228食目 狂気と狂喜の向こう側 ~こいつもヤヴェ~
ドアなどは無いので「お邪魔するわよ~」とおばちゃん風に宣言し不法侵入する。
内部に入ると異様な臭いが鼻を突いて思わず顔を顰める事になった。
どう表現したらいいのだろう、それはレモンと納豆と腐った卵と【ピーッ】の混じったような臭いだ。
こんなところで暮らすよりも外で寝泊まりした方がよほどましだ、と思える場所に果たして人間がいるのか。
薄暗い通路を進む。
常人であればこの時点で「ハイサヨナラ」であるが、俺は超一級の食材ハンターであるため後退の二文字は無い。
足元に転がる金属片を踏みつけないように注意を払いながら進む。
意外に通路は長かった。
しかしそれは、この異様な臭いがそう思わせているのであろうか。
やがて通路は終わりを見せ、弱々しいランプの灯りを頼りに机に向かって何かをしている男を発見する。
彼は酷く薄汚れた白衣を身に着けており、ボサボサの黒髪は好き放題に明後日の方向に伸びまくっている。
まるで秩序の無い草っぱらのような頭をボリボリと掻き毟る度に白い粉が舞っているのは、相当に不衛生な生活を送っているからか。
「あんたがトマッシュか?」
「ひ、ひひっ。こ、このプラズマリアクターがなっ、こ、こうっ、反応してなっ」
俺が声を掛ける、と白衣の男が鉄製だと思わしき小さな箱を手にして立ち上がる。
振り向くと男の容体がもっと酷い事が判明した。
皮膚病を患っているのだろう、大半が爛れてしまっており引っ搔いた跡が無数に窺える。
もし、俺が治癒魔法が使えたなら問答無用で治療したのであろうが、今はそんなこともできない。
でも出来ることが無いわけではないので即座に実行する。
「ウォーターボールっ」
水属性攻撃魔法【ウォーターボール】。
空気中の水分を集めて水の球を作り出し対象にぶつける魔法。
ただの水の魔法なので殺傷能力はほぼ皆無。
うんと魔力を籠めれば鉄の塊並みの強度を持たせることも可能であるが、コストに見合う効果が期待できないため、基本的に暴徒を威嚇するためか対象を傷つけないで捕縛するために用いられる魔法だ。
今回の場合は対象を強制的に洗浄するために用いる。
「ぶぎゃぁぁぁぁっ!? 何をするっ!?」
「うるせぇ、まずは治療だっ! 脱げっ」
おりゃおりゃ、とソフトボール程度の大きさのウォーターボールをぶつけまくる、と色々ヤヴァイおっさんは渋々服を脱ぎ始めた。
やはり、皮膚病は深刻であり、正常な部分を探す方が苦労するほどだ。
「病院に行こうとは思わないのか?」
「ひひっ、病院だぁ? 悪魔の館に、は、入れるかよぉ」
焦点が定まらない青い瞳をぐりぐりと動かしながら、ぶるぶると身体を震わせる男の腕には無数の注射痕。
ヤバい薬でも決めているのだろう。
精神的に弱くて手に染めてはいけない薬に逃げたか。
それとも、そうしなければまともに生きていられない病状なのか。
いずれにしても彼の身体はボロボロだ。
精神に至っては既に手遅れな可能性だってある。
「確か聖衣の内ポケットに……あった」
聖衣の内側には複数の内ポケットが備わっている。
治癒魔法が使えなくなった俺は、万が一に備えてヒュリティアより薬品を渡されていた。
基本的に長持ちする薬であるが、それだって限度というものがある。
だから俺は取り敢えずヒュリティア特製の【ダイタイナオス】といういい加減なネーミングの薬品をトマッシュと思わしき人物にぶっかけるだろうな。
「おぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!? し、滲みるぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!?」
「ヒーちゃん製の薬は厳しいんだぜ」
ジュウジュウ、という音と煙を上げながら皮膚病の男が悶える。
しかし、それは爛れた皮膚が高速再生している証だ。
「ひぃひぃっ、ひひっ、なんだぁ、おまえはぁ? 俺をどうしようってんだぁ?」
「一本じゃ足りないっぽいなぁ。座ってくれ背中に掛ける。もう一本は自分で下半身に塗ったくってくれ」
ダイタイナオス、というどっかで聞いたことがある薬品を狂気に染まった男に渡し、俺は彼の爛れた背中に「おりゃっ」、とぶっかける。
黒に近い濃厚な緑色の液体はジュウジュウと彼の背中でエキサイティング。爛れた皮膚の再生に勤しむ。
それを確認している、と男も下半身に薬を塗り始めたのか、そこから盛大に煙を上げ始める。
「いひひひひっ、なんだぁこれはぁ? 悪魔の薬かぁ?」
「ある意味で正しい表現だが、本人の前でいると問答無用でぶっ飛ばされるから言わない方がいいんだぜ」
暫くすると煙は立たなくなり、後はじわじわと爛れた部分が再生してゆくだけになった。
あと三十分もすれば、完全に皮膚は正常な状態に戻るだろう。
とはいえこんな生活を続けていれば、再び症状は逆戻りしてしまう事は容易に想像できる。
一応は釘を刺して置くつもりではあるが、それを聞き入れるかどうかは彼次第だ。
「こんな生活をしていたら長くはないんだぜ。だから、こっから出るんだ」
「くひひっ、かゆいー、を直してくれたことは礼を言う。だが、ここは俺の研究所だぁ。で、出てゆくのはおまえ、まえ、のほっ、ほうっ」
ビクンビクン、と素っ裸のまま痙攣する男は突然、恍惚の表情を浮かべ「くひっ」とニタニタするだけの存在へと成り果てた。
これではまったく話が進まない。
まだトマッシュ本人であるかどうかすらも確認が取れていないのだ。
ここで引き下がるなど、できないできにくい。
幸い、彼は座ったままだ。
であるなら、こちらにも考えがある。
「フリースペース」
時が止まっている亜空間より朱色の饅頭を取り出す。
蒸かしたての状態を維持しているそれからは、食欲を刺激する香りが放たれているが、ここの臭さはそれを上回るのであまり意味をなさない。
だが俺が期待するのは食欲の方でも栄養の方でもない。もっと別の物だ。
「こいつでもくらえー」
俺が棒読みなのには理由がある。そして罪悪感もちょっぴり。
男がムグムグと粗食する。
一噛み、二噛み……やっぱ、そこで止まりますよね~。
「みぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
どたばたと土床を転げ回る男が食べた饅頭の正体。
それは、対二日酔いゾンビ用に製造された【究極激辛饅頭】だ。
こいつはホットブーブー粗挽き肉に正気を疑う量のハバネロを投入し、ニラ、玉ねぎ、グツグツ大根をみじん切りにした物を混ぜたタネを、これまたハバネロを混ぜ込んだ生地で包んで蒸かした物となっている。
何も知らずに完食した者はヤーダン主任以外確認できていない曰く付きの一品だ。
そいつを狂気に支配されていたおっさんの口に突っ込んだのである。
その結果どうなったかは、俺の目の前のおっさんを見れば一目瞭然。
ビクンビクン、とケツプリ土下座状態になってパクパクと何かを言おうとしている。
しかし、辛すぎて口がおかしくなっているのか言葉が出てこないもよう。
なのでフリースペースからバターを一欠けら取り出して、彼の口に突っ込む。
するとようやく辛さが収まってきたのだろう、大量の汗を噴き出しつつ、おっさんはようやく瞳に理性の輝きを呼び戻すことに成功した。
「こ、殺す気かっ、悪魔めっ」
「ふっきゅんきゅんきゅん……俺は悪魔だぁ」
ふんす、と胸を張って強者感を醸し出すが、おっさんは頭を振って見てもくれませんでした。しょぼん。
「ふぅぅぅぅぅぅっ……はて、私はどうして、こんな場所に全裸でいるのだ?」
「色々とツッコむ部分が沢山あるけど、取り敢えずここから出ないか?」
「うむ」
「あ、パオーン様は隠してくれよ?」
「これを着ろというのか? 水浸しで着れないんだが」
そういえばそうだった。
皮膚病で汚染された衣服を着させるのもあれなので、フリースペースに何かないか探す、と女性物ではあるがパンツが一枚出てきた。
「取り敢えず、これを履いて」
「うむ」
違う、それは顔を隠すマスクではない。
そして、一瞬でマッスル状態になるんじゃない。
それは決してパワーアップアイテムなんかじゃないんだから。
「新しい自分に出会えた感じだ」
「ええい、もう股間はこの葉っぱで隠しておくしかない」
もう究極的に変態な彼をガラクタの洞窟から連れ出す。
ようやく比較的まともな空気を肺に入れた俺はこう呟くだろうな。
「これが娑婆の空気か」
でも、入り口に立っていたユウユウ閣下の朱に染まった姿に、俺は思わず「ひえっ」と悲鳴を上げたのでした。




