13話 私のヒーロー
今回は少し重めの話かもです。
二、三話後くらいにはまたほのぼのとした内容に戻りますので、ご了承ください。
あの後、色々ありはしたが無事に汗を綺麗に拭き取り彼に着替えて貰っている間、私も一度自室に戻って私服に着替えている。
いつまでも制服姿でいるわけにもいかないし、シワが着いても困る。
ジーパンを穿いて黒のタンクトップを着たら、制服をハンガーに掛けてクローゼットにしまう。
「さて。真澄くんの様子を見に行きますか」
部屋の戸締まりをして彼の部屋に向かう。
中に入ると物音が一つもしなかった。着替えは済んだのだろうか。もし途中だったりしたら大変な目に遭う。主に私が。
恐る恐る部屋の奥へ向かうと真澄くんがベッドに横たわっているのが見えた。
どうやら着替えはちゃんと出来たようだ。脱いだ服や下着は見つからないけど洗濯機に入れたのかな?
確認しに行くとちゃんと入っていた。体を壊してもこういう几帳面なところは変わらないようだ。
「……何しようか?」
看病に来て真っ先にぶつかった問題。それは、やることが特に無いことである。
本人が寝ている以上、私に出来るのは彼の額に乗せる濡れタオルの取り替え位だ。部屋を片付けてあげるとしても、彼の部屋は基本常に片付いている為、それも出来ない。かと言って、今日受ける筈だった授業の予習や課題も終わっているから、これも無しだ。まさしく手持ち無沙汰状態である。
「何か本でも借りようかな」
勝手ではあるが彼の本棚から何か面白い本は無いかと漁る。
漁りながらこの前みたくえっちぃ本が無いかと期待したが残念ながらそういう類いの本は一切見つからなかった。あるのはホラーやオカルト、日常物や恋愛物の分厚い小説ばかり。それも数は全部で軽く二百冊以上はある。彼は根っからの読書家のようだ。専用の眼鏡もあるし。きっととても似合うんだろうなぁ。格好良いんだろうなぁ。こう、眼鏡の中心部分を指でクイッてしたりするんでしょ?うはぁ!見てみたい!凄く見てみたいです!
妄想に悶えながら、本を一冊取り出す。ジャンルはホラーかな。題名は、『青鬼』?フリーホラーゲームを書籍化したらしいけど私はよく知らない。表紙が漫画みたいだったら気になってこれを選んでみた。
椅子に座ってデスクライトをつけて読み始める。文字も大きく、漫画のような挿絵もあって中々読みやすい。ホラーという割にはそれほど怖くもなくて結構面白い。シリーズ作品みたいだから今度真澄くんにちゃんと借りよう。
読み始めて二時間経ったくらいだろうか。
スマホに着信があった。私のではなく真澄くんのスマホに。
本を閉じて、スマホを手に取る。画面には『柊哲哉』という文字が表示されている。
通話ボタンを押してスマホを耳に当てる。
「もしもし?柊先輩ですか?」
『あれっ、確か結城に掛けた筈なんだが間違えたかな?』
「いえ、あってますよ」
『それは良かった。で、何故弥生くんが結城のスマホを?本人はどうした?』
「彼、実は風邪で寝込んでるんですよ」
『風邪?アイツが?』
反応が妙だ。まるで彼が風邪を引く筈がないと言いたげな反応だ。
「どうかしました?」
『いや、アイツが風邪を引いたところ見たことが無かったから少し驚いてね』
「そうなんですか?」
『それどころか咳をしたところすら見たことがない』
「そんなまさか」
『大マジだ。本気と書いてマジだ』
「……じゃあ何で今になって体調を崩したんでしょうかね?」
『そういえば昨日も結城休んだよな?昨日の内に何か変わったことあったか?』
「……実は━━」
私は昨日起きたことを軽く説明した。すると柊先輩は何処か納得のいったように呟いた。
『なるほどなぁ。それならアイツが体を壊したのも頷ける』
「何か分かったんですか?」
『結城の奴、きっと安心したんだよ』
「安心、ですか……?」
『結城はいじめを受けていたのは聞いたんだよな?』
「はい」
『そのせいだよ。いじめが起きたことによりアイツは居場所を失った。人が信用できなくなり、逃げ場がないくらい切羽詰まっていたんだよ。負けちゃいけない。弱音を吐いちゃいけない。そんな意志がアイツの体を無理矢理強化したんだ。言わば火事場の馬鹿力だよ』
私は寝ている真澄くんを見る。彼の寝顔には見て分かるほどの疲れの色が出ている。
『けど君という頼れる存在ができた。だからもう頑張らなくて良いと安心して、火事場の馬鹿力の効果が切れて今までの疲れが出てきたんだろうな』
「そうだと良いんですが……」
『………弥生くん、アイツの精神は君が思っている以上にズタボロだ。それはもう突っつけばすぐにでも崩れてしまいそうな程にな。一つ聞くが、君、アイツの左手首を見たか?』
「いえ。何かあるんですか?」
『……見てみろ』
不思議に思いながら寝ている彼の左手の手首を確認する。
「……っ!」
驚きのあまりにスマホを落としそうになった。
彼の手首にはうっすらとだが横に伸びる一本の切り傷があった。
これってもしかして……リストカットの痕?
『そうだ』
「……真澄くん、自殺をしようとしたんですか?」
『その可能性が高いだろうな。中学三年の半ばのある日の放課後の事だった。生徒の殆どが下校で校舎から出ていく中、結城の姿だけは見つからない時があったんだ。最初は先に帰ってしまったのだと思ったんだ。けど、何故か胸騒ぎがしてな。嫌な予感を察した俺は校舎中を全力で探した。そして見つけたんだよ。右手にカッターナイフを持ち、左手首から出た大量の血をトイレの水道に垂れ流してる結城の姿をな』
声が出なかった。その代わりに悲しみで涙が溢れだしてきた。
『俺はすぐにカッターを取り上げ、何をしているのかと問い質したさ。だがアイツは逆に問い返してきたんだよ。俺は何故手首から血が出ているんだってな。俺は酷く驚いたよ。アイツのリストカットは無意識から出た行動だったんだよ……』
「そん、な……」
『本人には自殺をする気は本当に無かったらしい。きっとアイツの意識よりも本能が限界だったんだろうな』
聞くに堪えなかった。もう苦しかった。聞く度に心臓が締め付けられるように痛くて、それで、彼がそれほど苦しんでいたのに気づけなかった自分が情けなくて。
『明らかの異常事態に俺は教師に話すことを決めた。だが結城はそれを強く拒んだ』
「なん、で、ですか……?」
『教師から親に伝わるのが怖かったそうだ。アイツの親は仕事が凄く忙しく殆ど家にいなかった。ただでさえ仕事で疲れている親に心配を掛けたくなかったみたいなんだ。それでも俺は相談することを持ち掛けた。けど結局アイツは首を縦に振ってくれなかった。本人が拒む以上俺も動くことができなかった。だから黙っているしかなかった……結局、俺も結城をいじめてた奴等と同じだったんだよ……』
「そんなこと━━━」
『ないことないさ。俺は見捨てたんだ。親友だと思ってた奴を見捨てたんだ………弥生くん、信頼というのは築くのは難しい。だが壊すのは恐ろしいほど簡単だ。俺は、それを理解していなかった。その結果がこれだ…』
電話越しからでも分かる。今、先輩は泣いている。男の人が泣くなんて、他所から見れば情けない話だと思うが、私はそうは思わない。先輩は泣くほど真澄くんの事を大事に思ってたんだ。私と同じで彼が大好きだから涙を流している。そんな人を情けなくて思うなんて出来る筈がなかった。
すぐにでも通話を終わらせて一人で泣かせてあげたいが、まだ終われない。これを聞くまでは。
「……先輩、どうして真澄くんがいじめられたか知ってますか?」
何度か鼻を啜る音がしてから、鼻声で先輩が喋り出す。
『……これは最近やっと手に入れた情報だ。真実かどうかは定かじゃない』
「構いません」
『中学に入学して半年が経った頃、学校周辺の公園でアイツは一人の女の子に酷い暴力を振るってたそうだ』
一瞬ドキッとする。この噂ってまさか……。
『勿論それが真実ではないことはわかっている。だが証拠がないからな。誰がそんな噂を流したのか現在あるコネを使って特定中だ』
「……そうですか。あの、時期ってもしかして、その年の十月の中旬くらいですか?」
『驚いたな。何故分かった?』
あぁどうしよう。怒りでどうにかなってしまいそうだ。今すぐにでも犯人を一発ぶってやりたいところだ。
『弥生くん、どうかしたか?』
「なんでもありません。教えてくれてありがとうございました」
落ち着け。落ち着くのよ私。今怒ったところで迷惑を掛けるだけだ。今は抑えるのよ。
『あの、本当に大丈夫か?』
「……すいません。用事を思い出したので、切りますね」
『そうか。俺もそろそろ授業が始まるからな。切るとしようか』
「では━━」
『弥生くん』
「なんでしょう?」
『……結城をよろしく頼むよ』
そうして通話が切れた。
スマホを机に起き、ベッドに腰掛けて寝ている真澄くんを見下ろしながら彼の頬を撫でる。
「……やっぱり間違ってなかった。私が好きになったのは、紛れもない貴方だった…」
先輩が手に入れた噂はまったくのデタラメだ。尾鰭が付きすぎているのにも程がある。
彼は女の子に暴力なんて振るってない。彼は救ってくれたのだ。
四年前、私がまだ小学六年生の頃だった。
学校の帰り、ある公園で寄り道をして遊んでいる時に、私に一人の男性が声を掛けてきた。
「君一人?おじさんと遊びに行かないかな?」
典型的な誘い文句を言ってきたその男性は如何にも怪しかった。私は警戒し、男性から離れようとした瞬間、腕を掴まれ口をタオルか何かで塞がれて車の中へ連れ込まれて拘束されてしまった。
怖かった。二度とお母さんとお父さんに会えなくなると恐怖した。
その時だった。
一人の少年がその男性に襲いかかった。
「てめぇ!その女の子をどうするつもりだ!!」
「何しやがるこのガキ!」
少年は強引に男性を車から引き離して男性と殴り合う。私はそれを車の中から見ていた。体格差もあり、明らかに少年が不利に見えた争い。だが少年は一度も退くことはしなかった。
殴り合いながら二人は徐々に車から離れていく。そして車から十五メートルほど離れたところで少年は急に車の方へ引き返してきて私をお姫様抱っこで持ち上げて車から連れ出してくれた。
「逃げるぞ!」
そうして私は無事に両親の元へ生きて帰ることが出来た。
少年には感謝しかなかった。だから何かお礼をしたくて少年を家に招こうとしたが、その時既に少年の姿は何処にもなかった。そしてそれから私と少年が再び出会うこともなかった。
「でも、やっと見つけた……見つけたよ…真澄くん……」
ここに引っ越してきて彼と出会った時、あの時助けてくれた少年だと一目でわかった。瞳が同じだった。私を助け出してくれたあの少年と同じ優しい瞳。出会った時、どれだけ嬉しかったことか。それこそ泣き出しそうになるくらいに。
けど現実は非情だ。四年経って出会った彼は私のことをまったく覚えていなかった。赤の他人と化していた。故に私も他人の振りをするしかなかった。
でもそれでも良かった。彼に会えただけで幸せだった。
「……なのに、何で、こんなに傷ついてるの…」
彼の頬に涙が落ちる。
あんなに勇敢に私を助け出してくれた彼が、何故こんなにもボロボロなのだ。どうして私を助けてくれたという事実が、彼が私を襲ったというデタラメに変わっているのだ。彼が何をした?彼がこれ程傷つかないといけない理由が何処にあるというのだ……。
彼の頬に落ちた涙を指で拭って、彼の額にそっと唇を落とした。
「今度は、私が助ける番だから……絶対に支えるから……だから、今だけは安心して眠って……」
こんな事を考えても意味がない。今私に出来るのは、この身をもって彼を支えることだ。
やっと見つけた私の、私だけのヒーロー。今度こそ、絶対に離れないから。




