80話 臨界戦
「戦争してるわよ」
「何でだよ」
「オレに聞くな」
声の主達が居るのは、丘の上。
見下ろす眼下には、西方へと伸びる街道。その先には、水が流れていない円形の用水路に囲まれた大きな街が見える。クアッダ王国である。
彼らが居るのは、イナブの街からクアッダ王国へと続く街道のクアッダ寄り。ハディード鉱山への脇道から程近い、小高い丘の上だった。
丘の上の人影は五つ。皆揃いの黒い革で出来た衣服に身を固め、コーグルをしている。
長い金髪をなびかせた、豊満な体をした女がゴーグルを外す。
「戦争の引き金としての要人暗殺じゃなかったの?」
「ああ、これは聞いてないな」
答えたのは、一際体格の良い灰色の髪を短く刈り込んだ頭をした男。
革の衣服の上からでも、隆々とした肉体が伺える程に筋肉が盛り上がっている。
そして彼らの衣装の左胸と肩には、白くナイフの模様が描かれていた。
灰色の髪の男の隣に立つ、男女が口を開く。
「戦争中だと潜入は厳しいわねー」
「あ?また弱音か?ひっひっひ」
「厳しいって言っただけでしょー、ちょっと慎重論言や直ぐに弱音だ弱気だ言って。あなたみたいなバカが、今日まで生きてる奇跡を神に感謝しないとねー」
「神に愛されてるからな。ひっひっひ」
慎重論を唱えた女は、黒い肌でくせ毛の黒髪を後ろに一本に束ね、頭に羽飾りを着けていた。
卑下た笑い声を上げるのは、浅黒い肌に黒髪の坊主頭な猿顔で小柄な男。
そんな二人の会話に割り込んだのは、黒い肌をした短髪の男。
「うっせえぞ猿、神にも悪魔にも嫌われてっから、こんな世界に居るんだよ」
「ちげぇねえ」
三人は、白い歯を見せて笑った。
「どうするの?フレスヴェルグ」
「俺達は受けた仕事をするだけだ。もう少し北東から近付いて、夜になったら仕事だ。その次はエラポスの領主だ」
一際体格の良い男は、踵を返しながら仲間の名を呼んだ。
「ウルズ、ミクトリ、ハヌマーン、アンケト移動だ」
スターの様に悠然と歩き出す五人。
背後に停めてあった黒塗りの馬車に引き上げる時、ハヌマーンと呼ばれた猿顔の男はハディード鉱山への脇道に大量の足跡を見たが、特に気にも留めなかった。
◇
『ラアサすまん。上手く押し込めない』
『リンクスは三つ目終わりそうなの』
『ジョーズあんまり無理すんな。リンクスちゃんがウマすぎるだけだ』
塹壕の戦いは斜陽の中、尚も続いている。
リンクスは既に北回りの第三軍までも壊滅する勢いの様だが、俺はダメダメだ。
南回りの軍団を支えきれず、後ろの傭兵団が俺のフォローに回ってくれている。
めんぼくねぇ。
『マップ兵器ないから仕方ないの』
ぬ、マップ兵器とか。確かに。
だが、傭兵団は機装を駆り、波打つ模様が浮いた剣を使って、俺が漏らした敵を上手く防いでいる。
あ、良いこと思いついた。
『ラアサ!イーラの山崩しで押しこめばどうだ!?』
『良い考えだが、そろそろ銃の弾が切れる。撤収の合図見逃すなよ』
俺は帝国兵の隊列の南側外周を低空で飛び、盾剣の一振りで十以上ものニンゲンを真っ二つにしながら、撤収の合図とやらの事を考えた。
俺その合図しらなくね?
まあどうせ俺が殿だろう。
周りを見ながら戦えば……と視線を流した先。
俺は、数えきれない程の光球が飛び交う戦闘を遠目に見た。
あそこは皇帝が居る本隊辺り。何が起こってるんだ!?
◇
「結界を切らすな!左翼!炎のオノマ……放て!」
「人が空を!速い!」
「鼻っ面目掛けて放て!狙ったら当たらんぞ!」
前皇帝率いる本隊五千余り。その中央に位置する本陣。
無数のオノマが飛び交う中を、緑の光の尾を引いて飛び抜ける者が居た。
背中に一房だけ伸ばした黒髪。
まだ十分に生え揃わない髭。
黒い瞳。
臨時防衛司令官ファーリス・クアッダである。
クアッダ王国を包囲せんと南北から進軍する帝国軍は、二匹のドラゴンと途中参戦した白銀の勇者によって前進を阻まれていた。
だが、クアッダ王国の兵力が展開したと見た帝国軍本隊は、前進を開始した。
九番塔の直ぐ側に頭大の石が落下した時、ラアサは驚愕の声を上げた。
銃の射程より遠くから攻撃だった。
「何だありゃ?」
望遠鏡を覗きこむラアサが見た物は、十頭引きの長大な台車に置かれた、直径五十センチ長さ二十メートルにもなる巨大な筒だった。
黒光りするその筒は、鉄でも土でも無い何かで作られ、ゆっくりと破壊の鎌首をもたげ始めていた。その数十五。
ラアサの問いに答えたのは、同じように望遠鏡を覗きこむファーリスだった。
「大砲です。土のオノマで精度の高い砲身と砲弾を作り上げ、風のオノマで飛ばしている様です。しかしこれ程とは……」
ファーリスはラアサに望遠鏡を預け、肩で息を付いた。
「指揮を頼みます。大砲だけでも破壊しないと、作戦が破綻します」
そして今。
帝国軍本隊五千に単身で飛び込んだファーリスは、人智を越えた強さを発揮していた。
地を這う様な低空をバーニアのオノマで高速で飛び、降り注ぐ多種多様なオノマを掻い潜る。
行く手を阻む帝国兵の壁を、赤く光る長剣を水平になぎ払い、二十メートル先の兵まで一太刀に斬り伏せ、大砲へと最短距離で迫る。
キン!
鋭い音を立てて、大砲の砲身を斜めに切り落とす赤い長剣。
「これでは再生されるか……」
尖すぎた切り口を見て、舌打ちをするファーリス。
真の土のオノマを重ねがけして造られたであろう大砲は、砲身までも結晶化していた。斬っただけでは土のオノマで簡単に修復されてしまうかも知れない。
荒い息を整え、大砲下の地面に左手を当て、唇を動かす。左手を中心に光る文字列が生まれ、回転を始める。
「やらせるな!」
鋭い声が響き、ファーリス目掛けて弓矢やオノマが迫る。
首だけで振り返り、長剣で矢を切り払いながらも、左手は地面に当てたまま唇を動かし続ける。
赤、緑、青のオノマが迫る中、ファーリスは長いオノマの最後の句を叫ぶ。
「……貫き通せ!晶槍!」
ファーリスが左手を当てていた場所に、茶色に光る数列の文字列が収束し、ファーリスが離れた直後、地面から太さ五十センチもの水晶の槍が十数本突き立ち、大砲を粉々に砕いた。
「ばか……な……我々が一月も掛けて生成した砲が……」
「何のオノマだ……見たこともないぞ」
「う、狼狽えるな!敵は一人だ!攻撃の手を休めるな!」
喘ぐ兵を叱責する声。
その声を、本陣を素通りされたグラードルも結界の内側で聞いていた。
「土の……オノマなのか?ヤツを生け捕りにしろ!隔離室でコトバを聞き出してやる!」
まともに戦う事さえ出来ていないのに、生け捕りなどと無謀な命令を下すグラードルに、周囲の司令官達は一瞬硬く目を閉じた。
(兵達の命を、忠誠を、陛下は何とも思って下さらない)
そう心で呟いた指揮官達ではあったが、言葉には出来ずただ命令を伝えるだけだった。
「クッ……」
次の大砲を目指すファーリスは、痛みに顔をしかめていた。
先程離脱の際に足に風のオノマを受け、右足の腱が切れたようだった。
氷のオノマで傷口を冷凍止血はしたが、声色を乱してバーニアのオノマの重ねがけに失敗すれば、敵軍の只中に孤立しなぶり殺しに合うだろう。
赤い長剣を振るって、大海を割るが如く帝国兵を切り崩すファーリスは、首を振ってこめかみを抑えた。
「ウーツの剣も持ってくるべきでしたか……この剣は体力を使いすぎる」
倒した敵兵から奪った剣を振るっても、五~六人斬り伏せると直ぐに剣がダメになってしまう。
それでもファーリスは鋼の剣と赤い剣を使い分けて敵兵をなぎ倒し、長い詠唱の時間をどうにか凌いで、一つまた一つと大砲を破壊して行った。
◇
「殿下もすげえな……ジョーズやリンクスちゃんや殿下見てると……オレも大した事無い気がしてくるなぁ」
望遠鏡を覗くラアサが、頬を掻く。
「第一軍!十・五号塔から出撃!リンクスちゃんと勇者を休ませてくれ」
第一将軍ナハトが頷き、兵を率いて塹壕を移動して行く。
『リンクスちゃ~んナハト行ったら一回戻ってくれ。勇者の動きが怪しくなってきた。相当疲れてるんじゃねえか?』
『なはと?』
『モアイだ。リンクス』
『ラジャなの』
『ジョーズはまだいけるのか?』
『大丈夫だトカゲも落ちてるし』
「わっはっはっは」
ラアサは大声を出して笑った。
銃の射程範囲に押し込む作戦を、上手く出来なかったと申し訳無さそうに言うジョーズだが、あれだけの大軍のど真ん中で五時間も戦い続けるなど、他の誰に出来よう。
だが時々ジョーズの「痛ってえ」との声が聞こえてくる様になった。
奇跡的に死者こそ出ていないが、戦えない程の怪我人も増えてきた。
銃弾も底を付き、電源タンクの撤収も始めている。
『ジョーズ、殿下とは話せないんだったよな?』
『ん?ああ無理だ。どうした不味い状況か?』
『さっきから大砲の数が減って無ぇ。そろそろ潮時なんだが、殿下が深入りし過ぎてて孤立するかも知れねぇんだ』
『悪いラアサ!何して欲しいかだけ、痛って!こんにゃろ!言ってくれ』
『大丈夫か!?殿下と合流して引き上げてくれるか』
『ここは?俺が抜けたら保たないぞ』
「フェルサ!例の気持ち悪い盾持ってイーラの部隊十五分で良いから休ませてくれ!機装の充電が終わる」
『聞こえたぞラアサ』
「おおっと」と首をすくめるラアサの下を、大盾を持った部隊を率いて走り出すフェルサ。
フェルサの大盾部隊は、徒歩でありながらその快速を活かして、北に南に部隊の交代の隙を埋める形で動きまわり、百未満の遊撃隊としては異例の戦果を上げていた。
そして隊員たちの動きも、互いに絶対盾を見ない様にしながらも、敵を追い立て、無力化し、確実に倒す動きに徐々に洗練されて来ていた。
中には競走馬の着けるブリンガーもどきを、自作して被っている者もいる。
「フェルサ!イーラには大開放使わせるな」
「了解!」
フェルサが高々と右腕を上げ、背中で答える。
『って事でフェルサ行ったら、殿下を頼む』
『分かった』
◇
程なくして、俺の後方から意味不明の叫び声が聞こえてくる。
ハイパー呪画粒子砲
俺のマップ兵器はコレだったか。
くるりと振り返って大盾を見る……上手く描けてるじゃん。
ドラパンマウス。
そのドラパンマウスが描かれた大盾から、恐慌をきたして我先にと逃げ出す帝国兵。
何かちょっと悲しい気持ちになったが、やる事やろう。
王子の撤収支援だ。
俺は飛び立ち、高度を上げて上空から王子を探す。
周囲は既に薄暗くなっていたが、王子の居場所は直ぐに分かった。
あそこだけ花火の様に光球が飛び交っている。
おびただしい数の、色とりどりの光球が一点に向けて飛ぶ。
すげえ数だ!王子大丈夫か?
急行する俺の行く手の、二十メートルはある長大な筒が崩れ落ちる。
直後大量のオノマが、膨大な熱や暴風を巻き上げる。
巻き上げられた砂塵から、一筋の緑の光が離脱し、力なく地面に落ちた。
そこに向けて新たな光球が降り注ぐ。
おい!王子!動け!
俺は咄嗟に殺意を開放して、敵陣を乱しながら地面に転がる王子へと一直線に飛ぶ。視界は……大丈夫だ赤くない。
ドスン!
土煙を上げて、俺は王子の側に着地した。
王子は酷い有様だった。
全身は黒く煤け、至る所に火傷の跡がある。大小の裂傷を冷凍止血した跡。浅い呼吸がうつ伏せに倒れた王子の背中を小さく上下させている。
貧弱な癖に無茶しやがって。
全方位から降り注がんとする光球を見上げ、俺は両手をダラリと下げ、翼を畳んで、金の瞳を閉じる。
いけるか?
俺は全神経を銀のたてがみに集中する。
銀糸の一本一本に意識を通わせ、すべてを制御するイメージ。
銀のたてがみは、静電気を帯びたかの様に立ち上がり、細く細く目に見えぬ程細くドーム状に伸びた。
消えろ!
バシッ!
ドーム状に伸びた銀糸の先から雷がほとばしり、飛来する光球全てを霧散した。
場を静寂が支配する。
全方位から襲いかかっていた無数のオノマが、発動することも無く消えた事に、誰もが言葉を失い、目を疑った。
「「ぐぁああ!」」
オノマが消えた空を、惚け見るオノマ兵から悲鳴が上がる。
腰から真っ二つにされるオノマ兵。立ったままの下半身の足元に上半身が落ちる。
戦闘中にボーっとするとかバカか。
俺は王子を右腕に抱え、渦巻き状に低空を飛びながら、オノマ兵を盾剣で斬りまくり、大砲を蹴り倒す。
何度も深呼吸をして、膨らみかけた戦いへの欲望を鎮めながら、俺はラアサの元へと急いだ。
『ラアサ、王子が重症だポーションの風呂が要るレベルだ』
『準備しとく。もう限界だ撤退してくれ』
笛の様な音と共に光が空に複数上がり、クアッダ軍は一斉に後退を開始した。
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