238食目 不穏
◆◆◆【レフティ】ジュニアアリーナ・チームコーチ ◆◆◆
最近、妙だ。
アリーナに新しい風が入ってきた、といえばそうなのだが、どうにもその風にきな臭いものを感じる。
それはまるで、十年以上も前の【あの惨劇】のように。
「ひでぇ面だな、おい」
自宅の洗面所で鏡に映る自分を見ると目の下に隈ができていた。
ここ最近はよく眠れていない。
トウキチロウ、という少女の戦いに始まり、そしてイバラキドウジの戦いぶりを見て確信しつつある。
例の組織が復活したのだと。
しかも、それはかなりの力を付けて。
ジュニアリーグとメインリーグとで分けて、存在を隠蔽しつつ、再び王国を乗っ取る計画なのだろう。
不安を払うかのように、火照っている顔を冷水で洗う。
突き刺すかのような冷たさは、俺を幾分か冷静にしてくれる効果があった。
顎の先端からぽたぽたと雫が流れ落ちる。
洗面台に叩き付けられる雫の音が妙に大きかった。
肺に溜まった空気を一気に放出する。
それを人はため息と名付けた。
「なんでこのタイミングなんだよ……くそっ」
わざわざアリーナに介入して王国を乗っ取ろうとするのには理由がある。
アリーナは国の重要な資金収入源である、と同時に戦機開発の実験場のような場所なのだ。
性能を何割か落とした【新型】が毎年、アリーナ戦士たちに提供される。
アリーナ戦士たちは新型とあって、それに飛びつきバトルする。
その際に蓄積された戦闘データを収集し解析、それを正規の新型にフィードバックして軍に配備する。
そうすることによって、常に軍のアップデートを計ってきた経緯がある。
つまり、アリーナを押さえてしまうと王国は戦機開発を大幅に見直す必要が出てくる。
その期間は一年や二年で納まるようなものではないだろう。
もし、その間に他国が攻め込んで来ようものなら、ますますアリーナの奪還は難しくなる上に、最悪、手が回らなくなる。
そうなってしまえば、後はやりたい放題だ。
組織はこれに着目し、密かにアリーナ乗っ取りを画策し、工作員を送り込んでいた。
それはジュニアリーグにも及び、幾人もの子供たちがその未来を弄ばれたのだ。
思い出したらムカムカしてきて、いつの間にか頭を掻き毟っていた。
もう十年以上も前の事なのに、まだこのトラウマを克服できていないようだ。
「なんとかしねぇとな。あいつらのためにも」
洗面所を後にする。
ソファーの上に、昨日脱ぎ捨てたしわしわの服がある。
それをを手に取り、まだいける、と確信。
直ちに着替え、トーストを焼く準備に取り掛かる。
オンボロのトースターに喝を入れてスイッチオン。
同時にコーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。
あとは新聞を読みながら、のんびりと待つだけだ。
「チームシュテンドウジ……ねぇ」
当時、俺はジュニアリーグの選手だった。
現在とは違い、多くの猛者たちが鎬を削る時代であり、多くの者たちは【黄金の時代】と呼称し称えた。
でも、俺たち当事者にしてみれば【暗黒の時代】の方がしっくりとくる。
例の組織が送り込んできたチーム、それにそっくりな戦い方をするのがトウキチロウ、イバラキドウジだ。
残虐非道、ルールを本当に知っているのか、と疑いたくなるような戦いぶり。
しかし、強い。その強さだけは本物だった。
「マクシオンさんに連絡しなきゃな」
例の組織が復活し行動し始めたのなら、王宮に構成員が入り込んでいる可能性を疑わなくてはならない。
マクシオンさんは熱狂的なアリーナファンであり、そして防衛大臣でもある。
暗黒の時代に置いて、彼に一目置いてもらったのは僥倖だった。
その交流は俺がコーチになっても続いており、時折、連絡し合っている。
彼と俺たちの活躍もあって、組織は壊滅し王国は事なきを得た。
でも、その代償は高く、多くのアリーナ戦士たちが傷ついた。
俺も、その中の一人だ。
右腕に走る大きな傷跡。
日常生活を送るには問題無い程度に回復したが、もう戦機を操るには不十分。
組織の総統との一騎打ちで負った怪我は、俺の人生を大きく変えてしまった。
でも、俺はまだマシな方。
もう二度と会えない戦友たちだっている。
あんな悪夢は、もうごめんだ。
アリーナは夢を与える場でなくてはならない。
夢を見せる場でなくてはならないんだ。
リアルな戦機の現実を、あの場所でくらい見せなくたっていいじゃないか。
「……ん? この臭いは……うわわっ!?」
焦げ臭いにおいと黒い煙がトースターから発生している。
喝を入れて気分を害したのだろう、ささやかな復讐をやらかしてくれたようだ。
「うわ……こりゃ食えんな」
なんということだ、俺の朝食が真っ黒こげになってしまった。
もう一枚しか残っていなかったというのに、とほほ。
結局、俺の朝食はコーヒーだけとなってしまった。
しかも、分量を間違えたせいでくそ苦い。
もう踏んだり蹴ったりとはこの事だ。ちくしょう。
コロッセウムに出勤する。
コーチ業はコロッセウムの指名制だ。
優秀な選手を排出すれば、それに見合った給料が配給される。
逆を言えば、優秀な選手を排出できなければ赤貧状態が続く、という事になる。
最悪、契約解除にもなるので評価を上げるべく、毎日の出勤は欠かせない。
とはいえ、条件はこれだけなので、とても気楽な職業でもある。
ある意味で、究極の実力世界、ともいえるのだが。
さぁさぁ、今日も愛しの教え子たちを鍛えようじゃないか。
「ん? あれは……」
スタッフ専用口に向かう際に、件の少女を発見する。
金髪碧眼で妙に耳の長い女の子だ。
見た目、三歳児程度の活発そうな彼女は露店の店員から焼きそばを渡され、それを勢いよく啜る。
その可愛らしい様子に、試合で見せたような冷徹さは微塵も感じられない。
ニコニコと笑顔を見せる彼女に、組織が関わっているのだろうか、という想いが走る。
ヤツらに調整された選手たちに表情の変化というものはなかった。
その全員が、戦闘兵器のパーツの一部、というように教育されていたからだ。
もっとも、感情が完全に消えていない者もいて、その子がいてくれたお陰で俺たちは組織に勝つことができたのだが……。
「もしかして、あの子も、【レイナ】と同じなのか?」
だが、変な先入観は持つべきではないだろう。
それは、あの子と同じ時代を生きるアーガスたちに任せればいい。
俺は、彼らが傷つかないように上手く立ち回らねば。
立ち去ろうとした瞬間、俺はとある少女の声を耳にする。
「……エル」
「ふきゅん、ヒーちゃん」
振り返れば、そこにはトウキチロウ選手と気さくに会話を交わす銀閃の姿。
年若いとは聞いていたが、まさかアーガスとそう変わらない年齢だとは思わなかった。
それでいて知名度があるネームドなのだから凄まじいの一言だ。
もし、彼女がジュニアリーグに参戦だったら、アーガスでも活躍の見込みは絶たれていただろう。
あいつは「わくわくする」というだろうが、俺はひやひやものだ。
生活が懸かっているので、以前のように諸手を上げて喜べないのが心苦しい。
「……今日、デーバトルよね?」
「ヒーちゃんもだろ?」
「……たぶん、連中も来ているだろうから、思いっきりやっちゃって」
「ユウユウ閣下みたいに?」
「……えぇ」
「まかせろー」
何かの聞き間違いだろうか。
銀閃がトウキチロウ選手に指示を出し、そして彼女はそれを承諾した?
この二人は繋がっていて……いや連中とは誰の事だ?
今日は何があった? 予定は?
「……確か、セーギ第二王子の観戦日っ」
第一王子派と第二王子派とで諍いが起こっているのは国民も知るところである。
第一王子であるアーク王子は戦機開発や戦争に肯定的な派閥に取り込まれているが、弟であるセーギ王子は穏健派に取り込まれていた。
この両者は実のところ仲が良い兄弟であり、政治的に利用されてしまっているだけの可哀想な立場にあった。
そんな兄弟の共通の趣味がアリーナ観戦なのだが……組織にとってみれば穏健派は邪魔な存在であり、その象徴も目の上のたん瘤になる可能性がある。
まさか、とは思うが事故に見せかけてセーギ王子を暗殺するつもりじゃないだろうな。
「念には念を入れておくか。取り越し苦労ならそれでいい」
急ぎ、スタッフルームへと向かう。
何事も起こらなければいいが……。




