152食目 夏の日のきみ ~母の記憶・水の章~
「おんどるるあっ!」
『バックステッポぉぉぉぉぉ……おわぁぁぁぁぁっ!?』
「いあ~ん!」
はい、ただいま雪積もる雷山にて戦闘中でございます。
お相手はレ・ダガー。四本足のためか、雪の上でも安定した走行を見せております。
それに比べて、超重量のエルティナイトは雪中装備を付けてもこの有様。
雪に足を取られて、すってんころりんを幾度となく繰り返しております。
こんなんじゃ、勝負になんないよ~?
結局、七日目も撤収。成果を上げることはできませんでしたとさ。ふぁっきゅん。
「こりゃあ、厳しい。こんなところでエルティナイトの弱点が露呈するとはっ」
『積雪は卑怯でしょ。機獣、きたない。流石、機獣きたない』
「あい~ん」
全ての責任を機獣に擦り付けた俺は、格納庫の中心で不満をぶちまけた後に、食事処くれないにて、銀杏蕎麦を食べることになった。
「いただきまぁ~す」
銀杏蕎麦は銀杏を天ぷらにした物に冷たいお蕎麦がついてくる食事処くれないの名物料理だ。
天ぷらにして揚げることにより、銀杏はホクホク、サクサク、の食感を獲得し味も風味も増し増しになる。
加えて、その揚げたての熱も嬉しいところだ。
その熱を、お蕎麦の冷たさで鎮める作業が、これまた楽しく美味しいという。
この二つは出会うべくしてであったに違いない。
「出会うべくして出会ったかぁ。雪には出会いたくなかったんだぜ」
「散々だったみたいだねぇ?」
エリンちゃんが、ちゅるちゅると蕎麦を啜る。
ガンテツ爺さんに比べるとスローモーションなのでは、と疑いがかかるレベルで遅い。
「まさか、エルティナイトが特殊な環境下に弱いとは思わなかったんだぜ」
「ほんにのう。雪中装備を付けてもあの様では戦いにならんわい」
「お耳が痛いんだぜ」
ガンテツ爺さんのお小言に、俺は速やかに大きな耳をパタンと閉じる。
本当に、これをなんとかしなくてはならない。
とはいえ、どうにもならないのが現状であり、どうにかするのであれば、機体その物を乗り換えなくてはならないだろう。
今更、エルティナイト以外の戦機に乗るのは躊躇われる。
なので、俺は是が非でも雪を克服する必要があった。
クロナミに戻った俺は、自室でヒュリティアとエリンちゃんを交えて雪中戦闘を議論し合う。
三者三様の意見が出たが、どれもこれもピンとこない。
しかも疲れが出たのか、俺はいつの間にか寝てしまう、という失態を炸裂させていた。
でも、俺は謝らない。お子様だから。
そして、目が覚めると、そこはどこぞの海岸であった。
ここは誰? 俺はどこ?
『いや、本当にどうなってんだ?』
『わからないよ~』
と背後から聞き覚えのある声が。
『ふきゅん、エリンちゃん?』
『そうだよ~』
振り返る、とそこにはエリンちゃんの姿。
確か俺たちはクロナミの自室で雪中戦闘について討論をしていたはず。
にもかかわらず、何故、この海岸にいるのだろうか。
まさか……ヒュリティアにポイっちょされてしまった?
『アイン君がいない』
『そうだね。それにこの感じ……いつか見た夢の中に似てるよ』
エリンちゃんはチゲのを見た、という夢の事を言っているのだろう。
つまり、俺、もしくはエリンちゃんの夢の中に、どちらかが引っ張られた可能性がある、ということになろうか。
だが、何故このタイミングで。
『真夏っぽいけど、暑さは感じないんだぜ』
『服装も冬着だしね。エルティナちゃんは、また聖女の服?』
『そうみたいだなぁ。ツナギが楽ちんなんだけど、もう運命レベルでこっちを着ろ、と言っているように感じるんだぜ』
俺はまた聖女の服を着ておりました。
これが普通の夢ならば、目が覚めればくまさん柄のパジャマを着ているはず。
果たして、竜の枝の試練のように強制変更されるかどうか。
『あっ、あそこに沢山の子供たちがいるよ』
『本当なんだぜ』
エリンちゃんが指差した方に、沢山の子供たちの姿があった。
それを見守る大人の姿もある。
取り敢えず、コンタクトを取ってみるべく接近。
そして、俺は絶句した。
『俺がいるんだぜ』
『そ、そっくりさんかもしれないしっ』
見間違えようのない独特な姿は、そっくりさんでは説明のしようがない。
こんなお子様がこの世に二人もいて堪るか、と俺は彼女に手を伸ばした。
だが、その手はするり、と彼女を通り抜けてしまう。
瞬間、バチリ、と胸の奥に痛みを感じ取る。
『うっ……ま、まさか、これって』
『そのまさか、みたいだね。これで、夢だって確定したよ』
夢の中のそっくりさんは、俺たちの存在に気付いていないのか、金髪碧眼の少年に拉致され、海へと突撃していった。
ここで、景色が暗転。一瞬にして場面が変わる。
場所は同じく砂浜。しかし、そこには子供たちの他に巨大生物の姿があった。
『でけぇっ』
『ひえっ、こんなヤドカリを見るのは初めてだよっ』
子供たちに群がられるヤドカリは、その大きさが3メートル近くもある。
巨大なハサミは容易に人間を切断できそうであるが、彼は大人しい性格なのか、子供たちにされたい放題だ。
その中にあって、ヤドカリの上に上がれなくて、もたもたしている俺モドキを発見。
『なんという鈍臭さだぁっ。こいつは俺じゃねぇっ』
『え?』
『え?』
エリンちゃんの反応に、そこはかとなく傷付いた俺は、鈍臭い俺モドキを応援しました。
『そこだそこだ! やればできる! どうして諦めんだっ! 諦めんなよっ!』
ふきゅん、ふきゅん、と鳴きながら、しかし、遂にタイムアップです、と彼女はヤドカリのハサミに摘ままれて彼の貝殻の上へと運ばれた。
その嬉しそうな表情に俺はようやく、彼女が誰なのかを理解した。
『あぁ、これって俺の中にある、かーちゃんの記憶なのか』
『つまり、二代目エルティナの?』
『うん、きっとそうだ。だって、俺の記憶の中の海は、くそデカサンショウウオとサザエの記憶しかないもん。あと、ヤーダン主任のおっぱい』
『あぁ、うん。あれは衝撃的だったねぇ』
今でこそ、普通となったヤーダン主任の女体化であるが、当初としてはエリンちゃんが言うように衝撃的だったのだ。
というか、もう女体化は拙いんじゃないですかねぇ? 末期という話だし。
またしても場面は変わる。
夜となり月明りとキャンプファイアの炎が海を照らす。
その砂浜にて子供たちはバーベキューを楽しんでいた。
『なぁ、エリンちゃん』
『なぁに?』
『子供たちの顔って、きちんと見えてる?』
『ううん、ボヤけてるね』
『そっか』
夢の中、即ち母の記憶の中の子供たちの姿は全てぼやけていた。
この中で確認できるのは母とヒュリティア、そして金髪碧眼の少女みたいな少年の顔だけであった。
『段々、失われていってんだなぁ』
『お母さんの記憶が失われていっているの怖い?』
『怖い。俺はこの記憶を基にして作られていたから』
この言葉に偽りはない。
俺はエルティナ・ランフォーリ・エティルとしてこの世界に来て、様々な出会いを繰り返しながら生きてきたのだ。
色々とあって、自分がエルティナではなくエルドティーネ・ラ・ラングステンであることを知って、それから徐々に母の記憶が失われ始めた。
それはきっと、俺が、俺だけの友に恵まれたからだろうと思う。
もう、二代目の記憶は必要が無い、と判断され余計な記憶を消去してゆくのは彼女の優しさであったのだろうか。
であるなら、何故、俺は母の記憶を垣間見ているのか。
これは、俺にとって重要なことなのだろうか。
いや、きっと重要だからこそ、俺はこの夢を見せられているのだろう。
母は巨大なヤドカリにバーベキューを与え、嬉しそうに彼の食事風景を眺めていた。
種族に関係なく、そこには平和なひと時があった。
これが、失われた世界カーンテヒルの日常だったのだろうか。
でも、現実は俺が考えるよりも過酷で厳しかったようだ。
場面はまたしても変わる。そこはどこかの朽ちた建物内。
そこで人の姿をした人ならざる者が子供たちに襲い掛かっていた。
『うげっ、ゾンビかっ?』
『B級ホラー映画みたいだけど、これって実際に二代目が経験したことなんだよね?』
『た、たぶん』
幼い子供たちがゾンビの大軍を相手に、格闘や魔法を駆使して戦う姿はなんの冗談か。
常識では考えられない身体能力の高さと圧倒的な魔法の威力に、俺は嫉妬すら感じ取る。
これが、母の生きた世界では常識であったのだろう。
やがて、場面は変わる。場所は野外。
戦いの場であった朽ちた建物を粉砕して飛び出してきた異形の塊は、ありとあらゆる物を喰らって巨大化してゆく。
まるで、全てを喰らう者の出来損ない、という印象を持った。
『な、なんだありゃあっ!?』
『ひえっ、気持ち悪いっ』
正真正銘の悪夢の具現化、と言えばいいのだろうか。
それは悪趣味の塊であることは間違いようがない。
不定形の身体を震わせながら、黒い塊は子供たちに迫った。
よく見ると、その体にはゾンビたちの姿や建物の破片も認められる。
食ったはいいが消化ができていないのだろう。
このままでは、無制限に巨大化してしまう可能性が高い。
それを理解したのだろう、子供たちは無謀にも異形に戦いを挑んだ。
その中にあの大きなヤドカリの姿を見とめる。
『ヤドカリが戦ってる』
『きっと、子供たちのためにだよ』
やがて、子供の一人が黒い塊の放った触手に捕らえられ釣り上げられた。
その真下には黒い塊のおぞましい巨大な咢が。
『わわっ!? 女の子が食べられちゃうっ!』
『どうにかしたいが、これは記憶。俺たちじゃ、どうにもすることはできないんだぜ』
そう、俺たちは傍観者なのだ。この記憶に介入することはできない。
だが巨大なヤドカリはその子を救うべく黒い塊に突撃した。
その背には二代目の姿もある。
二代目がヤドカリになんらかの力を与えていたのか、それともただ単に乗っていただけなのかは不明であるが、彼女らの突撃によって囚われた少女は解放された。
しかし、今度はヤドカリが黒い塊の触手によって囚われる。
二代目はヤドカリに脱出を促すが、彼は彼女をハサミで掴んで放り投げてしまった。
そのタイミングで天より巨大な雷が落ち、ヤドカリと黒い塊を貫いてしまう。
『……そんな』
『これが、二代目の経験した戦い、記憶だっていうの?』
残酷な結末、そうとしか言い表せない。
再び暗転、場面は瓦礫と肉片が飛び散る落雷現場。
そこには、焼け焦げたヤドカリに何度も治癒魔法を行使する二代目の姿があった。
やがて、彼女の魔力は尽き倒れるが、それでも二代目はヤドカリに治癒魔法を試みようとして青髪の大人に止められる。
やがて、ヤドカリが死んでしまったことを受け入れた母は慟哭した。
『魔法で、どうにかならなかったのかな?』
『治癒魔法は、あくまで生きている者にしか効果が無いんだぜ。雷が落ちた時点でヤドカリはもう……』
俺がそう判断した時、あろうことか黒い塊が動き、二代目に襲い掛かる、という場面を目の当たりにする。
しかし、その時、既に死んでいたはずのヤドカリの肉体が動き、残っていた巨大なハサミで黒い塊を貫き止めを刺す光景を目の当たりにした。
同時にヤドカリの身体もボロボロに崩壊してしまったではないか。
『死んでいる者が動いた? そんなことがあるのか?』
二代目はヤドカリに縋り付いて感謝と謝罪を繰り返した。
やがて、二代目は覚悟を決めた表情を浮かべ立ち上がる。
その瞬間、俺は胸の奥、芯に当たる部分に痛みを覚える。
何かの目覚め、それを自覚した。
『し、真・身魂融合だ……』
淡い緑色の輝きが踊る中、二代目の小さな体が宙に浮かび上がった。
彼女の真・身魂融合の宣言と共に、淡い緑色の輝きに解れていったヤドカリが二代目の中へと入り込んでゆく。
『な、なにが起こっているの?』
『食っているんだ、二代目がヤドカリを』
『そ、そんなっ!? 友達だったんでしょう!』
『友達だったからこそ、なんだよ。これは、死が二人を分かつまで永遠に共にあることを誓う魂の儀式』
『残酷過ぎるよ……』
エリンちゃんはこの光景に目を背けた。
俺は、この光景を目に焼き付けなくてはならない、と頭で考えるよりも先に本能で感じ取る。
やがて、巨大なヤドカリの全てを喰らい尽した二代目は大いなる輝きに包まれた。
その姿を最後にして、俺たちの意識は暗転する。
この記憶を、どうしてこのタイミングで見せたのかは分からない。
きっと、何かしらの理由があるのだろう。
しかし、俺は果たして二代目のように生きてゆくことができるのか。
いや、きっと無理だろう。俺にこの苦しみは耐えられない。
薄れゆく意識の中、俺は母の声を聞いた気がした。
おまえは、おまえでいい、と……。
その声を最後に、俺の意識は完全に闇に飲み込まれたのであった。




