86話 死闘
俺は黒衣の男ミディン相手に、劣勢に追い込まれていた。
最大の要因は、黒衣の男ミディンが使う認識バグ。
虚像と実体が俺の認識に干渉し、頭を混乱させる。
時折虚像と折り重なり、強烈な威圧を発するせいで、どうしても注意が散漫になってしまう。
ならば!
俺は目を瞑って視覚を遮断し、エコーだけに頼る。
『お兄ちゃん!』
リンクスの声に慌てて飛び退く俺。
直後、俺が居た地面が灼熱地獄と化す。
ヤバイ、グラードルのオノマが聞こえなかった。
周囲に兵士が集まってきて、雑音が激しい。エコーの精度も落ちてきた。
「しかしお前は固いな、殴った感触も音も何か違う」
ミディンは、愉快そうに笑って言った。
さっきは際どかったけどな!……音?
大槍蛇の刺みたいに、視覚と聴覚入れ替えたらエコーより良くないか?
エコーは反射だから往復だが、音が見えるなら片道だ。
虚像は足音も風切音もないだろうし、オノマにも気付ける。
『リンクス!』
『……完了なの』
マジデ?モウ?
リンクスの動きから戸惑いが消え、鋭さが戻ってきた。
虚像に一切の影響を受ける事無く、実体と接近戦を演じている。だが、俺のエコーじゃ正確に捉えきれない。
「ん?何かしたな竜人」
『リンクス!どうやるんだ!』
『えっと……言うの?』
言いづらい事なのかよ!照れた乙女か!
『んと、大脳皮質V2LM第4層のV1とLP入れ替えるの』
……日本語でおk?
何言ってるかさっぱりなんですけど?
『動くな。なの』
あ、このフレーズ聞いた事ある。嫌な感じ。
『強制変換なのーー!』
リンクスは、俺の首筋に強烈な二段回し蹴りを見舞って、あっさり意識を刈り取り、そして意識を回復させた。その間に何かして。
コンボで意識のオフ・オンをされた俺は、その目に音を見た。久しぶりに見る音の世界……遺跡以来か。
目に見える音の世界は、以前より遥かに鮮明で、サーモグラフィーの様な色調なのを除けば、普通の視覚と大差無い程だった。
エコーの訓練の賜物か?音に対する認識力が向上したのかも知れない。
「む、翼竜……お前もか」
俺とリンクスは、二人掛かりでミディンに接近戦を仕掛ける。
前後から挟み込んで尾を振り、盾剣をなぎ払い、爪を突き出す。
黒衣の男は全ての攻撃を髪一重で躱し、防ぎ、ほんの少しの隙で反撃して来た。
『さすがお兄ちゃんなの』
こんなに違うものか!?
認識のズレが無くなった俺とリンクスは、どうにかミディンと戦えていた。
心の動揺が無くなったお陰か、体も軽くなった気がする。
いや気がするってレベルじゃ無い。何だこれ?体の動きも感覚も意識野の広がりも今までにない覚醒状態。モードってやつに突入でもしたか?
『ついでにドパミン出してA9A10のトランポータ閉じといたの』
ドパミン?トランポータ?
リンクスの本気モード状態か!?
ドーパミンが放出され脳内の各神経を刺激する。
本来一度刺激信号を与えたドーバミンは小胞へと戻るが、戻り口であるトランスポーターを閉じる事でドーパミンはドリブルを繰り返し、ニューロンを刺激し続ける。
脳は本来取得情報の選別を無意識下で行い、重要では無い情報に連なるニューロンを休止状態にして過剰な負担を避ける様にできている。
長時間騒音の中に居ると、何時の間にか騒音が気にならなくなる状態がそれにあたるが、ドーパミンのドリブルに因る覚醒状態はニューロンを刺激し続け、無意識下での休止を許さない。
オートマチックから完全マニュアルに切り替える感覚だが、とにかく認識出来る情報量は格段に増え、肉体を制御する内部認識も詳細に把握出来る……って、俺は何言ってんだ?
こりゃすげえ……耳で景色が見えそうだ。
息を止めての攻防が、俺とリンクス含めて三十合に及ぶと、集中する為か無意味と感じたか、ミディンは虚像を使わなくなった。
互いに距離を置き、呼吸を整える。
『目と耳の奥ギュッってすると戻るの』
え?視覚と聴覚?
戻しちゃって大丈夫?ってかそんなんで戻るの?
ギュッ
……戻ったし。
ってまた使ってきたらどうすんだ!?試すんじゃ無かった!
『また強制変換するの』
……使ってこない事を祈ろう。
ミディンの動きがよく見える。筋肉や腱の動きから攻撃の強さと方向を察知して防御し、喉を通る空気や心拍音から、吸気のタイミングを測って攻撃に転じる。
取得情報量が増し、最適化された俺とリンクスの攻撃を、それでもミディンは捌き切る。やはりコイツは強い!だが戦えてる!
バクン!
ミディンが放った突きを防いだリンクスが、ミディンの腕を掴んで喰い付こうとして躱される。
喰う気マンマンかよ。
「大した認識力だ。幼竜共に使う事になるとはな」
ミディンは少し距離を置き、腰間の剣を抜いた。
不格好なまでに分厚く幅広なフォルム、鏡の様に周囲を映し出す刀身。
ババアドラゴンを斬ったあの剣だ。
今なら判る。
あれはオリハルコンだ。それも俺が喰ったヤツじゃない。リンクスを取り込んだ、不純物を吐き出した高純度のヤツだ。
リンクスが左から、俺が右からすかさず斬りかかる。
オリハルコンなら俺の盾剣は防げる。リンクスの爪でテスト済みだ。
低い位置から突き上げる俺の盾剣と、高い位置から振り下ろされるリンクスの爪。爪は銀色に光り、リンクスを映し出す。
振り出されてから伸びる爪。
リンクスはこの必勝のタイミングまで、爪の長さを変化させていない。
黒衣の男が持つ幅広の剣は、コンマ数秒先に突き出された俺の盾剣を弾く為に右に振れた。
いける!
リンクスの爪が伸びたが為の同時攻撃。このタイミングで左右の斬撃には対応出来ない。
勝利を確信したその瞬間、幅広の剣は二本の普通の剣に姿を変え、左右から迫る斬撃に対応した。
嘘だろ!?
右の剣が俺の盾剣を弾く。
体勢が流れた俺は見た。
リンクスに振られる左手の剣の色が違う。微かに青い光を放っている。
あの光、グラードルの剣と似てる!
ギャィィイン
青く光る剣を、咄嗟に爪で受けるリンクス。
剣はオリハルコンの爪に触れると、火花を発し、食い込み、そして切断した。
二本三本と宙に舞うオリハルコンの爪。
リンクスは尾を振って上体を反らし、首筋に迫る青く光る剣を躱した。
「両方とも支配したつもりだったが、失敗したか」
黒衣の男は、右手に持った鏡の様な刀身をした剣を見ながら呟いた。
ババアドラゴンの記憶がよぎる。
オリハルコンの形を変化させる領域を制御、更にそこから表面を変質させて単原子化し切れ味を格段に向上させる領域が支配。ババアの爪は支配状態のミディンの剣によって切り落とされた。
青く淡い光を発する状態が支配か。
リンクスが着地の反動を使って、グラードルに詰め寄る。
途中まで生成していたオノマを諦め、長剣を構えるグラードル。
良く見てたなリンクス、だがその剣は危ない!
斬られた爪を再び伸ばして、グラードルに斬りつけるリンクス。
振られた爪は受けた剣によって切断されたが、勢いをそのままにグラードルの左腕を傷つける。
「ミ・ディン!守れ!」
グラードルに迫るミディンと、その後を追う俺。
リンクスは何と、グラードルを挟んでミディンと対峙した。
グラードルを挟んで交わされる、目にも止まらぬ斬撃の応酬。
リンクスのオリハルコンの爪は、ミディンの鏡面の剣に弾かれ青く光る剣に切り落とされる。
それでもリンクスは、切り落とされる度に新しい爪を伸ばして攻撃を繰り返す。グラードルを、ミディンを。
周囲に乱れ飛ぶ無数の爪。
「うぉぉおおお!」
グラードルは雄叫びとも悲鳴とも付かない声を上げて、必死にリンクスの攻撃を防いだ。
グラードルの足元に突き刺さる、切り落とされた爪。
腕にも頬にも切り傷を受けながらも、グラードルは致命傷を受けていない。
ミディンが双剣を振るって、間に挟まれたグラードルを守りながら、リンクスの全ての攻撃を捌いている。
『無茶するなリンクス!』
俺が何とか割って入った時、周囲には二十本を超すオリハルコンの爪が散らばっていた。
ミディンの背に庇われて距離を取ったグラードルは、兵士達の壁に隠れた。
「「陛下!ご無事で!」」
「陛下!」
ああ、こいつらグラードル軍の中ではグラードル帝国は今も健在で、退位なんて何とも思って無いんだな。
『黒いヤツ強いの』
リンクスがアグレッシブ過ぎる。
前は姿を消して隠れた程ミディンを恐れていたのに、どうしたんだ。
本気モードが強すぎて、攻撃本能が制御出来なくなっているのか?
それは一瞬の出来事だった。
世界が完全な闇に包まれた。
大地も空も光も重力も、全てが失われた世界。
そこに浮かぶ俺。
後頭部が消し飛ぶ程の衝撃。
全身を駆け巡る激痛で意識を取り戻した俺は、世界を取り戻した。
そして、受け入れがたい現実を見る。
切り落とされた盾剣と左の翼。
俺に抱きつく両足を失ったリンクス。
流れ出るおびただしい血。
『お兄……ちゃん』
『リンクス!!』
俺はリンクスの切断された両足を拾い、傷口を合わせ、リンクスの腰のポーチからポーションを取り出して一本飲ませると、残りをありったけ傷口に掛けた。
「竜人に邪魔されたか」
『リンクス!リンクス!しっかりしろ!』
ミディンが歩み寄ってくるが、俺はリンクスを呼び続け、強く抱きしめる。
ゆっくりと少しずつ結合してゆくリンクスの両足。
「でかしたぞ、ミ・ディン!それでこそ帝国の守護者だ!」
グラードルが歓喜の声を上げ、兵士の壁を割って近づいてくる。
周囲を取り囲む兵士から上がる大歓声。
リンクスは俺を庇った。
何かをしたミディンに俺は意識を刈られ、必殺の一撃を放たれた。
そこにリンクスが飛び込んで俺を押し、脳天から僅かにずれた斬撃は俺の左側とリンクスの両足を切断した。
『何でこんなことしたんだ!リンクス……リンクス!』
俺の金の瞳からこぼれた涙は、リンクスの頬にポツポツと落ちる。
リンクスの瞼がピクリと震え、ゆっくりと虚ろな瞳は開かれた。
『あぁリンクス……許してくれ。俺が判断を間違えたせいで』
『お兄……ちゃん』
ミディンは既に俺の直ぐ側に立っていた。
左手に握られた青く光る剣が、ゆっくりと振り上げられる。
「儂に殺させろ」
グラードルの声にミディンは剣を下ろし、二歩下がった。
長剣を高々と掲げて、近づくグラードル。
口角は異様なまでに釣り上がり、残忍な光を発する瞳はまるで獣。
取り囲む兵士から大歓声が上がる。
「おお!遂に陛下が竜殺しに!」
「二匹のドラゴンさえ居なければ、クアッダなぞ滅んだも同然!」
「陛下の復位も直ぐだな!」
その声にピクリを動きを止めるミディン。
「復位……だと?皇帝では無いのかグラードル」
今まさに竜殺しを成し遂げようとしていたグラードルは、不機嫌そうに一旦長剣を下ろした。
「策略の一貫だ、クアッダを滅ぼせば直ぐにでも皇帝に戻る」
グラードルの言葉に、スッと三白眼の目を細めるミディン。
「我が命約は皇帝の守護と成竜の魂の収集。それが眠りに付いた始皇帝との約束だ。皇帝でも無い者の命令で、やっと追い詰めたシエロの逃したのか……」
ミディンは双剣を一本に戻し、背の器具に固定した。
「直ぐに皇帝に戻ると言っておる。そうなったらまた儂の……」
ミディンはグラードルの言葉を最後まで聞くこと無く、剣を変化させた透き通る八枚の翼を微かに震わせて夜空へ飛び立った。
「ふん!堅苦しい奴め。まぁ良い、十二分に役には立った」
グラードルは不機嫌に言葉を吐いて命の恩人を見送ると、血にまみれた二匹のドラゴンに向き直り、長剣を振り上げた。
血を失い過ぎた俺は既に意識が朦朧とし、リンクスを抱える右腕も小刻みに震えている。それでもミディンが居なくなったこの状況で、どうにかしてリンクスを助けられないかと考えていた。
リンクスを支える右腕に伝わる微かなぬくもりと、弱々しく呼吸音。
リンクスの生命力の低下は止まった。
今さえ、この状況さえ逃げ切れば、リンクスは生きられる。
だが、俺の鈍った思考は答えを見いだせず、既に体も動かない。
『済まない……リンクス』
グラードルの長剣が振り下ろされる。
俺とリンクスの死に向けて。
『戻っておいで』
リンクスが囁く。
その言葉に、斬り飛ばされて地面に散らばっていたオリハルコンの爪が、真球に姿を変えリンクスへと飛ぶ。
周囲を映しながら、高速でリンクスに戻ろうと飛ぶオリハルコンの真球。
その内の数個は、軌道上にあったグラードルの体を背後から胸に突き抜ける。
「がっは……!」
左胸に空いた穴から、大量の血を吹き出して立ち竦むグラードル。
長剣を手放して胸の穴に当てた両手の隙間から、どめど無く血が溢れる。
グラードルが何かを呟こうとした瞬間。
俺は最後の力を振り絞って銀のたてがみ一本を操り、グラードルの舌を突き刺し、脳まで一気に貫き通した。
グラードルの後頭部から突き出た銀の針は、力なく糸に戻り、グラードルが倒れるに任せてするりと抜けた。
『お兄……ちゃん……頑張って』
リンクスは鱗の一部を糸に変化させ、俺の切断された腕を翼を手繰り寄せて切断面を合わせる。
既に俺の生命力が限界なのか、切断面はなかなかくっつかない。
リンクスの呼吸も浅く早く、ギリギリ意識を保っている状態だ。
「「「陛下!陛下!」」」
勇気を振り絞った兵士の一人が、グラードルに近付き首筋に手を当てる。
無駄だ。ソレはもう死んだ。
「よくも陛下を!」
兵士は真のオノマを左手に生成しながら、後方に飛び、そして放った。
追従する様に、周囲から浴びせられる様々なオノマ。
ボコ
その時地面が蠢いた。
扉程の土の壁が地面から突き出し、隙間なく左右に数を増やして円形に俺とリンクスを覆った。
オノマに触れて砕ける土壁は、その度新たに生成され俺達を守り続ける。
「リンクスたんをお守りしろ!」
「「「おおお!」」」
「サル殿!鳥獣達に攻撃命令を!」
『了解ファーリス殿、みんな!兄上様をお守りするウキ!』
夜空に響く魔獣の咆哮は、グラードル軍の兵士を怯ませた。
「うわぁぁああ!」
「魔獣の大軍が!!」
突然の魔獣の襲来に乱れるグラードル兵。鳥系の魔獣数百が急降下してその爪でグラードル兵を引き倒し押しつぶす。
鳥系魔獣の背から飛び降りて敵中に躍り込むのは、漢猿を始めとした猿系の魔獣達。その先頭で赤く光る二本の長剣を振るうのはファーリス王子。
魔獣軍の攻撃は常軌を逸した。
蹴散らし、叩き潰し、引きちぎる。
手加減もスタミナ配分もない全力攻撃。
『兄上様、リンクス様、生きてるウキ?』
サルが土壁の中に降り立ち、手にした袋からポーションを取り出して、六本の腕を使って俺とリンクスにポーションを飲ませ、傷に掛け、包帯を巻く。
『お兄ちゃん、くっつき始めたの』
数十分後、グラードル兵を蹴散らした魔獣達は、俺とリンクスを回収し素早く引き上げた。
俺は命を拾った。
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