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65話 断頭台の竜

 皇帝陛下の竜殺し。

 退屈な帝都での生活に、降って湧いた一大余興。


 その余興に集まった帝国貴族の一人、ガルシア・ヒェートスは今、後悔をしていた。

 皇帝陛下が竜を自らの手で仕留める、惜しみない美辞麗句を贈り、上機嫌の皇帝陛下から褒美の一つでも貰って帰ろう。そんな軽い考えだったのに。


 武官系の貴族は、決断早く既に城を後にした。

 妻が病気になったり、息子が怪我をした者が大勢現れた。

 無論嘘である。

 その様な嘘をついてまで、殆どの貴族がそそくさと帝城を去った理由。それは。


 亜竜倒れず。


 日の出と共に始まった死刑執行。

 余裕しゃくしゃくだったのは開始三時間迄だった。


 誰が提案した処刑法かが大声で告げられ、喝采の中、皇帝が攻撃を繰り出す。その光景が五度六度と繰り返される内に、実戦経験豊富な武官系貴族は、一人また一人と「急用」に見舞われて席を立った。


 皇帝の顔が不機嫌に歪んでいる。

 長い髪と髭を振り乱し、仕える部下を怒鳴り散らしている。


 地下のオノマ実験場。

 その閲覧席に未だ腰を下ろしているのは、既に二十名程。

 その殆どが文官系貴族。そしてどの顔も「引き際を誤った」と苦い表情をしていた。ここまで少なくなってしまっては、今更帰れない。


 ガルシアは自らの判断の甘さと共に、無駄に頑強な亜竜を恨んだ。

 憎しみのこもった視線の先。亜竜は白い翼を畳み、長い尾で体を囲う様に地に伏している。

 赤黒い鱗の表面は、煤が付いて汚れてはいるものの、傷らしい傷は一つも無い。


 槍は折れ、剣は砕け、攻城兵器すら、鱗にひび一つ入れられず。放たれた全てのオノマも亜竜を死に至らしめる事が出来なかったのだ。


 一時間の休憩が告げられると、皇帝が亜竜に背を向けて、実験場を後にした。

 昼食を摂るためだ。


 執事が閲覧席に現れ、昼食を「皇帝陛下と共に」と告げると、帰り損ねた二十名程の貴族達は、足取り重く昼食の席へと向かうのだった。


 金色の瞳は、その様子を見て、ゆっくりと閉じられた。



 腹減った……。

 痛え。

 返事しろよリンクス……。


 俺は重ねた腕の左の盾剣に顎を乗せ、地面に伏せていた。


 リンクスは無事だ、絶対に。だから俺も耐えられる、絶対に。

 でもあの食いしん坊は、腹を空かせて泣いているだろう。

 だから俺も喰わない。


 今日で四日目か……ラマダン。

 いやラマダンって日の出てる間に食べちゃダメなんだっけ?


 ひもじい。この城に来てから何かの肉と果物が食事として与えられているが、口にしていない。

 もちろん水もだ。毒とか分からんが、眠り薬の類は警戒するに越したことは無い。俺の場合寝落ちは命取りだ。


 空腹のせいか、かつて喰った魔獣が思い出される。

 暗い空間に立つ俺。ガリガリに痩せたちっちゃいおっさん。

 夢を見てるのか?……いや体の感覚も別にある。これは俺のイメージなのか?


 ……あれ?なんだコレ?


 淡い光が集まって小さな光の雲が俺眼前に浮かぶ。何かウマそうですけど。

 腹が減りすぎてイメージですら幻を見ているのだろうか。

 ウマそうだが喰わん。リンクスだってきっと我慢してる。


 小さな雲は、野球のボール位の大きさの球形になったかと思うと、スッと俺に近づき、口を介さずに、直接胃袋に収まった。


 な?何だ?


 おお!懐かしい味がする!コレはあれだ、マザードラゴンが初めて採って来てくれたご飯「ナマズっぽいヤツ」だ!

 ちょっと泥臭い中落ち。懐かしいなぁ。


 直後、水中を泳いだり、小魚やカエル風の物を食べたりするイメージが頭の中に広がり、最後の瞬間は赤黒いドラゴンにトドメを刺されて消えた。


 これって、あのナマズの記憶か?


 そう言えば、ババアのドラゴンが記憶を喰らうとか言ってた様な……。

 今のって記憶を消化したって事なのか?

 う〜む、良く判らん。


 腹は膨れないが、気は紛れた。

 半日ただひたすら痛みに耐えるだけだったから、萎えてたんだよ。心の刺激はありがたい。体の刺激はもうお腹一杯ですけど。


 他にも無いかな……と思って心を澄まして見ると……あった。


 大犬、狼牛と順に記憶を消化して行く。

 犬は短かったが、牛は結構長かった。群れで暮らし、子を産み育て、草原を旅して獲物を狩っている。そして最後は三匹の幼竜と小さな男に命を奪われた。


 俺が殺して喰ったヤツの記憶なんだろうから、最後に俺が出てくるのは理解出来るのだが、毎回俺が俺に殺されてるみたいでちょっとヤダ。編集でカット出来んかなぁ。


 トカゲや鰐は縄張りからさほど離れずに一生を送っていた為、それ程面白くは無かったが、フクロウの記憶は楽しかった。

 暗視スコープで見た様な視界で、空を飛び、風下から急降下して獲物を襲う。

 迫力あるダイナミックな記憶だった。


 うわぁ。


 これは阿修羅猿の記憶か。いっぱい居るけど違いが判らんな。


 ん?なんだコレ?


 俺は覚えの無い記憶を消化しだした。

 光の中から生まれ、水槽で育てられ、他の魔獣の記憶をほんの少しずつ注入されている。

 ニンゲン相手に訓練を繰り返し、ワイヤーの尾を引くナイフを使い魔獣を狩る記憶。ひたすらに魔獣を狩りまくっているが、一匹も喰う訳でも無い。


 法衣を着たジジイに畏まり、全身真っ白な女と、赤い男と共に更に訓練を重ねる。身に付けた実力は、もはや並みの魔獣では相手にならない程だ。


 そして猛り狂った幼竜との戦い。


 力に任せためちゃくちゃな攻撃を受けながら、反撃を試みる記憶の主。

 戦っている幼竜の左腕には……盾剣が生えていた。


 俺かよ!


 繰り出す武器を見て俺は理解した。

 この記憶は青の勇者だ……と。


 でも俺、勇者なんて喰ってなんか……あ、右腕喰い千切られた。

 ここで記憶は途絶えた。


 いつだこれ?

 周りに機装兵が居たな。って事は……う〜ん思い出せん。


 すると俺の周りに霧が発生した。

 水蒸気の粒が、集まって小さな小さな水滴になり、更に集まって小指の先程の大きさになると、俺の前に集まって更に大きくなる。


 砲丸程の大きさになったソレは、宙に浮かぶ水銀の様に、俺の顔を球形の鏡面に映し出す。


 ピチャンと音がしたように波打ち、落下する液体。

 思わず手を伸ばして受け止める俺。

 ズシリと重さを覚えた手には、硬い銀の真球が収まって居た。


 これは……?


 複数の足音で、俺は意識を現実に戻し、目を開いた。

 皇帝の野郎が手下を引き連れてズカズカと歩いてくる。


 何でまた今朝みたいな、嬉しそうな顔してやがる。

 さっきは苦虫噛み潰した様な顔して引き上げてったくせに。

 新しい処刑法でも考えて来たか?このドSジジイめ。


 「ん?まだエサに口を付けんか。竜は何でも喰らうと聞いたがな」


 エサとか言うなし。皇帝に釣られて生肉や果物が盛られたボウルを見る。

 ふざけんな!あの果物、毒じゃねーかよ!

 って……あれ?判るぞ?さっきまで毒の果物だって判らなかったのに、今は判る。あれは激しい吐き気と、手足の痺れをもよおす毒の果物だ。


 ……記憶を消化したからか。

 それ以外に考えられない。


 「ぬ、亜竜よ、反撃すればオリハルコンの中の幼竜は助けてやらんぞ」


 おっとイカンイカン。顔に出てしまった様だ。

 喰ったヤツの記憶を消化すれば知識が手に入る。楽しくなって来やがった。

 後二日半、これで挫けそうな心を紛らして、リンクスと一緒に腹いっぱい狼牛を食べるんだ。腹がびっくりして下痢するだけ喰ってやる。リンクスと一緒に。


 リンクス……俺の身代わりにオリハルコンに……。


 「何だ、今度は泣いとるのか。命乞いなぞ今更無駄だ、さっさとお前の命を儂によこせ」


 処刑一日目午後の部が始まった。

 残忍なツラしてやがる。俺が喰った魔獣共は良くも悪くも純粋だった。喰うために殺し、喰われる為に殺された。

 このドSジジイの様に殺戮を楽しんだりしない。


 テメエなんかに殺されてたまるか。


 俺は意識を集中させた。



 「何なんだあの亜竜は!どうして攻撃が通らんのだ!」


 皇帝の怒声が廊下に響く。

 付き従う者達は体を縮め、皇帝との距離を更に取りながら後ろを歩くだけで、誰も口を開こうとはしない。

 窓の外と廊下の一行、どちらがより暗かったろう。


 「まだ成竜ではないから、結界は無いと儂に言ったのは誰だ」


 「は、魔獣研究機関の者で御座います」


 「殺せ」


 皇帝に続いて廊下を歩く一行は、凍りついた。

 慌てて老大臣が執り成す。

 

 「こ、皇帝陛下、獣研は勇者の儀に欠かせない機関で御座います。これまで数多の実績を残して参りましたし、殺してしまっては皇帝陛下の覇権の遅れに繋がりかねない恐れが生じる可能性が懸念され……」


 途中からしどろもどろになる老大臣。


 「なら片親を殺せ、儂に恥をかかせおって」


 「そ、それでは早急に獣研と結界の専門家との会議を開き、結果を出せねば片親を処断される場合もあり得ると通達致します。早速に。失礼致します」


 老大臣は敢えて命令を取り違えたフリをして、走る様に皇帝の側から去って行った。

 老大臣の機転に、そっと胸を撫で下ろす一行。

 中々に仕えるのが難しい皇であった。


 夕食の席、若い武官が恐れ多くも、怒れる皇帝に上申した。


 「皇帝陛下、ウーツの武器でも切れぬと言うならば、オリハルコンしか御座いませぬ、それも亜竜が力を受け流せぬ様に鎖で地面に括りつけて斬るのです」


 皇帝は不機嫌に若い武官を見ただけで、すぐには返事をしなかった。

 老齢の武官が手を上げて、皇帝の頷きを待って発言する。


 「貴公の言いたい事は分かるが、オリハルコンの武器は此度の戦の為に、全て大陸に渡っておる。それにあの亜竜は鎖程度引きちぎってしまうであろうよ」


 「鎖をオリハルコンで作るのです!愚かな亜竜が、自ら持ち込んだオリハルコンで縛ってやれば良いのです」


 若い武官は顔を紅潮させて胸を張った。


 「貴公、もう少し思慮という物を身に付けた方が良いぞ。確かに切れ味を求めぬ鎖ならば一日もあれば持参したオリハルコンから作れよう。だが武器はそうは行かぬ最低でも一週間は掛かろう。まさか知らぬのか?」


 「な、ならば……」


 若さ故か、馬鹿にされたと思った若い武官は引込みが付かなくなった。


 「ならば!宝剣コラスティリオがあるではないですか!大地を裂き海をも断つと伝えられし天罰の名を冠した宝剣が!」


 バン!とテーブルを叩く音。

 皆がビクリと背筋を伸ばして、皇帝を見やる。


 「キサマ……たかが余興に、この帝国を守護する宝剣を持ち出せと言うのか」


 「い、いや、その……私は……」


 皇帝に睨まれ、言葉も紡ぎ出せず喘ぐ若い武官。


 「どうなんだ。勢い余っての失言か、本意か」


 「し、失言で御座いました。お許しを……」


 若い武官は、ゴクリと唾を飲み込んで答えた。


 「殺せ。馬鹿なら馬鹿を貫けば良い物を、この様な者、国の役に立たん」


 若い武官は目を見開いたまま、息も吸えずに引きずられて退出した。

 風見鶏を披露した彼は、夜が明ける前に、人生から退場する事となるだろう。


 竜の処刑は皇帝一人で執り行う事になっていた為、夜通しは行われなかった。

 試すべき処刑法も尽きたし、皇帝も休まねばならない。


 はたと老大臣は思う。皇帝陛下は自らの手で竜を殺すとは言ったが、一切の手を借りぬと言ったかな……と。

 実はそこには、拡大解釈に基づく既成化とも言えるプトーコスの工作があったのだが、この時点で看破する者は一人も居なかった。


 絹の寝間着に毛皮のガウンを羽織って、自室の窓辺に佇む皇帝。眼下には夜だというのに煌々と明かりを灯す帝都の町並み。

 赤ワインを飲みながら皇帝は一人呟いた。


 「宝剣コラスティリオか……」


 光に透かされたワインの影が、皇帝の右手に落ちる。

 その手は、尚血塗られる事を望んでいるかの様だった。



 ハラ……ヘリ……カユ、ウマ……。

 リンクス返事しろ〜。


 いや、ウマくは無い。だが空腹のひもじさは少なくなっていた。

 慣れて胃がちっちゃくなったかな?それとも記憶の消化が影響しているか。


 午後一の複合オノマは、やばかった。

 意識が飛びそうになる雷のオノマの強化版を、氷のオノマでキンキンに冷やしてから放ってきたのだ。

 超電導しちゃう所だったかも知れない。


 だがそれが氷や雷の調整をしながら、計五回繰り返されると途端に手詰まり感がにじみ出た。

 午前中の執行で既に直接攻撃は諦めたらしい。


 攻城兵器である破城槌が、朝っぱらから出てきた時は正直焦った。

 デカイ吊り杭が迫った時、思わず盾剣で受けてしまったのだが、何も言われなかった。


 受けて良いなら良いって言って欲しかった。

 馬鹿正直に頭で剣や斧受けた俺がアホみたいじゃないか。

 どっかの雑技団じゃありませんけど。


 ドSジジイが夜になって引き上げてから、俺は消化を再会した。

 意識を内面に向けていると、体の痛みも少し和らぐ気がした。


 幾つかの魔獣の記憶を楽しんだ後、今迄と比べ物にならない位の密度を持った玉が現れた。今までの半気体の雲の様な模様が見えない。真っ白でギッシリだ。


 これ……なんの記憶だろう?

 好奇心が警戒心を軽々と飛び越え、俺は白い玉を消化しようと胃に収めた。


 頭の中に凄まじい早さで映像が流れて来る、目を逸らすことも、瞬きする事も出来ない知識の濁流。


 俺が今までに見たことも無い魔獣や、ニンゲンの記憶までが光の速さで流れ込んで来る。


 すげえ疾走感だ……。


 い、いや……ちょっとタンマ。

 止めて、頭痛い。

 一時停止ボタンどこ!?


 俺は体の痛さも忘れて転げまわった。

 地面を叩いてクレーターを作り、壁にぶつかってレンガを割る。


 ぐぉぉぉおおお!

 脳が……焼ける……。


 頭が熱い、強烈な乾きを覚えた俺は、ご飯の隣のボウルに入った水を口にした。


 ブッ!


 くっそぉ!ご丁寧に水にも毒を溶かしこんでやがる。

 俺は焼ける様に熱く、割れる様に痛い頭を抱えて、転げまわった。

 音に驚いて、兵が集まってくる。


 俺は口を一杯に開き舌を出して、少しでも冷たい空気を取り込もうと懸命に息をした。

 胸が苦しい。めまいもするし、手足も痺れてきた。


 こんな時に……過呼……吸……。


 死ねない!俺は今死ぬ訳には行かないんだ!


 俺は懸命に意識を繋ぐ。

 今ここで俺が死ねば、ドSジジイは竜殺しの名を得られない。

 そうなったらヤツはきっとリンクスを殺す。

 それは無駄死にだ。それだけは……。


 ドSジジイ!何やってやがる、速く来やがれ!

 俺が襲いかかって、一発貰いさえすれば、俺が死んで竜殺しの名は手に入る。

 リンクスは助かるんだ!


 早く……はや……。


 手足の感覚が無くなり、もう目も見えない。

 焼ける様な頭の熱さだけが、今の俺に残った唯一つの感覚。


 だがそれももう……消えてしまう……ダメだ……リンクス……。


 『お兄ちゃん!!』


 『……リンクス!?』


 聞こえた!幻なんかじゃ無い!

 焼ける脳に確かに響く力強い声。

 何度も俺を俺に繋ぎ止めてくれた命の声。


 『リンクス!!』


 『お兄ちゃん!!』


 俺はその声に涙した。


ここまで読んで頂きありがとうございます。


更新予定 日曜・水曜 20時


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