90話 アルバア・シュゴウニ2
「ぐっぁぁあ」
フェルサに大槍蛇の尾が巻き付き、ギリギリとその体を締め付ける。
体を覆う全身鎧がその力に耐え切れず、歪み、凹み、留め金が飛んで地面で金属音を立てる。
「この野郎!フェルサを離せ!」
真っ先に地面を蹴ったのはガビールだった。
素早く大槍蛇の尾に近付き、フェルサを締め上げる太い胴体に連続して斬りつける。動く大槍蛇を相手に寸分の狂いもなく、同じ箇所に繰り返し斬りつける。
「ぐっ」
ガビールは、フェルサを叩け付けられて転がった。
大槍蛇が体を捩って、巻き付けたフェルサごと、尾をガビールに叩きつけたのだ。
ガビールは咄嗟に剣を引き、フェルサを斬る事は無かったが、強烈な一撃を受けて吹き飛ばされ、悶絶した。
「力が足りねぇ」
ガビールは大槍蛇の尾を睨む。
正確に連続で切りつけた部分は、ほんの少し切り傷が出来ただけだった。
フェルサを巻き付けた尾が唸りを上げて振られ、大槍蛇の頭の横に晒される。
大槍蛇の視線の先にあるのは、今まさに山崩しを放とうとするイーラの姿。
イーラは大槍蛇の周りを巡り、大槍蛇はイーラを正面に捉え続ける。
山崩しを放つのを暴発寸前まで我慢したイーラは「おのれ!」と吐き捨てて、岩肌に捨て放った。
「この蛇は、フェルサを人質として認識しているのである!」
「狡猾な……」
その言葉と同時にナハトが横合いから尾に近付き、ガビールの付けた傷に長剣を叩きつける。
直後に繰り出される刺を、二本まとめて大盾で払いのけ更にもう一撃。
だが大槍蛇の革は切れない。
迫る牙を、ジグザグに後方に飛びながら回避し、距離を取るナハト。
「ヒャッハー!」
ガビールが声を上げて大槍蛇の尾に掴みかかる。
「イーラ殿!開放でここを!」
足元に二本の剣を突き立ててそれに踏ん張り、尾を抱え込むガビール。
尾の動きを制限したガビールの声に、イーラが板剣を大上段に構えて迫る。
「ふぅうううん!」
ガシッ!
イーラの振り下ろした板剣は、大槍蛇の革に僅かに食い込み、黄色い体液を飛ばした。
「通った!イーラ殿もう一撃……」
ガビールの声は最後まで発せられなかった。
ガビールの右胸を、背後から貫く漆黒の刺。
「ガ……ガビー……ル」
大槍蛇の尾に締め上げられながら、苦しげに声を漏らすフェルサ。
「誰か!ポーションを!」
ナハトが素早く大槍蛇を牽制し、引き付けながら後退すると、胸から刺が抜けてその場に崩れ落ちたガビールが激しく痙攣を始める。
「こちらに!」と声がする方角に、イーラがガビールの襟首を掴んで放り投げる。
三人掛かりでガビールを受け止めた兵士達は、素早く解毒用のポーションを飲ませ、傷口に振り掛けた。
痙攣が収まったガビールを抱える兵士が唸る。
「大槍蛇……これ程とは。ドラゴンにも劣らぬではないか……」
バキン!
音を立てて大盾を突き破る漆黒の刺。
大盾の角度を変えて、刺先を際どく回避したナハトが、顔を青くする。
「こうなったら我々も……」
「俺の声は……聞こえてるのか?」
「ガビール殿!!」
目を見開いて周囲を見渡すガビールに、兵士が恐る恐る声を掛ける。
「ガビール殿?もしや……目が?」
「オレの剣を持ってこい」
「無茶です!」
「聞こえてるんだな!?剣を持って来れるか!イエスなら一回、ノーなら二回肩を叩いてくれ!俺にはお前達の声が聞こえて無いんだ。このままじゃ保たない!リンクスちゃんかファーリス様が来る迄は!だから剣を!」
ガビールの気迫に押された兵士は、ガビールの肩を一度叩き、地面に突き立つ二本の剣を回収して、ガビールに持たせる。
「腰にロープを括り付けろ、やられたら引っ張って治療してくれ」
ガビールの指示に困惑しながらも、肩を一回叩いてロープとポーションを準備する兵士達。
「早くしろ!ナハト殿の盾からは変な音が出てるし、イーラ殿は山崩しを二発も撃ってヘトヘトだ!フェルサの鎧の音でどっちが尻尾かは分かる!」
ガビールは、ロープの尾を引いて大槍蛇へと駆けて行った。
「ガビール殿!?お主見えているのであるか!?」
駆け寄るガビールにイーラが声を掛ける。
「そこからって事はイーラ殿か、静かに頼む。今は見える音だけが頼りなんだ」
今、ガビールには音が見えていた。
大槍蛇の刺がもたらす毒の効果は二つ。
一つは心臓麻痺を起こす程の強力な神経毒。
もう一つは、視覚と聴覚の変換。
ガビールの脳裏に、チビっ子達との訓練風景がよぎる。
「ボク達もチッチッチ出来るんだよ!」
「お兄さん、チッチッチって舌打ちして目隠しでも強いし」
「また遺跡に連れて行ってもらうんだもんねー」
「ねー」
ガビールは、チビっ子達がエコーを使って暗闇での戦闘訓練をしているのを知って驚いた。
アフマルのエコーの精度はそれ程高くは無かったが、リースは亜人という事もあってか、既に暗闇でもガビール以上に動けていた。
そしてガビールは刺激的な一言を聞く。
「フェルサも練習してるんだよ」
「フェルサの野郎には負けねえ!」
ガビールはその日からエコーの練習を始めた。
一番舎弟が一番弟子に負ける訳には行かないと。ガビール的にはこの時点で一番娘と二番娘に負けている気がして、焦ったのもあった。
そして今、エコーの訓練のお陰で、身に見える音を混乱せずに視覚にイメージ出来ている。
地面に伸びる黄色い光の帯は、大槍蛇の胴体が擦れる音。
少し高い所で緑やオレンジに光るのは、締めあげられているフェルサだろう。
黄色い光の帯の反対側が頭。
定期的に赤い光が迸るのは、ナハトが大槍蛇の注意を引くために大盾を打ち鳴らしているのか、あるいは大槍蛇の攻撃を防御しているのか。
大槍蛇の頭とおぼしき付近では、青い光のスジが時々見える。あれは黒い刺か。
ガビールは自分の目標を素早く立てた。
一、時々でも良いから大槍蛇の注意を引いて、ナハトの負担を減らす事。
二、上手く大槍蛇の意識外から攻撃して、刺の自動反撃で再び刺される事。
三、フェルサの意識をつなぎとめる事。
そして、死なない事。
大槍蛇に隙を与えれば、フェルサを締め付ける力が増すだろうし、今は人質と認識しているが、人質が無用と思えば敵に囲まれた状態でも喰ってしまうかも知れない。
「フェルサ!もう少しの辛抱だ!助けが来る!」
フェルサが、口角から血を流しながら紫色の顔で、ガビールを見る。
「無茶……するな……お前が死んだら、師匠が悲しむ」
「こっちだ蛇野郎!ヒャッハー!」
ガビールは掛け声とは裏腹に、慎重に大槍蛇との距離を図った。
確か兄貴が言うには、蛇の射程距離はもたげた首の二倍。今の場合なら約十五メートル。注意を引いている間はこの距離を保つ。
周りを回ればイーラ殿が尻尾を攻撃しやすいかも知れない。
ガビールは神経を擦り減らして、危険な綱渡りを続けた。
大槍蛇の注意が自分から逸れる都度、大声でフェルサを励ましながら。
「情け無えぞ一番弟子!兄貴の諦めの悪さを!一番近くで見たきたんじゃ無えのか!」
「し……師匠……」
その言葉で、フェルサの腕に力が入る。
「コォォオオ」
息吹を発しながら、フェルサの腕は巻き付く大槍蛇の尾をメリメリと押し戻し始め、尾の傷口から黄色い体液が吹き出す。
傷口目掛けてイーラが板剣を振り下ろし、傷口を更に広げる。
その時。
青い光の筋がフェルサに迫るのを、ガビールは見た。
そして地を蹴った。
ドン!とフェルサに巻き付いた尾に体当たりするガビール。
フェルサの首筋に迫っていた漆黒の刺は、目標を違てガビールの左腕を貫いた。
「がっっはっ!」
「ガビーーーール!!」
再びギリギリと締めあげられるフェルサと、追撃からガビールを庇って吹き飛ぶイーラがガビールの目に映る。
すかさず手繰り寄せられるロープに引きずられるガビールは、戻った視界を確かにする為に激しく頭を振る。
「フェ……フェルサ!テメエ!ガ……ガキが……産まれんだろうが!テメエと同じ親なしで!がはっ!良いのかよ!!」
引きずられながら、懸命に叫ぶガビール。
バン!と大盾を大槍蛇の頭に叩きつけて、長剣を構えて大槍蛇の正面に立つナハトだったが、大槍蛇の注意を引くことは叶わなかった。
大槍蛇がその視線を送ったのは、今まさに尾を引きちぎらんとするフェルサだった。
「ぉぉぉおおおお!」
雄叫びを上げて腕を広げ、巻き付いた尾を押し広げるフェルサ。
尾の傷口が開き、黄色い体液が大量に吹き出す。
「そうだフェルサ!テメエの力は……ゴホッ……こんなもんじゃ無え筈だ!」
ポーションを口から飛ばしながら叫ぶガビール。
そして彼は見た。
彼のライバル、一番弟子の覚醒する姿を。
「うおおおおおお!」
フェルサの周囲の空気が歪み、陽炎がフェルサの体に集約されて行く。
「キシャーーーー!!」
大槍蛇の叫びと共に、遂にフェルサに巻き付いた尾は千切れた。
地鳴りを起こして、激痛にのたうつ大槍蛇。
「フェルサ!」
ガビールがフェルサの板剣を投じる。
パシ!っと右手で板剣を掴んだフェルサは、そのまま高々と板剣を掲げ、音もなく振り下ろした。
キィィィイイン!
周囲に広がる耳鳴りに、頭を抱える兵士達。
巨大な闘気が大槍蛇の頭を襲う。
「開放で山崩しだとぉぉぉおお!」
フェルサが放ったのは間違いなく山崩しだった。
だが通常の山崩しと違うのは、大開放では無く開放状態で、しかも片手で雑作もなく放たれた事。
「何という高密度なのだ!」
大槍蛇の頭を捉えた山崩しは、革を削ぎ、骨を削り、頭と胴体の一部をミンチにして消し去った。
頭を完全に失った大槍蛇は、それでも暫くの間のたうちまわり、周囲の木々をなぎ倒し、数十秒後ようやくその動きを止めた。
力なく倒れこむフェルサを、ガビールが支える。
「やったなフェルサ!」
「無事だったか……ガビール」
「こっちのセリフだ」
周囲の兵士達から歓声が上がり、フェルサにもポーションが届けられる。
「今回は……お前のお陰だガビール。息子の事を想ったら……何処からか得体の知れない力が湧いた」
「ん?息子なのか?」
「ん?息子って言ったか?」
キョトンとした表情の二人。
「まぁ今回はオレに感謝しろ。目が見えなくなってもお前を助けたんだからな」
「そうだな……素直に感謝するよ」
「しょうが無い。今回の件に免じてお前を二番舎弟と認めてやろう」
「いや、いい」
「……」
「……」
「待てフェルサ!ここは「そうだなこれからも頼むぜ兄貴」って所だろ!」
「いや俺は師匠の一番弟子だから。別口で兄貴とか要らないから」
「なにおおお!」
やれやれと二人を眺めるナハトとイーラ。
この二人は、これで仲が良いのだろうとナハトは結論付けた。
「ご飯なのーー!」
「これは……凄いですね」
「二人とも遅いのである!アニキ殿の弟子と舎弟が見事に退治したのである」
自らの板剣を鞘に収めて背負うイーラに、ファーリスは申し訳無さそうに頭を掻いた。
「突然坑道が崩落しまして、怪我人は無かったのですが人々を安全な場所まで誘導して、岩を取り除いて……申し訳ありません」
「崩落……」
ナハトとイーラは「ハッと」して振り返った。
そこにあるのは、岩肌に穿たれた巨大な穴。
フェルサを人質にされて、放つ事が出来なかった山崩し。
その暴発寸前の山崩しを捨て放って出来た、岩肌の巨大な穴。
「……イーラ殿」
左の眉を釣り上げて、目を細めて横目にイーラを睨むナハト。
「や!その……ま、まぁ誰も死ななくて良かったのである!フェルサ殿の強制開放も成ったし!」
「蛇のお肉、お兄ちゃんにも持ってくの!起きたらきっと腹ペコなの!」
「おお!そうだなリンクスちゃん!ささ、皆も運ぶのを手伝ってくれ」
逃げる様に、珍しく表情を変えたナハトの前から居なくなるイーラ。
だがその足元がふらついているのを、ナハトは見逃さなかった。
イーラもギリギリの戦いをしていたのだ。
肩を支えあって、坑道へと歩を進めるガビールとフェルサ。大槍蛇の長大な胴を引っ張ろうとして、カクンと膝が砕けるイーラ。地面に落ちた漆黒の刺を嬉しそうに拾い上げるリンクス。
賑やかになった物だと、ナハトは思った。
数年前、千の大盗賊団にクアッダ王国が襲われた時。
クアッダ王とイーラと三人で陣頭に立ち、どうにか撃退したのが遠い昔の事の様だ……と。
明け方、偵察に出ていたクアッダ王が、最大級の吉報をもたらした。
グラードル軍、クアッダ王国を放棄して撤退す。
大歓声が轟く坑道内。後の四将軍の中で唯一見張りに残ったナハトは、吉報を聞いて苦しい戦いを振り返り、改めて思う。
まさかグラードル軍五万を退ける奇跡に、立ち会えるとは……と。
竜の兄妹、ガビール、フェルサ、ラアサ、シュタイン博士、そして陰の功労者とも言えるポーションを大量に提供してくれたフィリコス。
帰参したファーリス王子、同盟により参戦した白銀の勇者、根地の森の魔獣達。
何か一つ欠けただけでも、この「クアッダの捨国戦略」は完成しなかっただろう。
人と人が出会い、運命の糸を縦横に紡いで織り上げた壮大なタペストリー。
後世の吟遊詩人は、このタペストリーをどの様な言葉を紡いで伝え広めるのであろうか。ナハトの胸に熱いものが込み上げる。
その夜、クアッダ王国一無表情で、クアッダ王国一寡黙で、クアッダ王国一責任感の強い男第一将軍ナハトは、その肩に乗った重圧をようやく下ろし、一人グラスを傾け、泣いた。




