126食目 生まれたての芽
◆◆◆ ガンテツ ◆◆◆
エルティナイトたちが作った一瞬の隙、それをわしは見逃さなかった。
また、エルティナの全てを喰らう者・闇の枝の力も弱まったのも追い風となる。
「今じゃっ!」
『ぴよっ!』
火の鳥と化したワシらは物理法則も何もあったものではない。
最初の羽ばたきでトップスピードに乗る。
その際に、ゴウン、という爆発音が起き足場にしていたデスサーティーン改の手が焼き焦げてしまうも仕方のない事であろう。
あとで、ヤーダンの奴に謝っておくことにする。
今はとにかく、あの困ったお嬢ちゃんをなんとかすることのみに集中せねば。
大気を焼き切りながら飛行する。
やたらと景色がブレて見えるのは相当な速度が出ているからだろう。
人間の感覚のままでは到底制御などできない。
よって、わしは意識を切り替える必要があった。
人を辞める、しかして人の心を維持したまま、わしは獣へと至る。
それを可能とするのは火の精霊の加護を受けているが故。
この身を完全に彼女へと委ねる。
そして、もうひと羽ばたき。
すると、ブレていた視界が瞬間、正常な物へと変化。
ゆっくりと物が動いているように見える。
だが、これはわしが速度を落としたからではない事を認識。
それは即ち、わしの意識が超加速したことを意味していると理解した。
そして、もうひと羽ばたき。
それは、わしらを一本の矢へと変じる。
流石にこの状態は視界がブレる。
それほどまでの速度が出ているのだろう。
光速に限りなく近く、しかし、音速の域は出ない、と言ったところか。
だが、これで十分だった。
やがて、視界に膝を突き項垂れるエルティナの姿を認める。
狙いは彼女の【核】。
侵入する個所はどこでもいい。
今はわしらに背を向けているので、その小さな背中から侵入する。
しかし、今のわしらの状態であっても黒い霧に直撃するのは拙い。
黒い霧の薄い個所を見定め、強引に突入する。
この身を矢のごとく細身にしたのは、その被害を最小限に抑えんがため。
やがて、わしは黒い霧にその身を貪られつつも、エルティナの中心へと進入することに成功した。
……どうやら少しの間、意識を失っていたようだ。
そこは驚くほどに真っ暗な場所であった。
そして、不思議なことに地面が存在する。
しかし、それは剥き出しの土のみ、という殺風景なものであり、それが延々と続いているという少女にしてはあんまりな光景が広がっていた。
だが、これこそが、あの子の持つ【闇】なのだろう。
わしに纏わりつく暗闇が、それを伝えてくるのが理解できる。
それは、幼子が抱く【寂しい】という気持ちだ。
「これが、エルティナの深層部分か」
「ぴよ」
足元で小さな翼をはためかせ、存在をアピールする火の精霊を、いつもの位置へと収める。
彼女は満足げに囀るのだが、その際、一つだけ忠告してくる。
ここでは、全ての常識が通用しない、と。
今更な事だ、と一笑に伏せる。
ここにこうしていること自体、常識では考えられない事であるのだから。
その旨を伝えると、彼女は、それもそうだ、と笑った。
微かな力の波動を頼りに、道しるべも何も無い不毛の大地を進む。
どれほどの時間が過ぎているのか皆目見当もつかない。
願わくば、手遅れになっていない事を。
更に歩く事、一時間。
とはいえ、それは体感時間だ。
ここでは常識が通用しないので、それは一秒にも満たない時間なのかも知れないし、実は十年もの歳月が過ぎているのかもしれない。
しかし、それはようやく見えてきた。
「あれは……チゲ坊か?」
遠目からでも分かる真っ赤な巨人は、大地に蹲っていた。
その姿は何かから、何かを身を挺して守っているかのようにも見える。
わしは急ぎ、彼の下へと駆け付けた。
「チゲ坊!」
「……」
チゲ坊は言葉を持たない。
しかし、わしらには彼が何を伝えたいのか理解できる。
声なき声が頭の中に伝わって来た。
それは、少年のような甲高い声だ。
温めないと枯れちゃう。
チゲ坊の身体の隙間、そこから僅かに覗くそれは、生まれたての小さな芽であった。
しかし、それは弱っているのか萎びており、今にも枯れてしまいそうである。
「こいつは……エルティナの心? いや、もっと根本的なものか」
わしは、その小さな芽にそのような感想を抱く。
そうしている間にも、その小さな芽は弱っていっているようだった。
チゲ坊は必死にそれを温めようとしているが、熱が追いついていない。
一人では無理、わしはそう判断する。
「わしも、力を貸そう。そのためにやって来た」
「ぴよ!」
「……」
わしは生まれたての芽を時間経過で随分とくたびれてしまった老人の手で包み込む。
火の精霊は、ふかふかの身体でもって直接、芽に抱き付いた。
しかし、何も起こらない。状況は悪化してゆくばかりだ。
だからだろう、わしは気付いた。
熱を送っても、この生まれたての芽には何ら影響を及ぼさないことを。
同時にこの芽が求めているものがなんであるかにも。
「エルティナ……」
この子が欲しいのは、気持ち、心だ。
温かな心を欲しているのだ。
それは、親から逸れ泣き喚いている子供の様子を思い浮かばせる。
瞬間、わしはエルティナが哀れな幼子であることを理解した。
この子が常に飢えているのは、腹を空かせているからではない、愛に飢えているのだという事を確信する。
「自分でも気付かない飢えか」
「……」
チゲ坊は、この子が何者であるかを理解したのだろう。
その上で、この子の心を守ろうとしている。
チゲ坊が戸惑って当然なのは、彼と繋がり、彼の心の景色を垣間見たが故。
彼が、かつてその身を置いていた場所、その光景はどこまでも花畑が広がり、その中心に生命の大樹が天高く伸びる光の世界であった。
しかして、今、チゲ坊がいるのは真っ暗闇で不毛の大地が広がる寂し気な世界。
その中に一つだけある命の芽が、唯一の温もり。
この差は記憶を失っている、という理由では説明が付かない。
明らかに、エルティナという名の【別人】という結論に至るだろう。
だが、チゲ坊はこの子を信じ守ろうとしている。
そこに至る何かを確信した態度で臨んでいた。
だから、わしもそれを信じてみようと思う。
そして、ここをかつてチゲ坊が見た光景に変えてやろうじゃないか。
生まれたての芽に、わしらはめいっぱいの愛情を注ぎ込む。
子に、孫に注いできた愛情を、今度はエルティナに注いでやるのだ。
すると、萎びていたはずの生まれたての芽は、やがて天を向き始める。
弱々しく茶色に変色し掛けていたその身も、瑞々しい若芽の色へと戻ってゆく。
瞬間、わしらは声を聞く。
パパ、ママ……。
それはエルティナの声であるが、彼女の口調ではない。
それ故に真に彼女の声であることを理解した。
「エルティナ……おまえさんは、本当に何者なんじゃろうな」
だが、例え彼女が何者であろうとも、わしらがやることは変わらない。
この寂しい光景を打ち払い、豊かな光景へと変える。
それができるのはきっと、わしらのようにこの子と繋がる存在に違いないのだから。
「……」
「あとは大丈夫、か。分かった、任せるぞい、チゲ坊」
こつん、と彼の胸を手の甲で軽く小突く、と景色が遠のいて行く。
それは、ここからの別離と覚醒を意味していた。




