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78話 ハジィース

 帝国軍は三キロの距離を後退して、軍の再編成を図った。

 一時、ニキロ後退した地点に陣を張ろうとした所、オノマ兵の胴体に立て続けに大穴が空いた為、余計に一キロ後退したのであった。


 僅か数十分……一度の突撃と一度の後退。

 たったそれだけの事で、突撃騎兵二千五百、軽騎兵四千、歩兵三千が戦闘不能。

 突撃した帝国軍三万余の内、三割に当たる損害である。


 陣地中央に円形の人工物があった。

 直径二十メートルの大きなテント。遊牧民の使う移動式住居である。


 そのテントを覆う魔獣の革が、ビリビリと震えている。


 「あり得ん!たかが千の敵にこうも一方的にやられるなぞ!」


 テントの中を動き回るグラードル前皇帝は、テーブルも椅子も従者も、手当たりしだいに殴り蹴飛ばした。悲鳴を上げて許しを請う従者は、声を上げなかった従者以上に蹴りつけられている。

 長いマントの将軍や短いマントの軍団長ら指揮官達は、足を肩幅に開いて手を後ろに組み、真っ直ぐに正面を見据えたまま動かない。


 「捨てて来い」


 執拗に蹴られ続けた従者がグッタリと動かなくなり、他の従者によってテントから運び出されると、グラードルはようやく落ち着きを取り戻して、仮の玉座に座った。


 「現状を報告しろ」


 「はっ!戦闘可能な兵員は、騎兵千五百、オノマ兵二百五十、歩兵約二万です!」


 「約じゃと?」


 報告する兵をギロリと睨むグラードル。


 「い、一万九千で御座います!」


 長いマントを羽織った将軍が挙手して発言を求めると、グラードルは顎をしゃくって発言を許した。


 「到着が遅れております第三軍と第五軍、それにエラポスからの増援を待っての、包囲殲滅が賢策と思われます」


 「愚か者め。時間と休息が欲しいのは、数の少ないクアッダの方だ。そんな事も知らず、まともな策も立てられずに将軍か」


 グラードルの表情が険しくなり、対照的に将軍の顔が青ざめる。

 グラードルの左手が腰の剣に置かれ、小さな金属音を立てると、場の空気が凍りついた。


 「皇帝陛下」


 指揮官達の列の最後方に立つ、短いマントを羽織った男が手を上げる。

 顎をしゃくるグラードル。


 「小官はピストスと申します。発言をお許し頂き誠に……」


 「名など聞いておらん。策を言え」


 指揮官の列が開き、ピストスと名乗った男がグラードルの目に晒される。

 剃った頭、白い肌、前皇帝を真っ直ぐに見据える茶色の瞳。


 「申し上げます。銃の数は三百程が限界かと思われます」


 「訳を言え」


 「申し上げます。クアッダ軍の中で銃を装備していたのは中央部だけでした。もし千を超える銃を保有するならば、全軍に銃を持たせ限界まで引き付けて攻撃する事で、より大きな戦果を上げられたからであります」


 グラードルは白く長い髭を撫で下ろした。


 「続けろ」


 「申し上げます。銃の脅威的な火力を分散させ、敵の指揮系統を圧迫する為に軍団を千づつに分けて再編してクアッダを完全に包囲、全方位から同時に進軍するのです」


 ピストスはグラードルの目を真っ直ぐに見つめたまま、直立不動で続けた。


 「オノマ兵は皇帝陛下と共に結界を張りつつ西南西より進軍、騎兵は正反対の東北東から歩兵の後に進み、銃の攻撃が中断した隙に一気に距離を詰めます」


 髭を撫でていたグラードルは、ふと思った事を口にした。


 「キサマ……確かプトーコスの下におったな。プトーコスはよいのか?」


 帝国軍特務遊撃隊隊長プトーコス。達人級の弓の名手であり、やたらとゲンを担ぐ青いバンダナの初老の武人。

 前皇帝と翼竜との出会いに深く関わった彼は、この戦いに参加していなかった。


 「申し上げます。小官は帝国では無くグラードル皇帝陛下に忠誠をお誓い申し上げております。プトーコス卿の様に、ほんの一時譲位されただけの者の命は聞けませぬ」


 指揮官達はざわついた。

 今の発言は、新皇帝を軽視するものでは無いかと。


 今回の挙兵が私怨であり、グラードルの退位が条約違反を回避する為だけの一時凌ぎなのは、公然の秘密であった。

 だからこそ、クアッダ攻略後に復位するであろうグラードルの挙兵に逆らう者は殆ど居ない。プトーコスら極少数の堅物だけが「新皇帝の命令無し」として今回の戦に参加しなかったのだ。


 だが、いかに一時の地位とは言え、新皇帝はグラードルの息子。ゆくゆくは再度皇帝の地位に登るであろう人物である。軽視する発言をする者は居ない。


 チャキッ


 グラードルの剣が微かな金属音を発し、鞘から抜かれ、切っ先がピストスに迫る。

 テントの中の指揮官達が、息を飲む。

 ピストスは、グラードルの目を見据えたまま動かない。


 金属音を立てて飛ぶ両肩口の留め金と、ふわりと地面に落ちるマント。

 前皇帝は剣を鞘に収めながら言った。


 「司令部に加わって参謀長を補佐しろ。名は?」


 「申し上げます。ピストスで御座います」


 跪いて頭を垂れるピストスに、新しい青く長いマントが与えられた。



 一方のクアッダ軍は緒戦の大勝利に沸き立って……いなかった。


 「殺してしまった……」

 「人が……あんなに簡単に……」


 塹壕の中、銃を抱え、力なく地面に腰を下ろす者達。

 その中にたいそう立派なアゴを持つ男がいた。

 クアッダ王国一美味いロクムを作る妻を持ち、武闘大会でリンクスと戦った男。

 土木部のザクンである。


 「うっ……おえっつ」


 塹壕の外に折り重なる帝国兵を見て、ザクンは嘔吐した。

 その嘔吐物を見て、あるいは匂いに釣られて、嘔吐する者が続く。


 「なんで……なんで戦争なんか仕掛けて来るんだよ」

 「俺の手は真っ白なのに……魂は血に……」


 クアッダを囲む塹壕の最西端、九番塔の上からその様子を伺う者達がいる。

 司令官ファーリス、軍師ラアサ、第一軍将軍ナハト、傭兵団長イーラ、将軍格フェルサの五人である。


 「部品交換と弾薬の補充は終わったけどよぉ……どうだいアレ」


 「どんなに勇敢でも、初めて人を殺せば……ああなるのである」


 「そうですね……私の策が甘かったのかも知れません」


 「銃を撃つ訓練はしても、兵士じゃないですからね」


 塹壕の中で銃を抱えて塞ぎこむ者達は、土木部を中心に志願者を募って編成された者達。人を殺したのは初めてと言う者達が殆どだった。


 彼らは愛する者を守る為に武器を取り、虐殺者となってしまった自分に恐れ慄いていた。

 ほんの少し指先に力を込めただけで、何十という命を奪い、それに連なる何百何千という運命を変えてしまった事に、良心が自らを責め立てる。


 今荒野に躯を晒し、光も未来も見ることの無い瞳を見開らく敵兵。

 彼らにも、自分達と同じように愛する妻や子がおり、死の知らせを受けて嘆き悲しみ、悲嘆に暮れた人生を送るのではないか。


 今、帝国の再突撃があれば、何人の者が再び引き金を引けるだろう。

 仲間が殺され、自分が死にそうになれば自ずと引き金を引くかも知れない。

 だが、今のクアッダ王国の兵力では、そうなった時点で負けである。


 「師匠の盾がもっとあれば、別の作戦も立てれたんですが」


 やぐらの上の一同は、腕を組みため息を付いた。

 何とかして、戦意を高揚させ士気を高めなければとは思うが、それが酷な事を誰もが知っていた。


 『苦労してるな、ラアサ』


 「うお!?ジョーズか!どこだ!?」


 「アニキ殿か!」

 「師匠!?」


 『上なの』


 ラアサに釣られて、一同が身を乗り出して上空を見上げた時、塹壕の底で土煙が上がる。

 空を見上げる一同をよそに、塹壕の中、揺らいだ空気から姿を現したのは二人のの兄弟だった。



 『……おい、いつまで空見てる。下だ下』


 「無事だったかぁ!」

 「待っていたのである!」

 「師匠ぉぉぉおおお!」


 やぐらから次々に飛び降りる一同。

 フェルサがうるせえな。


 今の俺はモードD飛竜のまま、リンクスの光のオノマでニンゲンの姿に変えて貰っている。飛竜の姿で降下すればパニックになったろうし、こうすればニンゲンの姿のままで銀糸が使える。

 騒がしくなった司令部に、塹壕の中で塞ぎ込んでたヤツらも顔を上げる。


 充血し朦朧とした目、汚物にまみれた口、おぼつかない足元。

 ハイライトも消えてるな。

 あそこに居るのは、かつての俺だ。


 赤毛の暗殺者コキノスを殺し、初めて殺人を犯した時の俺。

 心と体、理屈と良心のバランスが壊れて、どうして良いか分からなかった俺。


 まずは心のケアからだな。


 「有線接続するの」


 『フェルサ、次の物を急いで準備するんだ。ロウソク・お湯・カップ・砂糖・酒だ』


 「大至急ですね!」


 駆け出すフェルサ。


 『王子、SAN値ガリガリ減ってるヤツ集めて、俺のたてがみを額に』


 『はっはっは、SAN値とか。分かりました』


 『ジョーズ?なんだ?さんちって』


 『王子、思い付く限りの事は試すが、最後はクアッダ王の演説が要るだろう。クアッダ王は何処だ?城か?』


 『父上は特務中です。私が頑張るしか無いですね』


 『おいジョーズ!さんちってなんだ!?』


 俺は心が病んだ者達を集めて、色々やらせた。


 まずストレッチで体をほぐして、全身の血行を促進。

 鼻からゆっくり息を吸って腹を膨らませ、口からゆっくりと吐かせる。

 薬指以外の手の爪の横を、痛い位に押させてマッサージ。


 「師匠ぉぉおお!持って来ましたぁぁああ!」


 フェルサうるさい。


 カップにお湯、酒、砂糖を入れて溶かした物を配って、ゆっくり飲ませる。

 火を付けたロウソクの炎を見せながら、座禅を組ませる。


 「なるほど……カウンセリングばかりに頭が行ってました。セラピーですか」


 塹壕で座禅を組む者達を、ファーリスが感心した顔で眺める。

 そう、俺がやらせたのはリラグゼーションセラピー。


 専門家じゃないから、こんな思い付く事しか出来んが、まずはリラックスして平静を取り戻す事が先決だろう。


 『大分落ち着いたぞ。お前の出番だ。王子』


 俺は王子を促して、やぐらの上に上げる。

 王子は深く深呼吸をして、座禅を組む三百の者達を見渡し、声を発した。


 「誇り高きクアッダの戦士よ!愛すべき我が民よ!

  我らは私利私欲の為に戦を仕掛ける帝国に屈するを(よし)とせず武器を取った。

  自らの命を捨てる覚悟で武器を取り、戦場に立ったのだ。


  それは帝国軍人とて同じこと。

  自らの信じる物の為に、覚悟を持って戦場に立ったのだ。

  彼らは、殺し殺される覚悟を持った戦士だった。


  対等の戦士として命を掛けて戦い、我らは勝ち、彼らは敗れた。

  過剰な同情は彼らの戦士としての誇りを汚す事になる。


  同じ戦士として、安らかにと冥福を祈るのだ」


 塹壕の兵達は、セラピーを受けていた者もそうで無い者も、膝を付いて胸の前に手を組み、祈りを捧げる。

 ファーリスはここで一旦言葉を止め、冥福の祈りが終わるのを待った。


 「愛する我が民よ。戦いは始まったばかりだ。

  今我らが不法な力に屈すれば、

  我らが愛する家族が、武器も持たぬ戦士でも無い者が命を奪われるだろう。


  愛する者達を守れるのは我らだけだ。

  戦士として誇り高く戦い、愛する者を守ろうではないか!」


 第一軍と傭兵団から歓声が上がり、セラピーを受けていた者達の目にも強い意思が宿って頷き合う。


 ファーリスがちらりと俺の方を見て、演説を続ける。


 「皆も噂には聞いていよう。

  我がクアッダが、ドラゴンの守護を受けていると言う噂を!


  ドラゴンを恐れる事は無い!二人のドラゴンは我が父の友であり

  今!まさに!我らは守護を受けているのだ!


  紹介しよう!銀の竜人リンクスと根地の魔王アニキを!」


 俺達はファーリスの作った流れに乗って、変身を解き、その姿を晒した。


 瞬時に高まる緊張。訪れた静寂。

 息を飲む音が聞こえる。


 俺はゆっくりと左の盾剣を天に掲げ、純白の翼を広げた。

 直後盾剣の切っ先が、太陽の如く強烈な光を発する。


 「ドラゴンの守護だ!戦うぞ!」


 フェルサが叫ぶ。


 「「ドラゴンの守護だ!戦うぞ!」」


 第一軍と傭兵団が続き、雄叫びが全軍へと広がる。


 「「「戦うぞ!戦うぞ!」」」

 「「「おおおおお!!!」」」


 大歓声が上がり、千二百の拳が天へと突出された。

 クアッダ全軍に士気がみなぎり、皆励まし合って装備の点検や作戦の確認を始める。


 満足気に軍を見下ろすファーリスと「すげぇな」と口の端を上げるラアサ。


 それにしても……見事な演説だファーリス。

 流石は転生者。……いや、クアッダ王の息子か。


 俺ももう「出来るだけ殺さない」とか甘えた考えは捨てよう。

 ファーリスの言う通り、敵だって覚悟を持って戦場に立ってるんだ。

 俺が見逃した敵が味方を殺す。それは俺が味方を殺すのと変わらない。


 「アニキ殿、光る剣はあの時(・・・)見せませんでしたが、どんな技なのですか?」


 ファーリスがやぐらから降りてきて、俺の銀糸を額に当てる。


 『エフェクトなの』


 『ナイスな演出だったぞリンクス』


 「エフェクト?」


 そうあれは盾剣が光ったのではなく、リンクスが切っ先に合わせて出した光のオノマだ。あのタイミングでは最高の演出だったろう。


 「おいジョーズ、さんちとえふぇくとってなんだ?」


 しつけえなラアサ、後で教えてやるから。今はやることあんだろ!


 「父上からの親書です」


 ファーリスが懐から封筒を取り出して俺に差し出す。

 いや、俺、字読めないから……ってあれ?読めますけど。

 あ。ババアのドラゴンの記憶か。


 ……なるほど……やはりそうしたか。俺は親書に目を通しながら二人の会話を聞いていた。


 「後は帝国軍の増援がいつ到着するかですね」


 「だなぁ、三軍と五軍とエラポスからも来るって情報だぜぇ」


 俺は親書から目を離さずに言う。


 『三軍と五軍は丸一日は掛かる、エラポスからは援軍は来ないぞ。あと掴んでるかも知れんが共和国はまだ大規模な動きは無い』


 ぱちくり。


 瞬きをして俺を見つめるラアサとファーリス。


 「は?何やったんだぁ?また面白い事やってやがるな?」


 ラアサはニヤリとヌケサク顔になり、身を乗り出した。

 その時。


 「帝国軍に動きあり!距離を保ちつつ南北に分散!」


 「ラアサ殿!」


 「その手で来たかぁ、殿下!指示書の伍ノ参です」


 青空に日が最も高く登った頃、クアッダ軍対帝国軍の第二ラウンドは始まった。



副題のハジィースはアラビア語で「演説」のつもりで付けました。

間違ってたらごめんなさい。

正解ご存知の方いらっしゃいましたら、感想にでもご連絡頂けると助かります。

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