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96話 覚悟と美

 「お兄ちゃん!アレ何!?美味しそうなの!ピシュマニエ降ってるの!」


 『アレは雪だよ。冷たいだけで甘くないぞ』


 「食べていい!?」


 『中庭から出るなよ』


 「やった!なの!」


 初めて見る雪に、テンションマックスのリンクスは、窓を開けて中庭に飛び降りた。ここは三階だが、問題無いだろう。リンクスだし。


 「リンクスちゃんは、雪は初めてだったか?あぁそうか、この間来た時はオリハルコンの中だったな」


 『スマン。脱線したな』


 「だっせん?とは?」


 『いや、そこは忘れてくれ』


 「ふむ、しかし成竜に変身……と言ったのか魔王殿」


 『かも知れないと言ったんだ。ミディンが成竜の魂を集めてるなら、うっかり変身したら成竜でしたって訳には行かない。今度こそ殺されちまう。それに……』


 「それに?」


 『遅かれ早かれリンクスは成竜に成長するだろう。俺はリンクスを守りたい。この身に代えても。これは俺の覚悟だ』


 「覚悟……」


 プトーコスは俺と頭を突き合わせたまま、腕を組む。

 はたから見たら変な光景だろうな。


 「それ程急を要するとは思えんが……」


 『ワシの経験によれば、今日出来る事を明日やるのは、明日出来るはずだった事を先に捨てる事だ。……アンタの言葉だろ?』


 「何故そんな事まで知っておる!?ワシの記憶でも覗いておるのか?」


 覗いたのはグラードルの記憶だがな。


 「……さっき魔王殿が言った暗闇の技だが、黒籠かも知れん。もう少し教えてくれるか」


 『黒籠?』


 「罪人を閉じ込める永遠の奈落だが……」


 俺はプトーコスに、ミディンに掛けられたであろう天も地も無い暗闇の話しを伝えた。なるべく客観的に、プトーコスにも分かる言葉で。


 「ワシが知っておる黒籠とは少し違うな。黒籠は三角錐の暗黒で、その中は奈落と聞いておる。囚われた者は光も無い空間を永遠に落下し続けると」


 それで奈落か。


 暗闇で大地も無かったが、落下はしてなかったかも知れない。飛竜だったから咄嗟に飛んだ?とか?


 「それと黒籠なら奈落に干渉する事は出来ん。奈落の中で攻撃を受けたと言うなら、別の技か……」


 プトーコスの話しでは、完成された黒籠は中からはもちろん外からも干渉出来ないらしい。


 うーむ。違うのかな。

 そこで俺は小さな疑問に気付く。


 『何でグラードルは黒籠を知らないんだ?』


 「何故知らないと知っている!?」


 いや、紛らわしいから。

 知らない事を知っているとか、紛らわしいからな。


 グラードルが知らないってのは、記憶に無かったから分かる事だが、流石にグラードルを喰ったとは言えないな。


 『それ程強力な技なら使って当然だろ?グラードルは黒籠を使わなかった。つまり知らないか使えないかだろ』


 プトーコスは「そう言う解釈も成り立つのか」と、僅かに顔を上げ、額を付けて首を傾げる。

 はたから見たら、やっぱり変な格好だろうな。男同士でチュッチュしてる様に見えなくもない。

 誰も入ってこない事を祈ろう。


 黒籠か……一瞬だけ発動させて、俺の集中を奪った隙に攻撃を入れたか……。

 黒籠と何かを組み合わせたって可能性もある。なんだかんだ言ってもオノマの奥は深い。オノマ先進国である帝国でも、未だにコトバを集め、地下実験場で試行錯誤してるらしいしな。


 「ミ・ディンはあまりグラードル様を好いては居なかったからな」


 プトーコスの話しでは、ミディンは帝国のオノマ研究者でも知らないオノマを、いくつも知っているらしい。

 だがミディンは、そのオノマを他者に教える事は殆ど無かったとか。


 ほとんど?


 『教わった奴が居るのか!?』


 「陛下に会ってみるか?」


 プトーコスは唐突にそう告げた。

 俺は思わず頭を離して、プトーコスの顔を見つめる。


 陛下って新皇帝?グラードルの息子?イドロだっけ?

 何の為に?

 親の仇ですけど?


 「陛下の為にひと肌脱いでくれるなら、ミ・ディンからオノマを教わった事のある者を紹介しよう」


 プトーコスは取引を申し出てきた。

 かなり優位な状況である筈なのに、その表情には余裕が無い。

 覚悟を決めた武人。そんな顔をしている。


 何をさせるつもりだろうか。

 俺はプトーコスの様子を探る為に、ソファーに腰掛けたまま、軽く両手を広げて続きを促した。


 「魔王殿が手に入れたタペストリー。あれが陛下の立場を危うくしておる。擁立された王子が偽物なのは判っていても、それを証明する術は無い」


 プトーコスの話しはこうだった。


 正式な手順を踏んで、帝位を継承した新帝イドロ。

 だが新帝イドロは国内の重鎮達からは、愚鈍、暗愚と認識されている。


 グラードル亡き今、旧アフト派は偽王子を擁立し、グラードル派はイドロを見限って、グラードルの孫に当たる八才のカタークって子供を、擁立する動きも見せているとか。

 イドロは後ろ盾を徐々に失い、微妙な立場だという。


 帝国皇帝の玉座。

 偽王子ってアフマルに成りすますなら十才位だろ?ガキが取り合いするには随分と大きなおもちゃだ。


 「今カターク様には帰国途上の正規軍を持つ中央貴族が、偽王子には予備軍を持つ地方貴族がそれぞれ後ろ盾となって綱引きを始めておる。陛下は……皇帝陛下はイドロ様だというのに」


 ラアサの思惑どおり……いやそれ以上か……。


 「武力を背景にした貴族共のゲームで帝位が転がるなど……帝国武人として耐えられん……耐えられんのだ。何十万何百万もの将兵が、命を掛けて守った帝国が……その家に産まれただけの貴族共に好きにされるのは……」


 プトーコスは、悔しさにフルフルと震えた。

 確かに今朝見た様な、割り込みばっかする貴族に、国を乗っ取らるのは我慢ならんだろう。命を掛けて国を守ってきた者としては。


 「頼む魔王殿。ワシも覚悟を決めた。クアッダ殿の連合と根地の森と条約を結んで、陛下に外交での実績を上げさせると共に、魔王が後ろ盾だと貴族共に見せてくれまいか。帝政を安定させ、腹黒い貴族を弱体化させて、カターク様を立派な皇帝へと育てて見せる」


 そう言う事か。

 暴走した親父が破壊した国家間の信頼を、息子が修復する。

 しかも親父を殺した魔王と和解して。


 俺は盾剣を経る事無く、直接竜型へと変身する。

 体を仰け反らせて驚くプトーコス。

 

 外見上の威圧も交渉事には大切だ……というのもあるが、正直前のめりで頭をつき合わせる姿勢は腰が疲れる。

 驚くプトーコスに、たてがみの銀糸を伸ばして額に当てる。


 『アピールとしては悪くないだろうが、帝国って魔獣殲滅を国是としてるんじゃないのか?リニューを撲滅する為に人類社会を統一するんだろ?』


 「強硬派はワシが抑える。このままでは内戦になってしまう」


 『ニンゲンは殺し合いが好きだな』


 俺の言葉にプトーコスは黙ってしまう。


 『世代が変わっても履行される不可侵の約と、あんたが兵権を掌握するのが追加条件だな』


 国のパワーバランスで不安定になりがちな不可侵の約より、プトーコスが軍を掌握してくれる方がまだ信用できる。最低でも十年程は戦火は遠退くだろう。

 内戦で武器を持たない人が死ぬよりは良いだろうし、ミディンのオノマの情報も手に入る可能性もある。


 「そうか……そうだな。帝国兵権のあり方も見直すべきだな」


 ガチャ


 「プトーコス様。コーヒーのお替わりをお持ちしました」


 ノックも無く開かれる扉に、ハッと振り返るプトーコス。

 ドラゴンを見たら間違いなくパニックを起こす。


 執事は、視線をプトーコス……そして客へと向け……。


 何事も無かったかの様に、ワゴンを押して部屋に入って来る。

 視線を正面に戻したプトーコスは、目を丸くする。


 そこに座り、執事側にカップを寄せるのは銀髪の小男だった。


 カップごとコーヒーを差し替え、冷めたポットを交換すると、執事はワゴンを押して部屋から出て行った。


 扉が閉じられると同時に竜型に変身する小男。


 「便利なものだな」


 『だろ?だからこそ「うっかり」未知の変身をしちまうリスクがあるんだよ』


 プトーコスは「なるほど」と唸った。

 チュッチュしてると思われなくて良かったな。


 「雪止んじゃったの」


 リンクスが窓から戻っていた。

 全身から盛大に湯気を上げている。


 どんだけはしゃいだよ。


 『おみやげなの!』


 リンクスが満面の笑みで俺に差し出したのは、土や葉っぱが混じった、片手に乗る程の小さな雪だるまだった。

 積もる程降って無いだろうに……一生懸命かき集めたんだろうな。


 リンクスがその気になれば、辺り一面を氷漬けにする事も出来るだろうに、こういうズルしない所が可愛いくて仕方ない。


 俺は雪に濡れたリンクスの頬に手をやる。


 「お兄ちゃんの手、あったかいの」


 嬉しそうに、俺の手に自分の手を重ねるリンクス。

 コーヒーを口に運びながら、その様子を微笑ましく眺めるプトーコス。


 『リンクス、この雪だるま取っときたいな。冷凍保存出来るか?』


 「任せて!なの!」


 リンクスは、嬉しそうに両手をいっぱいに広げて……。


 やらかした。


 凍りついた雪だるま。テーブル。コーヒー。床。天井。

 ……そしてプトーコス……。


 「やり過ぎちゃったテヘペロなの」


 『うおお!?生きてるか!?プトーコスゥゥウ!!』



 「恐ろしい体験をした」


 「ごめんなさいなの」


 プトーコスは額の青いバンダナに手をやり、溜息を付く。


 プトーコス、俺、リンクスの三人は、帝城の廊下を歩いている。

 急いで解凍されたプトーコスは霜焼けひとつ無かったが、氷の世界と化した部屋を見て絶句した。


 「自重してくれ……陛下を氷漬けにせんでくれよ」


 廊下の角を曲がった俺達の背後で、メイドの悲鳴が聞こえる。

 部屋の掃除……大変だろうな。


 プトーコスは、解凍されて直ぐに皇帝陛下への謁見を準備した。

 僅か数時間で、各派閥の貴族、将軍ら数百名が集められる。

 今まで中立派として一切の動きを見せなかったプトーコスが発した招集に、何事かと皆が飛びついたのだ。


 イドロ皇帝と根知の森の魔王との会見。

 長い金髪をなびかせ、蒼い瞳で周囲を見渡しながら、颯爽と皇帝が会場に現れた時、会場に小さなどよめきが起こる。


 「陛下……なのか?」

 「まるで別人ではないか」


 その体は長身で逞しく、シャープで美しい顔立ちをしていた。

 めっちゃイケメン。


 母親似なのだろうか?グラードルの面影は薄い。

 そして、プトーコスの演出は素晴らしかった。


 皇帝と俺を完全に同列に置き、対等の立場で会見、調印をさせたのだ。


 帝国の権威を至上とする大貴族達は、不満で顔を渋らせたが、若い貴族が不満を口にした瞬間に「帝国の公式な場を汚した」と断罪され、その場で家督と財産を取り上げられ、謁見の間から放り出されるのを見て口を閉ざした。


 イドロ皇帝は、反抗的な貴族を断罪する姿も、調印での立ち振る舞いも、多少芝居がかってはいたが十分に立派と言うか、威厳もたっぷりに見えた。

 愚鈍とか暗愚とか言ってなかったか?普通じゃん。


 調印式が終わり、貴族共が苦い表情で解散した後、私室での茶会でイドロ皇帝はその正体を現した。


 「プトーコス。どうだ良かったか?ヨの芝居は?」


 「は、ようございました」


 「完全か?完璧か?美しかったか?」


 「は、完全に完璧に美しゅうございました」


 そんなやりとりをプトーコスとしながら、イドロ皇帝は俺達が居る前で服を脱ぎ出す。重い音を立てて床に落ちる服が妙に厚い。


 『きぐるみなの?』


 そこまでは行かんだろうが……正装を解いて高そうな部屋着に着替えたイドロ皇帝はひょろっちかった。

 逞しく見えた胸も腕も、タイツまでも、綿を詰めたデコ衣装だったのだ。


 そしてコーヒーをすすりながら、メイドに化粧をさせている。

 カマなのか?オネエなのか?


 「この度のヨの舞台、協力に感謝するぞ根知の魔王」


 俺は翼竜の姿のまま鷹揚に頷いた。


 皇帝に会うにあたってのプトーコスからとの打ち合わせは「堂々と合わせてくれれば良い」とだけの簡単な物だった。俺に失言の心配が無いのを分かっての事だろうが、酷く簡単な打ち合わせだった。


 「これでヨの命は安全になったのだな?」


 「いえ、まだ第一幕を終えたに過ぎませぬ。権力が盤石になるまで、第二幕第三幕と舞台は続きます」


 「またこの衣装を着ねばならぬのか……」


 イドロ皇帝は、足元の綿で盛った衣装をつま先で突付く。


 これはアレか?芸術系皇帝か?

 昔の物語でも、芸術に傾倒したり男色に走ったりする為政者が、国を傾ける話があるが、そのタイプか?


 政治にまるで興味を示さず、芸術や美にとことん突っ走る権力者。次男や三男なら問題無いんだろうが、何故か長男に生まれてしまう悲劇。

 いや、今回は喜劇か。強い皇帝という役を演じ続けるひょろい男と、それを影で支える生粋の武人の喜劇。


 プトーコスはこの役者皇帝を、今後数十年補佐して行くのか。

 可哀想になってきたな。


 「陛下、魔王殿は今回の舞台の褒美として、マリアとの会談を望んでおります」


 ダレ?マリア?


 「マリアは帝国の頭脳にして至宝。いかに対等の条約を結んだ相手とは言え、帝室以外の者に会わせるのは……」


 「陛下。この度の調印式は帝国史に類を見ない、それは美しい調印式でございました。帝国史上初めて対等の条件で条約を結んだのです」


 「そうか、ヨの調印はそれ程美しかったか」


 うわ〜こんな露骨なアゲに乗ってきた。

 こりゃ確かに……暗愚だわ。


 「その舞台を共に演じ、成功に導いた共演者に褒美を与えぬのは、美しきバラを汚す一点の班。折角の美しさが損なわれてしまいます」


 「そうか、ヨの舞台は朝露に濡れるバラの蕾の様だったか」


 そこまで言ってねえし。

 役者皇帝の頭はイッてるようだがな。


 「世界一美しい王様にお願いなの。お兄ちゃんとマリア逢わせてなの」


 「おお!世界一とな!聞いたかプトーコス!この美しき銀の竜人に世界一と褒め称えられたぞ!」


 リンクスが空気読んだーーーー!!


 「美しき銀の竜人よ!ヨに仕えぬか、その美しさをヨに愛でさせてくれぬか!」


 「世界一美しい王様とリンクスじゃ吊り合わないの。マリアと逢えるだけで十分美しいの」


 「ふむ、残念ではあるが執着は美しさを損ねるからな。そうかマリアとの出会いは美しいのか。ならばヨが邪魔をする訳にはいかんな。会談を許す」


 リンクスのセリフも意味不明だが、通ったのか?結果オーライなのか?



 こうして、リンクスの美しいアシストで、俺達はマリアに会う事を許された。

 マリアってのが、ミディンからオノマを教わった事のある人物の名だと知ったのは、役者皇帝との茶を終えた後の事だった。


 「言って無かったか?」じゃねえよプトーコス。


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