400食目 俺は全てを喰らう者
真っ暗だ。何も見えない。
身体があることは理解できるし、動かせもする。
でも、それを視認することはできない。
不思議な感覚だった。
真っ暗な海中にいるかのようだし、宇宙に放り出されたかのようでもあった。
ふわふわ、と成す術もなく浮かんでいると、いつか聞いた声が響く。
「時、来れり」
「っ、竜の枝っ!」
姿は見えない。声だけだ。
「我、全てを喰らう者・竜の枝。汝が行い、汝が苦悩、汝の決断を見届けた」
突風が駆け抜ける。
それと同時に闇のヴェールが持ち運ばれ世界は光に満ちた。
「こ、ここは……!?」
「よく、ここまで育て上げたものだ」
「シグルドっ!」
小さな丘の上、そこには一本の大きな大樹の姿。
その周囲を埋め尽くすのは色とりどりの花々、そして虹色の翅を持つ蝶がゆったりと飛び回っている幻想的な空間だった。
空を見上げれば一面、青空。白い雲がゆったりと流れている。
寒くもないし、暑くもない。
快適な温度な上に、優しい風が時折、頬を撫でてゆく。
考え得る限りの優しい空間。そう思った。
この空間のシンボルであろう大樹の下に、各枝の管理者の姿。
つまり……ヒュリティアの姿もある。ザインちゃんもだ。
「みんなっ!」
急ぎ、彼らの下へと駆け付ける。
アダルトモードだからそう時間は掛からない。
「……エルドティーネ。遂にこの時が来たわね」
「ヒュリティア、これは?」
「……シグルドが説明してくれる。私たちの長が、ね」
一人、圧倒的な存在感を放っている巨大な黄金の竜。彼が閉じていた目を開ける。
それだけで突風が生まれた。可憐な花々はその花びらを舞い上がらせる。
「エルドティーネ。汝に最後の試練を与える」
「最後の……試練」
「汝、何者や?」
これまたド直球な質問だ。でも、最も難しい質問である。
俺は、俺だし、俺以外の何ものでもない。
でも、シグルドが欲している答えは、そのようなものではない。
そして、枝たちも同様だろう。
でも、考える必要なんてない。
俺は結局、【俺】であるのだから。
「俺は全てを喰らう者」
「……そうか」
シグルドは少し落胆した表情を見せた。
だが、人の話は最後まで聞くべき。そうするべき。
「全ての暗黒を喰らう者」
「……」
「全ての悲しみを喰らう者」
「―――っ」
「我、喰らう事しかできず。されど、だからこそっ!」
――――全てを救う事、叶う者なり!
「な、汝っ!」
「シグルドっ! 俺は、おまえらも救いたい! 俺に与えられたこの力! 忌まわしい力であっても! しょせんは力に過ぎない!」
力に縛られ、永遠に不幸であるなどあってはならない。
「全てを喰らう者であるなら! これが俺だというなら! 俺は、おまえたちを縛る戒めを喰らい尽くす! 全ての運命を! 悲劇を! 悪夢を! 喰らい尽くす!」
それが、全てを喰らう者の宿命。
形無きものを喰らえるのであれば、俺はそれを喰らい尽そう。
全てを喰らう者として。
「もう一度言う。俺は―――全てを喰らう者、エルドティーネ・ラ・ラングステンだ!」
俺の宣言、その直後、大樹と花々、そして月光蝶が眩い輝きを放つ。
まるで、俺を祝福しているようなその光景の中で、大いなる竜は暫しの間、呆けた表情を見せて……やがて、大笑いし始めたのだ。
「はっはっはっ! 愉快痛快とはこの事なり! よもや、我らをも救う、と宣言するとはな!」
シグルドは空を見上げた。
そこにはどこまでも続くかのような青が広がっている。
「蛙の子は蛙……とは良く言ったものよ。がしかし、エルティナ……汝が子は、汝を超えるであろう」
再び俺に向き直る黄金の竜。
各枝の管理者たちも姿勢を正した。
「全てを喰らう者よ。全ての災厄を喰らいし者よ。我は全てを喰らう者・竜の枝のシグルド。古き盟約に基づき、我の全てを汝に捧げよう」
「我、全てを喰らう者なり。汝が申し出、喰らい尽そう」
「さぁ、古き伝承の言葉を―――」
火は土を食い
土は風を食い
風は雷を食い
雷は水を食い
水は火を食う
光と闇は互いを食い合い
全ては竜が統べん
「汝、全てを喰らう者――――エルドティーネ!」
俺の懐から竜の書が飛び出して来た。
それにハメられた八つの宝石はそれぞれの色で輝き、独りでにページがめくられていった。
それは、母エルティナの辿った軌跡。その栄光と挫折、そして心残りが記された物だった。
俺は理解した。
何故、俺がここに向かわされたのかを。
何故、全てを喰らう者の力を託されたのかを。
でも、今はそんな事なんて関係ない。
母の心残りなんて知ったことじゃない。
たまたま、俺のやりたいことに重なっているだけのこと。
全てを理解した俺に、新たなる力が宿る。
恐らくは、それが一番、母が託したかったもの。
まったく、とんでもない親だこと。
「……エルドティーネ。全ての悪夢を喰らう事は容易ではないわ。喰らった後の事も考えていて?」
「もちろんさ。そのための事も母ちゃんが考えていたよ。まったく」
「……あの子らしいわね」
「いるんだろ? 百果実」
「……お見通しだったのね」
俺がヒュリティアに催促をすると、彼女の作り物の黒い花から精霊の賢者が飛び出してくる。
その彼に抱きかかえられた始まりの大樹の姿も。
おい、賢者。顔っ! にやけ過ぎだっ!
「やっぱな。敵を騙すには味方から、とは良く言ったものだぁ」
「……ごめんなさい。始まりの大樹だけは絶対に死守する必要があったのよ」
「それも母ちゃんから?」
「……シグルドを通してね。私がこっちに来るのは想定外だったみたい」
「そっかー」
シグルドにしてみれば、事情を察してくれるヒュリティアは都合が良かったのだろう。
しかも、欠番になっていた闇の枝の管理者になってくれて万々歳、といったところか。
「この度は母が大変に申し訳ない事を……」
「お互いに面倒な母ちゃんを持ったものだな」
「……え?」
「でも、羨ましいよ。百果実はまだ母ちゃんに色々と伝える事ができるんだから」
「……はい、その通りです。謝罪のつもりが、逆に励まされるとは。賢者失格ですね」
「これが終わったら、精霊王とゆっくり話し合ってみてほしい」
「必ず……!」
そして、俺は始まりの大樹と向き合う。
終焉が訪れるその日までの永遠のパートナー。
「始まりの大樹、待たせちまった」
「いえ、この程度の時間など一瞬に等しいですよ」
「そう言ってくれると助かるんだぜ」
「いよいよ、ですね。事情は百果実とヒュリティアから聞かされました」
「そっか」
始まりの大樹の手が差し出される。
俺はその手を握った。
「さぁ、芽吹きの時です。硬い殻を割って、過酷で残酷で……でも、愛と勇気に満ち溢れた世界へと飛び出しましょう」
「あぁ、行こう。どんな困難があっても、皆となら……!」
―――全ての絶望を喰らい尽して見せる!




