66話 銀の……
『お兄ちゃん!』
その声は俺の魂を、肉体へとしっかりと繋ぎ止めた。
ああ……俺はこの元気な声をどれ程に欲して居たのだろう。
たかが数日。たかが数日聞けなかっただけで、どれ程俺の世界は色褪せただろう。
俺は、尚も熱く痛む頭に右手を添えて、ふらふらと立ち上がった。
何事かと集まった二十名程の兵が、武器を手に俺を取り囲んだが、ジリジリと離れて行く。
そりゃそうだろう。俺を倒す術が無いのは今日一日掛けて実証済だ。
蛮勇と無駄死にが同意である以上、兵達の行動はまともだ。
『リンクス!無事か?何処だ?』
『お兄ちゃん〜ここど〜こ〜』
確かに。
今までオリハルコンの中に居たリンクスに、場所を聞いた俺が馬鹿だった。
えっと、声の方角は……。
『待ってろ、今行くから』
『来たの』
地面の一角から轟音と共に土煙が上がり、下から何かが飛び出して来た。
シュタッと俺の前に着地したのは……。
『え?リン……クス……なのか?』
『お兄ちゃんボロボロでガリガリなの』
憐れむ様な目で俺を見つめるのは、赤黒い幼竜では無かった。
鋭い爪、節ばった指、大きめな手。
すらりと伸びた手足、張りのある尻にくびれた腰、微かに膨らんだ胸。
やや長い首に竜の頭、金色の瞳。赤地に白い水玉のリボン。
成人女性に酷似した全身のスタイル、一メートル七十くらいの背丈に、同じ位の長さのしなやかな尾。
そして何より驚いたのが……。
周囲を映し込む程に美しく輝く、全身を覆う銀色の鱗。
その姿は美しき銀の竜人。
『これ、光のオノマなのか?』
『ん?あれ?手、銀色なの。どうなってんの?』
どうやらリアルらしい。一体何があったんだ。
『お兄ちゃんのたてがみも銀色なの。おそろなの』
ん?ほんとだ。空中庭園で紫の雷喰らった時に、焼け落ちたたてがみが銀糸になって生え変わってる。いつの間に?しかもこれって……。
『リンクス、姿消して隠れてろ』
どかどかと無遠慮な足音が近付いて来る。
足音まで攻撃的とか、どんだけドSだよ。
「結界師共を叩き起こせ!なんだ暴れておらんじゃないか!」
部分鎧を身に付けながら、ドSジジイが歩いてくる。
大丈夫だ、土煙もまだ収まっていない。リンクスは見られて無いだろう。
そう思った直後、突如強風が巻き起こり、土煙が吹き払われる。
オノマか……便利やのぅ。変わらず残忍で傲慢なツラしてやがる。
だがなジジイ、リンクスはもうココに居る。
お前の言いなりになる必要は一つも無いんだぜ。
丁度いい物も生えたし。ふふふ。
反撃開始だ。
◇
「なんの振動だ」
クアッダ王は寝台から飛び起きた。
その姿は寝間着姿などではなく、すぐにでも飛び出せる格好だ。
「収まりましたねぇ」
扉を開けて隣の部屋から入ってきたラアサも、ちゃんと服を着ていた。
二人はいつ何があっても即応出来るように、着衣のまま寝台に横になっていた。
クアッダ王は何度目の事か、腰元に左手をやり、舌打ちをしそうになる。
根地の森に向かう時、武器も防具も城に置いてきた。森を非武装地帯にしたと言うアニキの言葉を尊重しての行いだったが、つい癖で帯剣を確認してしまう。
クアッダ王が窓の外、ラアサが廊下への扉の向こうをそれぞれ伺うが、特に動きは無い。
と、その時。
キョロキョロと辺りを見渡し、身を屈めて耳を塞ぐ様に頭を抱えるラアサ。
「あ?ジョーズか?何で聞こえるんだぁ?」
「どうしたラアサ?」
「ああ、ここに居るぜぇ」
ニヤリと盗賊顔で答えるラアサと、訝しげな表情のクアッダ王。
「ジョーズだと?……アニキの声が聞こえているのかラアサ!」
「本当なのか、……ああ、そうだな……」
クアッダ王は、急いで頭をラアサの頭に擦りつけてみるが、何も聞こえない。
「おい、何故ラアサだけなのだ!」
アニキが地下に幽閉されて居るのを知りながら、恨めしそうに天井を見上げて嘆いたクアッダ王は、もどかしそうにラアサの顔を覗き込む。
「あぁ?いつの間に?」
ラアサは耳を塞ぐように頭を覆った、右手の小指を動かした。
小指に触れるかさぶたの感触。
「はっはっは、分かった待ってるぜぇ」
ラアサは頭を覆った両手を下ろし、背筋を伸ばした。
「陛下、ジョーズの声が届きました。リンクスちゃんは無事です。俺達は空中庭園で待てとの事です」
「そうか!無事か!良かった!……だが何故お前だけなのだ!」
「これです」
ラアサは右頬に残る、切り傷のかさぶたに触れた。
「昨日、空中庭園で皇帝がジョーズに斬りかかったのを覚えてますか?」
「うむ」
「皇帝の剣が砕けてこの傷が出来たんですが、その時芝に垂れたオレの血を、一滴舐めてたそうです」
「は?」
クアッダ王は間の抜けた顔で、間の抜けた声を出した。
「血を舐める事で声が聞こえる様になると。ただニンゲンで試したのは初めてだそうです」
「竜にはそんな力があるのか……」
クアッダ王はしばらく絶句した後、我に帰った。
「プトーコス殿にはどう知らせる」
「いや、今我らが接触すればプトーコス殿の帝国での立場を危うくするやも」
ラアサの言葉に「確かにな」とクアッダ王は答え、二人は廊下に忍び出た。
アニキの指示に従い、空中庭園に移動し、待機する為に。
◇
帝城地下のオノマ実験場。
体育館程もある地下空間の中心に、亜竜と皇帝は向かい合わせで胡座をかいて座っていた。
「皆、壁際まで下がるのです」
皇帝の声に、叩き起こされた結界師を含む兵達が壁際まで後退し、心配そうに実験場中央を見守っている。
声を発した皇帝は、額に玉の様な汗を幾つも浮かべ、眼球を激しく動かし、唇を微かに震わせている。
皇帝は激しく狼狽していた。
今の命令も自らの声ではあるが、自らの言葉では無い。こんな所に腰を下ろすつもりもさらさら無い。体の自由が効かないのだ。
原因は「これ」か……。
皇帝と亜竜を繋ぐ、一本の銀糸。
亜竜に不用意に近づいた皇帝は、首筋にちくりと痛みを感じた。
直後、痺れと共に体は自由を失い、意図せぬ言葉を発し、意図せぬ行動を取っている。
皇帝の耳の下に刺さった銀糸は、淡い光を発しながら、亜竜のたてがみの中に伸びている。
『難しいな……どうだ?目は動くだろ?』
頭に直接聞こえる声に戸惑いながら、皇帝はゆっくり瞬きをした。
『な……何が起こっておるのだ!体が……この声はいったい!』
『よく聞けジジイ。お前の体は俺の制御下にある。今の俺は、お前に温かい歌を歌わせる事も出来れば、コマネチさせる事も出来る』
『あ、温かいコマネチ……だと』
『そこは一緒にするな。とにかくお前の生殺与奪は俺の手の中だ』
唯一自由の効く目で、ギロリと睨みを効かせる皇帝。
『ふん!たかが麻痺如きで。この程度の麻痺、我が皇帝の血ですぐにでも』
『そうかい』
ズボッ。
『ぎゃああぁぁ!』
皇帝の右手の親指と人差し指が、皇帝の右目に押し込まれる。
『あとちょっと力をかければ、お前の目玉は潰れる。それとも抉り出してずっと足元を見せてやろうか?』
『わ!分かった!止めろ!何が望みだ!聞いてやる』
この状況で尚上から目線とか、どんだけ傲慢なんだ。
粘液の糸を引いて膝に降ろされる右手を、充血した目で睨むジジイ。
『キサマ亜竜の分際で、この儂にこんな真似をして生きて帰れると思うなよ』
ぷち。
『ぎゃあ!玉が!儂の玉がぁぁ!』
ジジイ、話し聞くって言ったら大人しく聞けよ。
お仕置きに、目玉じゃない方の玉を潰してやった。片方は予備だから問題無い。
大丈夫、残った方が真ん中にぶら下がって、バランス取れるから。
『キサマよくも!願いがあるならさっさと言え!』
願いじゃなくて要求だよジジイ。流石は皇帝と言うべきか、心が折れないな。
何ならもう片方も潰して、竿ももいじまうか……。
『……ん?ジジイ……お前……スゲエ性癖してやがんな』
目を見開いて、ギョッとするジジイ。
『今ここで披露させてやろうか?』
『よ!よせ!』
たてがみから伸びた銀糸から、動揺がビリビリと伝わってくる。
その時ジジイの瞳に、光が宿る。
『そ、そうだ!キサマ、今すぐ儂を開放せねばオリハルコンに囚われた幼竜の命は無いぞ!』
『ジジイ変態なの』
『だ……誰の声だ』
『リンクスなの』
『リンクス?誰かは知らんが、儂を開放せねば幼竜を殺すぞ』
だからその幼竜なんだって。
説明しないで進めちまおう。
「命令だ!馬車と大陸に渡る船を、大至急準備しなさい。それと娘達をここに」
「皇帝陛下、ご命令とあれば従いますが、娘達を呼ぶのでありますか」
位の高そうな武官の確認に、頷く皇帝。
『ぐぉぉおお!止めろぉぉお!呼ぶなぁぁああ!』
『うるせえぞジジイ。次は条約だ』
俺は紙とペン、それと国の印鑑に当たる国璽を用意させ、ジジイに条約文を二枚直筆させた。インチキされると困るので、さっきの武官を呼んで、書いた条文を読み上げさせてから国璽を割印させる。
って、あれ?読めるな。
ジジイは、横に壺を持って整列する十人の少女をチラチラ気にしながら、国璽を押し、武官に条約を宣言させる。
国璽と条約文の片方を恭しく受け取った武官は、下がりしな小さな小さな声で、ジジイに囁いた。
「クアッダとラアサの暗殺に失敗しました。二人とも既に姿無く」
ジジイは青ざめ、固く目を閉じた。
それからそっと薄目を開けて首から伸びる銀糸を見、たてがみを見、俺と目が合った。
ニヤリと笑う俺。
やっぱりな。そんな事だろうと思った。
『いや、これはその、儂に何か……』
『ジジイ公開変態プレイの刑なの』
『そ!それだけはやめてくれ!皇帝としての威厳が』
横に居並ぶ少女達を横目に見ながら、冷や汗を流すジジイ。
少女の一人が頬を赤らめ、壺に手を入れて中の油に手を浸す。
『や、やめろ!大陸までの安全は保証する!さっさと出てけ!』
『え〜リンクス見てみたいの』
『いや、俺は見たくない』
『……』
『……』
結局リンクスの熱い要望により、刑は執行された。
◇
その後亜竜は、涙目の皇帝を拘束したままクアッダ王らと合流し、馬車で港まで移動、桟橋で皇帝を開放した。
係留縄が解かれ、ゆっくりと陸を離れる中型船。
オノマの明かりに照らされた港から、暗い夜の海へと速度を上げて行く。
入江とレフコン海との境界線。
陸地が袋の口の様に絞られた場所に船が差し掛かった時、それは起こった。
光のオノマで姿を消していた小舟が、中型船の周囲に突如として現れた。
四方八方から中型船に放たれる炎のオノマ。
陸地から飛来し、唸りを上げて船に突き刺さる、数十本のバリスタの矢。
風のオノマが追い打ちをかけ、火勢を煽る。
燃え上がり、浸水し、船体の軋む音と共に、僅か数分で沈没する中型船。
その様子を陸地から見やる残忍な顔。
「はははっ!この儂に逆らって生きて帰れると思ったか愚か者め!見たか!誰も儂には逆らえんのだ!誰もな!」
いつもより更に、威圧的で残忍な顔をした皇帝の姿が、そこにはあった。
『何で船沈めた位で、殺せたって思うのか判らんな』
「変態ジジイ馬鹿なの?」
「冷静さ無くした顔してたなぁ、一体何したんだよジョーズ」
「く、余だけこの糸が無いと聞こえないのか」
俺達はリンクスの光のオノマで姿を消して、上空から沈む船を見下ろしていた。
翼を痛めて飛べないとほのめかし、船を用意させた俺。
船に乗り込む姿を見せ、陸から離れると同時に、姿を消したままのリンクスと、クアッダ王とラアサを背に乗せて、全員で姿を消して船の陰から低く飛び立ち、上空から成り行きを観察。
ジジイの誠意を試した訳だが……。
『ニンゲンって、信じるのが難しい生き物だな』
「一括りにされては困る!所で何故変態ジジイなのだ?」
憤慨しつつも疑問を投げかけるクアッダ王。
「ジジイね……ゴニョゴニョ……で、果てたの」
「「うへぇ」」
リンクスの説明を受けて、吐きそうなクアッダ王とラアサ。
「王様、これおみやげなの」
空気が揺れて、上空で姿を現す一行。
少女姿のリンクスが、クアッダ王に差し出した一枚の紙。
クアッダ王が、オノマで手の中に小さな光のを生み出して、書かれた文字を読む。後ろから覗き込むラアサ。
「なんて物を……」
「根地の森及び、クアッダ王国と今日現在の非戦連合加盟国への不可侵条約だと?しかも百年って書いてあるぞジョーズ」
『今日現在の加盟国ってのがミソだろ?帝国からすれば際限なく条約対象が増える事も無く、加盟国からすればクアッダ王の提案に乗って良かったって事になる』
「確かにこの内容なら帝国も我慢するかも知れん。国璽まで押してあるしなぁ」
「見事な知謀だ、ラアサの提案か?」
『いや、ラアサだったら行き掛けの駄賃でこの位やるかなと』
「すげぇなジョーズ!拷問されながらそんな事まで考えてたのか」
海上で燃える最後の炎が消えた時、クアッダ王が申し訳無さそうに口を開いた。
「アニキよ、お主がニンゲンか竜かは判らんが、全てのニンゲンがああでは無い。それは判って欲しい。ニンゲンを諦めないでくれ」
「ゴーモン?」
「あぁ、ジョーズはリンクスちゃん助ける交換条件に、拷問受けてたんだぜぇ」
「コーモンジジイ、お兄ちゃんにゴーモンしたの!?許さないの!」
リンクスは両手を夜空にかざし、何かをつぶやき始めた。
「な!何だこの真っ黒い球体は!?」
「えええ?リンクスちゃん銀色?で大人!?」
黒い光球と、変身を解いたリンクスの姿に驚く二人。
リンクスの頭上に発生した黒い光球は、みるみる大きさを増す。
その直径十メートル……十五メートル……まだまだ大きくなる。
『ちょ!リンクス!ジジイ殺すな!条約どうなるか判らんだろ!』
「う〜〜じゃ、あっち」
直径二十メートルを越す黒い光球は、放物線を描くこと無く真っ直ぐに帝城へと飛んでいった。
後にクアッダ王らに「肛門皇帝」と揶揄される男は、この日、皇帝の威厳と居城とを失ったのである。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
更新予定 日曜・水曜 20時




