194食目 ミラージュ実食
入るんだぜ、と返事を聞く事もなくガンテツ爺さんの部屋へと侵入。
和風の部屋の主は、敷布団の上でうつ伏せになり「うんうん」と唸っておりました。
「お、おぉ……エルティナか。おつつ……!」
「夕食を持って来たんだぜ」
「すまなんだな。不覚にも腰をやってしまったわい」
「ぴよ」
部屋の中は猛烈に湿布の独特のにおいが充満していた。
ガンテツ爺さんの腰には一部の隙も無く湿布が張り付けられており、その上に真っ赤なヒヨコがちょこんと座っている。
その紅白のコントラストは、ある意味でおめでたいように感じるが、ぎっくり腰をやらかしている本人はちっともおめでたくはないのだろう。
「治癒魔法が使えれば一発なんだけどなぁ。歯痒いんだぜ」
「それは言わん約束じゃて。本来、一瞬で治せないのがこの世界の法則じゃからの」
億劫そうに身を起こし、よちよちと机へと向かうガンテツ爺さん。
幾ら彼が節制を怠っていなかったとはいえ、ぎっくり腰は若い人でもやってしまうので、こればかりは仕方がないというものだろう。
「どっこいせ。ふぅ、やはり年じゃなぁ」
「ヤングバージョンになればいいじゃないか」
これに火の精霊火呼子が大賛成をするも、ガンテツ爺さんは時の流れに身を任せるタイプらしく、今の老体でよろしい、と断言した。
「はい、ミラージュの天ぷらセットなんだぜ」
「おぉ、幻の魚を入手できたのか」
「結構大変だったんだぜ。鬼も出てきたし」
「む……またその化け物か。最近、頻繁に出くわすのう」
ガンテツ爺さんは渋い顔を見せた。
そんな化け物が出てきていたというのにベッドの上で唸っていた自分が腹立たしいのだろう。
「大した鬼じゃなかったから気にしなくていいんだぜ」
ぶっちゃけ、かなりヤヴァいやつだったが、彼をこれ以上心配させないためにもこの場は適当に誤魔化しておこう。
しょんぼりな心境では美味しい料理も美味しく味わえないのだから。
「そんなことよりも、出来立てを食べて元気を取り戻してっ」
「うむ……天ぷらに蕎麦、刺身にこれは炒飯か?」
「本当はもっとあるけど、全部は持ってこれなかったんだぜ」
「いや、これだけあれば十分じゃて。さぁさぁ、おまえさんも戻って夕食を食べてきなさい」
「ぴよ」
「そうさせてもらうんだぜ。ミオとクロエが大興奮していたから、早く戻らないと料理が絶滅している可能性があるっ」
俺はそう言うと、わっせわっせ、とガンテツ爺さんの部屋を後にした。
直後、ガンテツ爺さんの部屋から激しい閃光がっ。
なんの光ぃっ!?
と叫びたくなる衝動を抑えつつ、ダイニングへといそいそ。
発生理由なんて一つしかないから考えるまでもない。
ダイニングでは料理をテーブルに並べているエリンちゃんとヤーダン主任の姿があった。
双子のメイド姉妹マウリとべリアーナも手際よく食器を並べてくれている。
影が薄い彼女たちだが、振り向けば彼女らは物陰に潜んでいることが多い。
まるで忍者のようであるが汚くはないのでセーフであろう。
リューテ皇子の護衛も兼ねているから多少はね?
幾ら広いダイニングルールとはいえ、これだけ人数が増えると少し狭く感じられようか。
まだまだ、人数が増えそうな精霊戦隊はダイニングの拡張を考えるべきかもしれない。
今はテーブルと椅子を増やして誤魔化しているものの割と見栄えがよろしくないのだ。
「ふきゅん、おまたせっ」
「おかえり~、ガンテツお爺ちゃん、どうだった?」
「まだ痛そうなんだぜ。でも、なんとか動けるみたい」
「そっか~、あと2~3日は安静にしておいた方がいいかもだね」
苦笑いを見せるエリンちゃんは、ぎっくり腰をやったことがないヤングガールだ。
まぁ、俺もやったことはないんだけど。
でもぎっくり腰の知識は持っているので、その痛みは笑えない状態であることを理解している。
「……精霊戦隊も人出が増えたから、一人くらい徒然なるままの状態でも問題無いわ」
「優しいんだか厳しいんだか分からないお言葉なんだぜ」
一応は手持ち無沙汰ではないんだよなぁ、ということをヒュリティアに説明いたしましたが、彼女はミラージュをどうホットドッグの具材にしてやろうか、と頭を悩ませていたので殆ど右から左へと抜けていってるもよう。
本当にブレない姿勢でございます。
「みんな呼んできたにゃ~!」
「早くご飯にしよ~!」
腹ペコビーストどもが、テーブルの上の豪華なごちそうに目を怪しく輝かせる。
いそいそと席に着く彼らは、未知なる食材を前にして興奮治まらない状態だ。
ちっこい連中が椅子におっちゃんこさせられて、ようやく全員が揃う。
尚、大テーブルはアダルト、追加の標準的なテーブルはちっこい勢+ヤーダンママといった感じである。
アクア君がまだ授乳期であるため、お酒が飲めないのが辛いとのこと。
なるべく酒を見ないようにしているヤーダンママの姿が涙ぐましい。
「それじゃあ、ミラージュと食材たちに感謝を込めて、いただきま~すっ」
「「「いただきま~すっ」」」
俺たちに前置きなど不要だっ。
料理には美味しさの賞味期限がある。
特に天ぷらなどは揚げたてを食べなければ、そのサクサク感が失われてしまうのだから。
「それじゃあ、まずはミラージュの天ぷらから」
これの一つ目はパラリ、と塩を振り掛けてぱっくんちょ。
シャクっ、サク、サクっ、という音と衣の程よい硬さが歯に喜びを与えているかのようだ。
それに続きミラージュの身のねっとりとした歯ごたえのコントラストはまるで上物の白子を天ぷらにしたかのようだ。
口の中に広がる豊かなコクと甘み、それをピリリとしめる塩の働きぶりは間違えようがない。
そして、この油だ。
ミラージュを揚げたことによって強制支配されたこの油を、俺は幻影油と名付けた。
この油、恐ろしいことに他の食材を揚げても汚れというものが発生しない。
つまり、酸化してしまわないのである。
元々はなんの変哲もないサラダ油なのに、ミラージュを揚げたら一緒に特殊食材へと変貌してしまったのだから大変だ。
しかし、これの利用も考え物で余程個性がない限りミラージュの味に支配されてしまう。
そして、当然の権利のように口から怪光線。
ダイニングが七色の輝きに満ちてとんでもないことになっております。
「うんまぁいっ! 衣にまでミラージュの味が浸透しているんだぜ!」
「おいちぃにゃ~ん!」
「本当に衣が美味しいねっ」
「ふっきゅんきゅんきゅん……そう思って追加でポテチを揚げといたんだぜ」
油が美味しいなら、これを作らなければ嘘になるというものだ。
無論、味付けは塩。
「むは~! めっちゃ美味いわ、これっ!」
アヘ顔汚物塗れなぽっちゃり姉貴はすっかり洗浄されて、ピカピカさっぱりした後に再起動を果たし食事に参加しておりました。
怪異に耐久力のない彼女ではあるが、復活も早いので割と精神的にタフなのであろうか。
それともか、お酒を飲んで現実逃避を計ろうとしている可能性も否定できない。
「ちょっと複雑な心境だな。ミラージュを食べるのは」
といいつつ、それはそれ、とミラージュの天ぷらを口に運びつつ、キンキンに冷えたビールを喉に流し込んで、ごきゅごきゅと音を鳴らすのはファケル兄貴だ。
熱々の天ぷらの醍醐味をよく理解していらっしゃる。
それに負けじ、と我々もお子様ビールを用意してある。
ザインちゃん、リューテ皇子とにゃんこびとたちには甘いお子様ビールを、そして俺とヒュリティアは甘くないものを用意してある。
それを一気に喉に流し込む、と咽た。
「うげっほっ!? ごほごほっ! けぽっ」
「……お子様じゃ、大人のようにはいかないわ」
「うぐぐ、早く大人になりたいんだぜ。前みたいにアダルト化しないかなぁ?」
「……アレは偶然が重なって起こった現象だから。あと十五年、我慢なさい」
「きびしーっ」
いつでもアダルト化できるヒュリティアは余裕を見せつける。
だから俺は天ぷらと蕎麦をいよいよ合わせるだろうな。
「これは興奮するんだぜ。天ぷらには蕎麦、蕎麦には天ぷらと言わしめるゴールデンコンビは俺に何を見せてくれるのか」
まずは天ぷらをシャクり、数度噛んで今度は雷蕎麦をゾボボっ。
口の中で混淆するとそこにパラダイスが出現する。
それは天空にて、雷霆を持った半裸の偉いおっさんがタップダンスを踊り狂う、という訳の分からないイメージを想起させた。
たぶん、脳が美味さを理解できなくなってしまったために発生したのだろう。
しかし、一噛み、二噛み、と進めるうちに半裸のおっさんは座禅を組んで「うほっ」と悟った表情を見せたので、その旨味を理解できるようになってきた。
正直、なんだこのおっさんはっ、である。
「ミラージュの旨味に雷蕎麦が支配されないっ。それぞれの美味しさを称えながら、まるで共に天空へと突き抜けるかのようだっ!」
「おいちぃでごじゃる!」
『いと美味し、いと美味しっ!』
もりもりと食べ進めるお蕎麦大好きコンビ。
でもザインちゃんはお子様なので食べるのが下手くそで、ひよこ柄の前掛けをそばつゆで汚しまくっている。
でも、その笑顔を見れるのであれば汚れも安いものだ。
「うす、刺身も美味しいっす」
「ほんとにねぇ。この清酒ってやつが良く合うよ」
アダルト勢は天ぷらとビール、刺身と清酒、とで飲み分けているもよう。
でもミラージュの身は生臭さが一切無いので、どっちでもOKと思われる。
「……これがエルが言っていた秘策?」
「そう、幻影油で炒めた炒飯。極限まで幻影油の旨味を吸った玉子炒飯なんだぜ」
「……なるほど、個性が無くなるなら、最初から個性がない食材を合わせるということね」
「使ったのはスーパーで特売していた古古古古古古米なんだぜ」
「……あぁ、あの古すぎて誰も買わなかったやつだっけ?」
「十キログラム、五十ゴドルだったんだぜ」
そんなしょんぼりな冷や飯を使った玉子炒飯は、なんとダイヤモンドの輝きを称えた摩訶不思議な料理へと変貌している。
敢えて他の具材を一切使わないシンプルなものに仕上げた。
しかし、この選択は間違いが無い、と俺は確信している。
それを蓮華ですくい取り口へと運ぶ。
するとどうだ、パサパサで味気なかった米が油の旨味を吸い尽し、別次元の美味さへと進化を果たしていたではないか。
ある程度、予想はしていたもののこれには驚きで、気付けば玉子炒飯はあっという間に消滅していた。
ちょっぴり少なく作ってしまったのが心残りか。
こんなに美味くなるとは予想していなかったのである。
「あれ? これは?」
「……百果実のカツレツ」
「ふぁっ!? 果物をカツにしちゃったのかっ」
「……幻影油で揚げてみたの。食べてみて、面白いから」
果物のカツとか大胆不敵過ぎる。
戸惑いながらもピンポン玉サイズのカツを口に運ぶ、と更に混乱をきたす俺。
「ふきゅんっ!? 甘くないっ! ほろ苦さとシャキシャキした歯ごたえっ!」
なんという事だ、果物なのに野菜のような鮮烈さを見せて来るとは。
しかも、その苦みは油のくどさを打ち消し、尚且つ衣の旨味を最大限に、いやそれ以上へと高めてしまっている。
サクサクとした衣を食べ進めている、と今度は濃厚な果汁が口の中に溢れ返る。
これは……果物の味じゃないっ!?
それは正しく肉のそれ。
上質な赤み肉をじっくりと噛み締めているような旨味が舌を躍らせる。
じわじわと広がる肉の味は、しかし途中で果物の甘さと酸味が加わって、唾液の放出と噛む速度を加速度的に高めた。
「う、美味いんだぜっ!」
「これは本当に果物なのですか? 野菜の味も、お肉の味もしますよっ」
「美味しいっ。これ美味しいよ、ママ~」
にっこりと笑顔を見せるリューテ皇子は既にヤーダン主任をママと呼んでいる。
そうだね、と彼の頭を優しく撫でる彼女もすっかり母親の顔だ。
この二人は実の親子じゃないし、いつかは離れる時が来るだろう。
果たして、子は親離れ、親は子離れできるのであろうか。
「……羨ましいの?」
「分かんない。俺って親がいることの感覚が、おぼろ豆腐なみに理解できないし」
「……そう、そうよね」
もやもやとした感じはするが、それが鬱陶しいとも思わない。
俺は何か重要な部分が欠けているのだろうか。
「ままうえ~、どうちたでごじゃる?」
「うん? いや、なんでもないんだぜ」
ザインちゃんにも心配をさせてしまった。
やれやれ、これではママ上失格だな。
ザインちゃんの心配を吹き飛ばすべく、俺は雷蕎麦を啜ったのであった。
もう理解しているとは思うが……次の日、大量の二日酔いゾンビ共が発生しました。
オラオラっ、チゲ鍋をとっとと喰らいやがれっ。




