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88話 コポン

 コポン


 蜜の様に濃いポーションの中、ゆらゆらと浮かぶ翼竜。

 部屋の中は照明に照らされ、昼夜問わず明るかった。

 時間は真夜中。流石にこの時間ともなると、カプセルの前に居るのはリンクス唯一人。


 「それでも左側が良いんじゃの」


 カプセルの中のお兄ちゃんから見て左側、盾剣側に毛皮を敷いて寝息を立てるリンクスを見て、シュタインは微笑む。


 豊かな白い髭に隠れた口元は、上機嫌に緩んでいた。

 ここ数日行き詰っていた数式が、リンクスの悪戯のお陰で一気に進んだのである。


 リンクスが裏に書いた落書き。それを明かりに透かして見ると無駄だった式が削除され、統合すべき数式と勘違いしていた式の順番の入れ替えが見えた。

 脳に走った刺激のままに一気に仕上げた数式を見て、シュタインはうっとりと微笑んだのだった。


 不思議な物で、一箇所が解決すると今まで滞っていた所が連鎖反応的に進展を始める。

 インスピレーション、イマジネーション、イノベーションの三つの壁の間を、激しくバウンドする思考のボール。

 ゾーンと呼ばれる覚醒状態は、スポーツの世界だけの物では無い。

 シュタインはいつにも増して超常的な速さで並列的に作業を進め、自らの研究を進めていた。


 「シュタイン博士、ちょっといいですか?」


 深夜過ぎ、シュタイン博士は机に客を迎えた。

 若きクアッダの英雄、ファーリス・クアッダである。


 「殿下?珍しいの、こんな時間に」


 「殿下は止して……えっと博士、今大丈夫ですか?」


 「並列処理は得意じゃ、大丈夫じゃよ」


 博士は手を休める事無くファーリスに応じる。

 お兄ちゃんやラアサなら見慣れた光景だったろうが、ファーリスは少し戸惑い椅子を持ってきて机の横に腰を下ろすと、暫く博士の手元を無言で見つめる。


 「特殊相対性理論?いや……もっと複雑な」


 「ほっほっほ、まるで時を越えた者の言葉じゃの。この基本式がそう呼ばれれていたのは遥か昔の話しじゃよ」


 ファーリスは「しまった」とばかりに、薄く髭の生えた口元を抑えた。

 翼竜に転生者と知られ、過去世界の単語を聞く機会が増えるにつれ、警戒心と慎重さが希薄になっていた自分に気付く。


 「それで何の話しかの?」


 博士は突っ込まなかった。無意識かわざとかはファーリスには計りかねたが。


 「銃を使った者達に病気の兆候が」


 「兆候とは?」


 「まだ外観には及んでませんが、目や耳に亜人化の兆候が見られます。右目だけ夜目が効く様になったり、右耳だけ新たな音を聞くようになったり」


 「リニューは知っとるかの?ライブラは?」


 短く「いえ」とだけ答えるファーリスに、博士は手を休める事無く簡潔に説明を始めた。


 爆発を封じ込める為に開発された、自己増殖死滅するナノマシン「ライブラ」

 温暖化により目覚めた、遺伝子を書き換える古代細菌(エンシェントウイルス)「リニュー」

 新たな能力を付加されたライブラはリニューの活動を抑制し、武器を失った人類を望まぬ進化から守った。


 「ここまでは良いな?」


 頷くファーリス。


 「そこで銃を撃つ為には、ライブラを騙さにゃならん。じゃからプラズマ状態にして分子を浮遊させる、ライブラは自己の分子構造を保つために機能を停止させる」


 ファーリスは口髭からゆっくりと手を離す。


 「つまり銃を撃つ時は……リニューを抑制してない」


 博士はファーリスを指差し、頷いて「正解」とジェスチャーした。


 「ごく限られた範囲じゃが、リニューが活動するのは確かじゃの」


 「私も……ライブラを停止させた私も……リニューに侵されてる……かも?」


 目を瞑り、長い溜息を付くファーリスに、博士は告げる。


 「ライブラの停止自体は帝国で古くから使われとる。帝国では失われたコトバを遺跡から集め、地下深くのライブラを止めた空間でコトバ本来の音を探り、ライブラの活動する空間で試すんじゃ」


 「帝国はずっと前から銃を使えたんですね!?」


 「そうじゃよ、それに伴うリニュー活動の弊害も知っておった。じゃから帝国はオノマに依って人類世界を一つにして、リニューを撲滅しようとして来たのじゃ」


 コポン


 カプセルでまた一つ泡が弾ける。


 「私は……世界の為に封じられた物を使って戦ったのか!?まるで西暦の時代のガスや細菌兵器を使う様に……何てこった、これじゃ蛮族と同じじゃないか!」


 「知らなかったんじゃろ?でも知った。試されるのはこれからじゃの」


 「試されるのは……これから……」


 ファーリスは両手の親指でこめかみを抑えた。

 前世界の記憶を持ち、今世界の知識を集めた、現実を見る為に西の果て迄過酷な旅もした……なのに。


 「博士……あなたは何者なんですか?」


 「ワシか?ワシはシュタイン。ターナー・ドライ・シュタイン。シュタイン計画第三世代じゃよ」


 「シュタイン計画!?」


 ファーリスは両手をテーブルに付いて、前のめりに博士に顔を近付けた。


 「二度目の世界大戦後の十九世紀、世界の指導者は人類の為に高位知識蓄積計画を立てたんじゃ。延命処置、脳の増量、シナプスの加速化、ニューロンの根拡。秘密の施設で進められた計画じゃったが、世に出てしまった者もおった」


 「……まさか、それがアインシュタイン」


 「シュタイン計画第一世代アインシリーズ、個体名アルベルト。特殊相対性理論を晒してしまった彼じゃの。核分裂のジェレミーバーンシュタイン、生体霊子学のビクターフランケンシュタイン、他にも……」


 「フランケンシュタイン!?あれは作り話でしょ?」


 「ほっほっほ、大衆の知識水位が伴わなければ、先進知識は異端じゃからの。かつて先進的学者は魔術師や魔女と呼ばれ恐れられ、利益を伴う部分知識のみを開示した者は錬金術士と崇められた時代もあったんじゃ」


 ファーリスは驚愕の表情を取り繕う事も出来ない。


 「錬金術と言えば、殿下のおった時代にアルミニウムはあったかの?」


 警戒の色を濃くし目を細めるファーリスに、先生の様に優しく微笑む博士。


 「ここには誰もおらんよ。お兄ちゃんが召喚者なのも知っとる」


 「……ありました。鉄よりも安かったです」


 暫しの逡巡の後、ファーリスは自らを転生者だと認める発言をした。


 「黄金よりも価値があった時代もあったんじゃ。電気が貴重だった時代じゃの。ワシの研究は殿下やお兄ちゃんとも関係がある事じゃ」


 「宇宙の研究と私が?」


 「ワシの研究は、急速に膨張をすすめる宇宙の膨張遅延じゃ」


 「宇宙が広がると何か不都合が?」


 「膨張が早過ぎるんじゃ。そうじゃの……そこの布を丸めた物を宇宙とするじゃろ?縦糸と横糸で編まれた布を幾重にも重ねた世界。それを外側に引っ張るとどうなる?」


 「編み目が……スカスカになりますよね?」


 「そうじゃ、その編み目の隙間は時空の隙間じゃ。世界がスカスカに成る程時を超える者が増え、やがて全く別の次元からの流入も始まるじゃろ」


 「これから益々転生者が増えると?」


 「召喚者は既に結構な数になっておる。高密度の過去世界からの召喚者はこの世界では肉体的に優れとるからの。召喚の儀に依らぬ迷い人も増えとる、短命の鬼神達もそうじゃの」


 「肉体を持ってこなかった転生者はどうなのです?」


 「高密度の霊体……魂とも言うかの?肉体の制御率が高くて、知識も継承しとるし、召喚勇者の様な精神拘束も受けにくいじゃろ」


 イエス!と小さくガッツポーズするファーリス。


 「全く別の次元とはなんです?」


 「知らん事は言えんの」


 「……つまり博士の研究とは膨張のエネルギーを相対反転させて、内側から引っ張る研究……ですか?」


 博士はファーリスの言葉に嬉しそうに頷き、優秀な聞き手を得て講義を続けたのであった。



 コポン


 水と変わらぬ粘度の黄色い液体、その中に浮かぶ青い髪の青年。

 その頭部には沢山の針が刺さり、そこから伸びたコードは、さながら神話の蛇女メドゥサーの様だった。


 彼の名はメントル。

 ここヒエレウス王国で召喚された二番目の勇者だった。


 「再調整はどうか?」


 「は、教皇様。完了しました。これから抜針致します。ただ……」


 「ただ?」


 「思いの他、力への渇望が強く」


 「制御出来れば良い」


 メントルの入ったカプセルを見やりながら、言葉を交わす白衣の研究者と、金糸入りの白い法衣を纏った老人。

 ヒエレウス王国にあって、唯一国王に一切の遠慮を持たぬ老人。

 この老人こそがここヒエレウスの実質的支配者、教皇マティコスである。


 政教一体の為に、建国以来大きな発言権を持つ教会勢力ではあったが、王を凌ぐまでに権力が拡大した訳は、一重に勇者召喚の功績にあった。


 大河アルヘオの上流に位置し、山岳地帯の小さな盆地に建国されたヒエレウス王国は、三千人程が暮らす小さく貧しい国だった。

 切り立った岩に囲まれた盆地の地形から魔獣の襲来を防ぎやすく、狭い耕作地から採れる食料で厳しい冬をなんとか凌ぐ。その程度の国だった。


 そんなヒエレウスを変えたのがマティコスであった。


 マティコスが神官長に就任した年、ヒエレウスは国庫を空にしてある技術を手に入れる。「勇者召喚の儀」である。

 召喚の儀による異世界人の召喚と、勇者の儀による魔獣遺伝子の結合。

 帝国の技術者を引き抜いて手に入れた儀式は、数えきれない程の犠牲の後、遂に成功する。


 カログリア、メントル、ニキティスの三名を勇者として育て上げたマティコスは、勇者の派遣という新たな産業を生み出し、膨大な外貨をヒエレウスにもたらした。魔獣被害は無くなり、租税は軽くなり民衆の生活水準は格段に向上した。


 民衆の支持は王家から教会へと移り、軍の作戦も勇者中心に立案される様になるにつれ、事実上軍部も教会が掌握する様になった。


 王国の繁栄と安定に寄与したマティコスはやがて教皇となり、帝国にも共和国にも侵せれぬ中立国としての地位を確立し、ヒエレウスの実質的な支配者として君臨している。


 その教皇マティコスを先日悩ませたのが、今カプセルに中に浮かぶ青銀の勇者メントルであった。

 頭に刺されていた最後の針が抜かれ、カプセル内の黄色い液体は徐々に水位を下げ始めている。


 「三人の中で最も安定していた筈なのだがな」


 「まさか研究者を脅してまで、自らを強化しようとするとは驚きました」


 命令を無視して雪山に修行に行く等、不安定さをちらつかせていたメントルが凶行に及んだのは、クアッダ王国へ二度目の使者として赴き戻って来てからだった。


 メントルは何処からか手に入れたオリハルコンを持って研究施設を訪れ、研究者の首にナイフを突きつけて自らの強化を迫った。


 このオリハルコンで腕を二本増やせ……と。


 狂気に濁った目に怯え、オリハルコンの骨と魔獣の腱を用いて、腕を作り、培養する研究者達。

 だがいざ移植となった所で、装置の電圧を最大まで上げられて気を失ったメントルは捉えられた。


 そして教皇マティコスよって再調整が命じられ、今は液体の抜けたカプセル内に座り込んでいる。四本の腕を組んで。


 「腕は取れなかったのか?」


 「申し訳ございません。気絶させる為の電圧が高すぎたのか、他に原因があるのか判りませんが、オリハルコンが脊椎と結合してしまった様で……」


 「貴重なオリハルコンを……」


 教皇マティコスは、メントルが何処でオリハルコンを手に入れたか聞き出したかったが、制御不能の状態で目覚める方が危険と判断して、情報収集を諦めて再調整を優先したのだった。

 結果として、クアッダで手に入れたという秘密は守られた訳だが。


 その時、石の階段を鳴らして、地下の研究施設に降りてくる者があった。


 「カログリア……戻りました」


 「戦争やら暗殺やら、大変な事になってるらしいゼ!」


 現れたのは白銀の勇者カログリアと、カログリアを迎えに城外まで出ていた赤銀の勇者ニキティスだった。


 そして教皇マティコスは、ヒポタムス領主とルンマーン王家の死と、黒い暗殺団の暗躍。グラードルのクアッダ侵攻を知る。


 「皇帝めそれ程の大軍を動かしたのか……にしてもクアッダ王国が凌ぎ切ったとの話し、にわかには信じられぬな」


 「う、うぅ」


 「メントル!起きたか!」


 その時蓋の空いたカプセルから出さて、横たわっていたメントルが目を覚まし、小さな呻き声を上げた。ゆっくりと目を開いた彼は上体を起こし、濡れた髪を両手で掻きあげた。下の二本の腕を組んだままで。

 その姿を見たカログリアが声を漏らす。


 「メントル……腕が……」


 「ん?何なのだコレは?」


 教皇マティコスが、荘厳な声でメントルに告げる。


 「メントルよ、お主に新たなる力を授けた。使いこなして見せよ」


 「御意」


 メントルは片手を床に付き、跪いて頭を垂れた。

 再調整を終え安定を取り戻したメントルを見て、二人の勇者は別々の思いを抱いた。


 また三人で戦えると喜ぶニキティス。

 無表情な顔の下で、不安を掻き立てられるカログリア。


 教皇の意に沿わなければ、自分もあのように記憶を整理され人形にされてしまうのでは無いか?何か不満があっても悟られてはいけない。カログリアはそう感じた。


 だがカログリアは気付いて居なかった。

 そう感じる事自体が、既に以前の自分とは違って来ている事に。



 「か〜〜、あったま痛てぇ〜〜」


 「やっと起きたか猿!もう昼だ」


 ベッドから起きた猿顔の男ハヌマーンは、額を抑えたままベッド脇の一輪差しの花を抜くき、コポンと音を立てて花瓶をたぐり寄せると、喉を鳴らして花瓶の水を飲み始めた。


 「ちょっとハヌマーン!それ花瓶……」


 「まだ酔ってやがる」


 ゴンと乱暴に花瓶を置いたハヌマーンは、羽飾りを頭に付けた黒人女性アンケトが差し出すコップを受け取り、中の水を飲み干した。


 「こんなハヌマーン見たの初めてねー」


 「猿より酒強ぇ女、初めてみたぜ」


 「あぁ、コホルちゃん。マイエンジェル……」


 ハヌマーンが虚ろな目を天井に向けて、酒臭い息を吐く。

 リーダーのフレースヴェルグがその視線を遮る。


 「明日には補充の機装が届く。準備しとけよ。次のターゲットはヒエレウスの教皇だ、勇者共は侮れんぞ」


 「結構良い動きしてたわね、白の勇者」


 「白銀よー」


 「どうせ全員赤くなるわ」


 「ちげえねぇ」


 笑いかけた一同は、いつもの卑下た笑いが無いのに気付く。

 ハヌマーンが居ない。


 「何処いった?便所?」


 「……迎え酒して、今夜こそ落とすって出て行った」


 一同顔を見合わせ……。


 「「「バカなのか?」」」


 ちげえねぇ!と今度は盛大に笑う。


 一同は翌朝、二連敗で二日酔いのハヌマーンを見る事になるのだが、まさかハヌマーンが暗殺者を引退して、ここネビーズで傭兵をやると言い出すとは思いもよらなかったのであった。


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