4 冷ややかな再会
鏡の中に夜空を切りとったようなドレスを着た女が映る。口紅はほとんど黒に近い紫色。
あのすずらんの口紅は──えらばなかった。
「やはりミストさまには黒が似合いますね。口紅も素敵です」
ミストの着つけをおこなった侍女Bがうっとりと微笑む。
彼女は『悪女』であるミストに惚れこんでいる。だがそれでミストを死から守ってくれるかというと別の話で、もし主人が毒入りのワインを飲むことを知っていたとしてもBは止めなかっただろうとミストは思っていた。それが悪女にふさわしい死ならば。
「ありがとう。あなたのドレスも素敵よ」
そう返してミストはBとともに自室をでた。
パーティ会場へ、自分を憎む人間たちがいる大広間へと足を向ける。
「おねえさまっ!」
ドアの前でネルフィに声をかけられた。
彼女の装いは変わらない。純白のドレスに桃色の口紅、と可愛らしい少女そのものの格好だ。
朝のことなど忘れたかのようにネルフィは笑う。
「お待ちしていましたわ、おねえさまがいなければ始まりませんもの。さあ行きましょう?」
「ええ──」
──ネルフィはきっと、私を無事に家に帰すつもりはないだろう。
いままでの死をよく思いかえすと妹の影がちらついていたことがわかる。もし今回もネルフィがその気なら──警戒すべきはネルフィではなく周りにいる相手だ。
けして自分では手を汚さない。ネルフィは、そういう子なのだから。
大広間に足を踏みいれたミストを貴族たちが歓迎する。それに如才なく笑顔と挨拶を返し、ミストはネルフィとともに部屋の中央までいった。
シャンデリアの火が今日はやけに眩しい。
窓の外の霧はまだ晴れず、この城ごと現実ではないどこかにいるようだ、とミストは思う。
いっそすべてが夢だったらどんなに楽だろう。
けれどミストにとってはいままでの記憶もすべて地続きの『現実』でしかなく。生きのこるためには、それらもみんなまとめて抱えていかなければならないのだった。
「それではおねえさまの二十歳の誕生日を祝して」
乾杯、と会場中のグラスが掲げられる。
口紅は替えた。これで毒を飲むことはない。それを承知しつつも、気持ちだけは毒を飲み干すつもりでミストはグラスを傾けてワインを喉に流しこむ。熟成されたアルコールは気持ちを引きしめてくれた。
さあ教えて、とミストは隣にいるネルフィに心の中で問いかける。
──あなたは私をどんなふうに殺してみせるの?
どんな手でも受けてたつ。そう、自らを奮いたたせたときだった。
人垣の向こうに。
冷たい雰囲気をまとった、長身の男の顔が見えた。
「────」
見間違えるはずがなかった。アオギリ・ラミフィケーション。
コクナー王子とともにやってきていたのか。
ミストは穴が開くほど彼の横顔を見つめる。
生きている。彼が。その喜びで全身が打ちふるえそうだった。
ミストを救うために死んでしまった彼が、こうして──
「……?」
視線に気づいたのか、訝しげな顔でアオギリがミストを見る。
まともに目が合ってしまってミストはぎくりとしたが、アオギリは儀礼的に頭を下げただけでふいと視線を逸らした。
それだけ。
ミストにとっては感慨深い再会でも、死に戻る前の記憶を持たない彼には知らない令嬢と目があっただけにすぎない。
こうなることはわかっていた。わかっていたのに。
「おねえさま……?」
隣にいるネルフィが不思議そうに顔を覗きこんでくる。
なんでもないわ、とミストは答えたが遅かった。あはっとネルフィが嬉しそうに笑う。
「あのひとがほしいの? おねえさま」
「…………」
「この十一年間で初めてじゃない? おねえさまのほうから男性に興味を持つなんて」
「……そんなことないわ」
「そんなことないって、どっち? 男性に興味を持つのが初めてってところ? それとも、あのひとに興味を持ったこと?」
ミストは黙りこむ。
それに確信を強め、「そうなんだ」とネルフィは姉の耳元に唇を寄せた。
「おねえさまがあのひとのことがほしいなら」
──ネルフィが奪ってあげるね。
そう言うとネルフィはグラスを置くとアオギリのもとへ歩いていく。
とっさに彼女を止めようとしたが、自分にそんな資格はないとミストは口をつぐむしかなかった。
──妹が気になった相手に声をかける。それをだれが止められて?
──悪女の自分と関わるよりも。
──ネルフィと親しくなったほうが、アオギリさまのためになるに決まっているのに……
殺される覚悟ならできていた。けれど。
アオギリが、自分以外の異性と──ネルフィと親しくなるところを見るのがつらくてミストはアオギリから目を逸らす。
初めまして、とネルフィはアオギリを見上げてにっこり微笑んだ。
「お名前をお聞きしても?」
「……ラミフィケーションです」
「ファーストネームは?」
「アオギリ」
問いかければ答えは返ってくるがすぐにネルフィから視線が外れてしまう。だれかを探しているのか。
──なら仕方ないか。
ネルフィの異能は特別なときにしか使わないと決めている。そんなものを使わなくても、自分はだれかを魅了できると自負しているから。
──でも、今夜は特別。
姉が見ている前で。姉が気になった男を虜にしてみせる。
本人の意思すら関係なく。
「随分鍛えてらっしゃるようですけれど──」
と言いかけ、だれかに押されたふりをしてネルフィはアオギリの胸に倒れこんだ。反射的にアオギリは彼女を受けとめる。
「ごめんなさい……!」とネルフィはアオギリの目を見つめた。一秒。二秒。
三秒。
「……いいえ。お怪我は?」
「アオギリさまが受けとめてくれましたから」
ネルフィは潤んだ瞳でアオギリを見る。
ネルフィの【感情増幅】は三秒以上目を合わせた人間の心の動きを高めることができる。
たとえるなら火種に風を送るようなもので、まったく存在しない感情に火をつけることはできないが、すこしでも燃えるものがあればいくらでも炎上させることができる。正気を失わせてしまえるくらいに。
憎悪。殺意。自己愛。好意。心の動きとなるものはすべて、だ。
対象となる感情はネルフィにはえらべない。直近で浮かんだものか、相手が一番強く持っているものになることが多い。
そしてこれが通じるのは異能を持っていない人間に限る。だからもし、アオギリが異能を持っていたらこれは通用しないが……
──どう?
アオギリの胸に身を寄せたままネルフィは彼の表情を探る。
彼の黒い瞳にはネルフィだけが映りこんでおり──ふいに、その瞳がはっとしたように揺れた。彼はぎこちなくネルフィから離れる。
「……失礼しました」
そう言うと彼は足早に大広間をでていく。
「アオギリさま!」ネルフィは彼を追いかけ、扉のそばまできたとき、姉のほうを肩越しにちらっと振りかえった。
一部始終を彼女は見ていただろう。ネルフィの異能が彼に作用したのも見ただろう。
姉は打ちひしがれた顔で立ちつくしていた。
ネルフィは口元に勝ちほこった笑みを浮かべる。
──おねえさまがほしがったもの、わたしがもらっていくわね。




