206食目 無慈悲なる者 ~全てを喰らう者・水の枝~
身動きのできないルナ・エルティナイト。
しかし、そんな鋼鉄の騎士を数体がかりで持ち上げたアインリールは、わっせわっせと神輿でも担ぐかのように逃走を開始。
激高しておられるアナゴさんは芋虫と化しているルナ・エルティナイトを追いかけて穴から抜け出してきた。
「キモいっ、主に全部キモイっ!」
「……同意ね」
「いあ~ん」
そんなことよりも、早くこの戒めを解かなくては、とアイン君は申されております。
分かっちゃあいるけど、どうしたものか。
アインリールたちも、いつまでも逃げきれはしないだろう。
となれば、ここは精霊に頼るしかあるまい。
「……百果実。良い知恵はないかしら?」
「それでは賢者の知恵を授けましょう」
ヒュリティアの右目を覆い隠す黒い花飾りから、精霊の賢者の声が聞こえてきた。
「どのような物にも必ず水分というものが含まれます。このように粘着質の物は特に」
「……水分を無くしてしまえば脆くなると?」
「はい」
ヒュリティアは少し考え、そして告げる。
「……エル、全てを喰らう者・水の枝を使いましょう」
「制御する自信はないんだぜ」
「……大丈夫、ヤドカリ君もいるし、私の桃力も使用するわ」
「むむむっ」
迫るマ・ゴアナーの無慈悲な牙。
考えている暇などない事は一目瞭然。
ならば、ヒュリティアを信じて全て喰らう者・水の枝を召喚するしかないか。
「分かったんだぜ、やってみる」
「……ええ」
すぅ、と息を吸い込み心を鎮め、俺は力ある言葉を唱えた。
「来たれ! 全てを喰らう者・水の枝! ヤドカリ君っ!」
体中のありとあらゆる力が吸い取られてゆくかのような感覚。
それと共に、この世の全ての水分を貪り尽くす冷酷なる水の大蛇がエルティナイトから生え出た。
それは青い甲羅を纏った巨大なヤドカリの爪という理解不能な存在。
これを蛇といっていいのか分からないが、見た者たちは真っ先に異形の蛇と認識する辺り、そういう強制力が働いているのかもしれない。
全てを喰らう者・水の枝は口というか爪をバチンバチンと鳴らし始めた。
同時に周囲のありとあらゆる水分が失われ始め、パキパキと音を立てて崩れ去ってゆく。
「うぐぐ……なんて無慈悲な力なんだっ! ありとあらゆる物が乾いて砂になってゆくっ!」
何もかも関係ない、無機物も有機物も等しく潤いを失い、姿を維持できなくなって崩壊してゆく。
全ての命の根源たる水を喰らい尽くす悪魔。
それが、全てを喰らう者・水の枝だというのか。
「……エル! しっかりなさい! 意識を水の枝にっ!」
「はっ!? しまった、呆然としていたっ!」
何をやっているんだ。
俺が制御してないんだから、枝が好き勝手に行動しているじゃないか。
「ヤドカリ君っ! エルティナイトの蜘蛛の糸をっ!」
枝に向ける一言一文字に異常なほどのエネルギーを消費する。
こんな化け物を二代目は自由自在に操ったというのか。
本物の化け物は枝ではない。
間違いなく母だ。
ぬらり、と巨大なハサミがルナ・エルティナイトを拘束する白い糸の水分を喰らい始める。
例え標的を定めたとしても周囲から水分を巻き上げる異形の化け物は、敵味方など関係ないのだろう。
俺たちを救い出してくれたアインリールたちも、水分を喰らい尽くされ砂へと還ってしまった。
「アインリールっ!? ご、ごめんっ!」
「……機体が壊れただけっ! 精霊たちは無事っ! 意識を集中っ!」
ヒュリティアの容赦のない檄が飛ぶ。
大粒の汗を撒き散らしながら叫ぶのは、その言葉を自分にも向けているからだろう。
彼女の言う通りだ。
意識を他に向けたら水の枝が暴走してしまう。
そうなれば、今度は他の連中も……!
「早くっ、早くっ!」
水の枝は蜘蛛の糸の水分を喰らってゆく。
しかし、彼の食事速度は他の枝とは違ってゆっくりなのだ。
じわじわと真綿で首を締めるかのような速度はしかし、広大な範囲から逃れられないこともあって恐怖に他ならない。
星の半分を覆い尽くす範囲とか、どうやって逃げろというのだ。
こうして対象を絞っているにもかかわらず、じりじりと周囲から水分を巻き上げる水の枝。
枝の周囲の草木や建物は砂へと還り、その姿を失って久しい。
『それが……どうしたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
そして、恐怖によって、或いは妄執によって理性のたがが外れた鋼鉄のアナゴが無謀にも全てを喰らう者・水の枝へと食らいつこうとする。
しかし、青い甲羅の異形の蛇に近付くにつれてマ・ゴアナーはギシギシと妙な音を立て始めた。
そして、遂には全てを喰らう者・水の枝の手前で完全に停止してしまったではないか。
『どうしたっ!? 何故、動かんっ! マ・ゴアナー!』
動揺するI・イグスは気付いていない。
機体を柔軟に動かす油をも喰らい尽くされたことに。
のんびりと対象を喰らう水の枝も、敵意を向ける存在に対して容赦するわけない。
ボロボロ、と蜘蛛の糸が水分を喰らい尽くされて崩壊してゆく。
それを認めた異形の蛇は標的を巨大アナゴへと定めた。
バチン、バチン、とハサミを鳴らしながらゆっくりと鎌首をもたげる。
『ひっ……!?』
ここで、ようやくI・イグスは自分が何を相手にしていたのかを理解したか。
可哀想なヤツだ。
あのまま狂気に囚われていれば、全てを喰らう者・水の枝を正しく認識することはなかったろうに。
『来るなっ! やだっ! 来ないでっ!』
悲鳴を上げる鋼鉄のアナゴ。
バキバキ、メキメキと装甲が剥がれ落ちてゆく。
しかし、それらは地上に辿り着く前に塵となって風に運ばれていった。
この光景は異形の蛇同士が睨み合っているだけ、というものだろう。
だが内容といえば、蛇に睨まれた蛙、といったところだ。
マ・ゴアナーは身動きが取れず一方的に蹂躙されるのみ。
その影響は速やかに操縦者に伝わる。
もう体験しているはずだ。
体中のあらゆる水分が奪われ、度し難い渇きを感じ始めているとこに。
『あ……が……!?』
渇くのは何も肉体だけじゃない。
その精神からも潤いを奪う。
正真正銘の悪魔、それが全てを喰らう者なのだから。
「……う、ぐ……っ! これまでよっ。エル、枝を帰して」
「っ、分かった! 水の枝、戻れっ!」
ぱしゃり、と肉体を水へと変化させてエルティナイト、正しくは俺へと戻る水の枝。
全てが収まった瞬間、度し難い疲労感を認識する。
まるで水の枝が喰らった水分が零れているかのような勢いで汗が噴き出た。
「ぜぇ、ぜぇ……何分ぐらい、維持できたんだろう?」
「五分弱、といったところでしょう。あの化け物を、ここまで維持できたのですから大変に素晴らしい」
百果実の声は穏やかに聞こえる。
だが、その声には隠しようがない狂気が含まれているような気がした。
「いずれ、あなたはあの異形なる者を手足のように操るようになるでしょう。くふふ」
笑いを抑えつけようとして失敗した百果実は、コホンと咳払いをする。
「失礼。嬉しさが抑えきれなく」
「……何がそんなに嬉しいのかは聞かないわ。それよりも、止めをっ」
呼吸が整わないヒュリティアは巨大アナゴに止めを刺せと指示する。
当然、俺もそうしなければと思っていたところだ。
それに、巨大アナゴのパイロットを介錯してやらなくては。
『ひっ、ひひっ! ひひひひっ!』
案の定、精神が崩壊していらっしゃる。
果たして、これから先、彼女はまともに生きていけるのかが心配だ。
「エルティナイト、介錯して差し上げろ」
『ナイトはサムライの真似事も得意っ』
ごんっ。
エルティナイトは巨大アナゴの脳天にエリン剣を叩き落としましたとさ。
「それ、介錯とかいわないから」
『誤差の範囲』
「壊れるなぁ、介錯」
ボロボロ、グズグズと崩壊してゆく鋼鉄のアナゴ。
既に殆どの水分を貪り尽くされていたのだろう。
その砂からメタリックな女性タイプの機械人が這い出てきた。
だが、彼女は奇妙な呻き声を挙げた後に巨大アナゴの後を追う。
頭部から徐々に砂になり崩壊してゆく様はホラー映画顔負けだ。
こりゃあ、夜に一人で寝られませんぞっ。
「勝った、勝ったけどさぁ……」
周囲を見渡す、と目を覆いたくなるような光景が広がっておりました。
なんで町のど真ん中に砂漠が出来上がっているんですかねぇ?
「……勝てば、よかろう、なのよ」
「マジパネェっス、ヒーちゃん」
はぁ、ふぅ、と呼吸を整えながら気怠そうに告げて来るヒュリティアは、後部座席から乗り出して俺の頬に冷たい物を押し付けてきた。
「冷たっ!?」
「……回復ドリンク、飲んでおいて。次が来るわよ」
ヒュリティアの次、というのはヤーバン共和国軍の事であろう。
そして、第05中隊と第07中隊は水の枝を目撃し、ただいま絶賛、正気度チェック中でございます。
「俺たちで相手をするしかなさそうだな」
「……えぇ。元々そのつもりだったしね」
きゅぽん、と瓶のコルクを抜き回復ドリンクを一気飲み。
ヒュリティア同様の厳しい味は腑抜けた俺の精神を引き締める。
近づくは鋼鉄の巨人の足音か。
それとも……。




