156食目 さようなら ~海と歌と嘆きの精霊~
◆◆◆ ヤーダン ◆◆◆
エルティナ、という少女と行動を共にしてから幾度となく強大な敵を目の当たりに、または耳にしてきた。
でも、今回はそれらよりも一ランク以上は上の化け物だ、と確信する。
水の身体は物理攻撃を受け付けず、でも、それ以外の攻撃でダメージを負っても瞬く間にその体は再生を果たす。
それは、雪から水分を巻き上げているからに違いない。
では、どうやって水の獣にダメージを与えればいいのか。
『かん……たんじゃない。か……りをぶ……けるの』
また、彼女の声だ。最近はより鮮明に聞こえ出している。
それは丁度、心臓が痛み始めるタイミング。
これは僕が抱えている性転換病の特徴であり、やがて性転換が末期になり元に戻らなくなるとこの痛みは消え去るという。
でも、他の患者は女性の声などは聞こえていない、と口を揃えた。
「エルティナちゃん、水豚に雷を当てることはできますか?」
『ふきゅん、空から降り注いでいるアレに当てろっていうのかっ!?』
「現状、水に効率よくダメージを与えるには帯電させた方がいいと思うんです」
『むむむ、分かったんだぜ。やってみる』
問題はあの水豚が純水であるかどうか。
純水は殆ど電気を通さないからだ。
流動する水豚の身体は激しくうねり、否応も無くあの日の悪夢を思い出させた。
何故このタイミングで、とも思ったが悪夢が形を成したかのような化け物だ、思い出すのも無理はない。
あれは僕が五歳くらいの頃だったはず。
「おっと、危ない」
水豚がこっちに向かってきた。
それはまるで大津波のようで一瞬委縮するが、僕はあの頃の力の無い子供とは違う。
スラスターを吹かして真横へと移動。水豚の突進をかわす。
「そう、あの時の僕じゃない。あの時の」
ドワルイン王国アマネック支店へと出張する父に母と共に付いていった僕は、その船旅で嵐に見舞われた。
穏やかな船旅になるはずだったそれは、たった一晩で悪夢になったのだ。
無力な僕はその嵐で両親を失い、たった一人残された。
海底に引きずり込まれ意識を失う僕は、その時初めて彼女の声を聞くことになる。
後に知ることになったのだが、僕は心臓に疾患を患っていた。
父がドワルイン王国への出張を快諾した経緯には、ドワルイン王国にいるという心臓手術の名医に僕を見せるためだった、とアマネック社の上司から聞かされている。
その優しさが僕から全てを奪ってしまうとは皮肉なものだ。
『また……とっ……んが、くる』
「分かってるよ」
『みぎに……とんで』
彼女の声に従ってマネックを跳躍させる。
なるほど、ヒュリティアちゃんが指摘しているように反応が鈍い。
……いや、そうじゃない。
先ほど回避した時は、そんなふうには感じなかったはず。では何故。
「っん!? 胸がジンジンし始めたっ」
またこの感覚だ。最近は特に頻繁に起こる。
乳房と尻と股間部が特に症状が酷い。
特に命にかかわるような症状でない事は、同じ病を患っていた者たちから聞き及んでいるので心配はしていないが、戦闘中に発症するのは勘弁願いたい。
というか、大きくなってる? これ以上は勘弁してほしいなぁ。
みちみちとパイロットスーツを押し上げる乳房を見て、僕は苦笑せざるを得なかった。
『いいタイミングね。ようやく、まともに会話できるわ』
「うわわっ!? ちょーっ!」
いよいよ彼女の声が鮮明に、しかも姿がはっきり見えるようになった。
というか、今おっぱいを彼女に揉まれている。
『ヤーダン、これが私。あなたを海の底から引っ張り上げた、海と歌と嘆きの精霊ローレライ』
ローレライと名乗った彼女は豊かな青い髪を持っていた。それは波を思わせる形を成している。
瞳の色はアクアブルー。切れ長の瞳に納まり、困惑する僕の姿を映していた。
真っ白な肌は穢れを知らないのかシミ一つ無い。
スタイルは抜群だ。というか、裸。
男だったら歓喜するところだけど、生憎、今の僕は女なので興奮はしない。
「きみが僕を?」
『そう、あなたの両親の願いを、その命と引き換えに聞き入れた悪魔。それが私』
「っ!」
思わず操縦桿に力が入る。
彼女の言っていることは多分、真実だろう。
そして、あのどうしようもない状況に置いて唯一、僕を救えた可能性。
「僕は、きみを恨む」
『構わない、それが私の役目だから。そして、あなたの両親の願いを果たすために、私は手段を択ばない。だって、悪霊だからね』
「さっきは精霊って言ったじゃないか」
『それも私の一面。基本はどうしようもない悪霊よ? ほら、ね?』
「先っちょはやめて」
『うふふ』
じゃれ合っている場合ではない。
戦闘の状況はというと、エルティナイトが水豚の足を止めて雷を水豚に落ちるのを祈っているところだ。
しかし、これが全然、水豚に落ちない。
『おいぃぃぃぃっ! 今のは当たるパターンでしょっ!?』
『祈りの力が足りねぇっ! 皆~! 祈れ~!』
う~ん、自然現象に頼るのは無理だろうか?
『いえ、発想はいいわ。あとは、あの雷が好む環境を整えればいいの』
「なんで、そんなことが分かるの?」
『海の精霊は、水の精霊の下位精霊よ。だから、彼女の内に眠るあのお方から指示が飛んでくるのよ』
ローレライのアクアブルーの瞳はエルティナイト、いや、その中にいるであろうエルティナちゃんに向けられていた。
「雷が好む環境って……」
『あなた方はここに何をしに来たのかしら? うふふ、大丈夫よ。そのための条件は、もう満たしている』
僕は考えた。ここに何をしに来たのかを。
そして、ローレライが言うところの条件を。
「なんだ、簡単なことだったじゃないか」
『賢いヤーダン。あぁ、もっと一緒にいたかったわ』
「どういうことだい?」
『これは契約なの。あなたの両親とのね』
ローレライはその瞳に悲しみを湛えて告げた。
『あなたの命を救ってほしい、これが両親の願い。だから、私はあなたを【ヤーダンという別人へと作り替えた】』
「まさか、それがこの性転換?」
『そう、これは【転性】させる方法の一つ。時間もかかるし、荒っぽい方法だから余程のことがない限り行使しないわ。でも、命を貰っちゃったからね』
転性……てんせい、ね。ということは……いや、だからか。
「僕のもう一つの可能性か」
『そう、あなた方には二つの可能性があった。男と女、そのどちらか。私が行った秘術は片方の不都合な運命を消去して、もう片方に移し替えるもの』
「じゃあ、世界各地にいるという性転換病の人たちも?」
『えぇ、精霊や契約内容は違うだろうけど、ね』
「そうだったのか」
これで、性転換病の謎は解けた。
分からないはずだったのだ、これは精霊が見えて理解できなければ一生解明できないであろう。
しかも、病ではなく治療だったというのだから尚更である。
『ヤーダンの心臓はもう大丈夫。もう男には戻れないけどね』
「ある程度、覚悟はしていたけど……結構、来るものがあるね」
『大丈夫よ、あなた美人だもの。うふふ、魔性の女になれるわ』
「僕は清く正しく生きるの」
『そうね、ヤーダンママ』
ローレライが僕から離れてゆく。
きっと、契約が終了して繋がりが無くなってしまったからだろう。
『お別れね。案外、あなた方との旅は見ていて楽しかったわ』
「ありがとう。そして、さようなら」
『えぇ、さようなら。新しいパートナーとも仲良くね』
「え?」
ローレライの姿が消えた瞬間、大きな衝撃が僕を襲った。
状況を理解した時、僕は顔から血の気が引いてゆくのを感じ取る。
「し、しまったっ!?」
僕の機体は水豚に食べられてしまったのだ。
幸いなことに機体自体に損傷はないが、中から攻撃しても外には出られそうにもない。
油断をしたばかりに最悪の展開に陥ってしまった。
「た、確か……対電プログラムがあったはず!」
それは確かにあった。
しかし、とてもではないが雷の電流に耐えきれるものではない。
参ったなぁ、折角ローレライに救ってもらった命がこんなところで終わってしまうなんて。
「エルティナちゃん、僕に構わず作戦を続行してくれっ」
『おいぃっ!? そんなことをしたら、ヤーダン主任がビリビリしちまうだろっ!』
「マネックには対電防御能力があるから大丈夫だよ」
『……分かった』
若干、声が震えていたけどバレていないはず。
後はその時を待つことにしよう。
通信を全部オフにして僕は大きく息を吐き出した。
「リューネちゃんには、悪い事をしたかもね」
後は、結果を天に任せるのみだ。
運が良ければ、僕は助かるかもしれない。
でも……。
僕は大きく息を吸い、そして吐き出して、その時が訪れるのを待った。




