97話 マリア
俺達は箱の中に居た。
幅五メートル、奥行き五メートル、高さ三メートルの金属製の箱。
その中に俺、リンクス、プトーコスの三人が立ち、顎を上げている。
三人の視線の先には、左から右へ順番に明滅をするランプ。
俺はプトーコスの裾を引っ張り、少し屈んで貰うと、銀髪を押し当てた。
『えっと……コレは?』
「昇降箱だ。初めてだろう?この箱が帝城の地下深くまで運んでくれる。帝国では、この様な古代技術が復刻され使われているのだ」
プトーコスが自慢気な声で告げる。ドヤ顔してるんだろうが……。
「本日は帝城デパードご利用、誠にありがとうございますなの〜。次は地下十階食品売り場でございますなの〜」
「ぬ?帝城でぱ?」
これエレベーターだ。
遺跡を積極的に調査してるなら、この手の科学の残照もあって当然か。
地下部分にこの手の施設があるってことは、帝城が遺跡の上に作られたって事になるのか?
「帝城の歴史までは分からぬな」
プトーコスが少し済まなさそうに、青いバンダナに手をやり、後頭部辺りをポリポリと掻く。
重力が増した様な感覚と共に、エレベーターが停止する。
開かれる扉。
『嘘だろ……』
扉の向こうの景色に俺は言葉を失った。
いや、ずっとですけど。
「空なの。森なの。デッカイ水溜りなの」
リンクス、あれは多分……海だ。
「うみ?食べていい?」
ついにリンクスが神話の神々と肩を並べるまでになるのか。食いしん坊恐るべし。
リンクスは、扉から数歩踏み出して止まった。
「行き止まりなの」
リンクスの足元には確かに敷石があって右に曲がっているが、前方には砂浜が、さらにその先には海が広がっている。
俺はプトーコスより先に、エレベーターを降りる。
開放感溢れる視覚とは違う、閉鎖的な反響音を俺の耳は捉える。
よく出来たホログラムだ。
風に揺れる花に触れられそうな程、リアルなホログラム、光のオノマ。
だが、そこに風や匂いは無い。
「魔王殿、こっちだ」
プトーコスは先になって歩きだす。
俺とリンクスは地下にある大自然にキョロキョロしながら、プトーコスへと続いた。
俺達がこの帝城地下を訪れた理由。
それはマリアなる人物に会う為だ。
黒衣の男ミディンから、彼特有のオノマを教わったという人物。
名前から察するに女だろうが、人物像をプトーコスに聞いても「まぁ、会えば判る」と言葉を濁すばかりで、予備知識を一切与えてくれない。
先入観を持ってしまうのも良くは無いだろうが、どうも曲がった杖を持った老婆が思い浮かんで仕方ない。
大自然に見える地下空間の一本道を進み、正面の大樹へと近付く。
大樹に空いた小さな窓。ノブの付いたドア。
おとぎの国か絵本の中か……メルヘン感ぱねえ。
プトーコスが、大樹のドアノブに手を伸ばしたその時。
「あら、プトーコス。久しぶりねぇ」
大樹の中から声がした。子供の声なのに艶のある口調。
まだノックはおろか、ノブにも触れて居ない。
プシュー、ガチャ。
メルヘンチックな大樹の扉から、聞こえる機械的な音。
エアロックを備えた密閉式の金属扉。俺の耳はそう伝えて来る。
開かれた扉から姿を現したのは……。
長い金髪をツインテールにし、黒を基調としたロリゴスを纏った、十才位の少女。その緑の瞳がプトーコスから流れて、俺とリンクスを見て、大きく開かれる。
「ちょっとプトーコス!ナニ連れてきてんのよ!リニューまみれじゃない!そこから動かないで」
ロリゴス少女は俺達に汚物を見る様な視線を送り、扉を閉じて大樹の中に消えた。ちょっと感じ悪い。
マリアとかって人の使用人かな?等と思いつつ、リンクスと顔を見合わせる。
数分後、ロリゴス少女は扉を開けた。
「どうぞぉ」
さっきの汚物を見る様な目とは、打って変わったにこやかな顔で、俺達は大樹の中に招き入れられた。
やっぱりな。
大樹の中は、近代的な研究施設だった。
テニスコート程の広さ。高い天井。
壁面を埋めるモニター。キーボード。部屋の一角を占めるあの大きな黒い箱は……スパコンか?
何と言うか……秘密基地?CIAとか軍の司令部とかを連想させる。
「凄いだろう?古代世界は何処の家にもこの様な部屋があったらしいぞ」
室内を物珍しそうに眺める俺とリンクスをみたプトーコスが、まるで自分の事の様に口を開く。
どんなステレオタイプの情報仕入れたかは知らんが、こんな施設が家にあってたまるか。騙されてるぞ。
部屋を見渡すが……マリアは留守か……ロリゴス少女の姿しか無い。
「ご機嫌麗しゅう御座います。マリア様」
「何年ぶりかしらぁ」
プトーコスが胸に手を当て、跪く相手は……ロリゴス少女。
帝国の頭脳?至宝?ミディンの知り合い?この少女が!?
思い込みイメージとの乖離が激しすぎる。
「チビっ子なの」
「あなたも変わんないでしょ。見た目だけは。ねぇ?竜人ちゃん」
ロリゴス少女とこマリアは、リンクスを真っ直ぐに見据える。
「リンクスなの。お兄ちゃんなの」
「お兄ちゃんは……酷い事なってるわねぇ。古代人で、竜の因子持ちで、膨大なリニューを抱えてる。そんなんでよく遺伝子形状維持できてるわねぇ」
む……酷い……のか?
アリスの視線は、蔑視でも哀れみでも無く好奇って感じだ。
「リンクスちゃん?あなたはどうして全身にオリハルコンを纏ってるのかしらぁ?」
「預かってるの」
「ふふ、内緒なのね。それで、何の用かしら?」
マリアは応接セットに腰掛け、手を振って三人に着席を促す。
俺は人差し指を立て、注意を促してから竜型へと変身する。それを見たマリアは「器用ね」と愉快そうに微笑む。
「お忙しい所申し訳御座いませんアリス様。本日はこの者達にミ・ディンのオノマのお話を」
「この子達、ミ・ディンの知り合い?」
俺はたてがみの銀糸を伸ばしプトーコスとマリアに渡す。プトーコスを真似て銀糸を額に当てるマリア。
『殺し合いした仲だ』
「何で生きてるのかしら」
マリア……さらっと凄い事言ったよね。
ミディンと敵対して、生きてる訳がないって事か。
『ミディンの使う、特別なオノマの事を知りたい』
「ミ・ディンよ」
『ん?』
「ミディンじゃなくてミ・ディンよ。発音おかしいわよ」
スゲーどうでもいい。
ジト目で見つめる俺を、ジト目で見返すマリア。リンクスが張り合ってジト目してる。
「言葉は力、名は願い。名前がどうでも良いとか言ってるようじゃ、まだこの世界を理解してないわねぇ古代人。召喚されて間もないのかしら?」
俺はファーリス王子から、シュタイン博士が語った召喚の意味を聞いた。
膨張中の宇宙。時と共に薄れ行く世界密度。相対的に高い密度を持つ過去からの召喚者。そんな話しだったと思う。
この何でも知ってます的な話し方、そして研究施設。俺は素朴な疑問をマリアにする。
『あんたもシュタイン計画の一部なのか?』
プトーコスが俺を見つめて首を傾げる。
「あら?シュタイン計画を知ってるのぉ?だれかお知り合い?」
『ターナー・ドライ・シュタインを』
「タイプドライってまだ稼働してるの!?驚きだわぁ。私はマリア計画だけど」
マリア計画!?
驚く俺にアリスは説明を加えた。
「XY型染色体のシュタイン計画に対して、XX型染色体計画として進行されたのがマリア計画よ。後天的環境要素だけでは、どうしても説明の付かない思考的アプローチの違いがXY染色体個体とXX染色体個体にはあるのよねぇ」
言い方がいちいち面倒臭い。男と女って言えや。
「シュタイン計画程じゃ無いけど、世に出てしまった個体も居るわ。当然知ってると思うけど、光の回折のフランチェスコ・マリア・グリマルディ。不完全気体理論のマリア・ゲッパートメイヤー。放射能のマリア・スクウォドフスカ=キュリー……」
当然知りませんけど?
「胡瓜夫人なの!」
「キュリー夫人ね。知っての通りグリマルディはニュートンにテーマを提供して光の波動説へと理論を発展させたわ。光のオノマの原理ね」
リンクス物知りだな。ニュートンってりんご落とした人?ちょっと違うか。何故か浮かんだジョブズさんを、軽く頭を振って追い出す。
『あっと……マリア。コッチから聞いといて何だがもういいや。付いて行けん。ミ・ディンの事を教えてくれ』
マリアは嬉しそうに体を縮めて俺を見た。
何で?
「あなたの来た時代を教えて、それに合わせて判るように話すわぁ」
『俺が居た世界は、西暦二千二十年。日本と言う国だ』
「オッケー。ミ・ディンは紀元前千年頃の古代ギリシャからの召喚者よ。同時代から召喚された複数の個体の中で、唯一制御が出来た奇跡の個体」
『複数の個体だと?』
「ええ。古代ギリシャへのゲストゲートは確立出来たけど、凶暴過ぎて制御出来なかったの。制御技術の発展を期待して、今でも百体の個体が眠りに付いてるわ」
『なら他の時代の……もっと近い過去の個体は稼働してるのか?』
「主に西方へと派遣されて、強力な獣王や魔王の討伐に当たってるわぁ」
ぐ……あんなのがゴロゴロ居るのか。
代表取締役魔王の名刺はヤメだ。ミ・ディンクラスの召喚者がアポ無しで凸って来る可能性がある。
「ミ・ディンは別格よ。それでも十分強いんだけど、魔王も別格だったりするのよねぇ」
『マリア。魔王って魔王を攻撃したりするか?』
「魔王同士の争いもあるわね」
敵増えた?
嬉しそうなマリアに、慌て顔のプトーコス。
「魔王殿、マリア様を呼び捨てとは、あまりにも不敬な……」
え?あぁ、そういう事?
「いいのよプトーコス。マリアなんて呼ばれたの何百年ぶりかしらぁ。新しい体にして良かったわぁ。だからお兄ちゃんはこのままマリアで、ね?」
ウインクするなし。
何百年ぶりとか、あんた何歳よ?
プトーコスは「しかし」と渋面だが、マリアは妙に嬉しそうだ。
「リンクスのお兄ちゃんなの」
「リンクスちゃんがお兄ちゃんって紹介したのよぉ。あたしもお兄ちゃんって呼んでいいでしょ」
マリアがリンクスに握手を求める。
リンクスが「むー」と口を尖らせ、渋々握手に応じる。
キュっと二人の手が結ばれたその時。
キィィイイン
耳をつんざく高音に、俺とリンクスが耳を塞ぐ。
どうした?と不思議顔のプトーコス。
リンクスを覆う光のオノマが解け、銀の鱗に小さな小さなさざ波が立つ。
右手から広がったさざ波は、腕から肩へと広がり、そこで抵抗する様に止まり、瞬時に掌まで押し返す。
「預かってるの、貸さないの」
「凄いのねぇ」
険しい顔のリンクスと、微笑むマリア。
手は握られたままだが、どんな状況なんだこれ?
『あー、二人共仲良くな』
「わかったの」
「うふふ、はーい」
「マ、マリア様が……こんな……」
マリアの対応が変なのは、プトーコスの反応を見れば想像は付くけどさ、だからって俺にどうしろって。
リンクスとマリアは手を離して座り直す。
『マリア、ミ・ディンのオノマを教えてくれ。黒籠とか』
「いいわよぉ、お兄ちゃん。ミ・ディンが使ってるオノマは直接行使って呼ばれる方法よ」
直接行使?
「分り易く言うと、今の世界の人達が使ってるオノマはベーシックで、直接行使はマシン語に近いかしら?」
あんまり分り易くないです。
「ミ・ディンが使うオノマを古代オノマと定義するわねぇ。条件設定を重ねて発生させるのが通常のオノマだけど、古代オノマは直接事象を発生させるの。黒籠を例に例えると、通常のオノマだと暗闇・空間拡張・重力・空間断絶ってオノマを重ねる必要があるけど、古代オノマは直接黒籠その物を発生させるのよぉ」
『いや待て。重力って?オノマで制御出来んのか?』
「出来るわよぉ。条件設定に二百八十八万五千百六文字、五千六百七十分間のオノマ詠唱が必要だけどねぇ」
……どんだけ。
「でも、古代オノマとして使えるなら、それも一瞬よ。見つかって無いけどね」
『聞き方が悪かった。古代オノマを防ぐ方法はあるか?』
「そうねぇ……一つ頼み事。いいかしらぁ」
マリアはそう言って、小さな顎に人差し指を当て、悪戯っぽく笑った。




