77話 旭日の雷鳴
布陣する事無く、クアッダ王国へと突進してくる千の騎兵。
それに対してフェルサは八十の歩兵に布を掛けた大盾を持たせ、横一列になって前進を開始した。
まともにぶつかれば、ひとたまりもない戦力差である。
騎兵から数百の矢が放たれたが、少数のクアッダ軍は大きな盾に身を隠して、尚も前進を続けた。
その前進が止まる。
距離は百メートル。昼ならば敵の顔が見える距離。
謎の軍の指揮官は疑問を持った。これまで矢の雨を受けながら、ジリジリと前進を続けたクアッダ軍が、この距離で止まった事に。
「罠でしょうか?」
「そう思わせて時間を稼ぐつもりやも知れん。オノマ兵!」
謎の軍は一時足を止め、多数の光のオノマを飛ばして辺りを照らし、両軍の間の地面に火矢を放って罠の有無を確かめた。
「やはり心理戦か、少数の軍がやりそうな事よ。突撃!」
号令一下、突撃を再開する謎の軍。
クアッダ軍は動かなかった。
謎の軍が迫る。
八十メートル、五十メートル、三十、二十。
「今だ!」
バッと音がして、クアッダ軍が構える大盾から布が取り払われる。
大盾に描かれてたのは……。
青い頭で首に鈴が付いた何か。
赤い頬で茶色い顔の何か。
黒い大きな耳の何か。
「「「ひっ、ひゃわあわ○X△……」」」
大盾に描かれたモノを見た謎の軍は、恐慌をきたした。
狂った様に暴れる馬から次々に落馬する騎兵、落馬した後武器を放り出して逃げる者、漏らす者。
いずれの者も、意味不明な叫び声を上げている。
「指揮官だな」
すぐ側から発せられた声に、突撃騎兵の隊長は慌てて立ち上がり長剣を構えた。
そこに立っていたのは、鬼神の象徴である板剣を肩に担ぎ、左手で顎髭を擦る赤毛の男。そしてその男の足元には、馬ごと一刀両断された副隊長だった男が転がっていた。
上段に掲げられた板剣を見て、長剣を横にして頭上で受けようとする騎兵隊長。
だが、長剣が頭上に達した時、既に板剣の切っ先は地面に達していた。
縦に裂かれた体を、一メートルのクレーターに沈める騎兵隊長。
周囲では、追撃戦が展開されていた。
馬を失い、重い全身鎧を呪う様にヨロヨロと逃げる元騎兵に、軽装な上に足の早い者を厳選したクアッダ軍はやすやすと追いつく。
僅か八十の兵が、千の兵を追撃する奇妙な光景。
恐慌をきたして徒歩で逃げ惑う騎兵に追いすがり、足にスリングを投じて転ばし、全身鎧の隙間から剣を突き刺すクアッダ軍。
意味不明だった叫びは、断末魔の絶叫へと変わっていった。
深追いを諌めるフェルサの号令が響き、追撃が終わるまでの間の僅かな時間に、謎の軍千は三百余りの死体を残して文字通り潰走した。
「敵軍、反攻の兆し無し!」
塹壕のクアッダ軍から上がる大歓声。戦場へと走る数台の荷車。
大盾を再び布で覆い、引き上げてきたフェルサに、やぐらの上から司令官ファーリスは声を掛ける。
「見事ですフェルサ殿!その大盾には、どんな仕掛けが?」
フェルサは「師匠が……」と口走っただけで、顎髭を掻いて苦笑いをした。
「司令官、敵とまともにやりあうのは無理です」
「何故ですか?」
「敵騎兵の持つ剣は、全てウーツ鋼の剣でした」
フェルサの言葉に腕組みをするファーリス。
「やはり……帝国軍ですか」
ウーツ鋼とはオリハルコン同様に、精製技術が秘匿された謎の高炭素鋼材である。鋼を上回る硬度と独特の粘りを持ち、鉄を斬っても刃こぼれしないとまで言われる、刃物に特化した鋼材。
千の騎兵に尽くウーツの剣を装備させるなど、帝国以外事実上不可能だろう。
回収された武具はファーリスの指示で、第一軍に回された。
奪った武具を装備する第一軍を見てニヤニヤするフェルサに、ファーリスがまた声を掛ける。
「何をニヤニヤしているのですか、フェルサ殿」
「いえね、ガビールの野郎が居たら、盗賊時代を懐かしんでヒャッハーとか言いながら装備するんだろうなと思いまして」
「ヒャッハー……ですか」
塹壕で作業を続ける兵達から、笑いが漏れる。
僅か千二百の兵で、五万の軍勢を迎え撃とうとする彼らの顔には、使命感はあっても悲壮感は無く、戦いへの緊張はあっても死への恐怖は無かった。
天才と称された王子が五年も前から計画した国防の塹壕が完成し、二匹のドラゴンに守護された王国。その事が兵達の心を強固に支えていた。
◇
帝国軍クアッダ侵攻軍の第五軍。
渓谷から街道を東に移動し、クアッダ王国まで徒歩であと二日の地点。
そろそろ騎兵隊が追いついても良い頃なのにと思いながらも、月下の街道を進む第五軍の歩兵部隊。
騎兵や馬車の為に橋が掛けられる前から、人間砲によって渓谷を渡り先行していた彼らは、未だ後続の騎兵隊がドラゴンの襲撃を受けた事を知らない。
その彼らを更なる不幸が襲う。
「は、速過ぎる!」
「明かりをもっと!オノマ兵は!?」
街道を埋め尽くして進む先行した第五軍歩兵。その数二千。
その隊列が混乱と共に崩れた。
ドッ!
鈍い音を立てて歩兵の背中に空く拳大の穴。
その穴の遥か向こう、月下に輝く白銀の人影。
穴がずれ、人影までの間に立つ兵三十人が地に崩れる。
「……同盟……守る……」
突き出されたレイピアの鍔元には、淡い緑の光球が三つ。
白銀の人影は、レイピアを下ろすと同時に背中に手をやり、取り出した面を顔に当てた。
面は形を変え、背中に一房の銀髪を残して、頭部を包み込んだ。
月下に光る、体に張り付くような白銀の鎧に身を包んだ女は、白銀の勇者カログリアだった。
カログリアが再びレイピアを肩口まで引き絞り、手首を捻りながら前方へと突き出す。一直線に細い衝撃が十メートル程走り、線上に居た兵士が倒れる。
「ち、散れ!密集せずに包囲するんだ」
カログリアは、もう一度強烈な突きを放って十人を倒すと、倒した兵からローブを剥ぎとって森へと駆け込んだ。
「くっ、ゲリラ戦か……後続に伝えろ!森にヒエレウスの白銀の勇者が居る!」
不幸な帝国軍クアッダ侵攻軍の第五軍は、軍団全体の状況を把握出来ぬまま、後方を二匹のドラゴンに、前方を白銀の勇者に削られ、クアッダ攻略以前に約三千の兵を失う事となったのである。
◇
「続々と集まって来ましたなぁ、殿下」
「殿下は止めて下さい」
朝日に照らされた、九番塔と呼ばれるやぐらの上。司令官ファーリスの隣に立つのはラアサだった。
眼下の塹壕では、未だに忙しそうに兵が動いている。
「それでラアサ殿、ウーツの武器が騎兵隊だけと言う根拠は?」
「前に帝城におじゃました時なんですがねぇ、空中庭園であわやって状況になりましてね」
「アニキ殿が皇帝のオノマを受けた時だな?」
「ええ、その時俺達を囲んでた二百の兵は、皇帝直属の親衛隊のはず。ですがウーツの剣を持ってたのは四人だけ。動きを見るに十人で一つの小隊でしたんで、中隊長クラスだけが持ってた訳で、そんなに数は無いだろうと」
ニヤリと口を歪めて、いたずらっぽい顔になるラアサ。
対照的にファーリスは、口をへの字に結んだ。
「良くそこまで……。貴方が父上の友人で良かったと心底思いますよ」
「まぁ、ジョーズの縁なんですがね」
「ジョーズ……アニキ殿か……。西の街道から敵が来ない以上、足止めは成功していると見ますが、合流が待たれますね」
東からのオレンジ色の光に照らされた帝国軍。
布陣した数はおよそ三万。
後方に当たる西南西からは五百単位で部隊が合流し、陣容は幅と厚みを更に増している。
ヒュ〜。
望遠鏡を覗き込んでいたラアサは、口笛を吹いて、手にした望遠鏡をファーリスに渡す。
布陣した帝国軍の中央から、数騎が陣頭に出る。
中央の馬にまたがるのは、銀糸で編まれた軍服に身を包み、白い髭と髪を腰まで伸ばした老人だった。
ファーリスとラアサが急ぎ騎乗し、塹壕から飛び出す。
朝日に照らされた荒野で、老人とファーリスとラアサは五十メートルの距離を置いて対峙した。
「これはこれは皇帝陛下、こんな辺境までご苦労なこってすなぁ。クアッダ王国からの不可侵の約でもご所望ですか。クアッダ王国への不可侵の約、もう破るおつもりか」
舌戦の口火を切ったのはラアサだった。
ふん!と鼻を鳴らして皇帝が答える。
「不可侵の約?なんの事だ?」
ラアサは懐から一枚の紙を出す。
「皇帝陛下自ら書いた条約書だ。国璽も押してある。耄碌したなら思い出させてやろうかぁ?肛門皇帝」
一瞬で表情が険しくなり、眉間に深い皺が刻まれる皇帝。
「その条約は既に無効だ。儂は皇帝ではなく、新皇帝からこれまでの不可侵の約は破棄する布告がされた。これが新皇帝からの布告文だ」
皇帝の後ろに控える騎士が一枚の紙を広げ、ラアサとファーリスが望遠鏡を使って書かれた文を確認する。
「条約を無効にする為だけに退位するなんて……ありえません」
「甘く見てたなぁ」
「うぬらに受けた屈辱!その証の条約!儂は存在が許せん!そしてクアッダ王国もだ!尽く殺しつくし、焼きつくしてくれる!」
「じゃあジジイって呼ぶぞ。てめぇはクアッダ王国滅ぼした後、猫でも抱いて暮らすのかぁ?」
前皇帝の顔に余裕が戻る。
「クアッダを滅ぼしたら、新皇帝に返位させて皇帝に戻るだけの事。条約もクアッダも無く、全て元通りだ」
呆れ返るラアサと、目を吊り上げるファーリス。
「そんな横暴が許される訳が無い!国の礎を崩しますよ!」
「許すかどうかは儂が決める。国を崩すかどうかも儂が決める。このグラードル・カサエル・アウグストスがな!……ん?キサマ、クアッダでは無いな、クアッダはどうした?恐れをなして影武者を立てて逃げたか」
逃げたと決め付けられて、カッとなって言葉を発しようとしたファーリスの顔の前に、ラアサが手を立てて封じる。
「クアッダ陛下はご病気だ」
「ふん、儂が病名を当ててやろう。その病、臆病という名だろう!はっはっは」
カチャッと音を立てて、ファーリスが腰の剣に手を掛ける。
「いやぁ、ケツの穴が痒くなる病気だが良い医者が見つかってなぁ。紹介してやってもいいんだぜ?」
グラードル前皇帝を挑発しながら、ラアサはファーリスに停止のハンドサインを出して自制を求める。
「それからなぁ、条約無効で良かったわ。二匹のドラゴンが帝国本島殲滅しに行ってるからなぁ」
「なんだと!?」
ラアサの意外な言葉に、グラードル前皇帝は動揺を見せた。
「な〜んてな。ドラゴンならソコにいるぜぇ、お前のケツの穴にな、ジジイ」
「キサマ!全軍突撃!皆殺しだ!」
激昂した前皇帝は全軍突撃を命じ、舌戦は終わった。
馬を返して塹壕へと戻る、ラアサとファーリス。
「まだ若いな殿下、全軍突撃して貰った方が対策は楽なんだろ?」
「私もまだまだですね。助かりましたラアサ殿、怒りに任せて攻撃命令を出す所でした。ですが、殿下は止めて下さい」
「了解、司令官殿」
二人は馬上で笑いあった。
九番塔に登ったファーリスは、落ち着きを取り戻した顔をしていた。
「命令まで顔を出すなよ!敵が左右に広がる素振りを見せたらナハト殿、イーラ殿頼みます!後退命令は絶対ですからね!」
「了解」
「了解である!」
「敵!突撃騎兵来ます!数三千!遅れて軽騎兵!数六千!」
クアッダ軍に緊張が走る。
「突撃騎兵距離千!軽騎兵距離千五百!」
突撃騎兵の先頭が、塹壕側からだけ白く塗った面が見える様に置かれた、距離を示す石を通り過ぎた。
総勢三万数千の全軍突撃は、地鳴りを生んだ。
頭を低くして塹壕にいるクアッダ兵は、近付いて来る地響きに冷や汗を流した。
姿を見ていないだけに、より一層不安が募る。
「落ち着け」
「おちつけよ」
塹壕のクアッダ兵は、互いの肩を叩いて声を掛け合っている。
ドドドド!
大きくなる地響きは大地を震わせ、塹壕の土がポロポロと溢れ落ちる。
長い長い辛抱の時、クアッダ兵は心の弓を引き絞っていた。
「軽騎兵距離八百!」
「今だ!撃ちまくれ!」
塹壕から連続した炸裂音が鳴り響いた。
鎧に空いた小さな穴から血を吹き出して、次々と落馬する帝国騎兵。
馬もトカゲも同様に体に小さな穴を空けて地面に転がり、後続の騎兵が避けきれずに連鎖的に転倒して行く。
五百、千、千五百……見る見る内に折り重なる死体。
音に驚いて制御を失う騎兵もいる。
「第二小隊電圧低下!ランプグリーン!」
「第五小隊ランプグリーン!」
「第一小隊ランプグリーン!」
「よし!コード接続パターンB!狙撃兵!見えているな!」
クアッダから西の九号塔、西南の七・五号塔の屋上。
そこには三名づつ計六名の兵が、伏せていた。
彼らが二脚を立てて構えているのは、全長一メートル半にもなる対物ライフル。
「電圧レベル三……四……ランプレッド!」
「撃て!」
落雷の様な音が戦場に響いた。
「どうだ!?」
「……駄目です!皇帝生存!結界敗れません!」
チッ。
舌打ちをして悔しがるファーリスだったが、すかさず次の命令を飛ばす。
死体の山を乗り越えて、塹壕に肉薄する騎兵が居たのだ。
「第一軍迎撃!狙撃兵はオノマ兵と指揮官を狙え!」
◇
「じゅ……銃だと」
張り直された結界聖なる断絶の中でグラードル前皇帝は喘いだ。
耳を覆う轟音と共に、ほんの数分で騎兵隊が全滅の危機に瀕していた。
「銃は予定の火力が出なかったのでは無かったのか!」
「は、ナツメ商会からその旨報告が上がっております」
「ならアレは何だ!儂の軍が!」
ドパッ!
結界に大量の血糊が張り付くと同時に、響く雷音。
結界の重ね掛けをしていたオノマ兵が狙撃されたのだ。
「皇帝陛下、一時後退を。まだ第三軍及び第五軍も参りますし、エラポスからの援軍も参りましょう。ここは一時体勢を整えるべきかと愚考したします」
五分後、帝国兵はようやく後退を開始した。
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更新予定 日曜・水曜 20時




