60話 戦後
成竜と黒衣の男が、空に消えてから数時間後。
日が傾き始めた頃に、ニンゲン達は帰路に付いた。
帝国共和国の別け隔て無く、武装も無く、勝利も敗北も無い帰還。
だが彼らには、無かった筈の命があった。
車を貸し合い、肩を貸し合い、細い列を作って、無数の死体が散乱する荒野へと、根地の森から引き上げて行くニンゲン達。
恐怖、絶望、死。
何が両軍の兵の壁を取り払ったかは、定かではない。
ただ、欲望や憎しみで無いことは確かであったろう。
彼らは重傷者を街に運び、遺体を回収し、死者の確認をする事になる。
そして、これからの事を決めるだろう。
両国間に戦争は無かった。
だが、山積みの戦後処理は残った。
そして、いち早く戦後を語る一団が根地の森に居た。
◇
「オニュクス、領主の名で不可侵の約を結ぶのだ」
「プトーコス卿……幾ら果断即決が旨とは言え……いや、確かに」
二人の武人は神妙な面持ちで頷きあった。
「帝国領エラポス領主オニュクスと申す。エラポスは領主の名に置いて、根地の森と不可侵の約を結びたい」
波打つ金髪に青い瞳、高い鼻。ニメートルに届きそうな堂々たる体躯。
鎧と一緒に赤いマントは脱ぎ捨てられ、上半身は肌着一枚だが、それでも尚威厳漂う武人。
イケメンだなぁ。
俺の第一印象はソレだった。
まるで映画俳優だ。四十才位だろうか。俺との差が酷い。
今は落ち葉の上に膝を折って座ってるが、それでも威風堂々だ。
「兵一人に付き一万帝国ユーロを、救命の謝礼といして後日届けよう。不可侵の約の詳細はその時に」
隣から補足したのは、ブロディヘアーに青いバンダナをした初老の武人。帝国軍特務遊撃隊のプトーコスだ。
俺がここ数日ストーカーしていた相手でもある。
ユーロ?
「そうですね。我軍の兵を救命して頂いただけでなく、結果としてではありますが、エラポスを戦火から守って頂いたのです。この恩に背いては武人の恥。陛下も必ずやご理解下さる」
「ワシからも口添えして置こう。そもそも根地の森の軍勢など本国では認知されておらんだろう。越権行為には当たるまいよ」
ちょっと堅苦しい気もするが、二人からは何か清涼な印象を受けるな。
一方。
「はあ?自分たかが小隊長ですんで」
「臨時大隊長だろう?傭兵である俺は代表に相応しくない」
ツーブロックに刈り込んだ頭に、眠そうな目が特徴的な二十代半ばの青年ダファー。ニンゲンを一人でも生かす為に、根地の森への退避と成竜への反攻を立案し実行した張本人だとさっき聞いた。
あの混乱する戦場で、絶望の淵にある兵をまとめ、魔獣の森への退避などという大博打を打った鬼才……の筈だが、何だこの覇気の無さは。
バックヤードで廃棄食いながら週刊誌読んでる、コンビニの夜勤バイトにしか見えん。
「すまん呪画士殿。共和国は文民統制で兵には政治権限がないんだ。後日改めて政治的代表と話す機会をくれないか」
ダファーの肩に手を置きながら、申し訳無さそうに話すのが、ロマンスグレーの鬼神の隊長さん。ゼナリオって名前だった。
「みんなちこう寄れ。なの」
輪になって落ち葉に座る面々の中心にリンクスが立ち、回りながら手招きをする。
俺、オニュクス、プトーコス、ダファー、ゼナリオの五人は、互いの膝が当たるまで輪を小さくして座る。
一人だけ正座のオニュクス。一番デカイやつが背筋を伸ばして正座してる。生真面目なのか。
リンクスが皆の右手を順番に左隣りの者の頭に乗せて行く。
そして俺の左膝にちょこんと座ると、リンクスは左隣りの隊長さんの頭に手を乗せて、俺を見た。
不思議そうな表情の面々を見ながら、俺はゆっくりとした動作で右隣りのオニュクスの頭に手を乗せる。
『あー聞こえますか皆さん?』
「「「おお!?頭に声が」」」
「どうなってんだ?」
「呪画士殿の声なのか!?」
「こ……これは」
『まず先に宣言して置きたいと思います。根地の森の、配下にある魔獣達が街を襲う事はありません。なので不安や恐怖に駆られて森を攻める様な事はしないで下さい』
ニンゲン達が一様に頷く。
『魔獣達の法は、帝国主義でも民主主義でもなく、弱肉強食です。食べる為の争いは配下の魔獣でも日常ですので、森には立ち入らない方が賢明かと』
俺の宣言は続く。
『今回は成竜の襲来があったので助けましたが、ニンゲン同士で戦争をするなら決して助けません。周りを巻き込まないで殺し合って下さい。但し……争いが成竜を呼び寄せてしまったかも知れない事を忘れないで下さい』
ゴクリと唾を飲む音が嫌に響いた。
『お兄ちゃんかっこ良かったの』
他、幾つかの事を伝えて、日が落ちる前に俺はニンゲンを森から出した。
だって迷子をだすとサルがうるさいんだもの。
誇張やハッタリも込みだが、まあこんなもんだろう。
ニンゲンの武具はすべて根地の森に遺棄させた。
両軍とも多大な損害を出しただろうし、しばらく戦争しようなんて思わないだろう。……思わないよね?
◇
オニュクスの言動に現れる様に、帝国は地位に対して権限や責任が直結している。
この為、重要案件であっても決定が早く、改革や改定がドラスティックに断行できる。
だがその反面、一人の暗君が国を滅ぼす危険を常にはらんでいる。
一方の共和国は、議員内閣制の各街が集まって共和制を敷く。
帝国制に対するアンチテーゼとして生まれた制度であるが故、権力の暴走を防ぐ機構は優れているが、何事に関してもとにかく決定が遅い。
白い物を白いと認めるのにも会議と決議が必要な感覚。
自動車に例えるならアクセルに優れた帝国、ブレーキに優れた共和国。
◇
「すぐに採決するべきです」
優れたブレーキに縛られながら、もがく男が居た。
ニザーム。
共和領ネビーズ市長秘書の黒眼鏡の男である。
先日の成竜との戦いで英雄的活躍をしたダファーの親友でもある。
壇上から詰め寄られているのは、ネビーズの副市長。
小心で権威に弱く、独創より慣例を、変革より安定を好む、典型的な小役人である。
ネビース市議会場。コの字に置かれたテーブルに囲まれる様に置かれた演壇。今、そこではニザームが言葉を尽くし、議会と副市長を説得していた。
「戦に参加した兵一万二千。八千が死に絶え、残る四千の内、戦える者は千にも届きません。敵対出来ぬのならば不可侵の約を結び、街を守るべきです」
「しかし魔獣ごときと約を結ぶなど……そもそも約など守る訳がない」
「「そうだそうだ!」」
「バケモノに知能など無い!」
「共和議会の承認も無く約を結ぶなど……」
ふーっとニザームは息を吐く。
ニザームは遺体の回収を手伝い、出来る限りの帰還兵から話を聞いた。
ダファーやゼナリオから、魔王との円座の会談の事も聞いた。
帰還兵は傷つき、疲弊し、命を救ってくれた根地の森とは戦いたく無いと言い、共に地獄を生き延びた帝国兵とも戦いたくないと言う。
生還した兵が、戦場で負った傷が元で死ぬ数は、これから増え続ける。
実際の予後不良と、歩けるようになった兵の逃亡と言う形で。
「エラポス領主は即断で不可侵の約を結んだと聞きます。すぐにでもネビーズも約を結ばなければ、野心を疑われ、最悪根地の森とエラポスの共通の敵となってしまうのです」
「魔獣根絶を唱える帝国が?あり得ん」
「成竜を恐れる余り、妄言を吐いているんじゃないのか」
「帝国も相当の被害を出したのだろう?根地の森を抜けての奇襲が無いなら今こそエラポスを手に入れる好機、増援の要請こそするべし」
文民統制の弊害がソコにはあった。
死の現場を知らぬ者が決定を下すのだ。
間違えた決定の責任を、命を持って償うのは現場なのに。
「とにかく、じっくり時間を掛けて議論してだな……」
「共和議会の提言を待とうではないか」
「勝手に約を結んで、共和議会から睨まれるのは避けなければ」
ニザームは拳を握りしめ、ゆっくりと深呼吸すると、掌を開いた。
黒縁メガネの中央を人差し指でクイッと上げて、正面を見据える。
(ダファーは絶望的な戦場から四千もの兵を生還させた。私が短気を起こす訳には行かない)
ニザームの孤独な戦いは続いた。
◇
「しかし……酷い有様だな」
「全くです。プトーコス卿が即決して下さらなければ、この者達を防衛に立たせねばならない所でした」
「即決したのはお主だオニュクス。ワシは提案しただけだ」
「エレンホス卿も副官も死んでしまって、部隊の再編も大変です」
帝国領エラポス。領主の城から、プトーコスとオニュクスの二人は城の庭にまで溢れた負傷兵を見下ろしていた。
「しかし……」
プトーコスは窓辺を離れ、ソファーに腰を下ろし、コーヒーをすすった。
オニュクスも赤いマントを揺らして、プトーコスの正面に腰を下ろす。
「魔王の声を聞こうとはな、頭に直接流れる声……不思議な体験をした」
「覚えておいでですか、魔王が口にした言葉を。帝国主義、民主主義と」
「ああ、ワシも時が経ってから気が付いた。魔獣の王である者がニンゲンの思想や政策を知っているだけでは無く、理解しておる様な口ぶりだった」
「長い刻を生きた成竜ならいざ知らず、あの魔王はまだ幼竜かと」
「一緒にいたリボンの幼竜、ゼナリオ殿はリンクスちゃんとか呼んでおったが、ニンゲンの言葉を巧みに使っておった……」
プトーコスは額のバンダナに手を当て、オニュクスは顎に手をやる。
「「謝礼金の移送は(ワシ)(私)が……」」
同時に出される同様の提案。
暫し議論後、結局二人とも再び根地の森に赴く事となった。
身の危険よりも、好奇心を優先させたのである。
二人は会見の準備を始めた。
◇
『あはははっ凄い!気持ちいいのーー!!』
『そ〜れトンボ返り〜』
成竜大戦カッコ仮の翌日、俺の翼は遂に大空を手に入れた。
昨日まで滑空がやっとだった俺が、今では自ら羽ばたき、自由自在に空を飛んでいる。
『手羽先のおかげなの』
手羽先?成竜の翼の事か?
そうなのか?記憶を喰らうとか成竜は言ってたが、成竜の翼から飛行に関するメカニズムなりノウハウを吸収したって事なのか?
『兄上様!兄上様!サルも飛びたいウキ!』
一時間程空の旅をして大樹の枝に戻ると、サルが目をキラキラさせて待っていた。六つの手を顔の前で組み、お願いかける三のポーズをしている。
やだよ、今降りたばっかでちょっと疲れたし、お前デカくて重そうだし。
『……』
……。
わーったよ!分かったから、そのキラキラ目をうるうるさせるの止めろ!
ちっとも可愛くなんかねえぞ!
『ウキーーー!これが空ウキか!?気持ちいいウキーー!』
くっ、マジで重てえ。
いや、良い訓練だと考えよう。そうコレはウェイトトレーニングだ。
『兄上様!サルにもトンボ返り欲しいウキ!』
……コノヤロウ、チョーシノッテヤガルナ。
『ウキーーー!落ちるウキ!落ちるウキ!』
やっぱ重てぇぇええ!
ちょっとビビらせてやろうと、トンボ返りから急降下してやったのだが、落下速度が予想以上に付いて、危うく墜落しそうになる。
地面スレスレだった。俺がビビったわ。
『お兄ちゃん、お帰りなの』
『ふ〜焦った。ニュートン舐めてたわ』
リンクスの待つ枝に戻る俺。
着地も格段に上手くなった。
あ?
出迎えのリンクスの後ろに阿修羅ザル。
一、ニ、三、四、いっぱい、いっぱい……。
枝を渡って器用に一列に並んでいる。
何故、目をキラうるさせている。
『兄上様、サルだけずるいウキ』
『兄上様、ウキらにも空を与えて欲しいウキ』
いや、ずるいとかそう言う事じゃ……っておい!オメーは遠慮しろよ!デカすぎんだろ!
別の阿修羅ザルの群れのボス、俺命名漢ザルまで並んでやがる。
とか思ってる内に、列は更に伸び、枝が切れると幹に一列にへばりつき、根地まで伸びた最後尾には、遂には狼牛やトカゲまで並びだした。
サルが最後尾で列の整理をしている。
最後尾はこちらですって看板持ってる幻が見える。
『兄上様……』
『『『兄上様ぁ』』』
くっ、この数のモフモフのキラうるは……。
『よーしやったる!ただーーし!一日十匹までだからな!サル!今度こそ整理券だ!』
『『『……』』』
『『やったウキーーー!!』』
ギャウギャウ!
オォーーーーン!
一瞬の静寂後の大歓声。
魔獣達が飛び上がって喜び、咆哮を上げる。
『整理券貰ったら仕事に戻れよ!遺棄された武具の仕分けもしろよ!』
エーとか言うかと思ったら、みんな喜んで聞き分けてくれた。
サルが落ち葉に印を付けて配り、貰った落ち葉を大事そうに持ち帰る魔獣達。みんなペコペコと頭を下げてメチャ嬉しそうな顔で帰って行く。
ほんっと表情豊か、子供みたいだ。
『おーし!一番誰だ!』
俺の特訓は続く。
◇
後に「根地の森迎竜戦」と呼ばれる戦いの、戦後処理が始まった。
帝国軍 一万六千 生存者 約五千
共和国軍 一万二千 生存者 約四千
根地の森軍 不明
主な戦没者
帝国軍 総司令エレンホス 副司令ズモス
共和国軍 共和国議長カーヌーン ネビーズ市長アスィス
開戦に挑んだニンゲン二万八千が、成竜わずか一匹の為に一万九千の命を奪われ、生存者九千の中で負傷していない者は三千に満たなかった。
根地の森迎竜戦はここ数百年で、最も凄惨なドラゴンとの戦いとして、歴史に名を刻む事となる。
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