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183食目 白い雲の背に乗って

 ――――夢を見た。


 きっとそれは、俺が経験したことがベースとなって構築された夢じゃないはずだ。


 澄み渡る空の下、俺は白い雲の背に乗り駆け回る。

 視界がぶれるほどの加速度にもかかわらず恐怖は込み上げてこない。


 俺は即座にこれが夢であることを認識した。

 何故ならば……。


「うわ~、早いねぇ」

「ふきゅん」


 当然の権利のようにエリンちゃんが白い雲の上に乗っていたからだ。


「またエリンちゃんか壊れるなぁ謎ドリーム」

「やっぱり、夢なんだ」


 俺を抱きしめるように手を回されているため、エリンちゃんの息遣いをはっきりと感じる。


 夢であって夢じゃない。

 これは母の経験、その追走。

 きっと、新たなる枝の目覚めが近いのだろうと確信する。


「乗っているこれ、なんだろうね」

「馬っぽいけど、そうじゃないなぁ」


 四つ足で軽快に走る白い何かはやがて地上を離れ空の上へと駆け上る。

 そして、雲へと突入。

 そのタイミングで白い雲のようなものは役目を終えたと姿を消す。


 夢特有の浮遊感のようなものが纏わり付いてきた。

 駆け上がった勢いに乗せられてそのまま上昇。

 エリンちゃんと共に雲を突き抜けると、そこには母の映像が待っていた。


 そこは、どこかの一室。

 大きなベッドの上に沢山の獣たちが丸くなっている。

 その中に二代目の姿を認める。


 犬やら猫やらに乗っかられて、うんうん呻き声を上げているが、その内の一匹に頬を舐められて覚醒したもよう。


「ふきゅん、おはやう」


 よくよく聞いてみると母の声は俺の声にそっくりであるが、やはり微妙に違っていた。

 俺の声質の方が微妙に高いもよう。


「おんっ」


 二代目の頬を舐めたのは大型犬とも中型犬ともいえる体格の白い犬。

 ふさふさの純白の毛は触り心地が良さそうで思わず触れてしまう。


 しかし、俺たちは思念体なので彼の身体をすり抜けてしまった。


「触りたかったなぁ」

「仕方ないよね。これって夢なんだし」


 二代目の覚醒に気付いた無数の獣たちが起き上がって彼女に殺到。

 素っ裸で寝ていた幼女は全身を舐められエライことになっていた。


 そこに金髪赤眼のグラマー美人と思われる人物が訪れて目を丸くしたと思われる。


 思われる、と表現するのは顔に靄が掛かってはっきりと認識できないからだ。


 ハッキリ認識できるのは二代目と白い犬だけである。

 このことから、この二人が夢のキーパーソンなのだろうと想像するのは容易い。


 ――――場面が飛ぶ。




 そこはやたらとごちゃごちゃして、無駄に活気が溢れまくっている場所だった。

 一見するとスラムに見えなくもない。

 しかし、そこで活動している者たちには陰鬱な雰囲気は微塵もなかった。


 何よりも美味しそうな音が沢山聞こえてくる。

 これは調理する際に発生する音たちだ。


 よくよく見ると立ち並ぶあばら家は全てが露店のようだ。

 焼きそばやお好み焼き、果物を販売している店に、ハンバーガーやラーメンまで提供している店が確認できた。


 こういうごちゃごちゃした場所を、露店街とでもいうのであろうか。

 否応も無しにテンションが荒ぶるも、それは決して触れることはできない、と思い出してしょんぼりとしてしまう。


 この光景の中を二代目は白い犬の背に跨って進む。

 その手にはフランクフルト。


「……迂闊ね」

「おいぃ、気配を消して背後からパクリんちょとか卑怯でしょ」


 ヒュリティアだ。

 どうやら、彼女の顔には靄が掛からないもよう。


 そんな彼女を追いかけるようにして、無数の少年少女たちが駆け付ける。

 でも、そんな彼らの顔は笑顔だと分かるが靄が掛かっていて――――。




 再び場面が変わる。


 今度は戦場だった。

 ここには覚えがある。


「ここは、チゲが果てた場所か……」

「うん、見覚えがあるね」


 片手を失い血塗れになった二代目を背に乗せて必死に走る白い犬。

 しかし、遂に彼も地に倒れる。


 足を痛めたのであろう、しかし、それでも立ち上がり母を運ばんとする姿に胸を締め付けられた。


 やがて、巨大な炎の壁が彼らに迫る。

 そして、その壁にチゲが立ちはだかった――――。




 場面は再び変化する。


「あれは……シグルドか?」

「うん、でも私たちと出会ったシグルドはもっとゴツゴツしてたような」


 竜の枝であるシグルドと対峙する白い犬。

 その傍らには二代目ではなく巨大な熊の姿。


「これは、かーちゃんの記憶じゃない?」

「だとしたら、どうして私たちはこれを見ているの?」

「分からない。もしかすると全てを喰らう者に関係しているのかも」


 やたらとサイズダウンしたシグルドと思わしき黄金竜。

 しかし、彼から放たれる覇気は壮絶なものがあった。


 正直、これが夢であると理解していなければ一秒でも早くこの場から立ち去りたい。

 いや、早急に立ち去れ、と本能が警告していた。


「汝、エルティナを護りに来たか」

「然り」


 熊さんが喋った。

 どうやら、人語を操れるらしい。


「グルルルル……」


 白い犬が臨戦態勢に入った。

 それを認めたシグルドもまた構えを見せる。


「是非も無し。我と汝ら殉ずる者たちとで雌雄を決するは、この世の定め」

「いざ」

「応」


 三匹の獣の戦いが始まった。

 それは筆舌に尽くし難い激しいもの。

 超常的な現象を当たり前のように引き起こしながら、互いの血で塗れる光景は死闘以外の何ものでもない。


 しかし、最後に生き残った者はシグルド。


 彼を包み込む淡い緑色の粒子は二匹の獣が姿を変えたもの。


「我、真なる約束の子なりっ! 汝、我の血肉となりて共に生きよ! 真・身魂融合っ!」




 ―――この場面を最後に夢は終わりを告げた。




 暗い部屋で目を覚ます。

 エデンテルの空き家の一つを借りて、みんなで雑魚寝したのだ。


 そのままでは痛かろうと現地の人が藁を運んでくれたので身体が痛いという事は無い。

 でも、牛さんが不法侵入して、それをむしゃむしゃしていらっしゃる。


「夜更かしさんは退治だぁ」

「んもぉ」


 牛さんは、ぺろろんちょ、と俺の頬を舐めて証拠隠滅を図る。

 どうやら嘘の味がしたようだ。


「まだ、真夜中だったんだねぇ」


 エリンちゃんが横になったままで静かに声を発した。


「うん、あの夢は実際にあったことなんだろうな」

「だから、シグルドはあんなに厳しかったのかなぁ?」

「そうかもしれない。俺は試されているんだろうな」


 全てを喰らう者の枝、それの主に相応しいかどうか。

 彼らにも彼らの想いがあって、彼らの人生があった。


 それを全て喰らったのが二代目はは


 俺は単に、それを引き継いだだけの存在。


「きっと、俺が関わる困難は、枝たちが用意した試練なのかもしれない」

「それが近づくと、この夢を見るのかな?」

「たぶん。でも……エリンちゃんが、これを見るのが不思議でならない」


 エリンちゃんが静かに起き上がった。


「砂浜に行こっか」




 少し歩いたら、そこは砂浜だ。

 自然の明かりなど一切ないので、空を見上げればそこには星の絨毯が敷かれている。

 それは、人間が到底作り出せないであろう澄んだ明かりがキラキラと輝いていた。


「あのね、みんなには言っていないけど……私、変な子なんだ」

「エリンちゃんが変なのは知ってる」

「ひどーいっ」


 冗談はさて置き、と彼女はおもむろに手を掲げる。 

 と手のひらから何かが生れ出る。


 それは蝶だ。

 しかし、それは炎を纏っていた。


「っ!? 精霊魔法っ!」

「やっぱり……そうなんだ」

「じゃあ、エリンちゃんも夢を見るごとに精霊魔法を?」


 だが、彼女は首を振る。


「火の蝶は小さい頃から出せたんだ。でも、他の子と違うのが怖くて、ずっと内緒にしていたの。それに、蝶以外の精霊は本当に見えなかったんだよ」

「あい~ん」

「うんっ、今ははっきり見えるよ、アイン君」


 エリンちゃんは砂浜に座り込む。

 浜辺は彼女を受け入れ、大きなお尻の形に変形した。

 そんな彼女の頭の上に、アイン君は嬉しそうに飛び乗った。


 なので、俺もふっきゅんしゅ、とダイナミックおっちゃんこ。

 無駄に砂浜を荒らした。


 エリンちゃんから生み出された炎の蝶に、水の蝶、風の蝶、土の蝶、雷の蝶、光と闇の蝶が加わり円舞曲を舞う。


「綺麗なんだぜ」

「誰にも見せたことはなかったんだ。あの黒い塊を今の形にしたのも、この子たちなんだよ」


 なるほど、それならエリン剣の異常ぶりも理解できるというものだ。


「じゃあ、夢を見る度に何か起こっているわけじゃないんだ」


 そこ問い掛けにもエリンちゃんは首を振った。


「あのね、夢を見る度に【自分が無くなっちゃう】感じがするの。自分以外の何かが私を食べてしまっている。そんな感じかな」

「っ!」


 彼女は空を見上げた。

 心なしか、いや彼女は間違いなく震えている。


 まさか、と思いたい。


 彼女の中に潜む精霊王が彼女を蝕むなど、と。


「エルティナちゃんが全ての夢を見終わった時、私は消えてなくなっちゃうのかな?」

「そんなことはないんだぜ」

「うん、そうだといいな」


 気休めにしかならない言葉しか掛けられない。


 いったい、精霊王は何がしたいんだ。

 ただ力を溜めているだけではないのか。


 きっと俺の呼びかけには答えてくれないだろう。


 恐らく俺が俺である限り、全ての枝の試練はやって来る。

 彼らはそれを望むだろうし、俺も彼らの想いを受け止めるだろう。


 でも、エリンちゃんは違う。

 彼女は巻き込まれただけの普通の少女だ。


 波の音だけが聞こえる砂浜で俺たちは薄っすらと白くなってゆく水平線を眺める。

 ひらひらと舞う異形の蝶。


 その中に竜がいないことに気付いたが、俺はそれを言葉にはしなかった。


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