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辺境護民官ハル・アキルシウス(改訂版)  作者: あかつき
第3章 北方辺境動乱
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第2話 イネオン河畔の戦い 1

 3週間後、フレーディア城、王の間


 工兵隊の素早い作業でフレーディア郊外に宿営地を設営し、一旦待機の態勢に入ったシレンティウム軍。

 集まった部族達と協議するべく、将官達だけがフレーディア城へ入る。

 今回はフリード族シレンティウム派に対する防衛戦争と位置付けがなされ、シレンティウム軍の他に、ベレフェス族のランデルエスがオラン戦士6000を率いて駆けつけている他、アルペシオ族とアルゼント族の戦士団12000をアルペシオ族長のガッティが率いて既にフレーディアへ入っていた。


 王の間に集まったのは

辺境護民官     ハル・アキルシウス

    第21軍団副軍団長 ルーダ

第22軍団軍団長  デキムス・アダマンティウス

第23軍団軍団長  ベリウス

臨時軍団軍団長   クイントゥス・ウェルス

フレーディア城代  ベルガン

アルペシオ族長   ガッティ

ベレフェス族長   ランデルエス

の7名。


 その前にはハルが製作を依頼してあったフレーディアの周辺地図が置かれている。

 開口一番にハルがベルガンへ尋ねた。


「敵のハレミア人ですが……率いている者は分かりますか?」

「率いている部族長が恐らくバガンという者であろうと言うことだけです。ハレミア人でも南に住む一派で、30万から40万の族民を持っていますが、今まではこれ程積極的に動くことはありませんでした」

「やはり、アルフォード王の死が響いているのか……」


 ベルガンの言葉を受けてアダマンティウスが意見を述べるが、ベルガンはその一部を否定した。


「いや、それだけでは無いと思う。噂はとうの昔に届いているはずなのに、今まで動きがなかったことがその証左だ……それにハレミア人にしては動きが直線的すぎる。アキルシウス王には既にお伝えしたが、手引きしている者がいると思う」

「ダンフォード王子?」


 思わず言うハルに、ベルガンは苦虫を噛み潰したような顔で応じる。

「残念ながらそれ以外には考えられません。このフレーディアを目指している事からも恐らくそうでは無いかと……」

「この先のエレール川はどうなっていますか?渡河は簡単ですか?」

「いえ、この先は支流のイネオン川との合流地点が唯一の渡河地点です。ハレミア人は基本的に水を嫌いますので、おそらく泳いで川を渡ることはしません。イネオン川も上流はしばらく崖が続くので、渡ることは出来ませんでしょう」


 クイントゥスが地図の一部分を示して尋ねると、ベルガンはクイントゥスが示したのとは少し端に寄った地点に手を置いて答え、更に言葉を継ぐ。


「ましてやダンフォードが手引きしているのであれば、渡河できる場所は分かっているはずです。恐らくこの合流地点に現れるでしょう。ここは段丘状の地形でして、フレーディアに向かうには最短距離で浅瀬が一番幅のある渡河地点です」

「間違いないよっ、蛮族はそこへ向かってるよ!陣地にいたクリフォナムの偉い人っぽいのが色々説明してた。川を渡るのはそこが良いって説明して、蛮族の族長も納得したみたい」


 突如部屋に現れたのは先行して陰者と共に偵察を行っていた楓である。

 ハルとエルレイシアの結婚式にハル側の親族としてただ1人出席していたので、一応この場にいる全員が顔を見知っている為か、全員が特に驚くことなく楓を受け入れる。 


「楓、お疲れだったな」

「うん、ハル兄も」


 ハルの労いの言葉に嬉しそうな笑顔を見せると楓はそのまま地図へと歩み寄り、ベルガンが示した場所にほっそりとした指を置いて動かしながら言う。


「蛮族は川沿いに進んでここへ出てる。今は休憩してるけど……ここ最近は動いてない。陣地を作るのならこの段丘が良いんじゃないかな?川からも適当に離れているし、高低も十分っ、地盤も大丈夫、重兵器は置けるよ。道がないから運ぶのは大変だけどね」


 これで敵の目的地が分かった。

「クイントゥス、アダマンティウスさん、それからルーダ。この河畔に臨時の陣地を築いてくれますか?出来るだけこの段丘へ敵を集める工夫を頼みます」

「了解しました」

「了解した」

「はいっ」

ハルの命令に直ぐさま応じたクイントゥスとアダマンティウス、ルーダの3人。

 続いてハルはベルガン、ランデルエス、ガッティの3人に顔を向けた。


「部族戦士は何人いますか?」

「フリード戦士団で動かせるのは7000」

「ベレフェスのオラン戦士は6000だ」

「アルゼントとアルペシオの戦士が12000じゃ」


 合計2万5千の部族戦士がいることを確認し、ハルはにっこり笑う。


「では、部族戦士の皆さんには仕上げをお願いしたいと思います」







 1週間後・エレール川支流、イネオン河畔



 ポッシア族とセデニア族の居住地域を蹂躙し、ロールフルト族の戦士団を打ち破り、加勢を得て40万に脹れ上がったハレミア人の大群は、進路上で抵抗しようとした反シレンティウム派のフリード族を追い散らかしてエレール川支流のイネオン河畔に迫った。

 この川を越えてしばらく進めばフレーディア城があり、その先はもう小川や丘、森、湿地以外にシレンティウムまでハレミア人を遮るものは何も無い。

 しかし一旦その歩みは止まることとなった。


「おい、あれは何だ?あんな物があるとは聞いていないぞ」

「知らない……くそ、辺境護民官めっ。先回りしてやがったか!」


 バガンの怒りを含んだ質問に焦ったダンフォードが何とか自分に怒りの矛先が向かないようにとそう口にする。

 思う存分略奪、強姦、暴行、放火、破壊を愉しみつつゆっくり進むハレミア人の集団が見たのは、イネオン川の河岸段丘に築かれたシレンティウムの旗が翻る陣地であった。


 段丘面に生い茂っていた灌木は切り払われ、真っ直ぐな傾斜の付いた坂面が剥き出しの地面を覗かせており、その上には丸木で作られた柵がある。

 その下には僅かではあるが逆茂木が設けられており、地形の関係だろうか、中央部が凹んでいる変則的な形で、門までもがその中央部に設置されている。


「……他に川を渡るところはないのか?」

「泳げないあんた達が渡れるとなると、無いな……」


 バガンの質問に少し考えてから答えるダンフォード。

 曲がり形にも世話になっているフリンク族の勢力圏に入ってしまうので、上流へハレミア人を導くのは不味い。

 伯父であるグランドルとの約束でハレミア人はフリンク族の土地へ誘導しないことになってもいる。

下流に行けばまた新たなクリフォナムの民と衝突せざるを得ず、この戦いに勝った後にはアルフォードの後継者になりたいダンフォードにとってこれ以上クリフォナムの民が減っては困る。

 バガンは舌なめずりすると考えていたダンフォードを無視して戦士を呼び、戦いの準備をするよう命令を出す。

 しかしその内容がしばらくの間待機するようにと言うものだったので、ダンフォードが眉をひそめて口を開いた。


「おい、攻めないのか?」

「……しばらくは様子を見る。南の人間は狡賢いと聞いた」

「幾ら陣地があると言ってもこっちは40万の大軍だぞ?改めて準備なんぞ必要ないだろう。あんな小勢直ぐに踏みつぶしてしまえよ」

「まだ時でない」


 ハレミア人のバガンは挑発的なダンフォードの言葉にも動ぜず、切り株の上に悠然と座ったまま応じた。

 ダンフォードはそんなバガンの態度に苛立ちを隠そうともせず強い口調で言う。


「……そんな悠長な事をしていたら、クリフォナムの援軍が駆けつけてしまうぞ?」


 その言葉に不遜なものを感じ取ったのだろう、バガンは黄色い歯を髭の間からむき出して笑うと口を開いた。


「貴様……ここに来るまでにおれが4つの部族を破ったのを見たろ?アルフォードのいないクリフォナム人なぞ我々の相手ではない」

「そ、そんなことは……」

「試してみるか?」


 一度は言い募るものの、バガンが抜き身の剣を握りなおしたのを見たダンフォードはあからさまに怯んで後ずさった。


「い、いや、いい……分かった」


 慌ててその場を離れるダンフォードの背中に、ハレミア人の族長や戦士長達の嘲笑が遠慮なく浴びせられる。

 しかしダンフォードは歯を食いしばって侮辱に耐え、顔を青くしたまま振り向くことなく自陣へ逃げ帰るように歩くのだった。






 ハレミア人の集団、檻馬車



 セデニア族の族長の娘であったディートリンテは、粗末な綱に他の女達と一緒に繋がれて檻馬車へと押し込められていた。

 檻馬車も元々はセデニアの集落にあった家畜搬送用の物。

 父の率いる戦士団がポッシア族の戦士団と共に敗れて全滅し、父や兄の戦士を悲しむ遑も無く集落は蹂躙されたのである。


 抵抗や逃走の時間もなく、それをする術も無いまま集落はあっという間に食糧や財貨が奪い尽くされ、男は殺され、女は犯され、最後は子供と一緒に掠われた。

 集落の家屋はその最中に放火されて全てが煙と灰になって消えてしまった。

 殺されなかった女や子供は粗綱で手を数珠つなぎに繋がれた上で何台もの檻馬車に積み込まれて運ばれているのだが、恐らく落ち着いてからどこかに売り渡すのだろう。


 自分が受けた屈辱や暴行よりも目の前で次々に家族や友人、知人や集落に住む人々が殺されてしまったことで精神的に参ってしまったディートリンテ。

 食事や水も与えられず、糞尿は垂れ流しの状態で放置され、他の捕まった者達と同様に涙の涸れた目で呆然と中空を見つめる毎日を送っていたが、ふと我に返って見てみると周囲の状況が一変していた。


 周囲で慌ただしくハレミア人達が動いている。

 ハレミア人の表情は今まで汚らしくおぞましい笑み以外に見た事がなかったが、厳しい表情して剣を振り回している姿が見受けられた。

 その姿を見て何となく滑稽に思うが、ディートリンテの口からはふと力なく息がもれただけで終わってしまう。

 ぼうっと耳に入るハレミア人達の言葉を聞いていると、どうやら敵が現れた様子であることが霞のかかったままの頭でも理解出来た。


「敵……?」


 あの怖ろしいハレミア人に敵など居るのだろうか?

 未だ晴れない頭の片隅でそんなことをぼんやり考えていると、がくんという衝撃と共に馬車が止まる。

 衝撃に揺られるまま前を向くディートリンテの視界に、川を挟んだ丘の途中、柵や逆茂木が設けられた陣地と銀色にきらきらと光り輝く鎧を身に着けた兵士達の姿が入った。


「何?」


ぽつりとこぼしたディートリンテの言葉に何人かが反応して前を見る。

 そしてその中の一人がぽつりと答えた。


「シレンティウムの……辺境護民官だ……」

「しれんてぃうむ?……へんきょうごみんかん?」


 耳慣れない、初めて聞く言葉に頭が働かないながらも興味を持つディートリンテは、その集団をぼうっと見上げるのだった。





 同時刻、シレンティウム軍本陣



 ハルはイネオン河畔の河岸段丘に陣を張り、ハレミア人を真っ正面から受け止める姿勢を見せた。

 対岸に布陣したシレンティウム軍を見たハレミア人は盛んに雄叫びや奇声を発して挑発を繰り返すが、シレンティウム軍は微動だにせず布陣を続けている。


「正に大軍……いや、大群だな……」


 思わず漏らすのは第23軍団軍団長に任命されたベリウス。

 最初は帝国戦法の導入に難色を示していたシオネウス族の元戦士長は、模擬戦闘での結果を真摯に受け止め、あれ以来人一倍努力と研究を重ねて戦法と指揮方法を学んだ。

 元々が族長に連なる者である為文字の読み書きが出来たことが大きく寄与し、アルトリウスの教授もあって、帝国の将官と比べても遜色ない程に成長したのである。


 ハルは第21軍団を直卒することにしていたものの、第23軍団の軍団長が空席であったので、アルトリウスに適任者の推薦を求めたところベリウスの名が上がった。

 ハルは面接して本人の意志を確かめた上で第23軍団の軍団長にベリウスを命じたのであった。

 そのベリウスの言葉にハルは頷きながら答える。


「ああ……まあ、烏合の衆だろうがあの数は侮れない、それなりに統率力のある者が率いているんでしょう」

「ふふふ、このような大敵に見えたのは長い軍人人生でもそうは無い、腕が鳴りますぞ!」

 ぶるりと武者震いしながら笑顔の第22軍団軍団長のアダマンティウスが言うと、ハルは老将の勇ましい言葉に苦笑を漏らしつつ口を開く。 


「兵士達の様子はどうですか?」

「帝国軍団兵は初めて見る蛮族に少々面食らっているが、まあ、普段通りです」

「北方軍団兵は自由戦士や部族戦士だった時に直接ハレミア人と干戈を交えている者が大半だ、大丈夫、落ち着いている」

「我が軍団は精鋭揃いですから!」


 アダマンティウスとベリウス、ルーダがそれぞれ兵士の状態をハルへ伝える。


「そうですか、士気は大丈夫ですね」

「無論だ」

「もちろんだ」

「当然です!」


 胸を叩く頼もしげな3人の軍団長に頷くとハルはハレミア人の大群へ視線を戻した。


「しかし……蛮族と言うからてっきり見境無しに川を渡るかと思いましたが、やはりそれなりの者が率いているのでしょうね」

「うむ、間違いない、様子を見るつもりであろう」


 ハルの言葉にアダマンティウスも同意する。

 最初は見境なく川を渡るハレミア人を迎え撃つ事を想定していたシレンティウム軍だったが、ハレミア人はこちらの布陣を見て取った為か今は川を渡る様子を見せていない。


「おかげで秘密兵器や重兵器の設置に時間が取れます」


 そういうのはシレンティウム軍団を率いるクイントゥス。

 時間が欲しいと言いつつも既に重兵器の設置は7割方完了しており、後はスイリウスの開発した秘密兵器の設置を残すのみであるが、それもほぼ完了しつつある。

 またフリード族の反シレンティウム派の抵抗もあって、ハレミア人の到着が予想したよりも遙かに遅かったことで、河畔のあちこちにも既に工兵隊が罠や仕掛けを施し終えていた。

 ハルがぽつりとつぶやく。


「……挑発してみますか」

「どのようにですか?」

「私の弓を使います」


 ルーダの質問に続いて出たハルの言葉に、アダマンティウスとベリウスは躊躇した。

 いかな弓上手のハルとて、ここで武を示せず失敗してしまえば折角アルフォード王を破って手に入れた名声と権威に傷が付く。

 何よりハレミア人がその挑発に乗ってくるとは限らないのだ。


「いかな辺境護民官殿とは雖もそれは無理では?対岸まで矢が届かないでしょう」

「重兵器で攻撃してみては如何か?」


 それぞれ意見を述べるがハルは首を左右に振った。


「このまま長い間あいつらを野放しにして居座らせるわけにはいきません。なるべく早く決着を付けないと、連鎖的にハレミア人が南下し始める恐れがありますしね……かと言って重兵器でいきなり威力のある攻撃をすると怖じ気づいてこっちへ攻めて来ないで逃げ散ってしまうかもしれません。それでは意味がありませんから……まあ、見ていて下さい」


 ハルは持ってきた群島嶼風の箙を装備し、大弓に弦を張る。

 今までで一番強い弦を使い、弓が破損しない限界を見極めて慎重に作業を進めた。

 革の手袋を両手に嵌め弦の張り具合と強さを実際に弾いたり、弓を引いたりして確かめ終える。


「では、あいつらが川を渡り始めたら開戦です。直前には伝令を出しますが、手はず通りお願いします」


 ハルは笑顔と共にその言葉を残して最前線へと進み出た。









 逆茂木と木柵で守られたシレンティウム側の段丘面。


 簡易な門からハルは削られた段丘面に出る。

 後ろで木の扉が閉じられる音が響く。

 正面には坂と河原、そしてイネオン川が流れ、その先にはハレミア人の群れ。

 北方軍団兵が油断なく守る最前線に到着したハルは、風が南から北に向かって吹き始めるのを待つ。


 ボロボロの衣服や獣皮を纏ったハレミア人の集団は正に蛮族らしい秩序の無さで群れており、開戦することはないと高を括っているのか座り込んだりしている者もいる。

 戦士長達はシレンティウム軍を見てさすがに緊張しているようで、少し身なりの良い者が右往左往しているのが散見された。

 しばらくして、風向きが、変わった。


「我こそは北方王アルフォードの後継者!帝国辺境護民官ハル・アキルシウスであるっ!ハレミアの蛮人どもに告ぐ!!北へ帰れ!帰らねば成敗するぞ!!」


 周囲が震える程の大音声で呼ばわるハルに、味方の北方軍団兵が肝を潰す。

 それは対岸に居るハレミア人の戦士や戦士長達も同様で、どこから聞こえてきたのかと目をぱちくりさせて周囲を見回す姿が見えた。


「ここだっ!!汚らしい蛮人ども!!!!!」


 その声でようやくハルの存在を認めたハレミア人達。

 対岸から声が届いたことに少しは驚いたようだが、直ぐにその内容をあざける笑声がわき起こった。

 裸同然の姿で剣を抜き身で持っている汚い蛮族が笑い転げる姿は、滑稽と言うよりも禍々しさを感じさせる。

 その剣が血にまみれ、身体が返り血で染まっていれば尚更であろう。


「帰らぬか!?ならば辺境護民官たる我が直々に成敗してくれよう!!!」


 ハルの更なる声が届くとまた一斉に笑い転げるハレミア人達。

 その笑声を余所に、ハルは鋭い視線をハレミア人の戦士長の1人へ向け矢を弓に番えた。


「思い知れ」


 今度は静かに、自信の集中力を途切れさせないようにつぶやくハル。

 腕の筋肉が盛り上がり、ガッチリと大地に食い込む両足。

 そして、狙いは天空。

 強い一陣の風が吹いた。


がいん


 弓から発される音とは思えない機械的な音がしたかと思うと、ハルの持つ群島嶼風の大弓から黒い烏の矢羽根を付けた鏑矢が唸り、天に向かって飛翔する。

 北方軍団兵がその矢勢の強さと速さに驚き、全員がハルの放った鏑矢の行方を目で追った。

 途中、陽光にきらりと刃を光らせた所で鏑矢は天に向けていた鏃を地へと向ける。

 そして…


どっっ


 鏑矢は狙い過たず大笑いしていたハレミアの戦士長へと突き立ったのだ。


 瞬時に静まりかえるハレミア人達。


 信じられないものを見るように笑い顔のまま事切れ倒れた戦士長の口を見るハレミア人の目には、黒い烏の矢羽根がびいいんと小刻みに振動している光景が映っていた

 ハルは既に次の矢をつがえている。

 ハレミア人と同じように驚く北方軍団兵を余所に、風を待つハル。


ぎりぎりぎり…


 再び渾身の力を受け、大弓がしなり、きしむ。


げいんっ


 そして強い風と共に第2射が放たれた。

今度は鏑矢では無く普通の矢であるため、空気抵抗も少なく飛翔音も短く鋭い。

 そして矢は1射目より遙か遠くまで飛び、呆気に取られている上級戦士長の首筋を打ち砕いたのだ。

 血煙を上げ、物も言わずに倒れる上級戦士長を見てようやく周囲にいるハレミア人達の顔付きが変わる。




「レイルケン!」

「は、はい」

「俺が3射目を放ったら各軍団長へ戦闘準備を取らせろと伝令を出してくれ」

「わ、分かりました」


 ハルの言葉に驚くレイルケン。

 まさか自分の名前を知っているとは思わなかったのだ。

 しかし、直ぐに果たすべきことを思い出し、門を守っていた部下の1人を軍団長の元へと向かわせる準備をする。

 命令を出し終えたレイルケンが見ると、ハルは静かに3本目の鏑矢を群島嶼風の大弓に番え、ぐんっとその弓を引き絞るところだった。


ばんっ


 そして今度は無造作に矢を放つハル。

鏑矢が唸りを発しつつハレミア人の集団へと飛翔してゆくが、矢が到達するより早くハレミア人が動き出した。

 ごく一部、ハルが矢を射込んだ正面に陣取るハレミア人達が、鏑矢の唸りを聞いて一斉に動き出したのである。

 そしてその集団が冷たい水をものともせずにイネオン川を渡り始めると、周囲のハレミア人達も釣られるように動き出した。

 それと同時に、1人のハレミア人がハルの矢に射貫かれて倒れる。

 悠然と開かれた門の中に入り、ハルが周囲の北方軍団兵に檄を飛ばした。


「来るぞ!日頃の訓練の成果を見せてやれっ、戦闘準備!!」


 ハルの言葉に北方軍団兵は一斉に盾をがつんと地面に打ち鳴らして応える。


「戦闘準備!」

「戦闘準備っ!!」


 北方軍団兵の各部隊長達が次々に号令を下してゆく。

 遂に合戦の火ぶたが切られたのだ。






 ハレミア人の群れに女子供老人壮年は関係ない。


 全員が歯を剥き出しわめき散らしながら髪や髭を振り乱し、思い思いの武器を手にして襲い来る様子は十分以上に訓練を積んだ帝国兵や北方軍団兵にとっても不気味な恐怖感を与える。

 兵士達は見境のないハレミア人の姿を見て背筋に薄ら寒いものを感じたが、しかし怒りと義侠心がその気持ちを上回った。


 この蛮族がクリフォナムの同族であるポッシア族やセデニア族の村邑や族民にした惨たらしい仕打ちは既に彼らの耳にも届いている。

 戦いに敗れた2つの部族の村邑はことごとく焼き討たれ、族民は殺され、掠われ、財や食糧は奪い尽くされた。

 主立った族長や戦士長、村長に至るまでが殺し尽くされ、部族としては成り立たなくなってしまう程の深刻な打撃を受けた両部族。


 命からがら逃れてきた者達は周辺部族に庇護を求めたが、義侠心溢れるロールフルトの戦士団は敗れ、アルフォード王なきフリード族は統一した指揮を執れず、個別に撃破されてしまった。

命を懸けてフレーディアにたどり着いた族民達が急を知らせ、ベルガンの計らいでシレンティウムに事の次第が伝達され、ようやく自分達が動いたのである。


 ここで食い止めなければハレミア人はクリフォナムの地に居座り、あの蛮族にいずれは駆逐されてしまうだろう。

 何としてもここで防ぎ止め、奴らを北の地へ追い返さなければならない。




「弓兵隊、放て!河畔に付いた者を打ち倒せ!!敵の左右を狙え!」


 ハルの号令通りハレミア人の左右に向かって多く矢が射られた。

 すっかり冷たくなったイネオン川の水を押し渡り、全身ずぶ濡れになりながらも気勢を上げて河岸段丘の麓に迫るハレミア人の群れに、ハルの号令で雨のような勢いで矢が降り注ぐ。

 左右に広がりつつあったハレミア人が矢を射込まれて徐々に中央へと寄り始める。


 イネオン川のこの辺り以外には浅瀬があまりない為、渡河地点は限られている。

 そして何より極北地域に住み暮し、水に入るという習慣を持たないハレミア人は基本的に泳げない。

 下流に行けばハレミア人が渡れる規模ではないエレールの大河があり、上流はしばらく切り立った崖が続いており同じく渡河出来る場所はない。

 シレンティウム軍は側面や背面を突かれる心配がないのだ。


 ばたばたと先頭からシレンティウム軍の放つ矢を受けて倒れるハレミア人達であるが、死体や負傷者を乗り越え踏み越え、虫が湧上がるように続々と後ろが続く。

 しかしシレンティウム軍の矢も途切れない。

 どんどん後方から矢が補充される。


「矢数は気にするな!放てっ」


 ハレミア人は盾を持たず、また鎧や衣服をまともに装備していない為投射兵器に対して極めて弱い。

 身を守るものを身に付けない為に怪我を直ぐに負うのだ。

 矢が身体を掠めれば怪我をし、頭や腕に命中すれば戦闘に支障が出る程の負傷をする。

 ハルが北方軍団兵に投槍に変え、本数を多く持てる手投げ矢を装備させたのは蛮族と戦うことを考慮していたからでもある。

 西方帝国や西方諸都市国家の重装歩兵に対しては若干威力不足であるが、ハレミア人などの蛮族に対しては極めて有効な武器となる手投げ矢。

 間近に迫っては見たものの、今まで見た事のない逆茂木や意外としっかり作られた木の柵に戸惑うハレミア人に対して手投げ矢が一斉に放たれた。

 矢より重い飛翔音を残しハレミア人に対して放たれた手投げ矢は、柄の刃側に取り付けられた錘の効果で刃先を下に向け、その剥き出しの身体に容赦なく突き立つ。

 高低差があることもあり、矢や手投げ矢は普段以上の威力でハレミア人を痛め付け続けた。

 絶叫や悲鳴を残して血煙の中に沈むハレミア人は、とうとう堪らず川岸まで退いた。



「……くそ、手練れがいる、このままでは不味い、出るぞ!」

 前衛が動き出したのを見たバガンは最初対岸で成り行きを見守るつもりだったが、その前衛が投射兵器だけで散々に打ち破られる様子を見て、剣を手に腰を上げた。 

「おい、フリードの小倅はどこへ行った?」

「しりませんぜ?」


 ダンフォードの姿がないことにふと気が付いて周囲の戦士に問い掛けるバガンであったが、芳しい回答がないので直ぐに諦めた。

 そもそも戦力としては当てにしていない、ただの道案内役である。

 最初に聞いたとおりであればもうシレンティウムという場所まではそれ程距離はないはずだ。

 ここまで来ればただ南へ行けば目的地に付く事が出来るだろう。

 それよりも今は目の前でやられている自分の族民達を助けなければならない。


「丘の右と左へ人をやってあの陣地を包囲しろ。敵は小勢だ、気後れせずに攻めて攻めて攻め倒せ!!」


 バガンの指示でハレミア人が一斉に川を渡り始めた。






「小休止!水を飲め!手投げ矢と矢を補充しろ!傷んだ弓は交換だ!」


 ハレミア人の前衛を打ち破り、第1回目の攻撃を撃退したシレンティウム軍の兵士達はハルの命令で小休止に入る。

 対岸ではようやくハレミア人全体が川を渡ろうとし始めているが、先程のようなばらばらの動きでは無く、今はある程度まとまりを持って動いている。

 続々と川を渡るハレミア人でイネオン川が自然とせき止められ、上流側が腰程まで水に浸かっているのに比べ、下流で渡るハレミア人は膝下くらいまで水位が下がっている。


また戦いに邪魔なことと併せて川を渡せないと判断したのだろう。

 対岸には略奪品と思しき大量の物資と囚われたポッシア族とセデニア族の女子供が残されている。

 ハルが周辺の様子を探り終えた所で、約半数のハレミア人が渡河を終え、または渡河をし始めていた。


「半分は渡りきったか……来るぞ!戦闘準備!矢はまだ撃つな!さっきと同じだ、左右を狙って準備しろ!」 


ハレミア人は先程と異なり、左右に広がりつつシレンティウム軍の陣地に向かってゆっくりと動き始め、途中から喊声を上げて走り出した。

 一気に距離を詰めて来るハレミア人達。

 同胞の死体を踏みつけ、落ちた矢を素足で踏み折り、土を跳ね上げながら駆けよせる。

 突然左右に向かったハレミア人の行き足が止まった。

 ハレミア人の先頭を駆けていた者達が足を地で朱に染めてのたうち回ったり、落とし穴に嵌まって絶命している姿が陣地からも見えた。


「……嵌まったな、今だ!左右へ弓射開始っ!」

「了解!」


 足の止まったハレミア人に一斉に矢が降り注いだ。



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