98話 過去との遭遇
「そうねぇ……一つ頼み事。いいかしらぁ」
マリアの顔は悪戯っ子みたいだった。
「古代オノマの方は準備必要だからぁ。あ、お兄ちゃん飛べるのよね?」
何か話が……見えないが。
俺はモード飛竜に変身し、白い四枚の翼を広げる。
「うわぁ、綺麗じゃない〜。ちょっと待ってねぇ、指示書書くわぁ」
デスクに戻って、カリカリと何かを書き始めるマリア。
「詳細は任せるわぁ。頑張ってくれたらご褒美準備しとくわねぇ」
そう言ってマリアは、素早く書き上げた指令書を俺に渡す。
しかも……日本語で書いてあるし。
一年も経ってないのに凄え懐かしいな。
どれどれ……。
俺は指令書に目を落とした。
◇
天も地も無く広がる闇。
遥か彼方に瞬く星々。天頂方向から視界に迫る水色の球体。
近付いた球体は大きく、瞬く間に視界を埋め尽くし、球体の外周は微かな弧から直線へと近付き、もはやそれが球体であると認識するのは難しい。
水色の球体の表面を、滑る様に飛ぶ白い物体。
円筒を車輪型に連ねた胴体。十二枚の長方形の翼。
「こちら宇宙ステーションスローンズ。月面基地オファニエル応答願います」
「こちらオファニエル、スローンズどうぞ」
「地上から接近する有機物を感知。そちらで感知していますか」
「……感知した。何だ?スローンズに向かって弾道軌道で接触コース。速度は秒速一・五……。こちらのセンサーでも有機物との分析だが……」
「了解オファニエル、引き続き分析を要請。観測を続ける」
座天使の名を冠した宇宙ステーション「スローンズ」
地上から四百キロの高度を周回するアルファ計画後継機として建設拡張され、月面基地オファニエルとの中継基地を兼ねる人工衛星。
回転する車輪部は遠心力によって人工の重力を生み、二百名を超える職員がここで暮らしている。
車軸部分に当たる管制室は常に一定の方向を見つめ、自らを産み出した星を千年単位で観測し続けていた。
地球。
それが宇宙ステーションスローンズの観測対象だった。
リニュー災害以前に宇宙へと進出した一握りの人類は、月面基地オファニエルに根を下ろし、天空の高みより地球を観測していた。
地上からの通信は途絶えて久しく、リニューに関する新たなデータは最早手に入らない。地表の打ち上げ施設の破壊も観測されている。
宇宙ステーションにも月面基地にも、ライブラは散布されていない。
それはつまり、リニューのサンプルを地球から持ち帰えれない事を意味する。
地球外のこれら施設は、旧世代の先端科学が残った唯一の場所ではあったが、リニューに対しても、ライブラに対しても、シミュレートは出来ても実験が出来ない不自由な環境にあった。
一マイクロメートルフィルターが無効だったとのデータはあっても、零・一マイクロメートルフィルターを作った所で、試すことが出来ないのだ。
度々持ち上がる地球降下作戦が、未だ実行されない所以である。
それでも地上の観測を続け、異形の生物の運動能力を調べ、対応可能な機装の開発は続けられている。
そんな中、有機物……つまり生物が毎秒一・五キロの速度で高高度を飛行するのが観測されたのだ。
「有機物高度上昇、百キロ。更に加速、相対速度マイナス一・七」
「バカな……秒速六キロだと!」
「映像記録開始。まもなく地平に現れます」
……!
その遭遇は一瞬だった。
だが、宇宙ステーションスローンズ管制室のクルーは、最大望遠されたモニター越しに確かに見た。
光の尾を引きながら、超高速で飛行するドラゴンの姿を。
「……映像解析!月のオファニエルにもデータを送って解析を依頼しろ!」
「局長!有機体より二つの発光信号を確認。……これは?モールス信号?」
局長と呼ばれた壮年の男は、開いた口が塞がらなかった。
スロー再生される、高速飛行するドラゴン。その腹部で確かに光が点滅している。ドラゴンが何かを抱えている様にも見える。
尖った先端部は、左腕に付けた何かを突き出しているのか。
今まで何度かドラゴンは観測されていた。
地表で、低空で、海上で。
だが、高度百キロの高空を秒速五・五キロで飛行するドラゴンなど記録に無い。しかも今回の遭遇は明らかに何らかの信号を送るために、近付いて来たものだ。こちらを宇宙ステーションと知って。
「こちら月面基地オファニエル、基地司令ワグナー。スローンズどうぞ」
「こちらスローンズ、観測局長ジョンソン」
お互いの氏名が名乗られると、直接回線が開かれ、正面モニターに白い顎鬚を蓄えた厳格そうな軍服姿の男が映し出される。月面基地司令ワグナーだ。
「こちらの観測では、接触した個体の推進装置は光量子系との結果が出た」
「光量子系……しかし接触した個体はドラゴンの形状をした有機体でしたよ」
「うむ。こちらの研究班も大変な騒ぎになっておる。発光信号は解読不能だ。モールスでは無いかも知れん」
驚愕から落胆へと表情を変えるジョンソン局長。
千数百年ぶりの地上からのメッセージ。それも謎多き新種ドラゴンからの。
だがそのメッセージは解読不能だと言う。
「ん?なんだと?ジョンソン局長、そのまま待て」
ワグナー司令の慌てた声に顔を上げたジョンソン局長だったが、既にモニターからワグナー司令は消えていた。
待つこと数十秒。
モニターに帰ってきたワグナー司令は、興奮を抑えきれないという顔をしていた。
「解析出来たぞ!接触した個体は同時に二つのモールス信号を発していた様だ。接触時間が一瞬なのを知っていて、二つの信号を同時に発していたのだ。これは高い知能を持っているぞ!」
「それでメッセージは何と!?」
ワグナー司令に引きずられる様に興奮し、身を乗り出すジョンソン局長。
ピッと音がして、メールがジョンソン局長に届き、開示可のタグを確認したジョンソン局長は、モニターにメールを表示する。
宇宙人類へ。
ライブラに停滞期の兆候あり。
調査機材の投下求む。
35°10'25.0"N33°21'21.8"E
リンクスなの、お兄ちゃんなの。
観測室に、歓声とどよめきが同時に沸き起こる。
「ライブラに停滞期……数字は座標ですか?」
「知能が高いどころの話しでは無い!地上にも科学が残っておったのだ!座標の場所はキプロスだ。至急機材の選定に入れ」
興奮冷めやらぬワグナー司令に、ジョンソン局長が問う。
「最後の一文はどんな意味があるのでしょうか」
「何かの暗示か、啓示か……モールスとは違う解読が必要な文かも知れん。再度個体が接触して来る可能性もある。観測を厳重にな」
「ワグナー司令、以後あの個体を何と呼称しますか」
「そうだな……」
白い顎鬚に手を当てて、考え込んだワグナー司令はポンと手を打った。
「光竜リンクス」
「光量子を使うドラゴン……了解しました。以後、光竜リンクスとします」
こうして、宇宙から地球を観測していた人類は、千数百年ぶりに地上から届いたメッセージに沸き立ち、大気圏投下カプセルの準備を始めたのであった。
◇
一週間前。
マリアから受け取った指令書には、こう書かれていた。
「上空を通過する宇宙ステーションに伝言を届けよ」……と。
古代オノマを防ぐ物を準備するのに、一週間以上掛かるらしく、伝言作戦の猶予期間は一週間とされた。
マリアは「出来ないなら出来ないで、来週また来てねぇ(はぁと)」とか言って、プトーコスを驚かせていたが……。
俺はリンクスと相談して、一旦クアッダに戻ってシュタイン博士の知恵を借りる事にした。マリア計画から出された宿題をシュタイン計画で解決する。ちょっとズルっぽいが詳細は任せると言ってたし、結果が得られれば方法には拘らんだろう。
マリア計画を聞いたシュタイン博士は、愉快そうに笑った。
容姿が若く、まるで少女の様だったと伝えると、声を立てて笑った。
「ほっほっほ、XX染色体らしいの。何歳になっても若く美しく有りたいんじゃの」
だから女って言えよ。
「で、どんな方法を取るつもりかの?」
「メール送るの」
「アドレスが判らんの」
『鳩飛ばそう』
「そこまでは飛べんの」
「地上絵描くの」
「一週間じゃ無理じゃの」
否定早えぇよ。
楽しんで無いで知恵貸せよ。
ふむ。とシュタイン博士は、手を止めて腰を上げた。
「お兄ちゃんは殿下を呼んで来てくれんかの。リンクスちゃんはちょっとテストに付き合ってくれるかの」
「満点出すの」
二人は俺と別れて城外へと出て行った。
博士……ラアサから殿下って呼ぶの伝染ってるぞ。
俺の相談を受けたファーリスは、呆気にとられた。
自室の応接ソファーに腰を下ろしたまま、キョトンとした顔で俺を見つめる。
「あれ……機能してたんですか?」
え?機能してないの?
当たり前に機能してる前提で頼み事をされた俺は、ステーションが機能していない可能性を完全に失念していた。
「子供の頃から、夜明け前に眺めていましたが、てっきり機能していない物だとばかり……」
だが、帝都の地下施設の様子とマリア計画の話しを伝えると、ファーリスは俄然やる気を出した。「機能してたのか凄いぞ」と興奮して。
ファーリス王子を連れ立って地下の研究施設に戻ると、シュタイン博士とリンクスが居た。
はやくね?テスト中止?
振り向いたリンクスが、満面の笑みで言った。
「リンクス満点だったの!」
「リンクスちゃんには驚かされるの、ほっほっほ」
シュタイン博士も嬉しそうだ。
うちのリンクスは凄いだろ?良く判らんが俺も嬉しくなってきた。
「条件は揃ったようじゃの。計画を説明するぞい」
シュタイン博士は床に腰を降ろして、複数のメモを広げ、計画の説明を始めた。
およそ九十分で地球を一周する宇宙ステーション。同地域上空を通過するのは二十三〜二十四時間間隔。この地域上空の通過時間は夜明け前だそうだ。
俺も何度か見てるな。
日本でのISSの観測時間が夜明け前だった筈だから、ISSとは別のステーションなんだろうな。
老朽化がどうとか、あの時代ですら言ってたんだから、当然と言えば当然か。
バーニアのオノマを使って高度百キロ付近まで上昇、後方から俺達を追い越して行く宇宙ステーションに向けて、光のオノマで信号を送る。
信号は相手の受信状態が判らない為、古典的信号……モールスを使う。
接近出来る時間を、少しでも引き伸ばす為に瞬間的に最大加速を掛け、短時間で情報を伝える為に、リンクスとファーリス王子の二人で同時に信号を送って貰う。
これがシュタイン博士の計画だった。
無茶じゃね?
高度百キロって空気あんの?
最大加速って言ったって、宇宙ステーションってマッハで言えば二十越えてなかったっけ?
「なるほど!高度百キロなら空気抵抗も少ないし、機体強度は心配ありませんしね!オノマで空気層を断絶すれば酸素も数分は持つし」
ファーリス。何がナルホドなんだ?しかも今、さらっと俺の事、機体扱いしなかったか?
「後はその高度に、ライブラがあるかどうかじゃの」
そうだぞファーリス。高度百キロでオノマが仕えなきゃ、息も出来ないし信号も送れないんだからな。
「じゃあ確かめに行きましょう!いますぐ!直ちに!」
ファーリスは、喜々とした顔で腰を上げた。
ファーリス……何でそんなにノリノリなんだ?
「アニキ殿は見たくないんですか!?宇宙ステーションですよ!?シリンダー型かなぁ、デススター型かなぁ!それに高度百キロって言ったらもう宇宙ですよウチュウ!無重力とかなっちゃうのかなぁ!」
宇宙に夢を膨らます、普通の少年がそこには居た。
目をキラキラさせて上を見上げている。
ココは地下で、見上げても天井しか見えんぞ。
それに無重力状態って、引力と遠心力の綱引きじゃ無かったかな。
速度が足らんと思うが、どうしてもって言うなら、急降下で擬似無重力状態してやってもいいぞ。
『なんだアレ?』
宇宙少年に急かされて城外に出た俺は、北東に見える鉱山のある山が一部えぐれているのを発見した。さっきまで普通に森だった筈じゃ……?
「リンクス満点なの!」
ふぁ!?
アレ、リンクスやったの!?リアル山崩しじゃねぇかよ!
「博士教えてくれたの。光使うの得意なの!」
「光量子制御の一つの方法を教えただけなんじゃが、あれ程の出力を出せるなら一回で伝言出来そうじゃの」
ブリッジ出来そうな位、胸を反らしてるリンクスだが、あんなん出来るんならミ・ディン瞬殺出来んじゃね?お使いミッションいらなくね?
「アテンションプリーズなのー、本日はお兄ちゃんエアライン以下略なのー。当機はまもなく高度百キロなのー」
以下略言うなし。
それとリンクス高度計付いてんの?
結果として上空百キロにライブラは存在し、オノマは使用出来た。
そしてリンクスの山崩しは、凄く時間が掛かった。
徐々に出力が上がる、加速用の光のオノマだった。戦闘じゃ使えん。
瞬間火力かと勘違いしてごめんなさい。
◇
そして今。
「死ぬかと思いましたよアニキ殿」
『死ぬかと思ったぞリンクス』
「死ぬかと思ったの、ファーリス」
ファーリスに返すなよ。
俺達三人は高度を下げ、まだ暗い夜の海の上を飛行していた。
宇宙ステーションとのコンタクト寸前。
リンクスの掛けた最大加速がテスト飛行時の出力を大きく上回り、余計に高度が上がってしまった。
宇宙ステーションとの距離は縮まり、向こうから俺達の姿は捉えやすかったかも知れんが、俺達を追い越した宇宙ステーションが地平線に消えた後、思わぬアクシデントがあった。
軍事衛星とのニアミスである。
すでに機能停止した軍事衛星が、高度二百キロを割り込んで周回していたのだ。
ほぼ宇宙とも言える空間で、数十キロ脇を巨大な衛星が凄まじい速度で追い越して行く。
近い物が何も無い空間で、数十キロとか目と鼻の先かと錯覚を覚える距離だ。
しかもあの大きさであの速度。
「当たったら死ねる」三人が認識を共有した瞬間だった。
「いやぁ!宇宙ステーション格好良かった!あの中に人が居て、驚いた顔で私達を見てたんでしょうね!地球も青かったし、丸かったし!あんなの見たら神を感じちゃうの分かるなぁ!」
ファーリス王子……何処で神感じたんだ?月まで行った訳でも無いんだが。
宇宙ステーションって凄い遠くって言うか、別世界な位離れてる気がしたけど、距離的には東京ー大阪間程度なんだな。四百キロ……近いじゃん。
まさかこの事がきっかけで、ファーリス王子が宇宙旅行を度々せがみ、森の魔獣達に「魔王と行く宇宙の旅」が流行るとは思いもしなかったが。
そしてもう一つ。
宇宙人類に自らが「光竜リンクス」などと呼ばれて居るとは、思いもしないお兄ちゃんであった。
リンクスじゃねぇし!と伝える日は来るのだろうか……。
宇宙モノ……いろいろ厳しいです(汗)
ファンタジーって事で大目に見て下さいまし。




