事ないか』

「しょうーぐんさま、きょうはうかばないの?」

『おお、そうだな、今は歩く方が楽しいのであるな』

「あ、神様、こりゃどうも」

『うむ、怪我はどうか?』

「お陰様で……」


 道行く人達がその人物、都市の守護神となったアルトリウスに声を掛ける。

 アルトリウスも一々頷いたり、声を掛けたりして答え、なかなか人気の様子。

 死霊の時代から頻繁に出没しては、一方的に助言や手助けをして去って行くため、市民達の噂の的になっていたアルトリウスであったが、晴れて真っ当な存在となり昼日中から街を出歩くことが多くなっていた。

 かつては按察官吏の街路樹担当に追い払われたこともあるが、今は他人や動植物の精気を触れた端から吸い取ってしまうことも無くなり、シレンティウム行政府からの公示でシレンティウムの守護聖人として認定されたこともあって、アルトリウスは身近な神様として急速に街へとけ込んでいったのである。






『人の営みとはかくも楽しきものであるか!いや、以前より知ってはおったのだが、そこに交じれる日が来るとは思いもよらなかったのである。うむ、実に良い!』

「先任、また抜け出したんですね?」


 ハルは執務室に来て街での出来事を語って聞かせた後も居座ってあれこれと話すアルトリウスを呆れて見る。


『抜け出したとは人聞きが悪いのである!我は視察に出ただけである』

「仕事をしない悪い神様だと、叔母さまが愚痴っていましたよ?」


 心外だと言わんばかりに腕を組んで言い返すアルトリウスに、双子をあやしながらエルレイシアが微笑みを浮かべて言った。

 アルトリウスはハルとエルレイシアの双子に名前を付けたことがきっかけで神格化したため、都市の守護に加えて名付けの仕事を太陽神から授かっていた。

 しかし、アルトリウスは市民や行政府から神殿建立の申し出を断っており、今は太陽神殿の大聖堂隅に置かれた祭壇がその祭事拠点である。

 アルトリウス曰く『我はそんな偉いモノでは無い、我は皆と同じが良いのである……あ、でも墓所はちょっと奇麗にして貰えると助かるのである……』ということで、墓所は奇麗に整備され、常時蝋燭が点される事となった。

 普段は用意された太陽神殿大聖堂の小さな祭壇で、連れて来られた赤ん坊に名前を見繕ってやるのを神としての仕事としているアルトリウス。


 今までは神殿で名前を授かる者はそれ程多くは無かったが、最近は顕在している数少ない神、アルトリウスに名付けて貰おうとシレンティウムのみならず、クリフォナムやオランのあちこちから若い夫婦がやってくるようになった。

 思いがけず忙しい仕事を果たさなければならなくなったアルトリウスは、疲れたと称して度々神殿を抜け出し、大神官代理のアルスハレアに連れ戻されているのだ。

 ペンを止め、エルレイシアからちびっ子アルトリウスを抱き取ったハルに苦笑を向けられ、神様のアルトリウスが顔を歪める。


『う、うむ、いや、しかし市井の人々と交わってこその守護神であろう?であるからして我は積極的に外へ出てだな……』

「また、ここでサボっていましたね」


 アルトリウスの言葉が終わらないうちに、アルスハレアの声が重なった。


『うぬっ、しまった、長居したのであるっ』

「好い加減戻りなさい、4組ほど夫婦が待っているわ」

『ううむ、仕方ない……子供は子供で可愛いのであるしな、よしよし』


 アルスハレアのトゲある声に渋々腰を上げ、歩み寄る途中、アルトリウスは満面の笑顔でハルの息子と娘の頭を優しく撫でる。

 その様子にアルスハレアが焦れて再度声を掛けた。


「……孫を可愛がるのは後になさい、私だって我慢しているのよ」

『……う、うむ、では行くか……』


 アルスハレアの言葉に気圧され、名残惜しそうにハルの執務室を去るアルトリウスであった。







 シレンティウム行政庁舎、ハルの執務室


 オスティウムから帰還してしばらくたった。


 自分の執務室にシッティウスとタルペイウス、楓、そしてアダマンティウスにクイントゥス、ルーダ、カンディ、ベリウス、テオシスを呼び集めたハルは、用件を告げる。


「フレーディアを奪回します」

『うむ、良き頃合いであるな』


 最初から執務室にいたアルトリウスが重々しく頷くと、楓がぱっと手を上げて言葉を発した。


「ハル兄、フレーディアの戦士達は随分少なくなってるみたいだよ~」

『理由は……差し当たってハレミア人の難民であるか?』

「うん、内戦状態になったハレミア人で、負けちゃった部族がどんどん南に漏れ出てきてるみたい。北部諸族はその対応に追われて部族戦士を引き上げてるよ」


アルトリウスの問いを肯定する楓。

 ハルに撃破されたパガン率いるハレミアの一派が北へ舞い戻り、その影響でハレミア人達の間で領土や移住を巡って内訌が生じてたのだ。

 事情のよく分からないまま戦いに巻き込まれたハレミア人の中には武装難民となって南へ脱出する者が多く、クリフォナムの北部諸族と衝突が発生している。

 ダンフォードに協力していた北部諸族であったが、この事態を受けて部族戦士団を引き上げる動きを見せ、ダンフォードもこれを容認せざるを得ない状況であった。

 故にフレーディアに居残っているのはダンフォード派のフリード戦士と、伯父のグランドルから付けられたフリンク戦士のみとなっており、数を大きく減じている。


 また反ダンフォード派のフリード貴族やベルガンの一族は未だ激しく抵抗を続けており、参謀役の黒い戦士長がその対応に追われていることも分かっている。


「戦死したベルガン殿の一族からは、シレンティウムに援助を求める使者が度々訪れております。今までは食糧の支給や武具の調達でお茶を濁しておりましたが……そろそろしびれを切らすやも知れませんな」


シッティウスが相も変わらず片手に持った分厚い資料の中から、すらりと数枚の紙を取り出すと、机の上に並べて置く。

 そのベルガンの一族から送られた手紙には、早急に救援を求める内容が息子であるベルガン2世の名で記されていた。


「……ベルガンさんの息子って?」

「まだ10歳程の子供のはずですなあ。一応総領息子にはなるんでしょうが……」


 ハルの問いにタルペイウスが無い耳の辺りをさすりながら答えると、ハルは頷いてから指示を下した。


「では、反ダンフォード派の貴族や戦士達、ベルガンさんの一族にフレーディア奪回作戦を伝え、参陣するよう伝達して下さい」

「……今回は俺も参加させて貰うぜ。死んじまったベルガンや監禁されている技師達との約束があるんでな」


 タルペイウスの気負わない声に、ハルは頷く。

 両耳を失い、部下を抑留されているタルペイウスは、事あるごとにフレーディア奪回を主張してきたが、それがようやく叶うのである。


「分かりました……それからシレンティウム軍は第21軍団、第22軍団、第23軍団、第24軍団、第25軍団、重兵器軍団の4万を動員します。またアルペシオのガッティ族長とベレフェスのランデルエス族長に部族戦士団を要請して下さい」

「承知しました」


 クイントゥスがハルの命令に応じて使者を走らせるべく部屋を出る。

 クイントゥスはこの他にも重兵器軍団を率いる役目があり、コロニア・ポンティスの造営も手を抜けない状態で非常に忙しい。


「楓は引き続き情報を集めてくれ」

「分かった~今回はボクも近くまで行くよ」

「気を付けろよ」

「まっかせてよ!」


 ハルの言葉に力強く頷くと、楓は笑顔で言った。

 それを見ていたシッティウスが左手の資料を繰りながら口を開く。


「糧秣、馬糧、消耗品などの補給はお任せ下さい。万全を期して実施致します。まあ、今回は街道が繋がっておりますのでそれ程苦労はしないでしょうが……」

「宜しくお願いします」

『後方は任せるである。ルキウスを今回もよくこき使ってやろうぞ』


 続いてアルトリウスがにやりと笑みを浮かべて言うと、ルキウスのぼやきが早くも聞こえてきそうでハルは笑って応じた。


「あはは、是非お願いします」


 そして正面に向き直ると、厳かな声で宣言する。


「では、ただ今よりフレーディア奪還作戦を発動します!」


 この時をもってシレンティウムは失われたフレーディア奪還に動き出したのだった。

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