83話 アフマル
帝国領エラポス領主オニュクスは、ぬいぐるから出した布を広げ、辛抱強くアフマルの返答を待った。
キョロキョロと二人を見ていたシルシラが、耐え切れずに口を開く。
「どういう事ですカ!?判るように話しテ下さイ」
オニュクスはシルシラの向かいのソファーに座り、必ず元通りにすると約束してから、慎重にぬいぐるみの糸を切っていった。
テーブルに広げられた一枚の四角い布。
丈夫なだけの裏布とは違う、上等な天鵞絨に金糸で見事な刺繍が施してある。
その意匠は黄金獅子。だが帝国国旗の意匠とは若干の差異があった。
「この意匠は帝室にのみ許された特別な物です。そして縁取る金糸の模様は出産を祝う時に使われる物」
「ガ!?……つまりどういう事ですカ?」
「この布は、帝位継承権を持つ者が産まれた時に贈られる、特別な物なのです」
オニュクスはアフマルの目を見ながら、判り易い言葉を使ってゆっくりと説明を始めた。
グラードル前皇帝が、兄である先代皇帝アフト・カサエル・アウグストスの後を継いで、帝位に就いたのが今から十年前。
その時グラードルには随分と黒い噂が立った。
兄帝アフトが原因不明の病で臥せがちになると、正室側室合わせて六人居た子供と、その母親が一人また一人と謎の死を遂げた。
兄帝の子供達が、尽く死亡又は行方不明になったその一月後、兄王は様態を急変させ崩御。
帝位継承権を回復させたグラードルが、帝位に就いたのであった。
帝国では性別に関わらず、皇帝の実子に産まれた順に帝位継承権が与えられる。
グラードルの礼に例えると、帝位に就く直前を除いて最も帝位継承権が高かったのは生後から兄アフトが皇帝に就く前までの間であり、アフトが皇帝に就いてからは帝位継承権は返還される。
それでも大規模な災害や戦争で皇帝一家が死滅した場合は、返還されてた帝位継承権が再度与えられ、帝国を混乱させる事無く永続させる事が定められている。
兄アフトと弟グラードルは別段不仲では無かった。
歴代の帝位継承権を持つ、歳の近い兄弟としてはむしろ仲の良かった方であろう。政に長けた兄と戦に長けた弟が互いに協力し、西方国境を拡大し父を喜ばせ、兄アフトの皇太子指名の際にも「帝城は窮屈で儂には合わん」と皮肉交じりに祝いの言葉を述べたとされている。
皇帝となった兄アフトの掛かった病気が、一体何の病気であったのかは不明とされるが、弟グラードルが宮廷内に盛んに根回しを始めたのは、兄帝アフトが病に臥せた時からだった。
兄帝アフトの実子が次々と失われ、アフトの側近に汚職が見つかって失脚する。
事件を疑う者も人知れず行方を眩まし、兄帝アフトの衰弱に比例して弟グラードルは帝位継承権第一位の地位と、帝国内に軍部を中心とした確固たる地盤を築いて行ったのである。
そして今、傲慢で残虐ではあるが、帝国の強さの象徴としてグラードルは揺るぎない地位を持っている。
私怨による、一時退位などと言う無法が許されてしまう程に。
退位を宣言した一老人が、五万もの大軍を動かせてしまう程に。
今一時的に皇帝の座に君臨するグラードルの息子は、父グラードルを心底恐れており、グラードルの前では「はい、父上」以外の言葉を発した事が無いと陰口を囁かれる程の小心者であった。
歌や絵画に興味を示し、政にも戦にも才覚を見せないこの息子は、帝国内でも軽んじられており、グラードル始め帝国重鎮の期待は息子よりも孫に掛かっていた。
それでも新参謀ピストス程あからさまに軽視する者は稀であり、プトーコスの様に帝国の法に則って敬意を払う者も居る。
グラードルは兄帝を弑逆したのか?
その答えはグラードルの心の中だけにある。
ただ、グラードルが帝位に就いた時、兄アフトの執事を始め医師団や看護師達までも「兄帝をお救い出来なかった」と罪を問われ、死を賜った事実から察するに、無数にある帝室の闇の一つだろう。
「アフト陛下が晩年になって娶った側室の一人に、コキノスと言う赤毛の女性が居たのです。アフト陛下が滅ぼした小国の王家の娘ではありましたが、剣術、オノマ共に優れた才を持ち、聡明で美しい女性でした」
「かあ……」
じっとオニュクスを睨んでいたアフマルが、思わず声を漏らす。
オニュクスは次の言葉を待ったが、アフマルは再び口を一文字に噤んでしまった。
ゆっくりと静かに言葉を続けるオニュクス。
「身重のコキノスは出産寸前に行方を眩ましました。身に迫る危機を感じていたのでしょう。危害を加えようと企んで居た者も、まさか出産直前の妊婦が帝城から姿を消すとは思って居なかったようで、以後コキノスの姿は帝国から消えました」
シルシラは話しに今ひとつ現実味が持てなかった。
帝国の帝位継承の闇と、ぬいぐるみにされた布。
シルシラは言った。その布の意匠が特別な物だとしても、ぬいぐるみが初めからアフマルに与えられた物とは限らないではないかと。
「おっしゃる通りです。もし……もし仮にこの布がアフト陛下から下賜された物だとすれば、アフマル様は先帝アフト様直系の帝位継承権を持つ者。帝国を揺るがす事態になるやも知れませぬ」
オニュクスは、アフマルを見つめて再び問うた。
「ですからお伺いしたのです。本当の名をお持ちでは無いかと」
見つめ合う赤マントの武人と、赤いポニーテールの少女。
アフマルは何度も口を開きかけ、口を紡ぎ、幾万もの言葉からその一語を汲み上げた。
「……兄ちゃん」
アフマルの瞳から涙が溢れる。
「兄ちゃんに……会いたい」
シルシラがそっとアフマルを抱き寄せる。
「アフマル様を保護させて頂けまいか」
オニュクスの言葉に、アフマルは首を横に振る。
「もう独りはヤダ……みんなと一緒にいる……ボク帰りたい」
困ったなと溜息をつくオニュクスに、シルシラが告げる。
「ご主人様ト後日まいりまスので、その時にあらためテ……それまではコノ話しは内密に願えますカ?」
頷きかけたオニュクスは、思い出した様に付け足した。
「この布は誰かに見せましたか?」
「多分……見せてない」
安堵の表情を見せたオニュクスは、プトーコス卿にだけは相談させてくれと頭を下げると、今回のグラードルの挙兵には参加しないと約束し、根地の森まで護衛を付けて、魔王の使いを送り出したのだった。
◇
「ウキッツウッキッツ」
サルの出迎えを受けて、根地の森で四人は合流した。
表情の明るい鉄子リース組と、対照的に暗い表情のシルシラアフマル組。
月の穴と呼ばれる様になった、かつてオリハルコンの真球が降り立った場所に、四人はテントを張る。
アフマルのオノマでお湯を沸かし、茶を飲みながら報告を始める。
「交渉は失敗だったのですか?シルシラさん」
「交渉ハ成功しましタ。ですガ……」
言いにくそうに言葉を濁すシルシラ。
「どうしたのアフマル?アタイのロクムあげよっか?」
「兄ちゃん来てから話す」
心配を掛けていると思いながらも、アフマルはこれ以上何も言わず、自分の膝に額を当てて丸くなった。
こうして帝国軍のクアッダ侵攻に先立っての布石は、確実に打たれたのだった。
ただ、ネビーズ、エラポス共に若干のおまけが付いた事を皆が知るのは、数日後の事になる。
◇
『サル、俺の家族は無事か』
『兄上様、お帰りなさいウキ』
『『『お帰りなさいウキ』』』
クアッダ王の避難民と一夜を過ごした俺は、翌朝根地の森へと翼を広げた。
交渉の確認と、難民の受け入れ準備をしなくてはならない。
月の穴に降り立った俺とリンクスは、家族の微妙な空気に戸惑った。アフマルは赤い目してるけどどうした?
「お腹空いたの?」
リンクスはいつも通りだな。腹へって目が赤くなる生き物とかいるんか。
俺達はネビーズ北の森で、朝ご飯は済ませてきたが。
皆で輪になって座り、有線接続して互いの情報を交換する。
「目茶苦茶な皇帝ですね。でも皆無事みたいで良かったです」
『はぁ?鉄子と眼鏡の市長が兄妹?アフマルが帝国のお姫様かも!?』
鉄子の兄妹は確かに世間の狭さにはビックリだが、妙に固い所とかモフモフが好物な所とか、言われりゃ納得の部分もある。
だがアフマルの話しは、ちょっと……な。
俺はコキノスからそんな話は聞いてなし、コキノスの数滴の血からは記憶の消化は出来ず、断片的なイメージがあの時見えただけだ。
あの時は霊とか、魂とかそんなのだと思ってたが。
そう言えば通話の為に、血を少し舐めただけのクアッダ王やラアサの記憶も無いな。
記憶を覗く事が出来るのは、肉を喰って記憶を消化するか、たてがみを脳付近まで突っ込んでる時だけって事なのか?
にしても、真の名前か。
『どうなんだアフマル?名前とかぬいぐるみとかコキノスから何か聞いてるか』
アフマルはモジモジしてから、重い口を開いた。
「エレシス……エレシス・カサエル・アウグストス。母さまは時が来るまで誰にも教えちゃいけないって」
マジカ
ミドルもファミリーも皇帝じゃねえか。
するってえと何か?
俺はこの世界に来て、一番初めに殺したニンゲンは前職王妃様だったのか?
コキノスの履歴書って、亡国の王女〜帝国側室〜暗殺者なのか?
いや、そこじゃ無い。
ナツメ商会のワハイヤダは、偶然にも対帝国の切り札にも成り得る帝位継承権を持つ子供を手に入れてたのか?しかも牢屋に入れて摂関して。
「兄ちゃん、ボクどうしたら良い?」
『ん?どういう事だ?』
「ボク、昨日寝ないで考えたんだよ。オニュクスってマントの人の話を思い出しながら」
そうか、それでこんな赤い目をしてるのか。
何か可哀想になってきた。
「それでね、ボクが名前を教えればケーショー争いが起きて、帝国軍が引き上げて、クアッダの人は国に帰れるんじゃないかって」
『アフマル……お前そんな事考えてたのか』
「だって……」
『アフマルはどうしたいんだ?』
「ボク……もうひとりはやだ……兄ちゃんや家族みんなと一緒がいい。でももっといっぱいの人の事考えたら、ケーショー争いになった方がいいんだと思う」
こいつは、まだこんなちっちゃなナリして、赤ん坊の時から牢の中で育ったのに、それでも多くの人を気遣う事が出来るなんて。
「ボクどうしたらいい?兄ちゃん決めて。兄ちゃんの言う通りにする」
『アフマル。自分で決めるんだ。大人とか子供とかじゃ無い。自分の人生だぞ、自分で決めないと誰かのせいにして投げ出してしまう事になる』
厳しい事を言ってるのは自分でも分かってる。
だが、これは俺の人生から得た後悔に基づく反省だ。
俺は今まで大事な選択を自分でして来なかった。
親に言われたから高校に行き、周りが進学するから大学に行き、やりたい仕事でもないのに初めは何でも経験だと言われて務めた。
結果、楽しく仕事するのは最初の一年位で、すぐに面白く無くなって辞めてしまう。履歴書の欄に書ききれない程職を転々とし、次第に問題があるから長続きしないと判断される様になって、正規雇用に付けなくなった。
根性が無いだけだと言うヤツも居たが、今なら判る。
俺が分岐点でしていた物は、判断であって決断じゃ無かったと。
機械物が好きだったんだから、高校なんて行かずに近所の電気屋に押しかけちまえば良かったんだ。そこで基礎学力が足りないと思ったら好きな事の為に夜学に通うなり、専門知識を求めて大検受けるなりすりゃ良かったんだ。
周りに流されて高校大学と行く内に、機械への興味も薄れて「こんなもんだ」なんて分かった振りして、本気になる事を恥ずかしく思う様になって……。
『アフマル、大切なのは決断だ、決意だ、お前の心だ。自分のやり遂げる道を自分の心で決めるんだ。……でもな、俺はアフマルが決めた決断を、全力で応援するぞ。アフマルの敵を全部喰い尽くしてでも応援するぞ』
「兄ちゃん……ボク、帝国皇帝より魔王の家族がいい。ダメかな」
アフマルはやっとの事で自分の気持ちを吐き出し、目からはぽろぽろと大粒の涙を流した。
こんなにちっちゃいのに、随分悩んだんだろうな。
『アフマル。お前が皇帝になれば無駄な戦争や殺し合いはしないかも知れない。クアッダの人も国に戻れるかも知れない。だがお前は皇帝じゃ無い。それにクアッダの王様でも無い。そこまで背負込まなくて良いんだ』
俺は少しだけアフマルの気持ちを軽くしてやる。
『アフマル、両手を広げてごらん。鉄子とリースに手が届くだろ?そこだけ守ってやれれば十分だ』
「シルシラさんは?」
『ほら、みんな手を広げたら判るだろ?鉄子は鉄子の世界のアフマルとシルシラを守り、シルシラはシルシラの世界の鉄子とリンクスを守るんだ。リンクスだってあんなに食いしん坊でもシルシラと俺を守れたら十分さ』
むくれて見せるリンクスに、クスッとアフマルが泣き笑いをする。
『でもな』
俺は純白の翼を広げて、皆を包み込む。
『俺の世界はこうして家族みんなに届く。……だからお前達は俺が守る。命に替えても必ず守ってやる』
木漏れ日が優しく家族を見守っていた。
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