193食目 ミラージュ調理開始
というわけでミラージュの調理開始。
俺より飛び出したミラージュたちは風を集めて分身体を生成。
己と寸分たがわぬ存在を作り上げてしまった。
それなるものは、まな板の上でピチピチと飛び跳ねている、が原始的な行動しか起こせない存在であり、ごく一般的な魚と変わりはないそうだ。
しかし、これは紛う事なき特殊食材であり、包丁を軽く入れただけでミラージュの分身体は風に戻ってしまう。
これは本体も同じことがいえるらしい。
では、何故ミラージュの亡骸が地上にあったのか。
ミラージュは、ある特定の条件で固体化してしまうらしい。
直ちに死んでしまうことはないが、その状況は彼らにとって極めて危険な状況だ。
しかし、食べることが可能になり、最も美味しくなるのがその危険な状況だという。
成層圏にあって、そのような状況下に陥ることは滅多にない。
しかし、起こり得ないことでもないという。
「エルティナは何をしてるにゃ~ん?」
「雲を作ってるんだ」
「雲?」
雲の作り方は、密閉された容器に煙を充満させてくっそ冷やす、とか何とかだったはず。
なので、雪の精霊お雪さんに手伝ってもらい雲を生成中なのだが上手くいっていない。
何か他にも条件がいるのだろうか。
「おんっ」
「ふきゅん? もっと楽な方法がある?」
とんぺーは「ひゅお」と息を吸い込む、と一息ついて鼻から白い靄のようなものを放出した。
「雲にゃ~ん」
「浮いてる~」
ミオとクロエが言うように、それは雲であった。
キッチンをぷかぷかと漂うそれは、とんぺーがお雪さんの力を借りて体内で生成した、ちんまい雲であったのだ。
なるほど、とんぺー自体が密閉容器と化して体内で雲を生成しているのだろう。
これを吐き出すと霧のブレスとして使用可能らしい。
「これはありがたいんだぜ。早速、ミラージュをこれに漬け込んでっと」
綿飴のような雲を手繰り寄せ、その中にミラージュをドボン。
暫く飛び跳ねていた風の魚は、やがてすっかり静まり返る。
実はこのミラージュの稚魚、カナヅチなのだ。
極々稀に雲の中へと迷い込むミラージュがいて、そこで溺れてしまった個体が地上へと落下する。
しかし、大半はその落下過程で鳥などに捕獲されて地上へと到達することはないらしい。
そして成魚になると雲くらいでは溺れることがなくなるため、地上へ落ち行くのは稚魚だけだという。
溺死してしまったミラージュの稚魚だが、その時点で肉体と魂が分離して新しい肉体をすぐさま生成するので実際にはほぼ死んでいないも同然である。
彼らにとって肉体とは魂を運ぶ入れ物程度の認識であるらしい。
なので真に恐れるのは魂を貪り喰らう存在だけとなる。
それができるのが、先に戦った鬼たちだ。
「そろそろいいかな? うん、包丁を入れても弾けなくなったんだぜ」
「にゃっ、身が真っ白にゃ」
「それに、宝石みたいにキラキラしてるね」
ミラージュを捌き身を切り分ける。
すると真っ白な身が姿を現した。
それは光の加減により七色に輝く摩訶不思議な切り身であったのだ。
「不思議な身だなぁ。どんな味がするんだろ?」
というわけで、まずは刺身醤油で味見。
当然の権利、と言わんばかりにミオとクロエが涎を垂らしてスタンバっている。
「いただきますっ」
「「いただきますにゃ」」
ミラージュに感謝を込めて、刺身を口に放り込む。
噛み締めると、じゅわりと癖のない脂が口いっぱいに広がる。
まるでマグロの大トロの部分を食べているかのような感覚。
しかし、その身は筋というものが無く、決して口の中に残るという事がない。
そして、一切のくどさというものが感じられないのが特徴であろうか。
まるで脂を食べているかのようなのにスッキリ爽やかである、というこの矛盾。
それは部位によって異なるのか。興味は尽きない。
わさび醤油と混然一体となった切り身は、自身が持つ甘みを何倍にも増幅させ、俺たちを桃源郷に誘う水先案内人へと至る。
「……はっ!? 思わずうっとりしてしまっていたんだぜ」
「にゃ~ん」
「うにゃ~」
お魚大好きにゃんこびとたちは、いまだにミラージュの味に浸ってしまっている。
調理をするなら今の内が得策であろうか。
「むむむ、頭から尻尾に向かってゆくほどに食感が変わるのか。尻尾側は淡白だけどコリコリとした食感……これはカレイの味に似てるなぁ」
共通することは、口の中に残らない、という事であろうか。
コリコリ、と歯ごたえを楽しんでいると、やがてそれは春先の雪のように儚く消えてゆく。
それが名残惜しくて次に箸が伸びるのだ。
「って、全部食べてしまってどうするっ!?」
やっちまった。
これじゃあ、にゃんこびとたちのことを強く言えないジャマイカ。
仕方がないので、こっそりともう一匹捌きました。
口封じのために、とんぺーにミラージュの切り身を賄賂として進呈。
美味しそうに、むしゃむしゃしたので裏工作は成功したのでありました。
「これは凄い食材だ。でも、一般人が口にすることは殆どできないなぁ」
まず雲が作れないと話にならない。
しかもミラージュは成層圏を回遊する幻影の魚だ。
というかヤーバン共和国の英雄は、どうやってミラージュに跨ったんだろうか。
まぁきっと、創作物語なんだからこまけぇこたぁいいんだよ、理論であろうが。
「それじゃあ、油を用意して天ぷらを揚げてみっか」
「……やってるわね」
ミラージュの天ぷらを揚げるべく準備を進めている、とヒュリティアがキッチンにやってきた。
なので、容赦なくお手伝いをさせる。
立っている者は親でも使う精神だ。
「ヒーちゃん、雷蕎麦を茹でて」
「……天ぷらに合わせるのね。ザインちゃんが喜びそうね」
「マサガト公もなんだぜ」
「……あの人、自分が悪霊だって忘れかけてないかしら」
一口大に切ったミラージュの切り身、それに衣を塗して熱した油に投入。
ジャーという軽快な音はしかし、変化した油の前に関心の全てを持ってゆかれた。
「ふきゅんっ!? 普通の油が七色に輝きだしたっ!」
「……ミラージュの切り身の脂が溶けだしたのかしら?」
なんという事でしょう、なんの変哲もないサラダ油が虹色に輝くという珍事が発生。
試しにホットブーブーのロース肉を素揚げしてみると、その身が虹色に輝いて愉快なことになってしまった。
「こ、これは……」
「ミラージュの切り身の味に支配されちゃっているわね。辛さも吹っ飛んじゃっているわ」
「ヤーダン主任がプンプンする案件なんだぜ」
恐るべきは、その我儘な影響力か。
どうやら、ミラージュは濃厚さとさっぱりとした味わいを持つ半面で、他の食材を侵食してしまうほどに味の影響力が強い食材であるもよう。
そうなると、生半可な食材ではこれに合わせることができない、という事になろうか。
あるいは衣などで包んで隔離する?
嫌ダメだ、既に結果が出てるじゃないか。
むむむ、料理人泣かせの食材だぁ。
「……取り敢えず、ミラージュを揚げた油で他の食材を調理するのは避けた方が良いかも」
「いや、それは可能性を潰す行為だぁ」
「……あら、何か考えでも?」
返事は返さずに、にんまりとした暗黒微笑を返事とする。
この油、舐めてみたのだがミラージュの身が持つ味に侵食され尽くしている。
そうであるにもかかわらず、天ぷらの身は一切その味を衰えさせていないのだ。
これは、考えようによっては素晴らしい油になることは間違いない。
なので、俺は中華鍋を取り出したのであった。
「調理完了なんだぜ」
「……ミラージュも無限食材なのね」
テーブルに並ぶミラージュ料理たち。
ヒュリティアの言うようにミラージュは無限食材だ。
彼らと真・身魂融合をした者と、雲を作り出せる者が条件となるが。
「腹ペコどもを召喚して差し上げろっ!」
「わかったにゃ~」
「呼んでくるよ~」
美味なる料理たちを目の前に涎を滝のごとく流していた、にゃんこな少年少女が残像を残す勢いで格納庫を目指す。
俺はお盆に雷蕎麦とミラージュの天ぷらを乗せてガンテツ爺さんの下へと向かう。
ぎっくり腰がまだ治っていないから、同席は厳しかろうて。
さてさて、これから始まるは未知の食材を用いた夢のようなお食事タイム。
果たして、ミラージュは俺たちに、どのような幸福をもたらしてくれるのであろうか。




