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魔法使いはシックスパックがお気に入り?

感想を寄せていただいて、「タイ捨流」についてもう少し詳しい方がよいというご指摘をいただいたので、鏑木サイドで余話をアップします。こういう描写を途中に入れ込めばよかったなあ。ブラッシュアップするときには何とかしたいと思います。




 犬の鳴き声が聞こえて来た時には驚いた。


 モンスターが日本中に出現するようになって、屋外で飼育されていた犬はおおかたモンスターに襲われてしまった。


 俺が当時住んでいた田舎でも同じ。


 ただ菊池さんのところの豚舎を襲ったゴブリンの群れは、豚の鳴き声に気付いた菊池さんが駆けつけて、猟銃で片っ端から撃ち殺された。


 岡田さんのところの犬を襲ったゴブリンは、逆に猟犬に嚙みつかれているところを岡田さんの振った鉈で脳天をかち割られた。


 野犬がいるのか、それともモンスターの中に犬みたいなのがいるんだろうか。


 遠く九州から自転車でここまで来る間に数多くのモンスターに遭遇し、時に倒し、時に逃げてきたが、犬型はいなかった。


 ベランダのサッシをそっと開けて下を見下ろすと、黒い犬がいた。


「あ、犬」


 思わず声に出し、そしてその黒い犬の横に自転車に乗った女性がいることに気付いた。


「人もだ」


 こちらを見上げた女性はファンタジーの世界で魔法使いが着るようなローブをまとっている。コスプレなのだろうか?それとも変わったレインコートみたいなの?


 黒い長髪を後ろに束ねたその女性を見て、胸がどきんとした。黒目がちの瞳には強い意志を感じるし、広いおでこは知的な印象を与える。


 ああ、要するに好みのタイプなのだ。


「危ないよ、中に入る?」


 思わずそう声を掛けていた。







 にわかに信じられない話だったが、信じられない話ではない。


 その女性、一色百恵さんの話を聞いて俺はなんとか理解した。


 元々読書好きで、いわゆる転生ものにも手を出していたこと、そして何より現実に魔法を見せられたことが大きい。


 彼女は異世界での冒険譚を。俺は九州の田舎での暮らしやここまでの自転車旅の話を。


 あまり人づきあいが上手ではない俺が、一色さんとは気兼ねなく話せたことが不思議であった。


「剣術?」


 俺が日課となっているサーキットトレーニングをしているのを見て、彼女が聞いてきた。


「うん、古い武術なんだけど」

「剣道じゃなくて?」

「あれはスポーツ。剣術は、えっと」


 人殺しの技と言いかけて、止めた。しかし彼女も冒険する中で盗賊を殺したり、悪徳商人を殺したりしてきていたと聞いた。


「人殺しの技だから」


 思い切って言うが、彼女は引くどころか目を輝かせた。


「すごい。え、見せてもらうこと出来る?」

「素振りの後に少しだけなら」


 剣術に女性が興味を示すとは思わなかった。トレーニングの後は木刀での素振りだ。


「あ、あのー」

「はい?」


 基本の素振りをこなすと汗びっしょりになる。いつもなら服を脱いでやるのだが、ここには俺の挙動をじっと見ている一色さんがいる。


「汗をかいたので、服を脱ぎたいんですが、いいですか?」

「あ、ごめんなさい。いいです、いいです。どうぞ、どうぞ」


 本人もそう言っているからいいかと、着ていたTシャツを脱ぐ。


「うわあ」


 あ、やっぱりダメだったか?


 そう思って一色さんを見ると、またもや目を輝かせて近づいてきた。


 え?え?


 何?


 近いんですけど。


 座る位置にも気を使っていたのに、ぐいっと近づいてきた。


「これ、シックスパックよね?」

「あ、腹筋?」

「すっごい」


 一体どこに食いついているんだと思わず苦笑してしまった。


「触る?」


 あまりにじっと腹筋を見ているので聞いてしまった。


「いいの?」


 がばっと俺を見上げる彼女だが、すぐに慌てた表情に変わる。


「あ、ごめんなさい。なんだかはしたない。こんな割れた腹筋初めて見たから」

「別にはしたなくないですよ。どうぞ」


 一応腹筋に力を入れておく。見栄を張っているな、俺。


「うわ、硬いっ。かちこち」


 おずおずと手を伸ばした一色さんだが、そのうち撫で始めて、最後はパンチをしてきた。


「あの、一色さん?」


 腹筋に向かって一心にとすとすとパンチをする一色さんに声を掛ける。


「あ、ご、ごめんなさい。パンチしちゃった」


 可愛いなあ。惚れてしまいそうだ。


 ああ、いかん、いかん。彼女は魔王を倒した偉大なる魔導士様だ。翻って俺はぶっちゃけ無職。


 格が違い過ぎる。


「素振りあと少し続けます」

「すいません。お邪魔しました」


 そう言って一色さんはまた元の場所に戻って俺の素振りをじっと見つめた。


『右半開に始まり左半開に終わる、すべて袈裟斬りに終結する』


 タイ捨流の亜流とも言うべき祖父の剣を、正月とお盆に帰省するごとに叩き込まれた。


 こちらに戻ってからも毎日の鍛錬をかかさなかったのは、こうした自己鍛錬が性に合っていたからだろう。その分他者との交流は苦手な俺である。


「じゃあ、少しだけ型を見せます」


 俺がそう言うと一色さんはさらに目を輝かせて頷いた。


 変わった人だなあと思いつつ、ずっと鍛錬してきた成果が評価されている気がして、悪い気はしなかった。


 何しろ祖父はちっとも褒めてくれない人だから。







「たいしゃりゅうってどういう字を書くの?」


 結局一色さんは泊っていくことになった。


 何しろ彼女はお風呂を沸かすことが出来るのだ。


 濡らしたタオルでしっかり身体を拭いてはいたが、やはり日本人たるもの、風呂に浸かるという行為は格別なのである。


 お風呂の件を聞いた時に、よほど俺が物欲しそうな顔をしていたのだろう。一色さんはお風呂入れましょうかと申し出てくれたのだ。


「水は貴重なんじゃないの?」

「ううん。水はきれいな湧き水がものすごい量、「収納」されているから」


 そう言ってもらえたので、遠慮なく久しぶりのお風呂を堪能させてもらった。


 しかも彼女は俺がお風呂に入っている間にガスコンロでラーメンを作ってくれていた。どちらも「収納」にどっさり入っているらしい。


「塩と醤油、どっちがいい?」

「え?これって」

「インスタントだよ」

「うわあ、嬉しいなあ。備蓄の食糧に飽きていたんだよね」


 どちらも捨てがたいが塩味を選ばせてもらった。


「実は私、昨日塩味食べたの」

「ああ、じゃあちょうどよかった?」

「うん。鏑木さんも塩味が好きなの?」

「そうだね。このシリーズの醤油、塩、みその中なら塩かな」

「これ、美味しいよね」


 その後もどこそこのラーメンが美味しいだの、辛いラーメンはどこまで許せるかだの、ラーメン談議に花が咲いてしまった。


「クリーン」


 使った丼と鍋が一瞬できれいになった。


「便利だなあ、魔法」

「うふふ、そうでしょう」

「一色さん、世界最強じゃない?」

「え?何それ」

「こうなった世界では一番サバイバル出来ると思うんだけど」


 一色さんは首を傾げる。いや、どう考えても最強だと思うんだけど。


「でも、鏑木さんも剣術覚えているし」

「いやあ、タイ捨流だけじゃサバイバルは出来ないよ」


 ここで先の質問が来た。


「たいしゃりゅうってどういう字を書くの?」


 思い切りマイナーな剣術だから、おそらく多少武術のことを知っている人くらいでは知らないだろう。


「タイ捨流のたいはカタカナでタイ」

「え?カタカナ?外国の剣術なの?」


 まあ、そうなるよね。


「体のタイ、待つのタイ、対するのタイ、太いのタイ」

「どういうこと?」


 一色さんが興味深く聞いてくれるから話すけれど、こういう話って絶対普通の女性には禁物だよなあ。


「体とすると身体を捨てる、待つとすれば待つを捨てる、対するとすれば対峙を捨てる、太いとすれば自性じしょうに至る」

「じしょう?」

「自分のさがと書いて自性。自分の本質みたいな意味だね」

「それがタイ?」

「どれかの漢字を当てはめればそれのみの剣となってしまうから」

「どれも当てはめたいってことか」


 そう思うよね。


「ところがタイ捨流のしゃは捨てると書くんだ」

「え?捨てちゃうの?」

「そう。最終的にはそれらのこだわりを全部捨てて自在の剣とするってこと」

「なんだか、難しい名前を付けたんだねえ」


 思わず一色さんの言葉に笑ってしまった。


「ははは、確かにそうだね。わざわざカタカナにしておいて、それを捨てているんだもんね」

「あ、ごめん。馬鹿にしたわけじゃないからね」

「分かってる。それにしても一色さんは面白い人だねえ」

「え?私が?」


 一色さんがびっくりする。


「うん、腹筋叩くし、武術の話に食いつくし、最強なのに自覚ないし」

「面白いなんて言われたことないや」

「え?そうなの?」

「うん、つまらない女とは言われたことがあるけれど」

「はあ?一色さんのどこがつまらないんだ?」


 意味が分からない。どこのどいつだ、そんなこと言ったのは。







「わん」


 ハチの頭を撫でる一色さんが優しい目をしている。一瞬見とれる自分がいた。


 彼女と異世界で魔王を倒した男は追い返すことが出来た。


 何しろあいつが一色さんのことを「つまらない女」と言った張本人だと聞いていたから、気合十分だった。


 そもそも彼女を尻軽などと言うことも許せない。


 いっそ腕も斬り落としてしまえばよかったと思ってはいるが、一色さんによれば彼女が所属していた「カプリコン7」という会社の社員や避難してきた人達を守る役目が彼にはあるらしい。


 一色さんが治癒魔法を掛けたのもそれが理由だった。


「じゃあ、避難所目指して出発しますか」

「車、欲しいね」


 奴が社用車を使っていたことを思い出して言った。


「ああ、太陽光発電している家にある、電動の車なら動くんだよね」

「たぶんね」

「私免許持ってないけど、鏑木さんは?」

「俺も持ってない」

「じゃあ、ダメじゃない」


 そう言って一色さんが笑った。まぶしいなあ。


「いや、実は田舎じゃ運転してた」

「え?それって犯罪じゃないの?」

「うーん。見逃してください」


 何しろ田舎では車が必需品だ。祖父母の住む村にはバスも通っていないのだ。


「このご時世だからいいけど」

「じゃあ自転車で進みながらそういう車が無いか探すとしよう」

「ええ」


 九州からここに来るまでは両親の安否が気がかりで不安にかられながらペダルをこいだが、一色さんが一緒となると、こんなにも軽い気持ちでペダルが踏めるのか。


 無職の俺とは格が違う彼女だけれど、少しでもお近づきになりたい。


 これってよこしまな気持ちだろうか。





それは、「恋」ですよ、鏑木さん。

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