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76話 驚愕の渓谷

 「何故進軍しておらぬ?」


 「それが、橋を架けた直後襲撃を受けまして、橋上での戦闘が続いております」


 ここはパライオン川上流。クアッダ王国から西に三日移動した、白い岩肌が切り立った断崖。

 謎の軍は、かつて大きな吊り橋が架かっていた場所に、百名を越すオノマ兵を動員して土のオノマによって、長さ百メートル幅二十メートルの土の橋を架けた。


 その土の橋に、光る文字列を放つ真のオノマを重ねがけし、土壌に含まれる鉄をアルミニウムで覆って筋を精製、土壌に最も豊富に含まれる珪酸から酸素を分離して精製した水晶を主とした、手すりの無い堅牢な橋を作り出す。


 強度確認を終えたオノマ兵が後退し、謎の軍がいよいよ橋を渡ろうかと進軍を開始した時、突如襲撃を受けたのだった。


 豪奢な鎧に身を包んだ偉そうな兵が、担架で運ばれて来た負傷兵に尋ねる。


 「敵の規模はどの位なのだ」


 負傷兵は苦しそうに右手を上げて、指を二本立てた。


 「二百か……クアッダめ随分と対応が早いな。だがたかが二百、如何に狭い橋の上とは言え、そうそう抑えられまい」


 負傷兵は、豪奢な鎧の手甲を掴み、首を横に振る。


 「敵は……二人……いえ、二匹です」


 「二匹だと!?」



 「「ぐあぁぁぁぁ……」」


 もがきながら数十メートルの距離を落下し、水柱を上げて川面に落ちる兵士。

 激流に揉まれ、川底の岩に幾度と無く体をぶつけながら革鎧を脱ぎ、どうにか川面に顔を出した兵士は、橋の真下に新たな水柱が数本立つのを見た。


 馬と共に川面に落ちた彼の主人を含むフルプレートを着込んだ兵は、浮かび上がる事すら出来ないだろう。


 狂ったように暴れて逃げる馬と、鞍が置かれたトカゲ。

 手すりのない橋の上、十名程の兵士が宙を舞う。その内数名が橋から落ち、数十メートル下の川面へと落下してゆく。


 橋のほぼ中央。

 濁流の如く押し寄せる兵を、突き飛ばし、蹴り飛ばし、跳ね除ける堤防。

 翼の亜竜と銀の竜人の姿がそこにあった。


 後ろから押し出される様に最前線に立つ若い兵。亜竜の盾剣が横薙ぎに振られ、構えた剣が折れ砕ける。

 反射的に閉じられた目を開けた時、亜竜の姿は既に無く、背後では兵が数名まとめて宙を舞っていた。


 時折跳ぶ矢は、目標を捉えられず、集団の中に躍り込まれては、四枚の純白の翼を橋に打ち付けるだけで、風圧に押された兵が十名程渓谷に落ちてゆく。


 前方に障害が無くなったと見た兵数名が、対岸へと走りだすが、ほんの数歩走った所で、銀の竜人に行く手を阻まれる。


 シャキン


 銀の竜人は両手の爪を剣の様に伸ばすと、立ち竦む兵の間を一瞬ですり抜ける。

 竜人の背中を斬り付けようと振り上げられた腕は、尽く手首から先が無かった。

 白い渓谷に、この日何度目かの悲鳴が響いた。


 『スナイパー式で行くか』


 『らじゃなの』


 死なない程度の傷を負わせ、悲鳴を上げさせて置き、助けに来た兵を傷付ける。

 傷付いた仲間達の悲鳴が、白い渓谷に連なって響き、兵士達は徐々に戦意を喪失させてゆく。


 残酷な作戦だが、とにかく時間を稼がねばならない。


 それでも、橋上の負傷兵が死ぬ前に一旦下がって救助させると、謎の軍は編成を整えて、再び闘志をみなぎらせ前進してくる。


 兵の後退に合わせて、対岸から矢が降り注ぐが、俺はおろかリンクスの銀の鱗にも傷一つ付けられない。


 「下がれーーい!」


 十何度目かの後退に合わせて、今度は炎のオノマが降り注いだ。

 空を覆い尽くす程の赤い光球。

 橋上に乱れ咲く灼熱の花は、まるで絨毯爆撃の様だ。


 盾を掲げて熱波をしのいだ兵が、盾の陰から熱の収まりつつある橋上を覗く。

 あまりの高温に、ガラス化した部分さえ見える。


 「やったか!?」


 フラグ立てましたね?


 『回収するの!』


 上空で翼を広げる俺の背に乗るリンクスが、やたら嬉しそうな声を上げる。

 両手を掲げた頭上には、直径一メートルの黒い光球。

 橋上に向けて放たれた黒い光球は、確実にフラグを回収した。



 戦闘が始まって三日が経過した。

 昼も夜も無く交代で攻めてくる謎の軍に、俺達は不眠不休不食で対応していた。


 『腹減ったな、リンクス』


 『ん?』


 振り向いたリンクスの口からは、トカゲの足がびよ〜んしてた。

 どっから持ってきた。


 途中、謎の軍は別の場所に土の橋を掛けたり、風のオノマでロープを対岸まで飛ばしたり色々策を講じて来たが、尽く阻止してやった。


 謎の軍は、その日は日没と共に一旦兵を引いたと見せ掛けて、闇夜に乗じて強行突破と新たな橋の精製を同時に仕掛けてきた。


 音を消す為に裸足になった兵の、ひたひたとした微かな音が橋を渡って行く。


 「「ぎゃっ!」」

 「「い!痛い!」」


 足の裏の激痛に、裸足で駆ける兵達はたまらず転がる。

 腕にも尻にも何かが刺さる。


 カッ!


 その時渓谷を、強烈な光が満たす。


 突如昼間の明るさを取り戻す渓谷。

 眩しさに目をつむり、顔を背ける兵達。


 昼が訪れた様な明るさに照らし出された、伸びかけの橋。その数五本。

 土のオノマを使って橋を精製していたオノマ兵は、あまりの明るさに我を忘れ、空を見上げた。


 「何て明るさだ……」

 「光のオノマ……なのか……」


 「……ば!ばかオノマを切るな!」

 「「うわああぁぁ……」」


 伸びかけの橋は、先の方からボロボロと崩れ始め、オノマ兵が次々と川面へと落下してゆく。


 『次は北風さんなの』


 手すりのない橋のクアッダ側。

 リンクスは足の爪を地面に立ててしっかりと大地を掴み。文字列を伴った真のオノマを放つ。


 リンクスの両手から放たれた暴風は、敷き詰められたイバラを巻き上げながら、橋上に転がる兵共々、対岸まで吹き飛ばした。


 『お兄ちゃん、これでいいの?』


 『よし!ストップ!』


 水面スレスレを飛んでいた俺は、川面に水柱を立てて急上昇し、手すりのない橋のアーチ中央、橋の真下から体当たりをブチかます。


 ドッゴン!


 重い音を渓谷に響かせて、橋は布を破る様に盛り上がり、突き破られ、波打って、遂には瓦解した。

 巨大な岩塊が川面に落ち、一際大きな水柱を上げる。


 「ば……ばかな……」

 「水晶化して……」

 「まさか、いつでも壊せたと言うのか」


 イバラが頬に刺さったまま、ありえないとばかりに口を開く兵達。

 その直後、訪れた時同様、突如昼は去った。


 作戦を看破され、橋を落とされ、光すら失った謎の軍は、力なくその場にへたり込んだのであった。


 『メシ狩りに行くぞ〜』


 『ご飯なの〜』


 橋を落とされ、オノマ兵も流された。二〜三時間は大丈夫だろう。

 三日間寝てないし何も喰っていない。時々こっそり川面に降りて、水だけは補給していたが、即死しないように手加減しながら無限とも思える数の敵と戦うのは、肉体的にも精神的にもシンドイ。

 どんなに腹が減っても、さすがにニンゲン喰う気にはなれませんけど。


 森に入って、虫だろうが熊だろうがとにかく漁る様にご飯して、一時間程で急いで戻ったのだが……。


 『誰も居ないの』


 そう、橋のあった地点にも、上流下流の渓谷の幅が狭くなった地点にも、誰も居ない。一万の兵が消えていた。大分減らしたから数千か。


 俺はリンクスを背に乗せ、上空から偵察する。


 『何かあるの』


 『マジかよ……』


 下流に一キロ程移動した狭くもない渓谷で、俺達は軍の痕跡を見つけた。


 渓谷東側のバキバキに枝の折れた木。散乱する兵の死体。

 ニメートル立方もの大きさの革の袋に、魔獣の腸を詰めて膨らませたエアバッグ。それを敷き詰め重ねネットを掛けた、飛び降りマットが二十程。

 西側対岸には、崩れかけた長さ二十メートル直径一メートルの円筒が数十本。


 『お笑いウル○ラクイズ?』


 ニンゲン大砲やったのか……。

 見たかった……じゃない、やられた。


 最初から、橋と大砲で短時間に渓谷を渡る計画だったのか。

 橋を見つけた時、真っ先に橋に降りずに十分偵察するべきだった。

 大砲での渓谷超えは、俺がこっちに来る前からやってたのかも知れない。


 大砲の側に、組み立て前の攻城兵器や、馬や荷車、全身鎧が大量に積み上げられているのを見ると、重装備を橋で運ぶ計画っだったようだ。

 馬や重装備を遺棄させる事に成功した……と見るべきか。


 「ぅ、うぅ……」


 微かなうめき声に視界を上げると、かなり上の枝に引っかかった兵が二人生きていた。


 『気分悪いの』


 『全くだ』


 俺とリンクスが不愉快になったのは、兵の手足が変な方向に折れているからでは無い。矢が二本、兵の腹部に突き刺さっていたからだ。

 見ると、他にも枝に掛かっている死体は、全て矢で貫かれている。


 軍行の妨げになる程の怪我を負った兵。

 その兵を、情報の漏洩を防ぐ為に殺した?


 普通なのかコレ?

 ニンゲン同士で殺し合うだけじゃ足りなくて、仲間同士でも殺し合うのか?


 俺とリンクスは、息のある兵二人を飛び降りマットに寝かせ、矢を抜いた。

 苦しそうに声を漏らす兵。


 喰わずに記憶を覗く為に、銀糸を首筋に刺す。

 動脈を避けて脊椎へ、脊椎から脳幹を経て……。


 「ぐはっ!はっっ!」


 兵は突如全身を痙攣させ、ショック状態に陥った。

 コードブルーだ!


 『リンクス薬を!』


 『助けるの?』


 リンクスは首を傾げながらも、腰のポーチから手のひらに収まる金属製の筒を取り出した。フィリコス特製ポーションだ。


 俺は銀糸を抜き、ポーションを無理やり半分飲ませ、半分を矢傷に掛けた。


 「……」


 ちんだ?


 いや、静かに息してる。

 服を破いて矢傷を確認すると、傷口が閉じている。

 スゲーなポーション!高品質なんだっけ?これ。


 もう一人にもポーションしてから銀糸をしてみたが、やはり脳幹でショック症状を起こして断念せざるを得なかった。


 皇帝の時は上手く行ったのに。結構危険なのか……まぁ脳神経に物理的に侵入しようってんだから判らなくもない。操り人形は暫く封印だな。

 今思えば王子にブッ刺さなくて良かった。


 しょうが無い。


 『聞こえるか……』


 『声?ドラゴンに……命を救われた……のか』


 『一旦預けただけだ、助けるかはこれから決める。質問に答えろ』


 助けた兵からもたらされた情報は、耳を疑うものだった。


 俺達は、二人の助けた兵に水と食料を与えて、エアバッグの下に隠した後、兵の情報の真偽を確かめる為に、光のオノマで照らしながらパライオン川に沿って下流へと飛んだ。


 白い渓谷に浮かび上がる手すりの無い橋。


 二本、四本……高度を下げて切り立った岩壁の間、橋の下を飛ぶ。

 ……八本……十本。


 『ヤバイの』


 『本当だったのか……クッソ!やられた!』


 助けた兵が語った情報は……。

 自分達が第五軍で、街道を直進する最短ルートの最後発だったこと。

 各軍約一万の兵を有すること。

 早い軍は数日前に渓谷を渡り終え、既にクアッダ王国に着いていること。


 『リンクス!最高スピードで戻るぞ!』



 同時刻、クアッダ周辺。


 「外八号水路への設置を急げ!第一軍は九号水路で待機!」


 「司令!西南西に敵騎兵発見!数、およそ千!」


 クアッダ王国にて、五年の歳月を掛け、国費を投じて整備された用水路。


 上空から見れば、中心のクアッダ王国から八方向に水路が伸び、二重の円がぐるりと王国を囲む形に造成された用水路。

 水門が閉ざされて半日が過ぎ、水の無くなった用水路は、クアッダ王国を守る塹壕と化していた。


 八方向に伸びた水路の西先端部、九番塔と呼ばれるやぐらの上に、この用水路を僅か十才で設計した人物は居た。


 黒い瞳、黒く薄い髭、一房だけ背中に伸ばされた髪。

 クアッダ王国王子。ファーリス・クアッダである。


 転生者ファーリスは用心深かった。転生者である事を悟られずに成長する過程で、異常とも言える慎重さを培った。


 遺跡でのアニキとリンクスの和解後も東には旅立たず、姿を消して王国に留まり、父であるクアッダの身辺に居る者達の動向を監視していたのだ。


 シュタイン博士の研究施設で、ラアサと訓練する二人の竜を見張る最中、何故突然存在がバレたかは判らないが、騙していた自分に対してアニキは「お前の力が必要だ」と言葉を残し、たった二人で一万の軍勢の足止めに飛び立った。


 ファーリスはベランダにその姿を現し、驚く一同を前にクアッダ王国防衛の指揮を申し出たのであった。


 「もう来ましたか。アニキ殿が飛び立った直後に入った情報と合わせれば、敵は五軍団、総勢五万……一方の我軍は千二百。さてどの位……」


 「敵騎兵!布陣しません!突っ込んで来ます!」


 「何だと!迎撃の準備がまだ……」


 伝令の声に驚くファーリス。


 「司令!百、いや八十で良いんで兵を貸して下さい。時間を稼ぎます」


 「フェルサ殿か。そんな数では無駄死にでしょう。敵は突撃騎兵ばかり千騎。戦力分散は愚策です」


 「一人も減らさずに返しますんで」


 見つめ合うファーリスとフェルサ。


 「ナハト殿!第一軍から一時的に八十名フェルサ殿に!」


 フェルサは、礼もそこそこにやぐらから飛び降り、九号水路に待機する第一軍に向けて鋭く声を飛ばす。


 「カダム、サイド、サマク、ムサラ、手を貸してくれ!。各人、足の速い者を二十人推挙して皮鎧を装備して七・五号塔に集合!。それと明かりが要る」


 司令官ファーリスは第一軍将軍ナハトを見やる。


 「ナハト殿、この人選は?」


 「第一軍の中でも特に足の速い者達です。しかし良く把握している」


 ナハトは、巨体に似合わない高い声で答えた。



 「隊長!布陣して各軍を待つべきです!布告も」


 クアッダ王国を目指して突進する騎兵隊、その副隊長は光のオノマを前方に飛ばしながら、当然の進言をした。


 「はっはっは!何を軟弱な!クアッダの兵などたかだか千!我が隊だけで蹴散らしてくれるわ!俺が一番槍だ!」


 だが血気に勝る隊長は副隊長の言葉に耳を貸さない。


 彼の所属する軍は、先の根地の森迎竜戦で数日間もただひたすらに移動しただけで、竜の姿さえ見ていない。

 自らが参戦していれば、共和国はおろか竜すら敵では無いと豪語する彼は、一番槍として勇猛果敢に戦い、賞賛の嵐を受ける姿しか想像していなかった。



 「敵騎兵!距離三百!」


 僅か二分程で、素早く部隊編成を終えたフェルサは、全員に布の掛かった大きな盾を持たせて、横一列の陣形で前進を開始した。


ここまで読んで頂きありがとうございます。


更新予定 日曜・水曜 20時

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