82食目 炎の記憶
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
そこは真っ暗な空間だった。
命の煌めきも感じられない、ただひたすらに暗黒で空虚な空間。
そのような場所に、赤き巨人はポツンと独りで立ち尽くしている。
「チゲ……」
「……」
彼は喋る機能を持たされていない。
それは知っているはずなのに、何故か俺は彼の声を知っている。
真実と偽りの記憶が絡まって、俺を雁字搦めにしていることがようやく理解できた。
俺は俺であって俺ではない者、エルティナであって、エルティナではない者。
ヒュリティアはそう告げた。
彼女は偽りなど口にしないし、その答えに至るまで慎重に考えたうえでの発現だと思う。
だから、俺は本当の意味でのエルティナではないのだろう。
でも、だから、どうしろというのだろうか。
俺は俺だ。エルティナという名を与えられた白エルフだ。
今更、偽物だと告げられても引き下がることなんてできない。
俺が偽物だというのであれば、本物を連れてこいってもんだ。
「ふんぬっ!」
バシバシ、と両頬を思いっきり引っ叩く。
負の感情など、今この場に必要ではない。
俺よりも、もっと不安を抱えているやつが目の前にいるのだ。
自分の事など後回しだ。
悩み苦しむ、なんて生き足掻いて死んでからでもできる。
「チゲ、じっくり話し合おう」
「……」
玩具のゴーレム、【ホビーゴーレム・チゲ】は俺の提案に無言で頷いてくれた。
地面も何もない空間、そこに座り込み俺たちは語り合う。
出会いから、共に過ごした日々、そして別れまでを確認するかのように、ゆっくりと、じっくりと。
その果てに、俺は彼に【自身が偽物である可能性がある】、と告げる。
でも、想いは本物であり、俺は俺だという事もチゲに伝えた。
チゲはそれに理解を示し、そっと俺を抱きしめてくれた。
きっと俺は彼に強がって見せていたのだろう。
不安に押し潰されそうな心を偽るために。
だから、俺は強がることを止めにした。
唐突に目が覚める。
そこはクロナミのリビングであり、ソファーの上であった。
はらり、と白いシーツが床へずり落ちる。
身体が冷えないように気を遣ってくれていたのだろう。
いまだ全裸であることから、気を失ってからそう時間は経っていないようだ。
「くぉくぉあ?」
「……はい」
「ココアじゃないですか、やったー」
俺のボケに対し、鮮やかなボケを重ねるヒュリティア愛してる。
彼女が手渡してきたアイスココアを一口含む、と爽やかな冷たさの後、濃厚な甘みと、しっかりとしたコクが口いっぱいに広がり、ぼんやりとした思考をシャキッとさせてくれた。
だからであろう、俺は自分の右手の甲を確認することを思い出したのだ。
「チゲ……」
そこには優しき炎との絆たる【炎の紋章】がしっかりと浮かび上がっていた。
燃え盛る炎を模ったかのような赤い痣だ。
俺の右腕は【鬼】との戦いの際に失われた。
且つ、その鬼は俺の全ての力すらも奪い去り、結果、俺は治癒魔法の一つも行使できないただの子供にさせられてしまっていたのだ。
戦う事すらままならず、撤退せざるを得なかった俺たちに対し、鬼は追撃の爆炎を放つ。
俺から奪った能力を使っての遠慮なしの爆炎だ。
その威力と範囲は、エルティナイトが放ったファイアーボールの数倍はある、といっても過言ではない。
その炎からは到底逃げ切れるものではなかった。
しかも戦場は砂漠であり、砂に足が取られて移動にも制限が掛かる。
最早これまで、俺ですらそう確信した時、チゲは身を挺してまで俺たちを護り、そして灰となって消えていった。
不思議な力を宿す右腕を残して。
その後、俺はその腕をとある変態科学者に頼み込み、右腕に義手として装着できるよう改造してもらったのだ。
そして、俺の能力を奪った宿敵にリベンジし、能力を取り戻すと同時に彼と【契りの言葉】を交わす。
それは即ち、肉体と魂をも同一化させる儀式、【真・身魂融合】の行使だ。
これにより、俺は損失した右腕を再生させ、そこにチゲの力を宿すことになる。
そう、全てはチゲが繋いでくれた未来。その道を俺は歩んでいる。
「……チゲと分かり合えたのね?」
「うん、もう大丈夫。今の俺の事は全部話したし、強がるのもやめたよ」
「……うん、うん」
ヒュリティアは負い目を感じているかのような表情を見せる。
彼女は俺の危機を救うために、月の女神との取引によって長期間、俺たちと離れ離れとなってしまった経緯があるのだ。
「……エル、【どこ】まで思い出してる?」
「全部ってわけじゃないけど、大人になったヒーちゃんと一緒に何かと戦っている辺りまでは」
「……結構、思い出してるわね」
「でも、かな~り虫食い状態なんだぜ。全てを喰らう者の枝たちがよく思い出せないし」
俺の告白に、ヒュリティアは「うんうん」と頷き、それでいいとの旨を告げる。
「……それは、【あなた】を作り出した【エルティナ】が設けたリミッター」
「リミッター?」
「……うん。きっと、エルティナは【自分では成し遂げることができなかった事】を、あなたに託して送り出したのだと思う」
「俺が、【俺】にできなかったことを?」
「……多分ね」
ヒュリティアはそう言うと、自身もヒュリティアであって、ヒュリティアではない存在であることを告白した。
「そっか」
「……うん」
ぶっちゃけ、だからどうした、という話になる。
オリジナルだろうが、レプリカであろうが、俺たちは俺たちでしかない。
「些細な事だな」
「……ふふ、エルならそう言うと思った」
俺の隣に腰かけた彼女は、俺を抱き寄せる。
同い年にしても体格が違い過ぎて傍から見れば仲の良い姉妹と見えよう。
「……ねぇ、エル」
「何か用かな?」
「……あなたも、私も、自由なの」
「うん」
「……だから、今度こそは心のままに」
「そうだな」
でも、俺はきっと、誰かのために戦い続けるのだろう。
それが、俺であり、エルティナなのだ。
でも、ちょっとくらいは我儘をしてもいいかな?
そこんところ、どうなんですかねぇ? 桃先生。
……いいよ。
やふぅ! 許可が下りたぜ!
「桃先生からも許可が下りた!」
「……よかったわね」
「おう! これで世界食べ歩きの旅が実現できる!」
それは俺の野望の一つ。
生を受けて味覚があるのだから、やらなきゃ損でしょ。
何よりも今の俺たちは自由であり、戦機という力と、クロナミという足もある。
それに頼りになる仲間たちもいるのだ。
やるな、というのが無理な話だろう。
「おおっと。まったりとしている場合じゃない。みんなは?」
「……エリンちゃんは、そこで原因不明の頭痛を発生させて死亡したわ」
「むぅ、これは死亡している味」
「死んでないもん」
れろん、とエリンちゃんの死体を舐める、と嘘の味がした。
それを証明するかのように彼女は、むくり、と起き上がったではないか。
「頭痛は大丈夫なのかぁ?」
「うん、嘘のように治まってるよ。いったい、なんだったんだろう?」
「それは、こっちのセリフなんだぜ。なんでエリンちゃんがチゲの事を知っているんですかねぇ?」
俺はすかさず尋問を開始。
頭痛で弱っていた今を置いて、彼女から情報を引き出せはしないだろう。
「夢を見たの」
「夢?」
「そう、エルティナちゃんと、その仲間たちが砂漠で怖い人たちと戦っている夢」
エリンちゃんは二の腕を擦り、不安そうな表情を窺わせた。
彼女が語るのは宿敵に力を奪われ、チゲが犠牲になったあの場面を正確に言い当てていたのだ。
これは夢とかそういったレベルじゃない。
「エリンちゃんは、何か不思議な力を持っているっぽい?」
「……不思議少女認定」
「それだと残念な子になっちゃう」
ヒュリティアの認定を速やかに却下したエリンちゃんは、俺の右手に自分の右手を重ね感触を確認した。
「よかった。ちゃんとある」
「無かったら大変なんだぜ」
「うん、そうだよね……あれ? こんな痣、あったっけ?」
「にょっきりぽん、って浮かび上がったが、どこも問題は無かった」
「問題だらけだと思うなぁ」
問題をさり気なくスルーした俺は、エリンちゃんの特殊な能力を頭の片隅に置きつつ、他のメンバーの今を確認すべく行動に移る。
しかし、直ちに全裸幼女であることが発覚し、服を着ることを強要されたのだった。
「……予備の服を買っておいて正解だったわね」
「また桃色のツナギなんだぜ」
「似合っているんだから、いいんじゃないかな?」
ヒュリティアが「こんな事もあろうかと」という名台詞と共にソファーの下から桃色のツナギを引っ張り出す。
何故、そのような場所にツナギを仕込んだのか、これが分からない。
そして、エリンちゃんが戸棚から子供用の下着を取り出す。
食器類が入っている戸棚に何故下着を仕込んでいたのであろうか。
不思議少女たちの思考は理解不能であった。
「あれ? アイン君は?」
「……エルティナイトに付いているわ。ちょっと不具合が生じているみたい」
「なんですとっ!? それは大変なんだぜっ!」
俺は「ふっきゅん」と連呼しながら衣服を身に付ける。
自分では、それによって着る速度が向上していると思い込んでいたが、そんなことはなかったもよう。
着替え終えた俺は、ヒュリティアとエリンちゃんを引き連れて、エルティナイトがいるという格納庫を目指した。




