59話 誕生
何が起こったんだ!?
痛む体に顔をしかめながら、仰向けになり成竜を見た俺。
首を押さえられたかの様に、地面にめり込んだ顎。
その反動で跳ね上がった長大な尾。
鮮血を散らせながら、根本から切断された左中翼。
唖然とする俺の右腕に触れる感触。
直後、俺の姿が消える。
『大丈夫?お兄ちゃん?』
『あれはリンクスがやったのか?』
『逃げるの。ヤツが来たの』
姿を消したまま、俺を引きずり、とにかくその場を離れようとするリンクス。その背後に重い音を立てて、切断された成竜の翼が落ちる。
『いつの間に居たんだい……ミ・ディン』
成竜が俺達の居る場所に背中を向けて、何者かに叫んでいる。
ミディン?誰だ?
……だがこの戦慄……覚えがある。
『幼竜共、あまり離れるなよ。結界が中和出来なくなるからな』
いきなり頭の中に男の声が、割り込んできた。
この声は……。
成竜がジリジリと横に移動し、声の主が見える。
背中にまとめた黒髪、太い眉に三白眼、全身を覆う黒い鎧とマント。
右手には、異様に分厚い両刃の長剣が握られている。
……黒衣の……男だと!?
『俺の接近に気付かないとは、老いたなシエロ。しかし竜が四体集まれば結界が霧散するという伝承……本当だったとはな。どうだ?結界を失った感想は?』
俺はヤツラの念話に割り込まない様に注意しながら、リンクスに説明を求める。とてもじゃないが状況に付いて行けない。
リンクスの話しでは、成竜に攻撃が通る様になった後、黒衣の男の気配を感じて姿を消したらしい。
暴走した俺が成竜に踏み付けられ、喰われそうになった時、リンクスは覚悟を決め、跳び上がり、上空から成竜の首目掛けて攻撃。
成竜の頭を地面にめり込ませて俺を救出。
時を同じくして、黒衣の男が斬撃を発して成竜の翼を一枚切り落としたとの事。
『これまで数百年も逃げられて来たが、この千載一遇の好機……滅ぼさせて貰おう』
『ふん!結界が弱まったぐらいでやられるものか!今日こそ喰らってやるよ!覚悟をし!ディン!』
言い終わるやいなや、成竜が体を踊らせて黒衣の男に襲いかかる。
力強さも素早さも、先程とは比べ物にならない攻撃。
さっきまでが、まるで本気じゃ無かったと分かる。
手足の攻撃は五メートルのクレーターを次々と生み出し、振られた尾は瞬時に塹壕を作り出す。
凄え
地形すら変えかねない攻撃を、黒衣の男は尽く紙一重で躱し、時折カウンターを放ち、成竜の鱗から僅かに赤い飛沫が飛ぶ。
『に〜げ〜る〜の〜』
戦いに見とれる俺を引きずって、少しでも離れようとするリンクス。
分かった、分かったから……全身の痛みを堪えて、どうにか立ち上がる俺。
ふと、足元に転がる成竜の翼が目に入る。
ぎゅるるるるるるるぅぅぅうう。
盛大に腹が鳴る。
姿消してる意味ねんじゃね?って位デカイ音を立てて。
『お兄ちゃ……』
ぎゅるるるるるるるぅぅぅうう。
俺の視線を追って、成竜の翼を見たリンクスも盛大に腹の虫を鳴らした。
ぎゅるるるろろろぅぅうららううる。
ぎゅるらららるぅぅぅぅ。
腹の虫に大合唱させながら見つめ合う俺とリンクス。
こくり、と頷き合う二人。
『これじゃ姿を隠しても見つかっちまうもんな』
『腹が減っては逃げもうてぬ、なの』
スッと姿を消す成竜の翼。
直後、ガツガツモシャモシャと何かが何かを喰う音が、辺りを満たした。
◇
「どうしたんだ?成竜が一人で、もがいている様に見えるが」
「竜の兄妹の姿も見えなくなってしまった」
根地の森の枝の上。
プトーコスとゼナリオは目を見開いて、成竜を見やる。
「俺の目じゃ無理だ、プトーコス殿、兄妹の姿を探してくれチャンスがあったら掻っ攫いに……」
弓術に長けた者は総じて視力が良い。
プトーコスはその中に在っても、特に優れた視力を持っていた。
そのプトーコスが額にしわを寄せ、目玉が落ちそうな程目を見開いている。
「……残念ながらワシの目でも幼竜の姿は見えん」
成竜は激しく暴れながら、徐々に森から離れて行っている。
だが、成竜の周りに動く物は見えない。
「く……喰われてしまったのか……」
「それにしては成竜の動きが、おかしいとは思わんか」
二人は六手猿に見張られながら、只眺めているしか出来ない自分達を歯がゆく思いながら、懸命に兄妹の姿を求めた。
◇
『結界なんて無くたって、オマエじゃワタシを殺すのは無理みたいだねえ』
成竜の体には小さな傷がいくつも付けられていた。
だが、血のこびり付いた鱗からは既に出血は無く、割れ剥がれた鱗は真新しい鱗に生え変わっている。
新陳代謝早すぎだろ。
『しぶといな。流石は三千年の刻を生きると言われるだけの事はある。そうだな、言葉を借りれば……しぶといババアだな』
『チビ共の真似はおよし!その舌を引っこ抜いてやる!』
黒衣の男と成竜は、必殺の一撃と言葉を同時に交わしている。
俺達に聞こえる様に、わざとそうしているのかオープンチャンネルだ。
その時、黒衣の男が足を肩幅に開き、分厚い長剣を正中線に構えた。
頭の天辺に響く様な、高周波が長剣から発せられる。
なんだ?剣微かに光ってね?
黒衣の男の息遣いは、まるで鬼神の息吹だ。開放とかするのか?
『に〜げ〜る〜の〜』
これもあげるからチョットだけ待って。
マジカヨ
黒衣の男が、刀身に手を添えると剣が形を変える。
分厚い長剣は薄く長くその姿を変え、幅十センチ長さ三メートルの超長剣へと変形をした。
◇
『オリハルコンを使える様になったからってね!』
風を切り裂いて、黒衣の男に迫る成竜の爪。
幅広く柄を握り直し、一歩踏み込んで横薙ぎに超長剣を振るう黒衣の男。
トスッ!
黒衣の男の足元に突き立つ、僅かに曲がった灰色の円錐。
伸ばした手を引いた成竜の眼前、今まで幾千幾万の命を奪ったであろう成竜の爪の一本が、半ばから切断されていた。
光を反射するほどに鮮やかな切断面。
『感の良い事だなシエロ。腕一本貰うつもりだったのだが』
『オリハルコンを……支配したってのかい……ディン……』
更に踏み込んで距離を詰めようとする黒衣の男。
一方の成竜は、その巨体からは想像も付かない程の俊敏さで距離を取った。
羽ばたきで生じた土煙を割って、黒衣の男が迫る。
成竜の正面、五十程の赤い光球が生まれ黒衣の男に放たれる。
赤い光の滝となって、黒衣の男に降り注ぐ炎のオノマは、半数以上が空中で掻き消えた。
密度の下がった光球の間をすり抜けて、成竜に迫り超長剣を振り下ろす黒衣の男。背後で起こる灼熱の光。
振り下ろされた超長剣は、かばう様にかざされた左腕を切断し、成竜の右の目を切り、頬骨に食い込んで止まった。
『ぎゃぁぁああ!』
大気を揺るがす咆哮。
のたうつ成竜の巨体。
『先程舌を噛まれていたな。言葉は力、名は願い。オノマを失い結界を失った年老いた竜よ。命を失う刻が来たのだ』
『や、やめておくれディン!見逃してくれたらこれからはアンタの為に』
『その様な曲がった魂だから、いつ迄経っても選ばれぬのだ。次は弱き者に生まれ変わるのだな。さらばだシエロ』
頬に足を掛けて引き抜かれた超長剣は、成竜の頭を二つに割るべく高々と掲げられ、音の速さで振り下ろされた。
刃が成竜の眉間に達する瞬間。
キィィィイイイン!
耳障りな程甲高い音を立てて、超長剣は弾かれた。
反動で成竜の鼻先から落ちる黒衣の男。
『結界……だと?』
地面に到達する前に襲い来る成竜の尾。
定まらない体勢ながらも、黒衣の男は超長剣を振るった。
再び鳴る甲高い音と共に、黒衣の男は、尾によって弾き飛ばされた。
『はっはっは!ツイてるねぇ!結界が戻ったって事は、亜竜が死んだんだねえ。アタシにゃまだ死ぬなって事だよ』
生気を取り戻した成竜の手には、先程切られた左腕があり、切断面と切断面を押し当てている。
キョロキョロする成竜。
『翼はどこ行った……ええいしょうが無いね』
成竜は五枚の翼でぎこちなく飛び上がり、時折バランスを崩しながら高度を上げて行った。
『今日は油断したけどね、次は喰らってやるからねディン』
『ここまで追い詰めて逃すか』
黒衣の男はマントを脱ぎ捨てた。
体に張り付いた様な黒い鎧の背中、頑丈な留め金に剣を収める。
両の手を丹田に当てて、息吹を一つ。
『頼むぞ我が剣』
淡い光を発した超長剣は、再び形を変えた。
背中に面して放射状に伸びた八本の針。
長さの違う八本の針は、薄く薄く、向こうが透けて見える程薄くなり、形状を変え、翼の様に黒衣の男の背に展開した。
『飛ぼうってのかい!』
成竜は表情から余裕を消し去り、非対称の五枚の翼を羽ばたかせて速度を上げ、黒衣の男から離れて行く。
透き通る様な八枚の翼を微かに震わせて、地面を離れる黒衣の男。
二つの飛翔体は、青い空に吸い込まれ、小さな点となり、やがて見えなくなった。
◇
「恐怖は……去ったのか……」
「飛び立つ前、何かと戦っていた様にも見えたが」
「兄妹は見えるか!?遠すぎて俺には」
ザザザッ!
その時、葉音を立てて全ての魔獣が枝を降りた。
「何だ?」
「とにかく行ってみよう」
プトーコスはゼナリオを背負って、大樹を降りた。
大量の魔獣が、根地の森の入り口に向かって走っている。
よろよろと歩くニンゲンを追い越して、森の入り口に集まる膨大な数の魔獣達。歩く内に合流を果たすゼナリオ、プトーコス、ダファー、オニュクスを初めとするニンゲン首脳部。
やがて流れが滞り、前も後ろも魔獣に囲まれた状態で立ちすくむ。
一行の中で最も長身のオニュクスが背伸びをしたその時、動きがあった。
前方の魔獣から順に、跪き、頭を垂れる。
それは水面の波紋の様に広がり、ポツポツと点在するニンゲンの集団を残しながら、森全体に広がった。
魔獣達が跪く事で開けた視界。
魔獣達が頭を垂れる中心。
そこに立つ二匹の竜をニンゲン達は見た。
赤地に白い水玉柄のリボンを付けた幼竜と、その幼竜に支えられた白い翼と左腕に剣と盾を持つ亜竜の姿を。
「呪画士殿……リンクスちゃん……無事だったか」
肺の底から空気を吐き出し、ゼナリオは安堵の声を漏らした。
安心感から虚脱したゼナリオは、魔獣に倣ったかの様に膝を付いた。
呆然と立ち尽くして居たニンゲン達は、自分達を逃がそうと最後まで戦った男の動作を真似た。
二匹の竜に対して、膝をつき、頭を垂れたのである。
猿も狼も熊も、蜥蜴も蛇も鰐も、鳥も虫も、そしてニンゲンも、この森にある全ての生ある者が、二匹の竜に頭を垂れた。
そこに在ったのは、恐怖でも支配でも無く、生ある事への感謝。
その瞬間に立ち会った者は、後の世にこう伝えた。
其は命への感謝から産まれた。
命を与えるという、神にも等しい行いが其によって成された。
よって其は認められた。
其は王。
根地の森の魔王なり。
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