159食目 目的は果たしたけど
まずはヤーダン主任の身体の事が議題に上がった。
戦闘中に感じた違和感は正しく、彼女は自身に憑りついていた精霊ローレライの消失を告げる。
それは同時に、自身が抱えていた心臓病の完治と、二度と男には戻れないことを意味しているという。
そんな重い話を、なんということはない、といった表情で説明するヤーダン主任のメンタルは鋼で出来ているのであろうか。
「ま、僕に起こった事はこんなところかな? あ、ちょっと待って……何か、出て……出るっ」
「ま、まさか……オナラかっ!?」
「いやいや、エルティナちゃん。そういうのじゃなくて」
にゅるん。
「「「なんか出たーっ!?」」」
急に下腹部を押さえて表情を顰めたヤーダン主任は、次の瞬間、お腹から元気な男の子を出産いたしましたとさ。
いや、本当に腹から直接だ。しかも、服越しにである。
「……ザインちゃんと同じ現象ね」
「あっ、そう言えば」
生まれてきたのは青い髪をもつ男の子で、ヤーダン主任と同じく緋色の瞳を持っている。
そして、彼から感じる特有の波動は間違いようが無く精霊が持つものだ。
「この子は精霊なのか」
「たぶん、そうだと思うよ」
「でも、なんでまたヤーダン主任に宿ったんだろう?」
「これは推測なんだろうけど、ローレライという精霊が僕から抜け出して、ぽっかりと空いた部分に別の精霊が入り込んだ、という可能性はないかな?」
ヤーダン主任は自身に起こった現象をこのように推測した。
無くも無い話であるが、精霊は割と主を厳選するので、穴があったから入った、という可能性は低いと思う。
始めから見初めていて狙っていた、というなら話は別であるが。
お雪さんみたいになっ。
「……この子、水の精霊ね」
「ふきゅん? 水の……あっ」
「……気付いたようね。ローレライ属性も、その根源は水。そして、それが抜けだした後に口にしたのが水豚の肉。相性は最高だし、ローレライによって整えられた身体は、精霊たちにしてみれば最高のベッドになる」
「偶然に偶然が重なって、ヤーダン主任に水の精霊が宿っちまった、ってわけかぁ」
いやしかし、ここにまた、未婚の母が爆誕してしまったわけだ。
俺とザインちゃんの場合は、割とごまかしようが効くが、ヤーダン主任と水の精霊君とでは誤魔化せないだろう。
しかも、親子であると確信できるほどに水の精霊君はヤーダン主任に似ている。
「う~ん、困りましたねぇ」
「ふぇっ、ふぇぇぇぇぇ」
そして、腹が減った、と泣き出す水の精霊君。
これにヤーダン主任は少し席を外します、と彼を抱きかかえてブリーフィングルームを出ていった。
きっと、お乳を与えるのであろう。
出るのかな?
「謎だらけなんだぜ」
「そうだねぇ。謎だらけと言えば、この水豚のお肉もだね」
「まさか、水を掛けると増えるとはたまげたなぁ」
机の上の皿に載せられた無色透明の水豚の肉は、ふるふる、とその身を揺らしている。
どうやら、生で食べても問題はないようだが、味のないゼリーを食べているかのようだった。
加えて、水を掛けると切り取った部分が再生するのである。
いわゆる無限食材であるようだが、これを上手く活用するにはひと工夫必要であろう。
「今のところは雷蕎麦を茹でるための食材、としか利用できないかな」
「……焼いてみたら? お肉なんでしょ?」
「その発想はなかった」
水を焼く、こんなダイナミックな発想を思い付く者がいるとは、この俺の目を以ってしても見抜けなかった。
なので、好奇心に勝てなかった俺は早速、キッチンへと移動。
水豚の肉をフライパンで焼いてみることにした。
「焼けないんだぜ」
「冷たいままにゃ~ん」
ミオが十五分ほど加熱した水豚の肉に指を突っ込んで述べた感想だ。
どうやら、普通の調理方法では変化が起こらないらしい。
では、普通じゃない調理方法ではどうか。
「チゲっ、協力してっ」
というわけで、チゲの炎で再チャレンジ。
水豚を沸騰させた精霊の火で調理してやろうというのだ。
「あっ、お肉の色が変わってきたよっ」
「おぉっ? ピンク色に変わったな」
クロエが指摘するように、無色透明だった水豚の肉が鮮やかなピンク色へと変化したではないか。
そして、そこから感じ取れる豊かな力。それは、俺に食べ時であることを伝えてきた。
「よし、十分だ」
「ほぇ? もう? まだ、一分も経ってないよ」
「食材が、もういいよ、って言っているから問題無いんだぜ」
仕上げに軽く塩コショウを振って完成。
焼き上がった水豚のソテーをまな板の上で切り分ける。
「わわっ? お肉の内側が透明のままだよっ」
「おおぅ、これはレアの焼き加減だな」
皆に食べさせるために切り分けたのだが、もう我慢できないので先に味見をする。
「はぁむ。もきゅもきゅ……」
美味いっ、絶妙の嚙み応え、そして溢れ出す肉汁のコクと旨味。
見た目は赤み肉だというのに霜降り肉を食べているかのような感覚に陥る。
噛めば噛むほどに溢れ出る旨味は、無限に湧き出るのではないだろうか、と錯覚させた。
そして、驚く事に肉特有の筋っぽさが無いという事。
噛み応えはあるのに、それが全て口の中に溶けて旨味だけになってしまうのだ。
いよいよこれを飲み込む。
舌は勿論のこと、歯、そして喉、食道に胃ですら調理された水豚の旨味を理解することができたのである。
「う、うおぉぉぉぉぉぉっ!? こ、これはぁっ!」
水豚の肉が胃に達したことにより、俺の身体に変化が起こる。
ただでさえ、ぴちぴちぷるぷるだった俺の肌が、更に潤って大変なことになっているのだ。
「……超もち肌。肌が私の手を捕らえて離さない」
「あはは、面白いことになってるよ」
「ふきゅーん! ふきゅーん! ふきゅーん!」
ぷにぷに、とほっぺを蹂躙される俺は鳴くより他になかったという。
だが、その時、俺は大いなる目覚めを感じ取った。
それは、いよいよ以って俺の内から飛び出してきたではないか。
同時に黄金の書が出現し、くすんだ宝石の一つが眩い輝きと共に色を取り戻す。
それはアクアブルーの輝きを持つ宝石となった。
そして、俺の内より現われし者、それは不思議な夢の中で目撃したヤドカリだ。
「……ちっさ」
「ふきゅん、小っちゃい」
「可愛いサイズだね」
テーブルの上にちょこんと乗る普通サイズのヤドカリ君が俺たちを見上げている。
本人は自分の小ささに割と動揺しているもよう。
「……なんでこんなに小さいのかしら? やっぱり、力が足りないから?」
「その可能性は否定できない。この世界じゃ精霊は魔力ではなく精霊ちからというものが原動力となるっぽいから」
「……どこでその情報を?」
「精霊の偉い人から教えてもらった」
「……ふ~ん」
ヒュリティアはヤドカリ君を、つんつんと突いて気のない返事を返してきた。
ヤドカリ君は大人しいのでされるがままだ。
でも、彼から感じる強い力は、その体のサイズには見合わないものであることを確信する。
「やってみるか……ヤドカリ君っ、精霊魔法【きみを生かす源】っ!」
俺は何も入っていないコップを指定しヤドカリ君の精霊魔法を発動。
すると、虚空から水が発生しコップの中を満たしたではないか。
「おぉう、できたんだぜっ」
コップに満たされた液体を手に取り飲んでみる、とそれは間違えようがなく水であった。
「……海水というオチは?」
「ないんだぜ。これで水不足にはならなくなったな」
これに小さなヤドカリ君はハサミを万歳させて喜びを表現したのであった。
あんまりにも小さくなったヤドカリ君を左肩に乗せてブリーフィングルームへと戻る。
勿論、ソテーした水豚の肉も持ってゆく。
「おう、おかえり。その肩のヤドカリはどうしたんじゃ?」
「ガンテツ爺さん、こいつはヤドカリ君。全てを喰らう者・水の枝にして水の精霊を兼任しているっぽい」
「ふむふむ、チゲ坊と同じというわけじゃな?」
「そういう事になるのかな? あ、水豚の肉の調理に成功したんだぜ。食べてみて」
「お? 美味そうじゃな。どれどれ」
ブリーフィングルームに残っていた者たちが水豚の肉を口にする、と先ほどの俺と同じ症状が現れた。
全員、ぷるぷるのもっちもちやぞ。
「ひえっ、ヒアルロン酸なんか相手にならないレベルの潤いがっ」
「ふぅむ、これが水豚の効果か。女向けの食材やもしれんのう」
クロヒメさんは自分のお肌にご満悦なもよう。
このタイミングでげっそりとした表情のヤーダン主任が、リューテ皇子を連れて帰ってきた。
「も、戻りました」
「どうしたんだ? ヤーダン主任」
「あ、いえ、あのですね……母乳が出たんです。はい」
「……桃仙術を使った?」
「使えるわけないじゃないですか。なんというか、改造されちゃったってレベルでこう、どぴゅっと」
「甘かったよ~」
飲んだんかい、リューテ皇子よ。
ヤーダン主任が本格的にママと化したことに、俺たちはほんのりと動揺する。
彼女から爆誕した男の子は間違いなく精霊であるが、同時に人間を思わせる波長を刻んでいた。
「まさか、こんな事になるだなんて……とほほ」
「まぁ、数奇な人生だと思って諦めるんじゃな」
水の力を持って生まれてきた男の子は【アクア】と名付けられた。
ド直球の意味を持つ名前だ。すがすがしいレベルの分かり易さとなろう。
そして、変化が起こった者がここにも。
「おやかたしゃまーっ」
「ふきゅんっ!? ま、まさかっ! ザインちゃんかっ!?」
ばたばたと全裸でブリーフィングルームへと突撃してきた黒髪の幼女。彼女は大きな耳を備えていた。
この世にそのような存在など数えるほどしかいない。
「ようやく、ここまで、せいちょーできたでごじゃる」
「ばぶーが超進化を果たし過ぎていて困惑する」
「かみなりそばの、おかげでごじゃる」
ふんす、ふんす、と興奮するザインちゃんであるが、このままでは風邪を引いてしまうので俺の服を着させることになった。
とはいえ、俺の服では若干、大き過ぎる。早急に彼女の服を調達する必要があるだろう。
「急激に変化がありすぎて、何が何やらなんだぜ」
「わりと、よくあることでごじゃる」
「あと、おやかたしゃま、ってなんだ?」
「わが、あるじ、といういみでごじゃる」
「俺はザインちゃんのお母さんなんですがねぇ?」
「むむっ、そういえば……そにゃた、おやかたしゃまでは、ごじゃらんなっ!?」
ぷひぷひ、と興奮するザインちゃん。
そんな彼女にヒュリティアが進み出た。説得してくれるのであろうか。
「……うるさい。水豚ホットドッグの創製の邪魔よ」
「まただよ」
ザインちゃんの顔を、ぐわしと掴んだヒュリティアはそのまま彼女を締め上げる。
ビクンビクンしてきたところでエリンちゃんがレフリーストップ、ザインちゃんは九死に一生を得た。
「ひどいのでごじゃるー! だんこ、こうぎしゅるのでごじゃるー!」
「おいバカやめろ、これ以上、ヒーちゃんを怒らせたらホットドッグの具材にされる」
「ひえっ」
これにて頭がクールになったザインちゃんは俺の説明を聞く態勢を整えた。
「ふむふむ……あなたしゃまが、おやかたしゃまの、ごしょくにょでいらたられるら」
「いやいや、わざわざ難しい言葉を使わなくていいから。後半、何を言っているか分からないぞ」
「ふきゅん」
ザインちゃんはあまりにも幼いためか口調がたどたどしい。
にもかかわらず難しく堅苦しい言葉を選ぶため、時折、謎の言語へと突然変異を果たしてしまう。
そして、ふきゅん、という鳴き声も遺伝してしまったもよう。
「じじょーは、りかいしたでごじゃる。では、これより、【ままうえ】、とおしたいもうしあげましゅればっ!」
「ま、ママ上っ!?」
母上じゃないのか、たまげるなぁ。
「子供が増え過ぎじゃな。これでは面倒を見る者が必要になるのう」
「はいはいっ! 志願しま~すっ!」
ガンテツ爺さんのボヤキにクロヒメさんが超反応を示す。
当然ながら、彼女は超危険人物なので却下されました。
しかし、ガンテツ爺さんの言い分も理解できるため、俺たちはそのまま、今後についての話し合いを開始することになったのだった。




