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92話 不運

 「エラポスとヒエレウスだけだからな、俺は絶対コホルちゃんと一緒にネビーズで働くからな!」


 「分かったつってんだろ猿!」


 「取り分も増やすわよー」


 短剣のマークが付いた黒い機装を起動させながら話すのは、猿顔のハヌマーン、黒人男のミクトリ、頭に羽飾りを付けた黒人女アンケト。


 「済まないわねハヌマーン、エラポス領主のオニュクスはかなり腕が立つって話だし、ヒエレウスには勇者も居る。あんたに抜けられたら私達が死ねるわ」


 「ミッションは後二つだ。女の事は一旦忘れろ」


 金髪を後ろに結いながら、機装に豊満な肢体を包ませるウルズと、機装を立ち上げる巨漢のリーダー、フレースヴェルグ。


 「後二(ふた)仕事したら、絶対引退するからな」


 「女って言っても、奢らされてるだけよねー」


 「ちげぇねえ」


 一同の笑い声に不機嫌に顔をしかめながら、渋々機装の装着を始めるハヌマーン。


 「行くぞ」


 フレースヴェルグの声に、一同は六頭引きの馬車に積まれたコンテナの扉を開けて闇の中に溶けていき、森には二台の馬車が残された。


 彼ら五人の暗殺者は、先日補充された機装の調整を今日になってようやく終え、何となく入るのが躊躇われる森に二台の馬車を隠して、エラポス領内へと潜入した。領主オニュクスを暗殺する為に。



 「どうだ?」


 「執務室にまだ明かりが付いてるわねー、オニュクス確認……客は……男の子と女の子かしらー」


 「こんな時間にか」


 五人の暗殺団は領主の館を見下ろす崖の上から、館の様子を伺っていた。

 語尾を伸ばした話し方をするアンケトが装着する機装は、頭部に望遠レンズを装着し、最大望遠でオニュクスの執務室を覗いている。


 「警備に変化がないからー、オニュクスの個人的な知り合いかしらー」


 「まとめてやっちまおうぜ」


 「明日になれば警備がきつくなるわ……」


 「喋るな」


 アンケト、ミクトリ、ウルズの会話をフレースヴェルグが遮る。

 急に会話を遮った事を、不審に感じたハヌマーン。


 「ん?何で明日警備がきつくなるんだ?」


 機装の中で「しまった」と舌を出すウルズ。

 フレースヴェルグがチラリとウルズを睨んで、ハヌマーンの問いに答える。


 「……明日から要人が来て数日滞在するとの情報だ、今夜の内に終わらせる。城壁まで移動だ。場合によってはまとめて始末する」


 フレースヴェルグとウルズの二人は、他の三人に伝えていない事があった。


 それは、共和国軍の侵攻。


 五万の遠征が失敗し、前帝グラードルが死んだ事を知った共和国は、帝国が継承問題で混乱するであろう事を見越して、この期にエラポスとトラゴスを抑え、南北街道を手中に収める作戦を開始した。


 南方山岳地から北のメラン海へと流れる天然の国境、大河アルヘオ。

 その大河アルヘオに沿う様に、ナツメ商会によって作られた南北街道。

 南北街道を手中に収める事が出来れば、流通の大動脈を手に入れた共和国は大いに潤うだろう。


 それは国境線が動くに留まらず、今後の帝国共和国の軍事バランスに影響を及ぼす、歴史の分岐点ともなり得る侵攻とも言えた。


 フレースヴェルグとウルズが、その情報を他の三人に伝えなかった理由は、数日中にもネビーズに作戦が伝えられ、侵攻作戦が開始されるからであった。


 侵攻作戦が開始されれば、ハヌマーンの愛しきコホルも当然招集され、戦争に参加するだろう。

 それを知ったハヌマーンが、ネビーズに残ると言い出すのは想像に易い。


 ヒエレウスの勇者との戦いに、万全を期したいフレースヴェルグは、連絡員がもたらしたこの情報を、その場に居たウルズと二人の秘密とした。


 他の三人は何だかんだ言ってもとても仲がいい。ハヌマーンを思って情報を伝えてしまうかも知れなかったからだ。

 ウルズが危うく口を滑らせる所ではあったが。


 五人の暗殺者は壁抜けを繰り返して、オニュクスの執務室の隣室まで来ていた。

 城壁で二人、通路で出会い頭に二人殺し、既に引き上げる状況では無い。

 後は、確実にオニュクスを殺し、如何に素早く引き上げるかだった。


 「おかしいな?」


 機装頭部からコードを伸ばして、まるで聴診器の様に壁に当てているハヌマーンが小さく声を漏らす。


 「一人の声しかしねえ……多分オニュクスだろうが……独り言か?」


 「客は帰ったのかしら?」


 「電源も心配だ、一気に入って決めるぞ」


 黒い機装の背に取り付けられた三つの円筒が、軽く放電しながら回転数を上げる音を出す。音は低音から高音へ、そして程なく無音になった。

 フレースヴェルグは静かに右手をあげ、振り下ろす。


 機装が触れたレンガは赤く灼熱し、黒い機装を次々と飲み込んで行った。


 オニュクスの執務室では、一気に室温が上昇、突如壁面のレンガが発熱し、壁に掛かる肖像画が燃え上がる。

 真っ赤に灼熱する壁から、黒い機装兵が一機また一機と姿を表す。


 「あら?子供……居るじゃない」


 「喋るな」


 「うお!」


 ミクトリは壁から抜けた直後、横合いから切りつけられた。

 金属音と共に、機装の装甲は剣を弾いたが、ミクトリは経験に無い先制攻撃を受けて驚いた。奇襲の主は赤いマントを揺らし、再び剣を構える。

 エラポス領主オニュクスであった。


 いつもと違う。

 ミクトリは焦った。


 壁を抜けるという奇襲を掛けたにも関わらず、オニュクスは驚きも慌てもせず、壁際に寄って横から斬り付けて来たのだ。いつもなら寝ていて気づかれないか、恐れ慄いている間に、仕事が終わる筈なのに。


 ミクトリは姿勢を低くし、右拳甲を床に影が映る程低い位置から、オニュクスの腹部目掛けて突き上げる。

 鋼の剣でも真っ二つに叩き折る事の出来る、黒い機装の拳甲。


 オニュクスは手にした剣を躊躇無く離し、低い位置から突き出された拳を受ける事無く、更に下から抱え込み、ミクトリの機装に背を預ける。


 「なにおぉぉお!」


 ミクトリは回転する景色の中、叫び声を上げた。

 オニュクスが膝のバネを使って腰で機装を突き上げ、一本背負いよろしく床に叩きつけたのだ。

 舞い上がる石床の破片。その影がオニュクスの背に落ち掛かる。

 その背に二本の影が増える。


 オニュクスの背に振り下ろされる、ハヌマーンとアンケトの黒い機装の腕。


 ガッ!


 二本の腕はオニュクスの背に触れる寸前、阻まれた。


 「な!?んだ?このガキ!?」


 「子供が機装の!」


 機装の中で驚愕の声を上げるハヌマーンとアンケト。

 二人の攻撃を防ぎ、オニュクスを守ったのは銀髪を頭頂部に盛った小さな男。


 「離れろ」


 フレースヴェルグは二人を退かせ、小男に肉薄。目にも止まらぬ早さで左右の拳甲を連続で繰り出す。


 連続した風切音は、やがて焦燥の声に変わる。


 「あ、当たらない……だと!」


 「うぐっ!痛え痛えって!」


 小男は、フレースヴェルグの放つ連続攻撃をその場で回避しながら、足元に転がるミクトリの右内腕を蹴りつけている。

 内腕の装甲は既にひび割れ、中に着ている黒い革性の服が露出し、血が滲む。


 振り向いたオニュクスより早く剣を拾ったアンケトが、小男の軸足目掛けて剣を振るう。


 機装の怪力を載せて、襲いかかる剣は、フレースヴェルグの連続攻撃と相まって小男の左足を捉え、振りぬかれた。


 だが、暗殺団の予想に反し、飛び散ったのは血では無く、折れ砕けた剣だった。

 痛そうに顔をしかめる小男。


 「そんな……」


 「何装備してるか知らんが、オカシイだろ!」


 「うめき声一つ上げないとは……」


 「ウルズ!手伝え!」


 増援を求められたウルズは、ファイティングポーズのまま硬直していた。

 視線の先に居るのは……。


 「おいっし〜の」


 この状況になってもソファーに座ったままで、クッキーを頬張り、嬉しそうに体をクネクネさせている、おかっぱ頭の少女だった。


 「……この子……変よ……」


 「攻撃して来ないなら無視してー、とにかくターゲットをー」


 ターゲットであるオニュクスは、部屋の隅で小男の後ろに庇われている。

 そして小男は……剣を砕いた脛を擦っていた。


 「こっちのチビもオカシイって!達人級(マスタークラス)だとしてもオカシイって!」


 小男が脛を擦る隙に、足元から引き寄せられ助け起こされたミクトリは、憤怒の表情で小男を睨みつけるが、無論胸部装甲の内側の事で小男には見えてもいない。


 「このクソガキ!ぶっ殺してやる!」


 力任せにまだトレースする左腕を振るい、殴り掛かったミクトリは、一歩踏み込んだ小男に内腕を抑えられ、あっさりと攻撃を止められた。

 この男は、完全に機装を理解している。そう感じたフレースヴェルグは、鋭く指示を飛ばす。


 「部屋ごと焼き払って離脱だ」


 その時、小男が背を向け、オニュクスに目隠しした。


 何だ?と暗殺団が小男を注視したその瞬間。機装内のモニターが真っ白になり、そして何も映し出さなくなった。


 「モニターが焼けた!?」


 「なんで!?」


 目視戦闘をする為に、慌てて胸部装甲を跳ね上げた暗殺団は、余りの眩しさに目を開けて居られなかった。


 部屋の中に太陽がある。


 そう思わせる程の光が、執務室を満たしていた。

 黒い機装の前半分だけが、光で漂白されてしまうのではないかと思える程の光。


 「くっ!目が!」


 強烈な光が収まった後も、目が眩んだままの暗殺団。

 胸部を守る様に腕を上げた黒い機装は、一体、また一体と床に転がった。


 立ち上がろうとして、脚部が破壊されている事に気付く。


 「そんな!いくらこの機装が暗殺型とは言え、素手で!」


 今暗殺団が使用している細身のシルエットの機装は、暗殺の為に壁抜けに特化して作られた物で、一般の機装より強度は低い。

 だがそれでも、人が素手で壊せる様な代物では決して無い。


 その機装を、子供にも見える小男が素手で破壊している。

 

 咄嗟に足を浮かせて、辛うじて脚部の破壊を免れたフレースヴェルグが立ち上がり、オノマを使って部屋を白い煙で満たす。


 「退くぞ!」


 予想外の出来事の先には、予想以上の悪い事が待っている。

 これ迄の経験でそれを知るフレースヴェルグは、すかさず撤退の指示を飛ばした。


 脚部の破壊された機装を破棄し、動ける機装に張り付くミクトリ、ウルズ、アンケトの三人。

 仲間を背負い抱えた二体の機装は、窓周りの壁を破って屋外に逃走し、あっという間に夜の闇に消えた。正に見事な引き際であった。


 城壁上で出会った帝国兵を殴り飛ばし、街の外まで逃げおおせたフレースヴェルグは、点滅する電源ランプを睨みながら少しだけ速度を落とし、追走するハヌマーンを振り返る。


 「助かったよハヌマーン。お前が居なかったら全滅していたかも知れん」


 「オニュクスは俺たちの侵入を知ってるみてぇな動きだったな。それよりもあのチビは何だ!?」


 「俺も長いこと暗殺者として各地を回ったが、あれ程の達人は数人しか知らん。帝国で召喚された勇者かも知れんな」


 「ヒエレウスの他の勇者があの強さって事はねぇよな?」


 「ヒエレウスの勇者は白が一番の使い手らしい。それに対勇者戦は暗殺型ではなく強襲型を使う」


 「あんな達人が、たまたま居るなんて不運ねー」


 「もう良いだろ?降ろしてくれ、振動が腕に響く」


 「しかしあのチビは納得いかねぇ!」


 「オメエと大差ねえだろ猿」


 ちげえねぇと笑った後、一行はミクトリの右腕に応急処置をし、馬車を隠した森へと月の無い夜空の下を歩き始めたのだった。



 「かたじけない。お陰で助かった」


 そう言って、警備と追跡の指示を終えた赤マントの武人は、小さな男女に頭を下げた。

 執務室に充満していた白い煙は、侵入者が逃げる時に開けた壁の穴から外に流れ出て、今は微かに霞むだけだ。


 「クッキー湿気たの。今度会ったらお仕置きなの」


 「はっはっは、お気に召したのなら土産に持たせましょう。お二人が隣室の異変に気付かなければ、危うい所でした。しかしお強いですな魔王殿」


 そう、侵入者を撃退したのは「代表取締役魔王」こと俺と、敵が来ても食い気優先のリンクスだ。


 リンクスがいち早く、廊下でも無いのに直進してくる気配に気付いた。

 そして俺とオニュクスにアイアンクローをかまして、カログリアから聞いた壁を抜ける暗殺団の事を知らせた。


 撃退には成功したが、あの引き際には驚いた。

 まぁ、オニュクスが無事だったからいいけど。


 「あの真昼の太陽は、竜人固有の術ですか」


 いや?単なる光のオノマですけど?

 リンクスが加減しないだけですけど?


 「お願いはオッケなの?」


 「ええ、命の恩人の頼みです。私の名で通行証をお出ししましょう」


 今回俺達がオニュクスの元を訪れたのは、帝国内の通行証が欲しかったからだ。使い道は、プトーコスを訪ねて黒衣の男ミディンの情報を聞き出す事。

 ラアサの予想通り、プトーコスは帝位継承問題が落ち着くまで、帝都を離れないそうだ。なら行くしか無い。


 俺達は、その場でオニュクス直筆の通行証を貰った。

 ご丁寧に「プトーコスと会うのに便宜を図れ」的な事まで書いてある。


 リンクスはお土産のクッキーまで貰って、大満足で風通しの良すぎるオニュクスの執務室を後にした。暗殺団の残した黒い機装は俺が貰った。明日でも取りに来させよう、丁度最近まともに仕事してない秘書が居る事だし。

 帝国もグラードルが死んで、少しは風通しが良くなるのだろうか。



 その頃。


 「……無い……わねー」

 「ええ、あり得……ない……わ」

 「嘘だろ」


 森の中で立ち竦む暗殺団の一行。

 彼らの眼前に在るはずの物が無い。


 「馬車盗まれたーーーー!!」

 れたーーー!

 たーー!


 不運な彼らの叫びが、夜の森にこだました。


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