失踪したくないバレンタイン
バレンタインデー。
それは甘味商会の計略によって特別な意味を持たされた日。意中の相手にチョコレートを渡して愛を告白する、という甘い物嫌いには嫌がらせにもなるイベントだけど、友達以上恋人未満の関係を後押しする切っ掛けとしては悪いものではない。
かく言う私も、常にない覚悟を抱いてこの日を待っていた。……と言っても、好きな男の子に告白する訳ではない。
想いを伝えて拒絶されるのが怖いって理由ももちろんあるけど、それ以外にも切実な理由がある。だから、私がやるのはチョコを渡す事だけ。
それも直接に義理チョコを渡すのではなく、無記名のチョコをこっそり机に忍ばせるだけだ。私はただ、彼を慕っている人間が存在する事を伝えたいだけなのだ。
そして迎えたバレンタインデーの朝。
私は人目を避けて早朝にチョコを投入し、他の学園生が登園してきたタイミングを見計らって席に着く。ここまでは万事順調だった。
あとは彼が登園するのを待つばかり……とソワソワしながら待っていると、彼に先んじて私の親友が教室に顔を見せた。
「ふぇっふぇっふぇっ。どうしたんだい、いつにも増して落ち着かない様子じゃないか?」
落ち窪んだ目、痩せこけた頬。
極めつけは頭に被った三角帽子。
物語に出てくる森の魔女を思わせる事から『モリー』と呼ばれている私の親友は、朝の挨拶もそこそこに私の内心を言い当ててきた。
「おはようモリーちゃん。にしても、やっぱり分かっちゃう? ……実はね、今日はチョコを渡すつもりなんだ。ていうかもう机に入れちゃった」
「なんだって!?」
くわぁっと目を見開いて仰天するモリーちゃん。同じ十四歳とは思えないド迫力の形相に、私も思わずビクッとなる。
ちなみにモリーちゃんは親友であり恋のライバルでもある。そう考えるとジェラシー的に驚いているように思えなくもないけど……実のところ、彼女が驚いている理由はそんな生易しいものではない。
彼にアプローチを仕掛けるという行為は、この学園内で大きな意味を持っている。モリーちゃんもそれを重々承知しているから常軌を逸してしまったのだ。
「いや、思い切った真似をしたもんだねぇ……」
「ふっふっふ。やる時はやる女なのだよ、私は」
目をギョロギョロさせながらも肯定的なモリーちゃんと和やかに歓談している中、ついにその時が訪れた。
彼が教室に近付いている事が分かる。たとえ正確な気配が読めない人であっても、この異質な空気の接近には気付くはずだろう。
「――――やあ皆、おはよう! 今日も気持ちの良い朝だね!」
にこにこと優しげな笑みを携えて降臨したのは意中の彼――コール=ヤヴォールト。この学園で彼の名前を知らない人間は居ない。
平民でありながら学業面でも武術面でも並み居る貴族の追随を許さず、しかもそれを鼻に掛ける事なく謙虚で誰にでも優しいという人格者。
おまけに女の子と見紛うほど可愛いとなれば、私やモリーちゃんが激推しするのも当然だった。……だけど、彼が有名なのは能力の高さだけが要因ではない。
曰く、コール君に危害を加えれば失踪する。曰く、コール君の陰口を叩けば失踪する。彼の周囲では異常なまでに失踪者が多いという事で、学園内に留まらず近隣一帯に彼の悪評が轟いていた。
事情を知らない人間はコール君の仕業だと決めつけているけど、もちろん優しい彼がそんな恐ろしい事をするはずがない。私からすれば失踪犯の正体は明白だった。……いや、こんな事を考えてる場合じゃない。
不当な悪評のせいでクラスメイトは目も合わさず息を潜めている。ここは私が率先して朝の挨拶を返さなくてはならない。
なにより、コール君と会話が出来るという貴重な機会を逃がす訳にはいかないのだ。私は慌ててガタッと席を立つ。
「あ、あっ、あっ、アアアアアアッッ!!!」
ううっ、またやってしまった……。
コール君を前にすると言葉が言葉にならない。いつもいつも頭が真っ白になって大声で絶叫してしまうのだ。……でも、大丈夫。
好きな男子の前で上手く話せなくなるのは普通の事だと雑誌に書いてあった。なんならこれは間接的に告白していると言えなくもない。そう思うと、恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちになってしまう。
「相変わらずキレッキレだねぇ。また白目剥いてたよ? ま、でも声を返せるだけ大したもんだ。あたしなんか視界に入れるだけで目が潰れちまいそうでねぇ」
やり遂げた気持ちで席に着いた途端、モリーちゃんが多弁に称賛してくれた。推しのコール君と会えたからか声が弾んでいる。泰然自若を目指しながらも感情を隠し切れないのがモリーちゃんの可愛いところなのだ。
「もう、白目なんて剥いてないってば。ていうか、モリーちゃんも朝の挨拶くらい返せばいいのに」
「いやいや、恐れ多くてとてもとても……」
実を言えば、モリーちゃんのように崇敬に近い感情を抱いている女の子は少なくない。なにしろコール君は『平民の星』とも言える存在。血統に優れた貴族の上に君臨している存在なので、私たち平民には雲の上の存在に感じてしまうのだ。
そんな事情や失踪の件もあって彼に近付こうとする人間は少ない。考えようによっては周囲から疎まれているようにも思えてしまう。だからこそ、チョコを送ることで慕っている人間の存在を伝えたいのだった。
「――――あっ」
私は唐突にその気配を察した。この時が訪れる前にチョコを机から回収してほしいところだったが、やはりそれは叶わなかった。
そもそも『あの女』はコール君の登園直後を狙って現れる。彼がチョコを発見して回収するには時間が足りな過ぎた。私の挨拶でコール君の気を引いてしまったという事もあるのだ。そんな複雑な思いの中、私が察知した存在が教室に現れた。
「やあ、おはようコール君。九時間と二十五分ぶりだね」
すらりとした体躯に整った顔、短くも妖艶な輝きを放つ銀髪。なぜか男装している上に貴公子のような振る舞いを見せる事から『王子様』とも呼ばれる彼女は、上級貴族でありながら平民のコール君に執着していた。
そしてそう、この王子こそが諸悪の根源だ。
コール君の周りで頻発している謎の失踪事件。この王子がコール君の敵対者を片っ端から始末していると考えれば辻褄が合うのだ。
そもそも失踪者の数は五十人を超えている。それだけの犠牲者が出ているのに未解決となれば、官憲の手が届かない権力者が――上級貴族の彼女が関与しているとしか思えなかった。
コール君は誰よりも優しいので王子の犯行を疑っていないし、この王子は貴族にしては人当りが良いので周囲から慕われているが、私やモリーちゃんは王子が危険人物である事を確信していた。
「…………」
そのモリーちゃんは自然と黙り込んでしまったが、しかしこれは正しい反応だ。相手はスクールカーストの最上位であり上級貴族でもある。
たとえ王子が失踪犯でなくとも、上級貴族に軽く突かれるだけで平民は爆散してしまう。王子に目を付けられない為に教室で気配を殺すのは至極当然の事だった。
ただそれでも、今日の私は一歩踏み込んだ。立ちはだかる巨悪に屈する事なく、意を決して想い人に近付いたのだ。
「ん? なにか机に入って……」
ドクン、と私の胸が高鳴る。
彼が机のチョコに気付いてしまった。王子が傍らで目を光らせているというまあまあ最悪な状況だが、このシチュエーションは十二分に想定していた。私は努めて平静を保ちながら経過を見守る。
「これは、バレンタインデーのチョコ……?」
「…………ふぅん。誰かが間違えてコール君の机に入れたのかな? これはぼくが処分しておくよ」
さりげなく私のチョコを処分しようとする邪悪な王子。しかし、そうはさせない。この展開も当然の如く想定していた。
「いや、裏に『コール君へ』って書いてあるよ。僕宛てで間違いないみたいだ」
失踪対策で私の名前は記載していなくとも、何かの間違いだと思われないように宛先はデカデカと目立つように書いていた。
もちろん筆跡で特定されないように定規を使って書いているし、私の匂いも消し去って指紋も念入りに拭き取ってある。此度のバレンタイン計画に隙はなかった。
「送り主が分からない物を口にするのはよくない。それこそ毒物の可能性もあるからね、これは手を付けずに即刻処分すべきだよ」
「ふふ、心配してくれてありがとう。でも大丈夫。この重さからすると約六十グラム。僕は毒耐性があるから、分量的にトリカブトくらいの毒性でも問題無いよ」
なにがなんでも私のチョコを処分しようとする王子と、無自覚にひらりと邪悪な企みを躱してしまうコール君。
そしてコール君はがさごそと包装紙を開封していく…………って、この場で即座に開封しちゃうの!?
私の想定を軽々と跳び越えてくるなんて流石はコール君だ。あ、でも彼の反応が直に見れるのは緊張するけど嬉しいかも。
「っぐっ、っ……うん、ぐさっと口内に突き刺さるマキビシチョコだね。とても嗜好品とは思えない尖りっぷりには脱帽だよ。いやぁ、バレンタインデーにチョコを貰えるなんて初めてだから嬉しいなぁ……」
ああ、勇気を出してチョコを送ってよかった。あんなにニッコニコで喜んでくれるなら失踪のリスクなんて些細な事だった。
横を見れば、モリーちゃんも推しの笑顔に顔を綻ばせている。そればかりか面白くなさそうだった王子ですら柔らかい雰囲気だ。やっぱり彼の笑顔はぽかぽかと温かくて尊い。これは来年もチョコを送るしかありませんねぇ……。
「それにしても、誰がチョコを送ってくれたんだろう? 慈悲深くて優しい、心の温かい人だって事は分かるんだけど……」
私、私ですよ! と声高にアピールしたい衝動に駆られたが、いつもの不明瞭な叫びになりそうだったので自制した。
それになにより、コール君が他の女子を絶賛した事で王子の目が急速に冷えている。これは五十八人くらい失踪させてそうな人間の目。こんな状況で名乗り出たら失踪者リストに名を連ねてしまうのは明白だった。
「本当に、誰がこんな真似をしたんだろうね?」
うっっ、まずい……!
教室に足を踏み入れてからコール君しか視界に入れてなかった王子が、自分のお気に入りに手を出した不届き者を探すように視線を巡らせている!
プレゼント犯としての物証は残していなくても、王子に疑われただけで失踪させられかねない。間違っても疑われないように自然体を保たなくては。
「――――」
私の親友は先んじて教室と一体化していた。モリーちゃんが教室。教室がモリーちゃん。さっきまで推しの笑顔に顔を綻ばせていたのに、またたく間に気配を殺して教室に溶け込んでいる。
自然過ぎるほどに自然な気配制御は流石のモリーちゃんだ。近隣住民から『失踪学園』と呼ばれるこの学園で生き延びてきただけの事はある。
……いやいや、感心している場合じゃない。
王子は近くの人間の心拍数を把握出来ると聞いた事がある。早く、早く心拍数を抑えないと。こんな時には九字を唱えて落ち着かなきゃ! 臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在――――前ッ!!
「ふぅっ……」
私はあっという間に落ち着きを取り戻した。
やっぱり大事なのはルーティン。普段から慣れている動作を行う事で、普段通りの平静な心を取り戻せるのだ。しかし、そんな中で私の五感が違和感を捉えた。
背筋が寒くなるような冷たい気配。
これは間違いない、王子が私に視線を向けている。私は九字を切っていただけで不審な点はなかったはずなのに、一体どうして……?
じわりと背中に汗が滲む。
俯けた顔を上げるのが怖い。
王子と目が合ったら誤魔化し切れる自信がない……と失踪者リストの仲間入りを恐れていると、不穏な空気を悟ったコール君が動いてくれた。
「んん? ……はは〜ん、なるほど。このチョコが気になるんだね? ほらほら、遠慮せずに食べてみなよ」
「っ……!?」
どうやらチョコ欲しさに不機嫌になっていると思ったらしく、コール君は有無を言わさず王子の口にチョコを押し込んでいた。
これには静観していたクラスメイトもざわめく。建前上は学園内において身分差はない事になっているが、貴族にこんな真似をするのは大胆不敵に過ぎるからだ。
そして私は、別の意味で心がざわついていた。その理由は他でもない、これは恋人同士がやる『あ〜ん』に他ならないからだ……!
コール君がそんな事を意識していないのは分かっているし、彼が王子の気を静めてくれなければ失踪の危機だったけど…………私が送ったチョコであ〜んをされると、脳が、私の脳が破壊されてしまう!
「…………ふふっ、これはひどい。人に贈るような、いや人間の食べるような物ではないね」
私が送ったチョコを酷評しながらも頬を緩めている王子。お気に入りのコール君に手ずから食べさせてもらって満更でもないようだ。これには何も食べていない私もギリィッとしてしまう。
私は嫉妬に焦がれながら自らの過ちを悟る。
コール君を慕っている人間の存在を伝えるのが目的だったけど、消極的な姿勢で真の幸せを掴めるはずもなかった。積極的で貪欲な巨悪に美味しい所を持っていかれるだけだった。
私がチョコを直接渡していれば立ち位置が変わっていたかも知れない。そう、私がコール君にあ~んされていた可能性もあったのだ。いや、それはちょっと恥ずかしいけど。でもあ~んしてくれるならやぶさかではないですねぇ、えへへへ……。
……まぁ、ともかく。失踪のリスクを恐れた時点で私の敗北は決まっていた。来年、来年だ。来年こそは遺書を書いた上でチョコを直接渡してみせる。
なんならチョコを渡した直後に自分から失踪するという手もありだろうか? と生存の目も思索しつつ、私は来年の決戦に向けて闘志を燃やすのだった。
という訳で、宣伝がてらの短編でした。コール少年が主人公の長編はカクヨムで連載中です→【死にたがりの覇王譚~世界を制するリアルタイム放送~】(https://kakuyomu.jp/works/16818093088784197283)
この短編の半年後くらいに失踪スタート(非王子案件)という形になります。。




