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87話 眠りの翼竜

 コポン


 一筋の泡が、クラゲの様に形を変えながら液体の中を登り、水面へと至る。

 液体の粘度が高いのか、泡の登る速度は遅い。


 「まだ目を覚まさんか?」


 「ずっと寝てるの」


 分厚い金属製の扉を開けて、部屋に入ってきたクアッダ王の問いかけに、透明な円筒のカプセルの前に正座するリンクスが答える。

 カプセルの中に浮かぶのは、管を咥えた翼竜。


 「ピクリとも動かんが……生きてはいるのだな?」


 「お兄ちゃん寝相は抜群なの」


 場所はハディート鉱山最深部。シュタイン博士がかつて使って居た研究施設。


 総大将グラードルと兵糧を失ったグラードル軍の葬列は、戦意を消失し帝国領エラポスへと移動した。

 クアッダ王国に残る数百の守備隊は、命令も無く不安に包まれたままクアッダ王国に留まったままである。


 一万人のクアッダ難民はグラードル軍をやり過ごし、共和領ネビーズ北東部からここハディート鉱山へと移動して、クアッダ王国に残ったグラードル軍が撤退するのを心待ちにしている。


 金属製の扉が再び開いて、今度はファーリス王子が研究施設に顔を出す。


 「まだ目覚めませんか」


 「ずっと寝てるの」


 「ピクリとも動きませんが……生きてますよね?」


 「お兄ちゃん寝相は抜群なの」


 似たようなやり取りをする親子に、くすりとシュタインが笑う。


 「お兄ちゃんは大丈夫じゃろ。じゃがどうやって兄妹の危機を知ったんじゃ?」


 シュタインが研究の手を止めて、カプセルの前に腰を下ろし冷めたコーヒーをすすった。

 珍しいな、と思いつつファーリスはカプセルの前に腰を下ろす。


 その時、三度金属製の扉が開かれる。

 顔を出したのはラアサ、フェルサ、ガビール、ナハト、イーラの面々だった。


 「おいおい、首脳陣勢揃いだが指揮は誰が取っている」


 「若手の育成も大事なんでねぇ」


 「盗賊団からの移籍組、情報部が非常に優秀なのである」


 ごく自然にカプセルの周りに腰を下ろす面々に、老執事がガシャンガシャンとアタッシュケースを変形させてティーセットを広げる。


 クアッダとリンクス以外が目を剥いて驚く中、老執事は飲み物の注文を聞き、流れる様な仕草で飲み物を淹れ、お茶受けのロクムと共に皆に配る。


 これまたごく自然に、リレー形式でリンクスの元に集まるロクム。


 「ありがとなの、ございますなの」


 丁寧に皆に頭を下げてお礼を言い、ロクムを頬張ってクネクネするリンクスに、皆の顔が緩む。


 シュタインに促されて、救出劇の顛末を語るファーリス。


 「今回の一等勲章はアフマルとリースの二人です。二人は……」


 ファーリスの告げた内容はこうだった。


 根地の森に寝泊まりするチビっ子二人は、退屈さからお兄ちゃんが居ない時でも空の散歩が出来ないかと思い、サルに相談する。

 目を丸くして驚く鉄子を他所に、ハンドサインで巧みにコミュニケーションを取る二人。


 「空軍を作れば兄ちゃんに褒めて貰える」とのアフマルの言葉に、サルは二人の相談を聞き入れ、フクロウや鷲等の鳥系魔獣と、掴まる事の出来る猿系魔獣や亜人集めて、飛行訓練を開始した。


 程なく背に魔獣を乗せて飛ぶことに慣れた鳥系魔獣に乗って、偵察と称して暗くなった空に遠出したアフマルとリースは、炎の立ち上る場所にお兄ちゃんが居ると確信し、空軍編成を褒めて貰おうと近付く。


 そして黒衣の男ミディンに苦戦する、お兄ちゃんとリンクスを発見。

 急いで難民キャンプのクアッダ王に報告し、ファーリスを伴って根地の森に戻って空軍を招集。

 再度難民キャンプを訪れて、どうしてもリンクスを救いに行くと駄々を捏ねていた三十人の鬼神達を拾い上げ、間一髪で救出に間に合った……と。


 「空軍とは……アフマルは今の内からラアサの元で修行に励めば、稀代の軍師として後世に名を残すのでは無いか?」


 「根回しの交渉といい空軍といい、ジョーズの家族はホントに面白ぇな」


 「そう言えばファーリス様、剣……また一本になったんスね」


 「ええ、貸した相手の生存が確認出来ましたので、一旦戻しました」


 ナルホドと言いながら首を傾げるガビール。


 「お前ぇ変な所器用だなぁ」


 ラアサの突っ込みに一同から笑いが起こる。

 報告やら雑談やらが賑やかにカプセルの前で交わされ、丁度時間だと言うのでその場で昼食まで始まった。


 「この鶏肉はスパイスと一緒に地面の中で蒸し焼きにした物だ、ピリッとしてて美味いぞ」


 「この玉子と胡麻をペーストしたフムスは、師匠は食べたこと無いんじゃ?」


 料理の説明をしながら、カプセルに向けて一度見せてから口に運ぶ一同。

 カプセルに浮かぶ翼竜が「俺にも喰わせろ」と目を覚ます事を皆が願っていた。



 「しかし物が高い所ねー」


 「俺の鼻程じゃねえけどな、ひっひっひ」


 「うっせぇぞ猿」


 酒場の奥、入り口と裏口を同時に確認出来るテーブル席。

 壁側に背を向けてテーブルを囲む五人の男女が居た。男三人に、女二人。


 丈夫だけが取り柄の粗末な服を着た彼らは、一見流れ者の傭兵か、どこかの商隊の護衛の様にも見えた。

 だが酒を飲んでいるにも関わらず隙の無い目配りは、一定の水準を越えた者ならば気が付くかも知れない。只者では無いと。


 ここは共和領ネビースの街。夜の酒場。

 そして五人の男女は、黒い機装を駆る暗殺団である。


 「物価が高いって事は、経済が活発って事かしら?」


 「新しい市長代理がやり手らしい。ニザームとか言ったか、ナツメ商会を通さないでエラポスと通商取引をしてるらしい」


 「殺しちゃう?」


 「スポンサーが金出すならな」


 ジョッキを片手に物騒な会話をしているのは、暗殺団のリーダーで灰色短髪の巨漢フレースヴェルグと、長い金髪に豊満な肢体のウルズ。


 「グラードルと鉢合わせしたお陰で、機装も一体パーだし。補給待ちかしら?」


 骨付き肉にかじりついて居た黒髪短髪の黒人と、羽飾りを頭に付けた女が口を挟む。


 「あのジジイ、ヤバかったな。壁抜け止めたり、機装を剣で斬ったりよお」


 「ねー。アレって伝説の宝剣かしら?見た目はショボかったわねー」


 「お前の乳もなひっひっひ」


 「アンタの鼻より高いわよー」


 「ちげえねぇ」


 重ねて鼻が低いと揶揄された猿顔の男も、特に気を悪くした風もなく一緒に笑った所に、追加の酒が運ばれてくる。


 カラン。


 入り口のドア鈴が鳴り、三人の男女が酒場に入ってくる。

 男二人に女一人の一行は、カウンターの幾人かと挨拶を交わし、暗殺団らとテーブルを一つ隔てたホール中央のテーブルに付いた。


 「オヤジ!麦酒を六つだ!」


 「三人ですよコホルさん」


 「どうせ直ぐ頼むんだから一緒っしょ!」


 「まぁ、良いさニザームつまみは何にする」


 三人の男女は黒縁メガネの市長代理ニザームと、その友人の大隊長補佐で眠そうな目のダファー、そして部下の大柄な女コホルだった。


 プッハーと酒気を吐き出して、運ばれてくるやいなやジョッキを一つ空にするコホル。ジョッキを六つ運んできた給仕はその足で空になったジョッキを持ち帰る。


 「噂をすれば……ねー」


 「あれがニザーム……で向いがダファーか。なんだあのデカイ女は……」


 ホールの壁際のテーブルから、コホルの飲みっぷりを見て呆れる暗殺団。


 「しかし、その剣が戻ってきて良かったですね。特別な剣なのでしょう?」


 ニザームは、ダファーの腰に下がる長剣に視線を送る。

 根地の森迎竜戦の最中、味方の撤退を支援する為に機装を纏い、成竜に立ちはだかったダファー。

 折れた剣に変わって抜かれたその長剣は淡く赤い光を帯び、機装が壊れるまで成竜の攻撃を尽く凌いで見せた。

 根地の森に逃げ込む際、全ての武具が没収されそのまま森に保管されていた剣。

 それが今日、ダファーの元に帰って来たのだ。


 「この剣が自分の預かり物だって事を知ってる人は、一握りですんで」


 「私も聞いたことが無いな、誰からの預かり物なのだ?」


 「ウチも聞きたいっしょ」


 「自分がここに来る前、少しだけワハイヤダ特戦隊に居たのは知ってるよな」


 「一月も居なかったっしょ」


 「その前四年程旅に出てましたよね?」


 「ああ、その時俺はある方の護衛として西方に行ってたんだ」


 ダファーはジョッキを煽りながら語り始めた。

 その顔が苦いのは麦酒のせいではあるまい。


 ダファーは五年前、護衛として雇われた。

 十才の少年を守って旅をする、護衛五人の内の一人として。

 当時ダファーは二十才。ダファー以外の護衛は皆四十代の歴戦の強者ばかり。


 大抜擢に鼻を高くしたダファーだが、その訳を直ぐに悟る事になる。

 ダファーはまだ十才の護衛対象の、話し相手として選ばれたのだと。


 自らの腕に相当以上の自信を持っていたダファーだったが、年長の護衛達に及ばないばかりで無く、護衛対象の少年すらダファーと同等の力を持っていた事に、酷く落ち込む。


 知識が豊富で好奇心が強い少年は、ダファーに事ある毎に質問をした。

 社会、制度、風土、風習なんでもだった。

 ダファーの知らない事を何でも知っている風な少年が、ダファーの取り留めのない話しに目を輝かせる。それはダファーを卑屈の井戸から救い上げる手助けとなった。


 魔獣が猛威を振るう西方への旅は、予想を上回る過酷な物だった。

 一年で二人、もう一年で二人護衛が命を落とし、三年目からは少年とダファー二人きりになったが、それでも少年は旅を続けた。


 そして魔獣の群れに囲まれ、ダファーの愛剣が根本から折れ、怪我を負った時、少年は双剣として構えた剣の一本をダファーに預けこう言った。「私はまだまだこの世界を見たい。生き延びてくれ、囮になる」と。


 その言葉を残して、少年は魔獣の群れに突っ込み、赤い軌跡を引いて長剣を振るい、魔獣の群れを自分に引き付け、戦いながらダファーから遠ざかって行った。


 「長剣を二本使い?子供じゃ無茶っしょ!それとオヤジ!テキーラを瓶で!」


 「あの方は、常に私の常識の向こうに居たんで」


 「その後、二人は旅を?」


 ダファーは首を振った。

 その日逸れてから、一年間付近を捜索したが少年は見つけられなかったと。


 「そうですか……生きていればさぞ立派な戦士になって居たでしょうね」


 ダファーはもう一度首を振った。


 「この剣が私の預かり物だと知っているのは一握り。そして剣が私の元に届けられたという事は、あの方が生きて帰ってきたという事かと」


 根地の森に遺棄された武具は、全て魔王に没収されたままだ。

 なのにこの剣だけが、今日ダファー宛に送り届けられた事を、ニザームは不思議に思ってはいた。

 ニザームは、眼鏡の中央を人差し指でクイッと上げて、ダファーに質問した。


 「で、その剣の持ち主とは?」


 「ファーリス・クアッダ……殿下」


 ニザームとコホルは、手にした串焼きをポロリと落とした。


 丁度そこへ運ばれてくるテキーラ。


 「コホル嬢!今日もイイ飲みっぷりだな!」


 テキーラの瓶はテーブルに着地する前にコホルの手に収まり、ショットグラスでは無くジョッキに注がれてから、コホルの喉を通った。


 その飲みっぷりを見た壁際のテーブルから声が溢れる。


 「……いい」


 「は?」


 「……いい」


 猿顔の男はグラス片手に立ち上がり、ふらふらとコホルに近付いた。


 「おい!コラ!猿!よせ」


 「また始まったわねー。ハヌマーンってどうして大柄な女好きなのかしら」


 「いや、デカくて酒の強い女だ」


 はぁぁ〜〜と大きく溜息をついて、目頭を抑えるリーダーのフレースヴェルグ。


 「いやぁ見事な飲みっぷりだお嬢さん」


 声を掛けられてキョトンとするコホル。


 「誰だ?」


 「知らないっしょ」


 お構いなしにコホルの隣に腰を下ろす、猿顔の男ハヌマーン。


 「美しいお姿に豪快な飲みっぷり、もし俺に勝つほど酒が強ければ伴侶にしたいぐらいだ」


 惚れぼれとコホルを見つめるハヌマーンにニザームは「無理でしょう」と短く告げ、ダファーを見る。

 ニザームの視線を感じたダファーは「コホルに酒で勝てる訳が無い」等と朴念仁な答えを口にし、ニザームに溜息を付かせる。


 コホルに言い寄るハヌマーンは、仕事は何だとか好きな食い物は何だとかコホルを質問攻めにし、コホルに適当にあしらわれている。

 宝石でも武器でも好きな物を買ってやるとハヌマーンが口走った時、コホルのぞんざいな言葉使いが変わった。


 「お金持ち?」


 「ん?こう見えても金なら腐るほどあるぞ。仕事は人には言えねぇがな」


 壁際のテーブルで成り行きを見守っていた暗殺団一行は「おいおい」と声を漏らした。テーブルに連れ戻そうとミクトリが黒い体を揺すって面倒そうに立ち上がりかけたその時。


 「じゃあ飲み比べしてウチが勝ったら奢る?」


 「ひっひっひ、もし間違ってでも勝てたら店の全員に奢ってやるぜぇ」


 「奢らせてやるっしょ!オヤジ!ジャングビだ!」


 その声に店内は歓声に包まれ、一瞬にしてコホル等のテーブル以外は壁際に引き寄せられる。ダファーとニザームも苦笑いしつつ、ジョッキと料理を手にテーブルを移動する。

 指笛を鳴らし、テーブルをジョッキで鳴らし、床を踏み鳴らし、ポケットの小銭を漁る客達。


 「掛け金は要らないよ!この人が奢ってくれる勝負っしょ!」


 「ありがてえ!オヤジ!お替わりだ!」

 「こっちもだ!瓶でくれ!」


 壁際のテーブルではフレースヴェルグとウルズが頭を抱える。


 「おいおい、目立つ事するなってあれ程……」


 「手遅れねー」


 盛り上がる店内の「タダ酒確定」な雰囲気に眉をしかめながら、ハヌマーンは気になった事を聞いた。


 「じゃんぐびって?」


 一瞬で静まり返る店内。


 「……アンタ流れ者?」


 店内の雰囲気の豹変ぶりに、暗殺団は一気に警戒を強め忙しく視線を動かす。

 暗殺を生業とする彼らは、各地を転戦する度にその土地の文化や風習を事前に調べ上げる。

 ターゲットの情報を集めるにしても、より目立たない様にする為だ。


 だが、数ヶ月前に集めた情報に「じゃんぐび」なる物は存在しない。


 それもその筈、ジャングビとはほんのひと月前、エラポスとの開戦前夜に傭兵隊長ゼナリオの仕切りよってもたらされた飲み比べの新ルール。「ジャンケンポーーンでグビッの儀式」を縮めた言葉なのだから。


 あの飲み比べから一ヶ月、ここネビーズでは屋台から高級サロンまで、酒を提供する場所でジャングビを知らない場所は無い。


 逃走するか?と腰を浮かせた暗殺団の心配を他所に、客の一人が意気揚々とジャングビのルールと如何に奥が深いゲームかとの説明を始める。

 危うく過剰な反応をしてしまいそうになった自分達に、舌打ちしつつ胸を撫で下ろし、酔い潰れたら負けだが勝ち続けると一滴も飲めないルールに唸る。


 「「「ジャーンケーンポーーン!」」」


 こうしてジャングビは一杯目の勝負が開始された。


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