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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第19話 パレーイ族平定戦

 イネオン河畔、戦場跡


ハルはアダマンティウスとアルマール族のルーダ、ソカニア族のカンディを伴ってイネオン川とエレール川の合流地点、町を建造する予定の場所周辺を視察して回っていた。


「エレール川からオラニア海への航路を開くことが出来れば随分と便利になりますな」

「ここからであれば難所もなく、オラニア海へは出られますから」


 大河の水面を見ながら黒い刀の鍔を眼帯代わりに付けたアダマンティウスが言うと、ハルがそれに応じた。


「しかし、両岸の部族……左岸はオラン人、右岸はクリフォナム人でしょうが、承諾か平定が必要ですか」


 アダマンティウスが再び言うとハルは頷いた。

 確かに大小複数の部族がひしめくエレール河畔は河川漁業や河川交通として着目された事もあるが、大規模輸送を必要とする勢力が育っていない北方辺境ではそれ程強い必要性や要求もなく、また勢力圏の複雑な絡み具合から船舶交通は成立したことがない。

 安全とは言えない交通手段を敢えてとる必要も無く、エレール川はただの境界線として悠久の時をただあり続けたのであった。


「まあそれをこれからやる訳ですが……」


 ハルが残念そうにため息をついた。

 ハルは北方軍団兵を率いてエレール川両岸のオラン、クリフォナムの両部族を平定し、最終的に極北地域まで遠征して河口付近に居座るハレミア人を叩きのめす事を計画していた。

 それに加えてこの地を河川航路の拠点とするべく準備を始めている。

 現在シレンティウムで一時的に避難生活を送っているセデニア族とポッシア族。

 基本的にはそれぞれの土地へ返す予定ではあるが、帰郷の意思を持たない者についてはフレーディアかシレンティウムへ移住を勧めようと思っていたハル。


 しかし、イネオン河畔を見て、考えを改めた。

 ここであれば河川を使用した防御も容易であるし、交易拠点としての将来性もある。

 また、避難民の故郷からそう離れてもおらず、なじみもあるだろう。


「全てはこの戦いが終わってからの事ですがね」


 ぽつりと漏らしたハルは、アダマンティウスの返事を待たずに踵を返した。

 それにアダマンティウス、カンディ、ルーダの3人が続く。

 明後日にはエレール川を渡ってオラン人地域に侵攻することになっている。

 エレール川西岸に勢力を持つパレーイ族は、ハルからの使者を追い返し、シレンティウム同盟参加に前向きな各部族の攻撃に回ったのである。


 島のオラン人の系譜を引く反抗的なパレーイ族はオランの族長会議に参加しておらず、シレンティウムや西方帝国には元から非常に攻撃的な姿勢を見せている。

 それ以外のエレール川西岸に拠点を持つオランの各部族は、シレンティウム同盟参加を表明しており、オラン族長会議もこれを承認した。


 一時的にはシレンティウム同盟とオラン族長会議に両属する形になるが、これもいずれオランの全部族が同盟に参加する事が前提の一時的な措置として決着している。

 ハルの今回の任務はシレンティウム同盟に参加したラクフェス族からの要請を受け、パレーイ族の攻撃を退けてこれを逆撃し、シレンティウムの影響下に置いてエレール川の交通と交易を安全化する布石とするのが今回の作戦の狙いである。


 ハルはこの戦いに第21軍団と新設第24軍団の2個軍団1万4千を投入した。

 今回アダマンティウスは第22軍団をコロニア・メリディエトに置き、将官だけを率いてハルの補助を務めるべくやって来ている。

 背後にあたるフレーディアは、ベルガンの叔父であるダンケル率いる反ダンフォード派が引付けてくれており、こちらへ攻めてくる心配は無い。


「では行きますかな?」

「はい」


 片眼のアダマンティウスに促され馬首を返すと、強い風がハルのマントを巻き上げて南へと去っていった。







 2週間後、エレール川中流域の平原



整然と並んだシレンティウム軍に対し、パレーイ族は一応の横陣を敷きながらも盛んに蛮声を挙げて挑発する。

パレーイ族はシレンティウム軍の侵攻を予想していたのか、部族戦士5万に加えて島のオラン人戦士1万の応援を得て6万程になっていた。

 島のオラン人は船でエレール川を遡ってきたようで、布陣場所の近くには舷側の低い櫂船が多数河岸へと引き上げられているのが見える。

 対するシレンティウム軍は2個軍団1万4千。

 オランの森深い地域での転戦が予想された事から歩兵中心で構成されており、足場が悪いため重兵器は帯同していない。


「……これは壮観ですな。パレーイ族は総力を挙げておりますぞ」

「逆に言えばここでこの戦士達を撃ち破ればパレーイ族は立ちゆかなくなると言うことですね」


 ハルが応じると第24軍団の軍団長となったベレフェス族のテオシスが言う。


「はい、戦士の数から見ても間違いないと思います。よく見れば少年や老年の者も混じっていますから、本当の総力で間違いないでしょう」

「島のオラン戦士は装備が薄いようですな……」


 次いでアダマンティウスが指で示す先を見ると、確かにエレール河畔に布陣する島のオラン人戦士達は革の鎧兜に革の盾と軽装備である事が分かった。

 おそらく海上で動きやすいような軽装備であることから、海賊として付近を荒らしている者達が参戦したのであろう。

 アダマンティウスがハルに問う。


「……交渉しますかな?」

「いえ、既に交渉は決裂しています……戦闘態勢に移行して下さい」

「了解しました……戦闘準備!」


その号令でシレンティウム軍は直ちに戦闘態勢に移行するべく準備に入った。





双方の顔が確認出来るまでに接近した両軍はしばし睨み合いの体勢に入る。


 相変らずパレーイ族側からは蛮声が飛び、対するシレンティウム軍は静まりかえっていた。


「さて……どうしますか?」


 アダマンティウスが片眼で不敵に笑うと、ハルも笑みを返した。

 厳しい訓練を積み、北方軍団兵の中でも特に熟練度、訓練度に加えて戦場経験の多い古参の兵士を各軍団から抽出して編制した第21軍団と第24軍団。

 訓練を担当したアダマンティウスは元より、ハルもその精強さには自信を持っている。

 相対する蛮族はオラン人のパレーイ族。

 上級戦士や貴族は鉄や青銅製の鎧を身に着けている者もいるが、大半は革の鎧に青銅の粗末な兜を被り、楕円形の盾と短槍で身を固めているのみである。


 翻って北方軍団兵は長方形の大盾に長目の剣や短槍を持ち、青銅製の臑当てと小手に、西方帝国の兵士達が身に着けるのと同じ鉄製の鎧兜を装備していた。

 まちまちな装備と動きのパレーイ族側に比べ、統一された装備に統一された動き。

 島のオラン人達も自分達が煮え湯を何度も飲まされた帝国軍団兵の姿をそこに感じ、苦手意識が芽生えたようである。


「では少しつつきましょう」

「承知しました……軍団50歩前進!」





 音を鳴らして一斉に地面につけていた大盾を持ち上げ、北方軍団兵が前進を始めた。

 自分達より遥かに小勢であることから、まともにぶつかってくるとは考えていなかったパレーイ族の族長や戦士長達はシレンティウム軍の動きに大いに驚く。

 島のオラン人の海賊頭であるヴァルタンベイルはその動きに嫌な顔をしてパレーイ族の族長であるカレオバリックスへ話し掛けた。


「族長、話が違うようだぞ……奴らは我らが姿を見せれば交渉に動くと言った。しかし奴らはやる気だ」

「……まさかこの大軍が見えんのか?」


 ヴァルタンベイルに続いて戦士長の1人が言うと、カレオバリックスはシレンティウム軍を遠望していきり立った。

 そして歯を折れんばかりに噛み締め、ずらりと長剣を引き抜くと大声を放つ。


「小癪な!揉み潰してくれる!!」







「よいかあ!此度は正面衝突!我が北方軍団兵の精強さと頑強さを今一度北方辺境に轟かせることこそ肝要!!」


 敵が動き出したことを見て取った最前線のアダマンティウスが叫ぶ。

 この老将は前回の敗戦を恥じ、汚名を雪ぐべく最前線での指揮を希望したのだ。

 補佐役に付くのはアルマール族のルーダである。

 アダマンティウスの老体とも思えぬ鍛え抜かれた声帯から発せられた、火を噴くような檄を聞いて北方軍団兵の身体に力が漲る。


「相手は大軍なれど烏合の衆!我が軍団こそが北方最強と知らしめるのだ!」

「頃合いは良し、弓射始めっ」


 50歩の前進を終えて部隊が停止したことを見て取ったハルは、速くも走り出しているパレーイ族に対し弓射を命じる。

 もちろん自分の大弓を構えることも忘れない。


「……放て!」


 号令と同時にハルの大弓が唸る。

 稲妻のような勢いと音を立てて飛び去ったハルの黒矢羽根の矢を先頭に、北方軍団兵からどっと奔流のような勢いで矢が放たれた。

 山形の軌道を描き、走り込んでくるパレーイ族戦士達の頭上に矢が雨霰と降り注ぐ。

 咄嗟に盾を頭上にかざして防ごうとする戦士達だが、勢いのついている矢は簡素な革の盾や薄い木の盾を貫通し、その肉体に突き刺さる。

 あちこちで絶叫や呻き声が満ち、怒りと歎きの声が上がった。

 間断なく降り注ぐ矢の雨にパレーイ族戦士の足が止まるが、後方からはどんどんと駆け込んでくるために渋滞が生じ、そこを狙ったシレンティウム軍の一斉射に再び大きな犠牲が生じる。


「何をやっとるかあ!!進め進めえっ!!」


 戦士長や族長の鼓舞激励に脅かされるようにして停滞していた戦士達が進む。

 次々と飛来する矢にその進路を阻まれながらも、ようやく指呼の間隔にまで到達する戦士達。

 ここまで来れば後は数で押し切れる。

 そう考えた戦士長が剣を振り上げたところで、北方軍団兵は手投げ矢を放った。

 顔面に手投げ矢を受けた戦士長が血を噴き上げて倒れ、盾をかざし損ねた戦士達の肉体を次々に食い破る手投げ矢の攻撃。


 パレーイ族が思いがけない近接射撃に動揺している隙を突いて、アダマンティウスは裂帛の気合いを叩き付けるような号令を放つ。


「突撃せよ!!」


うおおおお!!!


 北方軍団兵が鯨波を上げて大盾を正面に構えたまま突撃を開始した。 

驚き狼狽えるパレーイ族の戦士達にそのまま大盾を叩き付け、体当たりで地に転がすともがく戦士達に剣で止めを刺して行く北方軍団兵。

 首を踏み抜かれ、剣を胸に突き込まれて絶叫する戦士達。


「怯えるな!戦士ども前へ進めっ!」


 しかしパレーイ族は次から次へと新手を繰り出し、前線を押し戻すべく突撃を繰返す。

 一旦は戦士達を追い散らした北方軍団兵は後続が追い付くのを待ちつつ手投げ矢での攻撃を繰返して敵を牽制した。

前線からパレーイ族の戦士達が一旦距離を取ったのを確認してから戦士長が弓射を命じ、シレンティウム軍に矢が降り注ぐ。


「対人亀甲隊形作れ!」


 すかさずアダマンティウスが亀甲隊形を取らせ、矢の飛来を防いだ。

 次々と北方軍団兵の大盾に突き立つパレーイ族の矢は、効果を上げられずただの盾飾りとなった。

 その隙を狙い、大盾の壁を打ち破ろうと斧を持った戦士達が駆け寄ってくるが、アダマンティウスは不敵な笑みを浮かべて号令を降した。


「槍構えい!」


 2列目に布陣していた北方軍団兵が大盾の合間から短槍を突き出し、さながら西方諸国の密集方陣を小さくしたようなハリネズミ型の陣形が出来上がった。

眼前に鋭く突き出された槍の穂先を前にたたらを踏む戦士達。

 勢い余って槍に突っ込んでしまう者もおり、再び戸惑いと混乱がパレーイ族の戦士達を包む。


「手投げ矢放てっ」


 三度投じられる手投げ矢の攻撃に、斧戦士達はばたばたと討ち取られて行く。

 大きな両手持ちの斧を装備しているために盾を持っていないために投射兵器を防ぐ術がないのだ。

 そのまま1列目と2列目の兵士が整然と入れ替わり、槍を前面に押し出して進撃するシレンティウム軍にパレーイ族は再度新手を投入する。

 シレンティウム軍は後方からの弓射を再開しそれに対抗するが、次第に情勢は膠着状態へと陥っていった。


「そろそろ頃合いかな?」


 鋭く放った矢で正面に陣取って盛んに檄を飛ばしていたパレーイ族の戦士長を射殺すると、ハルはつぶやくように言う。

 そして用意されていた鏑矢を取り出し、それを番えて敵とは反対歩行に向けて構えた。

 限界まで引き絞られた弓がしなり、うなる。

 がんっという機械的な音共に鏑矢が放たれ、鋭い笛の音のような飛翔音を辺り一面に響かせてエレール川と反対方向の森へと飛んでいった。


 しばらくすると、森のあちこちから喊声が上がる。

 ぎょっとするカレオバリックスが次の瞬間姿を現した部族戦士を見て舌打ちをした。


「ラクフェスにソエミ……くそ、あの野郎ども!」


 カレオバリックスは、部族仲の良くない近隣2部族の部族戦士が横合いから現れたことで、シレンティウム軍の作戦をようやく知ったのである。

 シレンティウム軍はエレール川西岸で戦いながら自分達パレーイ族を引付けておき、側面を部族戦士達に突かせるつもりなのだろう。

 歯がみするカレオバリックスに戦士長が話し掛けた。


「おい……どうする?」

「どうもせん!」


 怒りで顔を真っ赤にしたカレオバリックスが吐き捨てると、ヴァルタンベイルが提案する。


「よし、わしらが船を使ってエレール川を遡り、敵の背後に出てやるわ!」

「逃げる気か?」

「……ふん、どうせこのままなら負けだろう?」


 疑いの眼差しを向けてきたカレオバリックスにそう嘯いたヴァルタンベイル。

 しばらく考えてからカレオバリックスはその作戦に承諾を与えた。


「分かった。敵の戦士長を討ち取ってくれ、あの隻眼の老族長はこちらで何とかする」

「ああ、まあ任せておけ」

 

 





「意外と粘りおるな……」


 最前線で指揮を執り続けるアダマンティウスが不審のつぶやきを漏らす。

オランの同盟部族戦士団の横撃を受けたパレーイ族であったが、守りを固めて粘り強く戦いを継続しているためだ。

 当初シレンティウム側が立てた作戦の経過予想では、同盟部族戦士団の参戦と共に敵は崩れるだろうとされていたのである。

 その時、シレンティウム軍右翼の兵士がエレール川を遡る船団に気が付いた。



「あ、あれは?海賊か!……報告!敵が右翼に!うぐほっ……」


 その兵士は直ぐさま所属の百人隊長に注進したが、後ろを向いたその隙を突かれ、部族戦士に首筋へ槍を差し込まれて絶命した。

 しかしその死は無駄にはならない。

 百人隊長は更に千人隊長に報告し、千人隊長が伝令を発し、報告は無事アダマンティウスの元に届いたのである。







「アダマンティウス将軍!海賊船団がエレール川を遡っている模様です!」

「何!?」


 右を見るアダマンティウスの隻眼に船団は映らないが、直ぐさまハルへ伝令を発して対処を依頼する。


「厄介な、これが奥の手か?」







 一方アダマンティウスから伝令を受け取ったハルは、カンディを従えて本陣の兵士と弓兵隊を引き抜きエレール河畔へと向う。

 海賊軍を放置すればシレンティウム軍は右の脇腹を突かれてしまう為だ。

 最初からエレール河畔から敵は来ないと想定して陣形を組んでいただけに、対処を間違えて混乱を誘発すれば、敵の大軍に押し込まれてしまう恐れがある。

 今は整然と戦闘を繰り広げているが故に蛮族の大軍に対抗出来ているが、隙を突かれれば混乱が起き、その前提条件が崩れてしまうのだ。


「急げ!」

「承知しました!」


 ハルの号令にすかさず応じるカンディ。

 ハルは自身も大弓を抱え、弓兵達と共に河畔へと走る。

 ようやく到着したエレール河畔には既に海賊船団が到達し、今正に揚陸を始めようとしている所だった。


「間に合ったか?直ぐに戦列を組め!」

「了解!戦列を敷け!」


 ハルの命令でカンディが動き、復唱して本陣の兵士達が前に出て大盾をかざし戦列を組む。

 その後方に弓兵達が並んだ。


「小休止だ、火矢を用意しながら呼吸を整えろ!」


 続いてハルの命令を先読みしたカンディが号令をかける。

 エレール河岸の小高い自然堤防に陣取ったハル率いる部隊は、担いできた油壺を浅く掘った穴に据え、火種を枯れ草に移して火をおこした。

 まだ船は川岸に到着していないが、舳先を川岸に向け始めている。

 加えて川を遡る為だろう、船団は帆を一杯に広げている。

 揚陸が始まれば畳まれてしまうのだろうが、川岸に近づいている船も今はまだ帆を広げているのが確認出来た。


「呼吸整ったか?」

「完了です!」


 カンディの応答に満足そうな笑みを返し、ハルは再び命令を下す。


「弓兵隊火矢用意!目標敵海賊船団!上流側を重点的に狙え!」


油壺に布を巻き付けた矢を浸し、少し離れた焚き火で点火する弓兵達。


「構え!」


 一斉に火矢が天を仰いだ。


「放てええっ!」


 どっと放たれた火矢は、黒い煙の筋を残して海賊船団に殺到した。









「お頭!火矢ですぜ!!」

「何だとう!?」


 配下の声で島のヴァルタンベイルは素早く首を巡らせた。

 見れば川岸の奥、自然堤防の上から盛んに黒い煙の筋がこちらに向ってきている。


「ぬお!小癪なっ!帆を畳めっ、櫂を出せっ!」


 直ぐさま海賊達が帆柱に上り、帆を下ろそうとするがそれよりも早く火矢が海賊達の頭上へ到達した。


「くっそ!感づかれちまうとは!」


 舌打ちと共にヴァルタンベイルが愚痴っている間にも、火矢は次々に飛来し、川面や甲板に落ちて来る。

 川面に落ちた火矢はジュッと小さな音と煙を立てて浮き下流へと流れて行くが、甲板に落ちた物はカンと軽い音を立てて突き立ち、周囲を火で焦がす。

 火矢が海賊達の身体に刺さったのだろう、その内悲鳴があちこちで飛び始めた。

 見る間に少し離れた所を航行していた海賊船の帆が燃え上がる。


「くっそ!さっさと下ろせ、畳めってんだよ!」


 ヴァルタンベイルが悔しそうに言うが、見る間に火が回ったその海賊船からぽろぽろと人が川に飛び降り始めた。

 はっとして周囲を見れば、少なくない数の船が燃え上がり、川面を赤く染めている。


「ちっくしょう!早く川岸に着けろ!急げ野郎ども!」


 ぐわんと大きな衝突音が響き、顔を引き攣らせたヴァルタンベイルが音がした方向を見ると、案の定火に包まれ操船者を失った船が別の海賊船の横っ腹に突っ込んでいた。


「くそう!道理で上流側の船ばかり狙いやがると思ったぜ!」


 再び別の場所で衝突した船を見て唇を噛み締める。

 既に4分の1の船が何らかの形で損害を被っており、この時点で採算は取れない。


「畜生!大損だ!」

「引き上げやすか?」


 叫んだヴァルタンベイルに副長が囁く。

 一瞬悩んだヴァルタンベイルだったが、下流で未だ奮闘しているカレオバリックスを思い浮かべ、次いで逃げるのだろうと自分達を誹った戦士長の顔を思い出した。


「……パレーイ族には恩義もある。割に合わねえが一戦交える」

「承知しやした」

「海賊にだって意地ぐらいあらあ……」


 持ち場へと戻って指示を出す副長を見送り、ヴァルタンベイルはそうつぶやいて火矢を発射している部隊を憎々しげに見つめた。









「……退かないな」

「上陸してきます。敵の損害はおよそ5分の1程度、もう5分の1が引き上げています」

「……それでも5千以上の敵か」


 ハルが率いてきているのは弓兵を含めて2000程。

 上流に位置する海賊船を狙い撃ちにして予想以上の効果を上げたが、それでもまだ自分達の倍以上の敵を相手にしなければならない。

 幾ら軽装備の海賊軍とは言えども、数は力。


「首領を狙おう」

「は?」


 ハルの言葉に周囲の兵士が驚くが、ハレミア人との戦いに参加していたカンディは頼もしそうにハルを見つめた。


「カンディ、敵をこの自然堤防へ引付けてくれ。自分が敵の首領を狙い撃つ」

「了解しました」


 ハルの命令に対し、カンディは全幅の信頼を込めた声で応じるのだった。








 その頃島のオラン人海賊達は続々と川岸に上陸し始めていた。


「おら野郎ども!そこにケツを並べんだよ!敵はあの丘の上だ!」

「へい!」


 軽装備の海賊達が海賊頭の号令で歪な戦列を組み始める。

 槍を装備した海賊達を先頭に、剣装備の海賊が続く。

 ヴァルタンベイルは自分の周りに弓隊を揃えて前進を命じた。


「行くぞ!」


 その戦列に向って自然堤防の上から矢が降り注ぐ。

 海賊達も撃ち返すが標高差もあるので劣勢、しかし海賊達は味方が打ち倒されるのも気にせずそのまま丘の麓まで進んだ。

 それでも敵の矢は高所から打ち下ろしてくる形である為勢いが強く、海賊達の薄い盾や鎧を撃ち抜いてくるので厄介極まりない。

 加えてたまに混じる黒い羽根をつけた矢が凄まじい勢いで飛来しては戦士長や船長級の首領を狙い澄ましたように打ち落として行くのだ。


「ぐえ……!?」


 今また前線で指揮を執っていた船長の1人が首を射貫かれて後ろへひっくり返った。

それを見て怖気を震った配下の海賊達が後方へ逃げ散る。

 再び黒い矢が、別の戦士長の目を抉った。


「うぐあっ」


 一頻り悶えた後に事切れる戦士長。

 三度飛来した2本の矢が相次いで近くに居た2人の船長達を射貫くと、ヴァルタンベイルは慌てて矢の飛来した方向を見た。


 きらり


 鏃の燦めく光が目に入った瞬間。

 どんっという衝撃と共にヴァルタンベイルは後方へ吹き飛ばされる。


「ぬうっ!?」

「お頭!」

「しっかりしてくだせえ!」


 何故かひっくり返った自分の下へ駆け寄る副長と海賊達に大丈夫だと上半身を起こして手を振ろうとしたが、右手が動かない事に気付く。

 その途端に激痛が右肩を襲う。


「うがああああ!?」


 獣染みた叫び声を上げるヴァルタンベイルの右肩には、太い矢が黒い羽根まで埋まっていた。


「お、お頭?」

「大丈夫ですかい!……あげっ?」


 副長が海賊頭を介抱しようと頭を下げたその時、横に居た海賊の頭蓋が黒矢羽根の矢で弾ける。

呆気に取られてその様子を見ていた副長の周辺に矢が次々と飛来し、周囲の海賊達を瞬く間に屠って行く。


「クソ!撤退だ!」


 シレンティウム軍の矢の勢いと数は衰えない。

 このままでは丘に取り付く前に全滅しかねない、そう判断した副長は痛みと出血で気を失ったヴァルタンベイルを背負い、撤退を決断したのだった。


 海賊達が後方を気にしながら船に戻り始めるのを見送り、ハルは大弓を下ろした。

 弓兵達は射程の限り追討ちを続けており、上陸の為に引き上げられた海賊船には再び火矢が降り注ぐ。

 既に幾艘かの船は炎上し始めており、海賊達が別の船に這々の体で乗り込んでエレール川へと逃れて行く様子が見て取れた。


「よし、追い返したぞ。本隊と合流しよう」

「了解しました」


 ハル達は海賊達が完全に撤退するのを見届けてから、本隊へと合流すべく踵を返すのだった。








 一方アダマンティウスが指揮を執る正面でも決着が付きつつあった。


 突如森から現れたオランの同盟部族であるラクフェス族とスエミ族の部族戦士団の急襲を受け、大きく動揺したパレーイ族の戦士達。

 既に相当な時間戦いを継続していた事もあり、新手に対応しきれずに河岸へと押し込まれたのである。

 それでも海賊達の腹背攻撃を信じて粘っていたが、しばらくして焼け焦げた海賊船が流されて来たのを見て厭戦気分が蔓延し、更には海賊頭の旗を掲げた船がよろめくようにして下流へ流されていくのを見送り、パレーイ族の士気は地に落ちた。


「……失敗したか」

「海賊共め、不甲斐ない!」


 既にカレオバリックスや戦士長の視界に入る程敵は迫っている。

 奇妙な眼帯を身に着けた隻眼の老将軍の指揮に隙は無く、パレーイ族はどんどん追い詰められていった。






 焼け焦げた海賊船がエレール川を下る。


 それを見たアダマンティウスの顔に笑みが浮かんだ。

 ハルは上手く側背攻撃を阻止出来たようである。

 敵もこの光景を目にした今が好機、アダマンティウスは顔一杯になる程大口を開け、火を噴くような苛烈さで命を下した。


「最後の止めぞ!総掛かりせよ!!」

「了解!総掛かりだあ!」


 ルーダの号令が復唱されて部隊中に伝わり、次の瞬間凄まじい鯨波がつくられ、それまで慎重に追い詰めるような戦いを進めていた北方軍団兵が猛り狂ったように前へを押し出す。

 堰を切られたかのような激しい、それでいて列を整えた圧迫感ある突撃にパレーイ族の戦士達が蹴散らされる。

 北方軍団兵の突撃で弾き飛ばされ、大盾で叩き臥せられた戦士達が短槍や剣で止めを刺されてゆく。


 必死に抵抗を見せる戦士達だったが、後方から飛来する矢や手投げ矢の暴風が意思と力を打ち砕いていった。

 最後に残ったカレオバリックスは抵抗を諦め、北方軍団兵を従えて前線へ進出してきたアダマンティウスとルーダに、護衛戦士共々武器を目の前において座り込んで降伏の意志を示す。


「……パレーイ族の族長か?」

「いかにも」

「降伏するか?」

「……敗れた、それ以上に言う事はない」







戦い終了後、ハルの天幕前



 アダマンティウスの案内でパレーイ族の族長、カレオバリックスと戦士長を引見するハル。

 パレーイ族の戦士達はハルの若さと風貌に驚きの色を隠せない。

 それを代弁するようにカレオバリックスが口を開いた。


「群島嶼の剣士か?」

「如何にも、西方帝国北方担当辺境護民官、秋留晴義。パレーイ族長よ私の支配を受け入れるか?」

「……やむをえまい」


 ハルの言葉に項垂れるカレオバリックス。

 戦士達も族長の意思を汲み、頭を下げる。


「では、パレーイ族をシレンティウム同盟参加の部族として遇しましょう。但し!条件がいくつかあります」

「敗者は受け入れるのみだ」

「では……」


 ハルが紙面で示した条件は

1 パレーイ族の領域で、近隣部族と係争中のものは相手側部族に明け渡す事。

2 パレーイ族は常時7000の戦士をシレンティウムに提供する事。

3 パレーイ族は島のオラン人と断交する事。

4 パレーイ族はシレンティウムに指導者層の子弟を留学させる事。

5 パレーイ族は敗戦金として大判金貨3万枚相当の財貨を引き渡す事。

6 以上の条件が守られる限り、パレーイ族はシレンティウム同盟の参加部族として義務と権利を得る。

というものであった。


 族民の奴隷化や部族解体すら覚悟していたカレオバリックスは、寛大とも言うべきその条件に思わず言葉を返す。


「……そんな物で良いのか?」

「まあ、妥当な所でしょう。むしろ厳しいくらいですね」

「分かった……条件を呑む」


 即座に返答するカレオバリックス。

 もしこれがオラン人同士やクリフォナム人との戦いであれば、戦士達は奴隷として売り飛ばされるのは元より、財貨と奴隷を求める敵に集落という集落が蹂躙されてしまっていたことだろう。

 それは自分達も敗者に対して行ってきた事で、ある意味勝利者にとって当然の報酬でもあるのだ。

 しかしこの目の前の辺境護民官を名乗る群島嶼人は違うようだ。

 部族として存続する事を許され、人質こそ取られはするものの族民達の安全は今後もシレンティウムが保証してくれる。


 敗者としてはあり得ない程の厚遇であり、カレオバリックスとしてはシレンティウム同盟の存在というものを改めて考えさせられる事態となった。


 西方帝国は嫌いだ、クリフォナム人はもっといけ好かない。

 しかし幾ら暴れ回って周辺部族を圧倒しても、世の中は変わらずパレーイ族は現状に鬱屈していく一方だった。

 勢いで辺境護民官の使者を追い返し、今日合戦に及んだがこの様な結末があるとは思いもよらず、天に召された戦士達には申し訳ないが、カレオバリックスには未来が開けたように感じられたのである。

 シレンティウム同盟とこの辺境護民官は何を目指し、何をこの北方辺境にもたらそうとしているのか?

 報酬の少なさに不満を漏らすと思われたスエミとラクフェスの戦士長達も、特に何も言わずにこの辺境護民官に黙って従っている。

 そのハルを真っ直ぐ見つめ、カレオバリックスは口を開いた。


「わしは族長を退く、弟のガラドリクスに族長を譲り、戦士を率いてシレンティムに赴きたいが如何か?」

「族長!?」


 驚く戦士や戦士長を余所に、晴れやかな表情でカレオバリックスは言葉を継ぐ。


「シレンティウム同盟とやらの行く末を見てみたくなった」

「……構いませんが、しっかり部族を纏めて話をつけてからにして下さい」

「承知した!我がパレーイ族の力を……存分に示しましょうぞ」


 ハルの忠告に、頷きながら胸を叩くカレオバリックスであった。

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