89話 アルバア・シュゴウニ1
クアッダ難民が、一時的に身を潜めるハディート鉱山。
かつて第一坑道と呼ばれた場所に、クアッダ軍は寝泊まりしていた。
鉱山入り口から少し右に折れた、幅二十メートルの坑道。
兵士達は冷たい風が入り込む坑道にテントを連ね、敵の襲来に備えていた。
そのテント群の中にある比較的大きなテント。そこは軍司令部のテントであり、敵が押し寄せてきた際には、クアッダ王始め将軍達がここから迎撃の指揮をする。
その日の夕方も、いつもの様に見張りの交代に坑道を出てゆく兵士達。
「今日は冷えるぞ。もう一枚着てけ」
「日が落ちる前に、罠の確認は終わりたいな」
出てゆく兵士達の背中を見送った男が、大きなテントに入ってくる。
顎鬚を生やし、全身鎧の背に巨大な板剣を背負った男。
クアッダ王国将軍格、フェルサである。
テントの中で第一将軍ナハト、第二将軍ガビール、傭兵団長イーラ、将軍格フェルサが顔を揃えた。後に言うクアッダ四将軍である。
「士気はどうか?」
そう問うたのは、見事に均整の取れた二メートルに届かんとする巨体ながら、意外な程声が高い無表情な男。第一将軍ナハト。
「十分に高いと思われます。情報部の頑張りに良い刺激を受けている様で」
ナハトは無言で頷いた。
現在ハディート鉱山周辺の見張りは、ラアサがかつて率いていた砂嵐盗賊団からの転向組で組織される情報部一名に、第一軍と第二軍から一人ずつを加えた三名を一組にして編成され、交代で昼夜警戒に当っていた。
前皇帝グラードルが死に、主軍がエラポスに引き上げたとは言っても、グラードル軍の数は未だ三万を数える。
グラードルの意志を引き継ぐ司令官が戦争継続を命じれば、クアッダ難民の捜索が再会される可能性もまだ十分にあった。
「だが先に根地の森を探すのでは無いか?」
剃頭の男が二本の剣を磨きながら口を開く。第二将軍ガビールである。
その隣では地面に腰を下ろした傭兵団長イーラが、全身鎧に身を包み黙々と板剣を磨いている。
「アフマルとリースの話しだと、煙を起こしたりして森に逃げ込んだ様に偽装してくれてるらしいですよ」
「あの二人はちょっと凄い。模擬戦でやられた」
「それ程であるか!」
「オノマで罠作るとか考えらますか?」
ガビールは、二本の剣の手入れを終えて鞘に収めると、苦笑いをした。
「さて、フェルサ殿。今日もやるのである」
「よろしくお願いします!」
イーラとフェルサの二人は、板剣を手にテントを出た。
フェルサが将軍格となってから、時間を見つけては行われて来た訓練である。
フェルサは特異な鬼神だった。
多くの鬼神の様に力押しに頼らず、相手をよく見たカウンターや、状況を利用した戦い方も出来る。力を細く長く使うのが上手く、十時間以上継続して戦闘する事も出来る。
だが、開放が出来ない。
鬼神は元来の怪力と合わせて、開放に因る短期的な超怪力を発揮出来る。
逆説的に言えば、開放での一撃の為に「普段どれだけ上手く絞って戦えるか」が上手な力の使い方の物差しと言える。
だがフェルサは、絞った状態で開放した鬼神に勝る。
二匹のドラゴンとの修行生活の中で、それだけの技術を培ったのである。
「だからこそ」とイーラは思う。
このフェルサが、開放そして大開放を使える様になったら、どれ程の高みまで登れるのだろうかと。
「まだ手加減があるのである!本気で来るのである!」
「全開ですよ!」
広い坑道で板剣を振るう二人の鬼神。
地面には一メートルを超えるクレーターが次々と生まれ、岩の壁はクッキーの如く脆く崩れた。
その激しさは一般兵からすれば常軌を逸しており、遠巻きに戦いを観戦する兵達は、坑道が崩落するのでは無いかと不安になる程だった。
「何を恐れている!お主如きの剣ではワシは切れないのである!」
フェルサは全力を出すことを恐れている。
イーラはフェルサの剣にある戸惑いを感じていた。
精神統一、息吹、開放のイメージ。技術的な事は既に教えた。
フェルサも十分に出来ている様に見える。
だが開放しない。
何かトラウマの様な物が、フェルサの心に蓋をして、開放の妨げになっていると感じたイーラだが、問いただしてもフェルサは特に覚えが無いと言う。
そこでイーラがここ数日試しているのが、極限状態での強制開放だった。
徹底的に疲れさせ、痛めつけ、本能が危機を感じる程の状況を作り出す。
「コォォオオ!行くのである!」
息吹と共にイーラは開放をした。
今迄の倍の速さと力がフェルサに襲いかかる。
圧倒的な破壊力を乗せて襲いかかるイーラの板剣。
空気は歪み、剣先に遅れて衝撃波が襲いかかる。
火花を散らして板剣で斬撃を防いだフェルサは、吹き飛ばされるに任せて坑道を転がり、外へと飛び出した。
「まだ周りを気遣う余裕があるな!これならどうだ!」
コマの様に回転しながら、連続して放たれる斬撃。
遅れて到達する衝撃波をも利用した、一瞬の隙も無い連続攻撃。
二人を追って坑道から出たきた兵達には、イーラが何度切りつけたすら見えなかった。衝撃波を受けて金属音を発するフェルサの鎧。
だが!
開放したイーラの連続斬りをフェルサは尽く捌いた。
板剣を放り上げて無手となり、姿勢を低くして躱し、一歩踏み込んでイーラの腕を突き上げて斬撃の軌道をずらし、跳び上がって板剣を掴み、姿勢を僅かに崩したイーラに頭上から斬撃を見舞う。
ギィィィイイン!
火花を散らして噛み合う二本の板剣。
「ナハト殿!ガビール殿!」
「承知!」
その声に答えて、三本の剣と一つの大盾がフェルサを囲む。
ナハトとガビールの参戦に合わせて後退し、呼吸を整えるイーラ。
強制開放が上手く行かない理由。
それはフェルサの、異様な戦闘センスだ。
初日こそイーラ相手に手も足も出なかったフェルサだが、二日目で互角、三日目で開放したイーラを、四日目からはガビールを交えても危機的状況に持ち込めない。
そして今日。遂にナハトまで参戦しての強制開放挑戦。
二本の剣をゆらゆらと幻惑する様に動かしながら、フェルサの周りを回るガビールと、どっしりと大盾を構えてジリジリと距離を詰めるナハト。
板剣を正中線に構えたまま、二人に挟まれない様に移動するフェルサ。
「ヒャッハー!」
ガビールが二本の剣を振るってフェルサに迫る。
上から下から横から変幻自在に襲いかかるガビールの剣。
対するフェルサは「見」
正中線に構えた板剣を立てたまま、刃や柄や肩甲を使ってガビールの攻撃を捌き、動きを徹底的に見る。
イーラが最も鬼神らしくないと評する戦い方だが、フェルサにしてみれば常に師匠にやられてきた戦法だ。武闘大会後師匠に言われて磨いてきた部分でもある。
武闘大会での敗戦も活きている。
大会ではガビールのカウンターに散々やられた。
あの隙は誘いだ。釣られて攻撃すれば意図的に意識から逸らされた、もう一本の剣が襲ってくる。
「やる度に!ヒャッハー!強くなるな!ヒャッハー!」
僅かに振りが大きくなったガビールの剣に、踏み込んで板剣を打ち付け弾く、そして繰り出される音速を超えた一撃。
ギン!
だが狙いすました一撃は横合いから突き出された剣に阻まれ、ガビールの胴には届かなかった。
「ナハト殿……」
ナハトは大盾を突き出してフェルサを半歩後退させると、ガビールとの間に割って入った。
初めてナハトと対峙したフェルサが感じたのは、一分の隙も無い構えと大岩の様な存在感。
警戒を強めるフェルサに、ガビールが更なる攻撃を仕掛ける。
ガビールの攻撃を防ぐ為に僅かに動かした板剣の、逆の隙を付いて攻撃してくるナハト。長剣で時に突き、時に斬り、大盾でタックルし、殴る。
戸惑いながらも、素早いステップで移動し、攻撃の機会を伺うフェルサは、ナハトの周りを回り、ガビールはフェルサの周りを回る。
「こ、これは……話に聞く星の動きの様なのだ」
「我々第一軍の者は、ナハト様の戦い方を「要塞」と呼んでいます」
「正にその通りであるな」
水を飲むイーラの隣で誇らしげに話す兵士に、頷き返すイーラ。
イーラもナハトと直接対峙したことは無い。対峙するフェルサをつい自分に置き換えて対ナハト戦をイメージしてまう自分に苦笑いするイーラ。
それにしても……とイーラは感心する。
ナハトの防御は芸術の域に達している。
武闘大会に向けて、防御面を強化しようと水如派師範に訓練を受けたが、回避と受け流しに重きを置く水如派とはまた違う……鉄壁とも言える硬質な防御は、長く傭兵として戦場に生きてきたイーラも目を奪われる程の物だった。
鉄壁の要塞が行動を制限し、変幻の二刀が相手を切り刻む。
正に「守」と「攻」の異次元融合。しかもイーラが見る限り、ナハトはまだ本気を出してはいない。
今日こそは強制開放が成るかも知れない。
そんな期待を胸に、イーラは板剣を一振りして戦列に参加した。
「ヒャッハー!」
「ふぅうううん!」
「!!」
フェルサはナハトの大盾を蹴り上げた。ガビールとイーラの攻撃の間隙を縫って。それが如何に凄いことであるかは、ナハトが一番理解していた。
ナハトは自らの胸中に膨らむ疑惑を感じていた。
おかしい。順応性が高すぎる。如何に優れた素質を持っていようと、如何にドラゴンとの鍛錬に明け暮れていようと、達人級三人を相手にここまで戦えるものなのかと。
フェルサの全身鎧は傷つき、腕や足の一部は装甲が外れ落ちている。
それでもフェルサにはかすり傷程度の傷しか無く、既に二時間以上も戦っているにも関わらず動きに衰えは見えない。
フェルサ以外の三人は、交代で水を補給し、息を整えているのに。
ガビールの剣を弾き、イーラの板剣を躱し、ナハトの刺突を回避する。三回に一回は誰かに反撃を試みながら。
「す……すげえ」
「俺は、もう目で追えない」
特訓の様子を見守る兵士達から、ざわめきが起き始める。
ナハトは見た。
フェルサの目を。
その目は半開きでボーっと周囲を眺める様に開かれ、剣先や足運び等の個々の動きを追っていない。
「これは……」
「わぁぁああ!!」
「うわぁ!逃げろ!」
その時、周囲で観戦する兵士達から悲鳴が上がった。
ハッと手を止め、声の方角に駆け出す四人の将軍。
地面を擦る音、黒光りする長い胴体、そして低い枝の高さまでゆっくりともたげられた鎌首。
「大槍蛇なのである!」
「デカイな!」
四人の眼前で鎌首をもたげ、口を開けて威嚇するのは首に一メートルの刺を三本生やした大槍蛇だった。
「猛毒だぞ、気をつけろよ」
「誰かリンクスちゃんとファーリス様に知らせてくれ!」
大槍蛇は四人を警戒しながらも、鉱山入り口にジリジリと迫ってきた。
「鉱山に入る気なのか」
「そんな事はさせない!ここで食い止める!」
「兵達は中の民を鉱山奥へ避難させて、バリケードを築け」
「ヒャッハー!」
ガビールが仕掛ける。
「待て!」
突撃するガビールに大槍蛇の頭が迫りバクン!と口が閉じられる。頭を躱して右側に回ったガビールが首目掛けて二本の剣を振るう。
ギィイン!
自らの意志を持つかの様に動く、首の刺に弾かれる二本に剣。
大槍蛇の頭が右に向く。
ドゴン!
巨大な衝撃に波打つ黒い胴体。
そこには「ふーー」と息を吐くイーラが立っていた。
左のイーラ目掛けて鎌首をもたげる大槍蛇に、右からフェルサが板剣で斬りつけるが、またも刺によって弾かれてしまう。
ガン、ガン、ガン
ナハトが、大盾を長剣で叩いて音を立てながら、大槍蛇の正面からジリジリと距離を詰める。
どの敵を攻撃しようか迷う大槍蛇の尻尾に、ガビールが回転斬りを見舞うも、厚い革を貫く事が出来ない。
「クソ!硬え!」
「刺が厄介だな」
「ポーションの用意を!」
大槍蛇は、正面で音を出し続けるナハトを攻撃目標に定め、S字を描いて頭を振り、牙を突き立てようと迫った。
ガシ!と大盾でブロックしたナハトは五十センチも押され、それでもどうにか踏ん張った。
直後大盾の陰から黒い刺がナハトを襲う。
長剣で二本、大盾を横に回転させて一本、刺を払ったナハトは、大盾で大槍蛇の顎を突き上げた。
上に伸びた頭部にガビールが飛びかかり、目に向けて二本の剣を突き出す。
身を捩る大槍蛇に、ガビールの剣先は僅かに目を外れ、片方の剣が眼の下を微かに傷つけるに留まる。舌打ちするガビールに刺が迫る。
フェルサの板剣が寸前の所で刺を叩き、ガビールを救う。
「離れるのである!」
大上段に構えたイーラの板剣に集まるオーラ。
「山崩しをくらうのである!」
耳鳴りを伴って放たれた大開放山崩しは。大槍蛇の革を僅かに抉っただけで躱された。
「コイツ、この図体で何て早さだ!」
驚愕に足が止まった一瞬の隙。
「しまっ!!」
その瞬間、背後から迫っていた大槍蛇の尾が、フェルサに巻き付いた。




