75話 風雲急を告げる
カログリアは後悔していた。
自らの軽率さを。
ここに降り立ったのは、正義感からでは無いと思う。
黒衣の男と対した時に感じた感覚。それに似た「何か」を確かめたかった。
そして後悔した。
ヒポタムス領主の私室外壁に集う影の数は五つ。
見たこともない形の機装兵、カログリアを見ても変わらぬ態度、そして何よりその者達は……プロフェッショナルだった。
「お前はターゲットを、白銀の勇者は俺達が」
黒い機装兵の一人がそう告げると、一体の機装兵が石壁に溶けてゆく。
壁に入り込んだ機装兵の背中を守るように二体、カログリアの後方左右に一体づつ機装兵は位置取り、カログリアを牽制する。
白銀の勇者と知って、全機で掛かってくるか逃げるかするならば、この者達の目的を阻む事になる。
一体や二体が足止めに残るなら、逃げながら戦う事を選択肢に入れれば、たとえ敵わなくとも何らかの情報を得ることが出来るだろう。
だが、この者達は違った。
怖れも侮りも奢り無い。
領主は殺す。
邪魔はさせない。
その冷たい意思だけが伝わってくる。
カログリアは、溶ける様に石壁にめり込んだ機装兵の背中に炎のオノマを放ち、面を装着した。
「……ありえない……」
カログリアは思わず声を漏らした。
機装兵の一体が無造作に炎のオノマに立ちはだかり、直撃を受け、吹き上がる熱の中、平然と立っているのだ。
そしてその向こうでは、赤く熱を持った石壁に機装兵が消えていた。
「あら、驚いても声の抑揚は無いのね」
「しゃべるな」
カログリアは動いた。
しゃべるなと嗜めた、男の声のする機装兵へと。
集団の頭を狙うのは、対多戦の定石。
レイピアを股間に向けて鋭く突き出す。
機装兵は力はあるが機敏では無い。機体の重心である股間が弱点なのは、以前の戦闘で経験済みだ。
だが!
その機装兵は軽やかに跳び上がり、カログリアの頭上を越えた。
着地を狙おうと振り向いたカログリアの、背中を衝撃が襲う。
前方へ飛ばされ、前のめりになったカログリアは、左手を屋上に付いただけで、勢いをそのままに、レイピアを突き出す。着地した機装兵の背中へと。
レイピアが背中の円筒に触れる寸前、右から振り上げられた黒い腕に切っ先は逸らされ、更に左から振り下ろされた黒い腕に、左肩を強かに打ち付けられた。
振り向いた機装兵の、足元に転がるカログリア。
その頭を狙って黒い腕が、執拗に振り下ろされる。
全身を板バネの様に震わせて、紙一重で回避するカログリア。
体を捻って左手を付き、それを軸に回転、脛の高さをレイピアで水平に薙ぐ。
一斉に飛び退く機装兵。
同時にカログリアの背中に落ちかかる影。
後転してその場を移動するカログリアと、カログリアが居た場所の石を砕く黒い腕。
「ぎゃぁぁああ」
半月の夜に悲鳴が響いた。
最早これまで。
カログリアは、振り返らずに一目散に逃げた。
後方に風のオノマを飛ばしながら。
領主が殺されたであろう今、戦闘を継続する意味は無い。
黒い機装兵達の素早さも連携も、予想を遥かに超える物だった。
このまま戦闘を継続すれば、四対一が五対一になるのは確実。
更に最悪の場合、領主殺しの疑いが掛けられる可能性すらある。
ここは帝国領で、ヒエレウスは非戦連合。そしてカログリアはあくまでも豪商に個人的に雇われた事になっているのだ。
今頃その点に気付いた己の浅慮に、舌打ちしたい気分のカログリアではあったが、どこかで高揚している自分にも気が付いていた。
自分達勇者三人の連携と、黒い機装兵五人の連携。
果たしてどちらが上だろうか……と。
◇
「見事な逃げっぷりだったわね。予想外だったわ」
「強かったな」
黒い機装兵達もカログリアに次いで、ヒポタムスの街を離脱していた。
月光の下、殆ど光を反射しない機体を、森へ向けて走らせている。
「北から順にルンマーン、ヒポタムスと来て……次はどこだ?」
「クアッダね」
五体の黒い機装兵は、暗い夜の森へと次々に消えて行った。
◇
二時間後、カログリアはようやく走る速度を緩めた。
ヒポタムスの街から南、パライオン川上流の険しい渓流そばの獣道を、川に添って東南東へ移動していた。
このまま川に沿って下流に移動すれば、大河アルヘオに合流する場所にあるエラポスの街へ。ここから東へ移動すればクアッダ王国へと至る地点であった。
予想通り追っ手は無かった。
しかし……とカログリアは振り返る。
あの者達は何者だろうか?
分からない。
自分はハメられたのだろうか?
分からない。
では分かった事は何だろう。
五人の内、一人は男で一人は女……それだけ。
いやもっとある。
石壁をすり抜ける機装があること、今迄の機装と比べ物にならない程の俊敏性を持っていること、武器は持って居なかったこと。
……そして胸に残った微かな熱。
次は勝つ、そう呟こうとして雲に隠れた半月を見上げる。
勇者三人で連携する為にはメントルが……カログリアは小さくため息を付いた。
視界の端に光が見えた気がして、カログリアは姿勢を低くする。
マントも羽織っていない今、月が隠れていても白銀の鎧は夜目に目立つ。
暫く目を凝らして居ても何も見えない。
気のせいだったかと、腰を上げようとした時、やはりチラリと光が見えた。
慎重に近付いてみると、松明では無い白っぽい光が見えた。
「……オノマ?」
白っぽい光は、足元だけを照らす様に傘が掛けられている様で、風下にあたるカログリアは光の主を確認する前に、行進の足音を聞いた。
街道を等間隔で照らす光。延々と続く足音。かなりの人数だ。
一瞬そよいだ風に、担がれた長い棒から布がはためく。
カログリアは確かに見た。黒地に黄金獅子の意匠を。
◇
「そうだジョーズ、感覚を内側に向けるんだ。ココにある頭頂葉に糖を集中的に送るんだ」
……。
「その銀色の髪の毛は皮膚だ。髪の先端だけじゃなく途中にも全て感覚があるんだ。関節の無い腕だとイメージするんだ」
……。
俺とリンクスはクアッダ王城地下、シュタイン博士の研究施設の一角を借りて、ラアサ先生から感応鋼の制御を習っていた。
解りやすく言うと、体内にあるオリハルコンを自在に使う練習だ。
俺は人型、リンクスは銀の竜人スタイルで、ラアサ先生の授業を受けたいた。
脳の構造から始まり、精神が肉体に及ぼす影響から、脳圧が上った時の対処まで延々と座学が続き、やっと実技の時間になった訳だが……。
「見てお兄ちゃん、シャキン!なの、シュッ!なの」
「おお!すげぇなリンクスちゃん!」
リンクスが角やら爪やらを、伸ばしたり引っ込めたりしてる。
……やはり、天才か。そして俺は。
先生……さっぱりワカリマセン。
座学の時点でチンプンカンプンなんですけど。
リンクスのセンス、パネェんですけど。
まあ確かにリンクスは、前からドパミンとかトランスポーターとか言ってたからな。脳を制御する感覚あるんだろうな。
「しかし何でジョーズはてんでダメなんだぁ?ドラゴンの時に動かせるんだからコツさえ掴めば、人型でもいける筈なんだがなぁ」
ラアサが難しい顔で首を傾げている。
「考えるんじゃない、感じるんじゃよ、ほっほっほ」
うるせえぞ博士。
リー先生のお言葉を拝借するんじゃねぇよ。
シュタイン博士は相変わらず自分の研究の手も止めず、こっちを見るでも無いが、楽しそうにちょっかい出してくる。
ちっ
思わず出た舌打ち。
だが直後、俺とリンクスは音が出るほど鋭く振り返り、広い部屋の隅を睨む。
チッチッチ
「二人ともどうした急に?」
ラアサが釣られて部屋の隅を見たその時。
ドタドタと慌ただしい足音と共に、老執事が現れた。
「み、皆様、大至急会議室へお越し下さい!」
◇
会議室。
そこには、クアッダ王国の武官文官が、全員集められていた。
皆一様に緊張した顔をしている。
クアッダ王が会議室に姿を現し、皆が頭を垂れた後、着席すると、クアッダ王は前置きなしに矢継ぎ早に事態を説明した。
「まず非戦同盟のルンマーンが、王家一族が死に絶え混乱の極みにある。治安維持と秩序回復の嘆願が届いた。次に我が国の西国境、パライオン川対岸に所属不明の謎の軍が現れ、数を増している。その数約一万」
会議室は騒然となった。
「ルンマーンの王家一族が死んだのは、事故なのか事件なのか?」
「クーデターだとすれば同盟も破棄するやも知れませぬぞ。のこのこ行くのは危険なのでは無いですかな?」
「共和国の軍の動きはどうか。何か連動を示唆する情報は無いか」
「それよりも謎の軍とやらが問題でしょう」
「一万などという大軍、帝国か共和国以外に動員出来るのか?」
「しかし謎の軍の目的がこの国とは限らんのでしょう?下手に刺激して藪蛇と言う事もあるのではないですかな」
「常に最悪の状態を想定し、備えるのが兵の努めなのである!」
「ルンマーンの件は外交だ。文官が意見をまとめるんだ。謎の軍は国の存亡が直結するから軍部が」
「結局は軍部が動くんすよね?兵員は限られてるんだから別々に議論しても数合わせ出来ないすよ」
「戦いは数だよアニキ!なの!」
何か便乗して訳わからん事言ってるヤツが約一名居るが、どの意見も一理ある。
議論は紛糾し、クアッダ王はその都度誤解の修正をし、ラアサは腕を組んで思案に沈んでいる。
ルンマーンの混乱は、何を意味するのか。
謎の軍の目的は何なのか、目標はここクアッダ王国なのか。
仮にクアッダ侵攻を企図しているならば、戦うのか降伏するのか。
文官も武官も、古株も新顔も、垣根なく意見を交わし合っている。
しかし……と俺は思う。
『なぁ……何でニンゲンはそんなに争いが好きなんだ……』
人型である俺の呟きは、リンクスとクアッダ王とラアサにしか聞こえなかっただろうが、誰からも答えは無かった。
ガタン
俺とリンクスは立ち上がった。
皆が注視し静まる中、俺はクアッダ王とラアサに告げた。
『まずは謎の軍だ。戦うにしても、降伏するにしても、時間が必要だろう。まして逃げるなら尚更時間は掛かる。俺達が先に行って少しでも時間を稼ぐから、正しい道を導き出してくれ』
『待てアニキ。パライオン川の橋は一つ残らず落ちたままだ。一万もの軍勢がそう簡単に……』
『真のオノマ。土もあると考えるべきだろ?』
『確かにジョーズの言う通りかも知れねぇな』
『だが、たった二人で……何が出来ると言うのだ』
クアッダ王の顔は、そう……まるで死地に家族を送り出す者の様な顔だ。
『出たとこ勝負でやれるところまで。渓谷を渡られたら、早けりゃ三日でクアッダは包囲され、選択肢が無くなっちまう。明日の夜には一旦戻りますんで』
クアッダ王、ラアサ、俺は険しい顔で見つめ合い、会議室には重い沈黙の塵が積もった。
クアッダ王は一度だけギュッときつく目を閉じると、決心した様に俺を見据えた。
『アニキよ、必ず……必ず戻るのだぞ』
『ジョーズ……伝授はまだ途中だからな』
俺は竜骨を打ち付けて一気に飛竜まで変身し、会議室を後にした。
背後からは、師匠は何をする気だとか、オレも兄貴と行くだとか言葉が飛び、ラアサに窘められている。
「鉄子ーーお兄ちゃんが呼んでるの」
「きゃーーパーフェクトアニキ様!五分だけでも天国を授けて……」
ガッシ!
『いいか鉄子、今から言う事を最大限の速さと確実性を持ってやるんだ』
「……森とエラポスとネビーズに……はい……二人を……はい……」
頭をわし掴みされた鉄子の顔から、浮かれた熱が引いて行き、完璧主義者の鉄の女が支配する。
「流石アニキ様です。この鉄子にお任せ下さい」
鉄子と俺達は背中合わせに駆け出す。
鉄子は俺の家に、俺とリンクスは中庭に面したベランダに。
ベランダに立った俺は、リンクスに伝言を頼んだ。
「用水路の図面は見た、なの。お前の力が必要だ、なの」
翼の亜竜と銀の竜人は、ベランダから西の空へと飛び立ち、瞬く間に点となって消えた。
ニンゲンは根地の森迎竜戦で一万九千の命を失った。
それから僅か数週間。
同種族間で殺し合う稀有な特性を持つこの種族は、またも大地に血を振りまくのであろうか。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
更新予定 日曜・水曜 20時




