128食目 ばぶー
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
ここは俺? 俺はどこ?
いったい、いつから気を失っていたのだろうか。
そもそも俺は意識を取り戻しているのか。
周囲を見渡す、もそこは真っ暗闇。
白エルフは暗視能力が備わっているので、それでも真っ暗だという事はそこには光源が一切存在しないか、或いは黒一色の空間であることが考えられる。
手足を動かしている感覚はあれども、それを体に触れさせることは叶わず。
音も聞こえないし、においも無い。
やがて空間の黒の中に明かりが生まれ、その中に俺が今まで辿って来たであろう記憶が蘇る。
そのいずれもが俺が体験してきたはずの記憶たち。
でも、それは妙にふわふわした感覚。
辛く悲しい思い出も、まるで他人事のように思えてしまうのは何故なのか。
その不思議な感覚に不快感を抱くのは、俺が俺ではないような感覚が混じり込んでいるからだろう。
まるで、誰かの夢を見ているような感覚。
でも、それは間違いなく俺が体験したものなのだ。
イライラが募り、俺は思わず叫んだ。
しかし、その声は形になることは無く……。
「ぺもりょっはぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ひえっ」
あ、形になった。
俺の叫びは形となり、俺の側にいてくれたのであろうエリンちゃんを驚愕させてしまったもよう。
ぺたん、と形の良い大きなお尻を床へとドッキングさせてしまった。
「くぉくぉは?」
まだぼんやりとする頭で周囲を見渡す、とそこはクロナミのリビング。
そして、俺はソファーに寝かされていた。
「おう、目が覚めたようじゃの」
「ガンテツ爺さんっ」
俺のすぐ傍にはガンテツ爺さんの姿。
彼は立ったまま、たい焼きを食べていたのだろう。
食いかけのそれを、むしゃむしゃと完食し少し疲れた表情をみせた。
「あっ……」
彼の疲れた表情を見て思い出した。
俺は全てを喰らう者・闇の枝を顕現させたのだ。
そして、それを操っている最中に……。
「闇の枝はっ!?」
「あぁ、それならチゲ坊が抑え込んでくれたわい」
ドシッ、とガンテツ爺さんがソファーに腰を下ろす。
反動で俺の身体は、ぽよん、と飛び上がった。
「俺は意識を失っていたのか?」
「ま、そんなところじゃな」
「あの連中は?」
「仕留めた、と言いたいところじゃが……判断するには難しいのう」
ガンテツ爺さんは顎髭を擦りながら虎空を見上げる。
彼がそう判断するのなら、連中は再び姿を現す可能性が高い、と見た方がいいだろう。
「っとアイン君はっ!?」
俺は姿が見えないアイン君に、慌ててソファーから飛び降りようとして、見事にばたりと倒れる。
足腰にまるで力が入らないのだ。
「ふきゅ~ん! ふきゅ~ん!」
「あぁ、こりゃ。無理をする出ないわい。わしも、おまえさんも、光素が底を尽き掛けておるんじゃ。そして、あの子ものう」
「あの子……」
と言われて思い付くのは一人しかいない。
「ザインちゃんっ……って、あえぇぇぇぇぇぇっ、なんでっ!?」
それは、圧倒的【授乳】っ!
そして、それを成し遂げているのがヤーダン主任っ!
ちゅっちゅ、ちゅっちゅ、と彼女の愛情を一心に吸うザインちゃんは、ほのかに桃色の輝きに包まれているではないかっ。
その圧倒的な光景はヤーダン主任に後光を発生させ、ほんのりと邪悪感がたっぷりな俺を、たちまちの内に浄化せしめんとする。
だが、今は腹が空き過ぎていた……!
「よこせ、そのおっぱいを。それも一つや二つではない……全部だっ!」
「人間のおっぱいは二つしかないよ、エルティナちゃん」
【さすエリ】、そのワードが既成概念になりそうなエリンちゃんのツッコミに、俺の邪悪な欲望は木っ端みじんことなり、しかして、じりじりとハイハイの要領でヤーダン主任に接近する。
「ふっきゅんきゅんきゅん……捉えた」
がダメッ! そこにリューテ皇子が立ちはだかるっ!
「だめ~、おっぱいは赤ちゃんのだよっ」
「構うもんかっ。おっぱいだっ!」
今の俺は腹ペコビースト、立ちはだかる相手は、なんやかんやしちまうんだぜ。
しかし、その時の事だ。
急激に視界が低くなってゆく感覚を覚える。
同時に、ティウンティウンティウン、という効果音。
「ぶっ!? エルティナっ! おまえさん、母乳を飲みたいが一心で何をしでかしとんじゃっ!」
ガンテツ爺さんが慌てて駆け寄って来る。
何をそんなに慌てているのか、そう問おうとした時、俺は自身の変化が何であったのかを理解した。
「ばぶー!」
そう、俺は赤ちゃんと化していたのである。
そうなると、当然のことながら歯が無いので喋れない。
それどころか動く事すらままならないクソザコナメクジと化してしまう。
「えぇ……赤ちゃんが増えた」
これにヤーダン主任もにっこり困り顔である。
そんな彼女の乳首に吸い付くザインちゃんはお構いなしで、ちゅっちゅ、だ。
「うわわっ、エルティナちゃんが赤ちゃんになちゃったっ!?」
「えぇい、どうすれというんじゃっ。ヤーダン、取り敢えずもう片方……って、リューテ皇子が吸ってどうするんじゃっ!?」
「ちゅちゅ」
この場は大混乱に陥る。
その原因を作り出したのは間違いなく俺であるが、俺は謝らない。ばぶーだから。
「こ、こうなったら、わたしのおっぱいでっ!」
「ふきゅん!」
「エリン、早まるでないわーっ!」
遂にカオスとなったこの場にて、法は効果を発揮するのであろうか。
しかして、その法は人の姿を取りて降臨する。
「……何をしてるの、あなたたち」
そこにヒュリティア様が降臨。
じと~っとエメラルドの瞳で見つめられると騒げない騒ぎ難い。
だから俺たちは、すん……、と冷静になるだろうな。
ヒュリティア様の圧倒的なジト目により、超エキサイティングカオスパニック症候群から解き放たれた俺たちは、現状を確認すべくソファーに腰を落ち着かせる。
ソファーの前に据えてあるガラステーブルの上には、ヒュリティアがこしらえてくれたであろう料理の数々。
それらが全部、ホットドッグであった件について。
でも、俺はそれが食べられないんだよなぁ。ばぶー。
「ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ」
「ちょっ……は、激しいっ!?」
俺の吸引力にヤーダン主任は困惑の色を見せる。
そりゃあ、三度目のバブーだ。こうもなろう。
「……エルは昔、そうやって生命の危機に瀕した時に、赤子化して生命を維持したことがあるのよ」
「いや、身体を小さくして消費エネルギーを抑えるのは理解できるけど、言うのと実際にやってのけるのとでは雲泥の差があるよ?」
「……エルだし」
「酷いパワーワードじゃな」
ガンテツ爺さんの呆れツッコミを受け、ヤーダン主任とヒュリティアから苦笑が漏れる。
したがって俺は復讐のちゅっちゅ攻撃を仕掛けた。
受けるがいい、強烈バキュームからのリズミカルなバキュームの寒暖差を。
「ちゅちゅちゅちゅちゅ……ちゅ、ちゅ、ちゅ……ちゅぽん」
……はい、すみません。吸うのが疲れてきただけです。
「あれ? もういいの? というか、うとうとしてるね」
「……たぶん、吸うのが疲れたのだと思う。これは元に戻るまで数日は掛かりそうね」
「これを、あと数日も……何かに目覚めそう」
「……大丈夫、もう目覚めてるから」
「ひえっ」
ヒュリティアの暗黒微笑にヤーダンママは顔を青ざめさせる。
俺はウトウトしながら、彼女から頂いた母乳について考察。
彼女から分け与えられた母乳は、母乳であって母乳でないもの、そう考えていいだろう。
では何か、と問われれば俺はこう答える。
愛だよ、愛。
あっはい、考えるのが面倒になってきてます。
それでは、おやすいみん。
結局、俺は真相に辿り着くことなく意識を闇の中へと沈めたのであった。




