82話 伝言
『アイルビーバックなの』
「おおアニキ、リンクスちゃん。国に残った者は無事か?」
帝国軍がクアッダ王国に入った夜、俺とリンクスは空を飛んで、先行するクアッダ王と合流を果たした。
避難民達はクアッダ王の説得に応じ、自分達の育った土地を、愛する国を捨てた。反対する者は皆無では無かったが、クアッダ王の心の込もった説得に時間を無駄にすること無く心を溶かした。
彼ら避難民は夕暮れ前に大河アルヘオの渡河を終え、共和領に入った所でキャンプしていた。
ガビール率いる第二軍は、文字通り不眠不休で避難民の護衛に当っていた。
疲れを緩和し、集中力を保つ為にポーションを連日服用し、中毒の症状が出ている者も居ると言う。興奮状態が抜けずそれを鎮める為に更にポーションを欲する。
だが、そんな中にあっても避難民達のモラルは高かった。
これも一重にクアッダ王のカリスマと言うヤツだろうか。
俺の居た世界のカリスマは、マスコミに作り出された先鋭的な偶像だったが。
「兄貴!無事だったっすね!兄貴の言う通りに火は起こして無いっす」
火は魔獣避けにはならない。それは俺とリンクスが野生児として得た感覚だ。
ガビールは目の下に隈が出来、剃った髪も少し伸びて坊主頭になっていた。お前髪赤かったのか……。赤坊主……スラ○ダンク決めちゃうか?
クアッダ王、ガビール、俺、リンクスにフェルサの嫁イーテアを交えて報告会が始まる。
「そうかファーリスが……流石は余の息子だ」
クアッダ王は、ファーリス王子の戦術や演説、攻城砲の破壊等の活躍を聞いて、ビッシリと髭の生えた口元を綻ばせた。
まぁ、親馬鹿補正掛かって無くても大活躍なのは間違い無い。
ガビールは王国に残った軍の戦いぶりを「すごいっす」を連発しながら聞き入り、イーテアもフェルサの無事を素直に喜んだ。
「所でアニキ、ネビーズの街だが……私達を素通りさせてくれるだろうか?」
『アウトオブガンチューなの』
胸を反らしたリンクスの姿を、月が静かに照らしていた。
◇
時は数日遡り、リンクスらがパライオン川上流の橋で戦う頃。
根地の森を目指す二匹の馬が居た。
二匹の馬は一般的な馬より二回りも大きく、逞しく、そして騎手の意図を良く理解した。
背の上で騎手が眠りに付いても馬達は走り続け、自ら魔獣を避け、首の袋の砂糖を舐めては目的地へと急いだ。
快速を飛ばす黒い二頭の馬は「シロ」と「クロ」と呼ばれていた。
馬上に揺れるのは、二つの巨大な膨らみ。
その膨らみが、ボロボロのぬいぐるみを抱える少女の、頭や肩で弾んでいた。
「ちょっと鉄子!乳ウザイ!ボクを叩いてるでしょ!」
「アフマルちゃん。ウザイとか乱暴な言葉使いしちゃ駄目よ、アニキ様にもおしとやかにって言われたでしょう」
クロと呼ばれる馬の背に乗って言い合っているのは、分厚い胸部装甲を誇る秘書鉄子と、チビっ子三姉妹の長女を自称するボクっ娘アフマルだ。
「シロ寄せて!そっち乗る!」
アフマルは揺れる馬上で立ち上がると、並走するもう一頭の黒馬に飛び移った。
「ちょっと!危ないし」
「大丈夫だよ、ボクだってシルシラさんに鍛えて貰ってるし」
「アフマルちゃん。こっちだケ三人乗りになってしまいましたヨ」
シロと呼ばれる黒馬に乗っていたのは、モフモフの垂れ耳を持つ犬系亜人リースと、浅黒いイケメンで自称奴隷の鉄鎖術の達人シルシラだった。
そこにアフマルが飛び乗ったお陰で、クロには一人、シロには三人という酷くアンバランスな状態になっていた。
「シルシラさんあっちに乗れば良いんだよ」
「平常心ヲ保つ自信ガありませン」
シルシラは、揺れまくる鉄子の胸から目を逸らせずに、そう言った。
「もう、アタイそっち行くし」
アフマルとシルシラに挟まれて座るリースは、こちらもあっさり高速で走る馬から馬へと飛び移った。
チビっ子達は互いに刺激し合い、切磋琢磨して素晴らしい速さで成長しており、その辺の盗賊位なら返り討ちに出来る程の力を身に付けていたが、今回お兄ちゃんから受けた依頼は、戦いとは真逆の事だった。
「モフモフ好きの市長は今日も居るかしら?」
「居ると思う、雨降っても来てたし」
二頭の黒馬は、抜き去った幾つかの商隊を驚かせる程の素晴らしい速さで街道を突っ走り、大河アルヘオに掛かる浮橋を渡り、根地の森をその視界に収めた。
「やっぱり、居たし」
「シルシラさんは、そのまま森に入ってサルと言う名の六手猿にアニキ様の言葉を告げて下さい」
二頭の黒馬は分かれ、リースと鉄子を乗せた黒馬は、森の入り口で魔獣の子と戯れる人物へと直進した。
その人物は全身を草だらけにして転げまわり、魔獣の子と戯れ、満たされた顔で今日もモフモフを堪能していた。
呆れる二人の護衛の視線の先。灰色のスーツ風の服を着て、ズリ落ちた眼鏡も気にせずに草むらを転がる男。共和領ネビーズ市長代理ニザームその人であった。
「何者か!」
護衛の発した、鋭い誰何の声にニザームはモフモフから顔をあげる。
ズリ落ちた眼鏡のせいで、ボンヤリと見える黒馬から降りる二人の人影。
「ニザームさん、アタイのお願い聞いて欲しいし」
「その声はリースちゃん!何でも言って下さい!モフモフさせて下さい!」
勢い良く立ち上がるニザーム。
「ニ、ニザーム……兄さん!?」
その声に眼鏡を人差し指でクイッと上げ、声の主を見るニザーム。
「ハーリス?ハーリスなのか!?」
「え?兄さん!???」
その場の全ての人が驚きに包まれた。
「ハーリス、五年ぶりか?今どこで何してるんだ?」
「どこかで嗅いだ事ある匂いだと思ったら……鉄子の匂いに似てたんだ」
リースは、初めてニザームと遭った時に感じた物を思い出した。
互いが互いに、どんな繋がりかと問いただそうとした時、護衛の兵から声が掛けられる。
「あの……ニザームさん?感動の再会っぽい所申し訳ありませんが、昼休み終わりますので」
感動の再会は、ニザームの午後の執務が終わってから再開された。
ネビーズの街の中心、役所の直ぐ裏手にニザームの家はあった。
白い壁の立派な家は、市長の公邸である。
その市長公邸の広い応接室に、鉄子とリースは賓客として迎えられていた。
「お待たせしましたリースちゃん、本日は我が家にお招き出来たこと、大変嬉しく思います」
「マテマテ、ニザーム兄さん。普通は五年ぶりに再会した妹への言葉から始めるのが普通でしょう」
入り口に衝立が立てられ、ソファーが見えない様にされた応接室。
ワゴンで廊下まで運ばれた料理が、ニザーム自身の手並べられる。応接室には給仕も居ない。
ニザームがリースを気遣って人払いをしたのだ。
帝国領程では無いにしても、共和領でも亜人への差別は強く、リースはネビーズの街に入ってから頭をスッポリと覆う頭巾を被っていた。
気の毒に思ったニザームは、応接室に衝立を運び、料理を運び、三人だけで食事が出来るようにしたのだ。お陰で頭巾は今、リースの傍らに置かれていた。
「それで、リースちゃん。お願いとは何ですか?このニザームに出来る事なら良いのですが」
「だから、どうして私はスルーなんですか」
「昔の様に……ニイニイと呼んでくれぬからだ」
「ニイニイ?」
鉄子は、ハ〜〜と大きくため息をついて、小さい頃はニザーム兄さんだからニイニイと呼んでいた事をリースに告げる。
「ぶっ!」
危うく料理を吹き出しそうになるリース。
見るからに固そうな鉄子がニイニイと呼び、更に輪をかけて固そうなニザームがそれに答える……リースには想像し難い風景だった。
「ニイニイは市長なのですか」
「代理だ。んでリースちゃんのお願いは何ですか?私のお嫁さんになりたいなら市長代理の地位など直ぐに捨てましょう。クアッダ王国なら亜人差別も無いと聞きます。一緒にクアッダ王国で幸せな家庭を築くのです」
鉄子への返事を一秒で済ませたニザームは、直ぐさまリースに向き直って真面目な顔で妄想を言い放った。
「頭湧いてんのかテメエ」
「黒鉄子だし」
リースの言葉にハッとした鉄子は、小さく咳払いをして気持ちを落ち着かせた。
「ニイニイ、私はそのクアッダ王国に仕えて居ます。今はある方の秘書をしていますが……今日はその方の伝言を伝えに来たのです」
「そうか……役人か。昔からハーリスは固かったからな、役人は確かに向きではあるかもな。で、誰だハーリスを秘書にした贅沢なヤツは?部長格の秘書なら十分な出世だぞ」
鉄子は食事の手を一端休めて、ナプキンで口元を拭いてから背筋を伸ばした。
「根地の森の魔王……アニキ様です」
「魔王の秘書だと!」
「アタイのお兄さんだし」
「魔王の妹だと!」
ニザームの鼻から、黒縁眼鏡がズルリと落ちた。
「恐ろしくは無いのか?ハーリス」
「アニキ様は素晴らしい方です。スベスベでひんやりでモフモフでギャップ萌えで無口でとてもお優しい声なのです」
「……何を言っているか判らない部分もあるが、モフモフは正義だ。まさか……魔王にモフモフしたのか!?あのたてがみにモフモフしたのか!?」
ふふふっと勝者の笑みを浮かべる鉄子。
驚愕の表情を浮かべるニザーム。
この二人は何なのだろう?と鉄子とニザームを交互に見るリース。
「鉄子、お兄さんの伝言を……」
鉄子は頷いて秘書の顔に戻り、今回の訪問の訳をニザームに告げた。
クアッダの難民がネビーズ付近を通過し、根地の森に入る可能性がある事。
ネビーズに迷惑を掛けたり、危害を加えるつもりが無い事。
付近を通過する際、一切手を出さないで欲しい事。
難民が根地の森に入った場合、食料や生活用品を売って欲しい事。
ニザームもまた、若く優秀な市長代理の顔に戻っていた。
「その可能性は高いのか」
「アニキ様は、あくまで布石だとおっしゃっていました」
「クアッダ王国は影響力を持つ中立国だ。何故難民が出る」
「五万の謎の軍が迫っています」
「戦わずして国を捨てるのか」
「あくまでも可能性です。交渉の為に一日多く野営する危険をアニキ様は減らす為に、私達を遣わしたのです」
ニザームの問いに、間髪入れずに答え続ける鉄子。
眼鏡に人指し指を当てて、考えこむニザーム。
「五万の大軍……共和国では無い。ここネビーズに何の通達も無いからな。となると帝国しか考えらないが……」
「難民が流入する訳でも無く、経済は活性化します。軍を動かさない事への言い訳もアニキ様が準備して下さっています」
「言い訳とは?」
「根地の森の魔獣の活性化」
「何をする気だ!」
「実際には何もしません。根地の森に動きありとすれば、それに備えて街を軍で固めるのが定石、通過するだけの難民を看過するのも道理かと」
「ごちそうさまでした」
リースは両手を合わせて、空になった器に礼をし、垂れ耳が揺れる。
一方の二人の料理は既に湯気を失っていた。
「私の立場まで考えた、よく出来た申し出だが、もし断ったらどうなるのだ」
「根地の森の魔獣とのモフモフ禁止と、リースちゃんへの面会謝絶です」
「ぐ……それは……」
「リースからもお願いだし」
リースは少しだけ首を傾げて、ニザームをじ〜っと見つめた。
お兄さんから授けられた作戦「見つめニコ」
じ〜っと見つめる時間が長くなるほど、破壊威力が増すチャージ攻撃。
チャージ攻撃の意味は、リースには判らなかったが、十分に見つめてから最後の止めを放つ。
「……お願い、ニザーム」
少し潤んだ瞳に、微笑みを乗せたお願いに、ニザームは敢え無く陥落した。
◇
同時刻、帝国領エラポスの街。
領主オニュクスの館の食堂。
「……と言うのガ、ご主人様ノ伝言でス」
出された食事を綺麗に平らげて、シルシラとアフマルは「ごちそうさまでした」と両手を合わせ、食後の茶を飲みながら根地の森の魔王からの伝言を伝えた。
内容は鉄子がニザームに告げたのと同じものだ。
赤マントの武人オニュクスは、表情を険しくして話を聞いた。
「五万の大軍とは……共和国も思い切った事をする。非戦連合を尽く叩く算段なのか」
この時点ではエラポスにはまだ、皇帝の退位も前皇帝となったグラードルの挙兵も知らせは届いて居なかった。
その為オニュクスは、五万の大軍を共和国軍と判断したのだった。
クアッダ王国への不可侵の約の正式公布を待ち、先日のラアサの訪問の折りに交わされた、商業協定とパライオン川に掛ける橋の準備が進められていたのである。
「失礼致します。たった今、本島より書状が」
茶をすするオニュクスに、執事が近付いてそう告げた。
執事の手元に視線を落としたオニュクスは、眉をひそめた。
「三通だと?」
二通は便箋に、一通は筒に収められ、いずれも帝国本島からの印が記してある。
「お二人には執務室にご同行願いたい」
「分かりましタ」
「はーい」
三人はオニュクスの執務室へと移動した。
二人に茶を出し、オニュクスは机に付いて手紙を開封する。
「破廉恥な……」
三通の手紙に目を通したオニュクスの表情は、苦かった。
それぞれの手紙はこうだ。
一通は皇帝グラードルの退位と、それに伴うグラードルが結んだ条約の破棄。
一通は前皇帝グラードル直筆の、クアッダ王国討伐参加への檄文。
そして一通はプトーコスからの私的な手紙で、今回のグラードルの行いは私怨に基づく物で皇帝の正式な命令では無い事と、プトーコス自身はそれを理由に戦いに参加しない旨を伝えた物だった。
オニュクスは手紙の内容を、魔王の使いに伝えるべきか、あるいは何処まで伝えるべきか悩んだ。
「シルシラ、見て見て!びろ〜ん」
「また解れてしまいましたカ。またマルヤム様に縫って貰いましょウ」
縫い目の解れたぬいぐるみから、中の布を引っ張りだして遊ぶアフマル。
その布をオニュクスが見咎めた。
「アフマル嬢、宜しければそのぬいぐるみを貸して頂けますか?」
「いいけど返してね。ママの形見だから」
アフマルは引っ張りだした布を押し込んで、ボロボロのぬいぐるみをオニュクスに手渡した。ぬいぐるを受け取るオニュクスの、妙に丁寧な手つきにシルシラは違和感を覚える。
ひどくゆっくりと、丁寧に、ぬいぐるから布を引き出すオニュクス。
その手が微かに震える。
「このぬいぐるは、母上の形見とか?」
「そうだよ」
「母上の名は?」
「コキノスだよ?どうして?」
今やぬいぐるは殆ど裏返しになり、中の布は大きく広げられている。
「アフマル様、あなたはもう一つ別の……本当の名をお持ちでは無いですか?」
静かに問うオニュクス。
アフマルは、小さな口を一文字に噤んで、オニュクスを睨んでいた。
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